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マホウヲハコブモノ  作者: まきなる
第一章
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第一話 夏は華 後編

『不気味ね』


 目が覚めると、雨木はベッドの上に寝転がっていた。左手には注射針が刺さっており、点滴が体に流されていた。病院だろうかと視線を動かすが、壁は一面木製。彼が一般的に知っている無機質な病院の壁ではなかった。そして、普通の場所でも無かった。


 空中にはシャボン玉のようなものがプカプカ浮いており、その上には小さなネズミが寝ている。小人を模した人形たちがせっせと編み物をしており、見たことのない材質のロボットが棚の掃除をしていた。同じベッドの上には、雨木と同じ背丈のブラキオサウルスが気持ちよさそうに寝ている。雨木は夢と見紛う光景に包まれていた。


「あ、起きた」


 入り口の方に目を向けると、ヘッドフォンを首にかけた全体的にボーイッシュな格好をした女性が一人立っていた。両手で洗面器とタオルを抱えており、彼の額に置いてあった温いタオルを変えてくれた。絞りの甘いタオルに付いた水が、彼の額から流れ落ちる。


「君、名前は?」


「ーー雨木 透」


「名前言えるなら大丈夫か。私は凪 春香(なぎ はるか)羽山(はやま)さん呼んでくるから、ちょっと待ってて」


 彼女は洗面器を抱えて、部屋から出ていった。起き上がり、彼は自身の体を見た。ナイフが刺さった場所には縫った糸が見えていた。緊迫した状況が終わったためか突如、酷い脱力感に苛まれる。気絶していた彼にとっては、あの現場の直後であることは間違いない。


「……刺されたのか」


 頭の中をアドレナリンが完全に支配した状況を思い出す。自身が襲われたこと、そして相手を殺そうとナイフを振り下ろしたこと。自分から生み出された血の池に顔を埋めていたこと。全て現実で起きたことだ。だが、突如起こった非日常を理解することはできても、自分に本当に何が起きたのか理解したくない気持ちが大きかった。


 体は動く。手も、足も。傷はついているが動けないほどじゃない。もしかしたらここも危ない可能性がある。言うことが聞かない状態だったら、逃げることができなくなる。しばらく体の状態を確認していると再びドアが開き、凪と共にもう一人の女性が現れた。


羽山 栞(はやま しおり)だ。起きたようだね、雨木君」


 凪よりも少しばかり年上の印象を受ける金髪の女性だった。腕を組み、物々しい表情でこちらを見つめている。彼女はベッドの隣に置いてあった丸椅子に座り、雨木の服を勢いよく捲って傷跡を見る。


「傷は塞がっているようで良かった。だが、しばらくは激しい運動は控えるように。かなり深く刺さっていたから、暴れるとまた血が噴き出すよ」


「あなたが助けてくれたんですか?」


 彼女は傷口を見つめながら答えた。


「ここに運ばれてから傷の手当てはしたよ。だが、ここに運んだのは私じゃない。近くを通りかかった彼女がお前をここまで運んでくれた」


 羽山は凪を一瞥する。そしてようやく、彼女は服を戻してくれた。


「雨木君、あんたはどこまで覚えている」


「覚えて……はい、話します」


 彼は気絶するまでの出来事を話した。包み隠さずに話し切る。すると、羽山は眉間に皺を寄せた。


「あんたが出会った異形の者は、お前ではなくフードの人物を追いかけたと」


「ええ、そうです」


「心当たりはあるか?」


 雨木はあの時の行動を思い出す。一度落ち着けば、状況分析は苦手じゃない。


「フードの人物は僕に封筒を渡していました。そしてマーキングだと口を滑らしました。異形の者は目がついていなかったようなので、試しに相手のフードの中に封筒を入れたんです。血がべっとり付いていたので、服にも張り付きやすかったでしょう。その後は、お話した通りです。異形の者はフードの人物の方を追いかけました」


 しばらく、羽山と凪は呆気にとられた表情をしていた。しばしの沈黙が流れた後、突然、羽山は吹き出した。


「あっはっはっは!!! それで撃退したのか。何も知らないのに、よくそこまで状況判断できたな」


「ただ、一つ引っかかっていることが」


「何だい?」


 雨木はフードが生き物のように、服についた血を食べていたことを明かした。封筒が剥がれてしまうと思ったが、杞憂だったことに疑問を感じていた。羽山はそれを聞きながら、戸棚にあった本を取り出した。羊皮紙でまとめられた本の文字はあの封筒と似た形を持っていた。


「それは、憑依の術かな。服と精霊を融合させているのだろう。状況からして、封筒ごと喰っちまったせいで、精霊に追いかけられるハメになったと推測できる。にしてもあんたは運が悪いな」



 雨木は気がついた。やはりここは普通の病院ではない。魔術、精霊?そしてこの人は事情を知っている。危険か?今自身がどこにいるのか、検討は全くついていない。逃げるか。だが彼の頭にはそんな考えは無かった。フードの人物が脳裏に浮かぶ。どうせなら賭けをしてみるのが雨木の癖だ。


「あなたは、魔術についてどこまでご存知ですか?」


 二人の顔つきが変わったのがすぐにわかった。足を少し曲げ、いつでも飛び出ることができるように構えた。羽山は懐から紙を取り出し、フッと息を吹きかける。中から炎が出て、羽山がいつの間にか持っていた煙草に火を点けた。


「雨木君、あんたはもしかして”アレ”を見たのは初めてかい?」


「ええ」


「わかった。これ以上について、あんたの知らないことを知るには一つ条件がある」


 羽山は一枚の紙を彼に手渡した。


「これを一筆書いてほしい。ただし、これにサインをすると以前通りの生活はできなくなる」


 それは契約書と書かれた文字と署名欄しかない紙だった。契約内容が書かれていない得体の知れない代物だ。


「随分と簡単ですね。この書類の内容は一体何です?大方、今回の事を外部に口外しないようにと書いてあるのでしょうが」


「飲み込みがいいじゃないか。実際には口外できなくなるっていう契約だ。それ以外の事は書いていないと約束しよう」


 苦笑いしながら羽山さんはペンを彼に渡した。威勢よく雨木はペンを握るが、持つ手は震えていた。血が足りていないためだろうか。緊張だろうか。視線を横にずらすと、二人はまじまじと見つめている。雨木は不格好ながらも、白色の契約書にサインする。契約書を受け取った羽山は続けて雨木に問う。


「あんたは学生か?」


「いえ、就活中の高校卒業生です。フリーターと言った方が正しいかも知れません」


「ふむ……随分と奇妙な状況だな」


 手の甲を顎に当て、羽山は思考する。


「疑問に答える前に、一つ提案があるんだが」


「何ですか?」


 羽山の口角が上がる。


「あんた、ここで働かないか?状況からして、まだ決まっていないのだろう。それに、この琴吹郵便局で働くという雇用関係が成立していれば、安全は守られやすい。あんたの世界で無い物に触れてしまった状況だし、わからないことも多いだろう。魅力的な提案だと思うが」


 彼女はもう一枚の契約書を出す。思ってもみない提案だった。ここが郵便局ということには些か疑問が残る。なぜか医療設備はあるし、郵便局員っぽくない。それに、彼女たちにメリットがあると思えない。雨木が考えていると、凪が口を出す。


「人手が足りていないんだ。普段は暇なんだけど、仕事が入ったら安全のためにも人が欲しくて。私たちのためでもあるよ」


 ほとんど雨木自身にメリットのある話だった。不信感が拭えない。雨木は沈黙してしまう。答えを出せない彼の胸に、羽山は手を置いた。


「それに、君が今回経験したことはレアケースなんだ。君のいた場所はおそらく座標にない場所、私たちでも簡単に辿り着くことができない。君は貴重なサンプルのようなものなんだよ。手元に置いておきたいのは当然でしょう?」


 貴重なサンプルという言葉は、彼にとって最悪の未来を想起させる。もし、彼女達の言葉を全て信じるのであれば、今後、雨木自身は同じように襲われる可能性がある。腹を刺された衝撃と感情を思いだす。頭が沸騰するような強い衝撃は、脳をグチャグチャにしていた。あの経験をもう一度するくらいなら、逃げ出せばいいという楽観的な思考に走りそうになる。


 いや、考えろ。思考を放棄するな。このままサインをしなかったらどうなる?自分はそれこそ、確実に狙われるのではなかろうか。それに、自分はもうあの場所に居続けることはできない。最初から、雨木に拒否権は無かった。


 雨木は羽山の手渡した契約書にサインをする。今度の筆跡は滑らかに、最後まで。


『雨木 透』


 羽山は満面の笑みで受け取り、凪は小さくガッツポーズをする。羽山は雨木に向き合って言った。


「雇用契約成立だ。歓迎するよ、雨木君。琴吹郵便局、いや、魔法の郵便局へ」


 雨木は生唾を飲み込む。彼は首に這うような眼差しに睨まれる、弱いカエルのようだった。


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