第六話 咲くは海 後編
地下にはさらに巨大な実験設備が整っていた。近代のものは全くない。雨木が初めて見る未知の器具や機械たちが並んでいる。SFのような培養液ひとつでもあれば話が早いのだが、自然由来のもので作られた物理法則を無視した器具ばかりであった。
植えられている植物たちも意思を持っている様子だ。降りてきたミア達を一瞥した後、何事もなかったように植物同士で話をしている。光景を見れば見るほど雨木の理解は追いついていない。薬の魔法使いであるエドワードは家に数多の薬が置いていた。昔、道の魔法使いであったヴィドも自身が使っていた魔法を利用して郵便局の運営を行っている。ミアはどうだ。炎の魔法使いと言っていたが、形跡が全くない。ようやく足を止めてミアは雨木を降ろす。彼の中の好奇心が初めて恐怖を上回った。
「ミアさんは炎の使いですよね……? それなのに、家を見させていただいても全くイメージがわかないんですが……」
「今、多くの実験器具を見てきただろう? 私は研究が趣味でさ、こうして植物や動物を基本としてそれなりに研究を行っている。研究というものは火気厳禁なんだ。試薬とかは火に触れた瞬間爆発してしまうものもあるんだ。私があつかえる魔法は炎だ。私にとっては少し厄介でね。体質的に、炎を扱う精霊が勝手に寄ってきてしまうんだ。するとどうなると思う?」
ミアは勢いよく両手を叩く。
「ボンっ!!! と研究室を吹き飛ばしてしまう。何だ、特に驚かないのか。つまらない。まぁ、それで好きなことができないのが苦痛でね。こうして炎の精霊が寄りつかない海に住んでいるというわけさ。今もここで火を使うわけにはいかないから魔法を見せることもできないがね。だが、私は知識を有している。君を診ることは簡単だ。そこに寝て」
指示通りに近くのベッドに横になる。ミアは雨木の体を触診し始めた。頭からつま先まで、触れるところは全て触る。力が強く、握っているところはうっ血する直前まで来ていた。女性にここまで体を触られることは彼にとって初めてだ。体が緊張している。
触診をしていると、近くにいた精霊たちが雨木の顔を覗き込んできた。海の中だからか、魚のような形をしたものが多い。郵便局にいるような可愛い精霊だったらよかったのだが、ほとんどの精霊には鋭い牙が生えてよだれを垂らしていた。ミアは真剣に触診を続けており、話しかけられる状態ではない。ヴィドは別の精霊たちと戯れている。そちらは可愛い容姿のものばかりであった。
精霊のよだれが雨木にかかる。全く動くことができない。腕が拘束具に繋がれているぐらいに、ミアは力強い。早く終われと願えば願うほど時間がかかっている気がした。
「ふーん。なるほど」
ようやくミアは口を開いた。
「何かわかったか?」
「彼の魔力が無いのは生まれつきだ。人工的な形跡がない。魔力が無いと言うことは自身を守る精霊や防御そのものが無いからな。幼い頃に精霊に食われている可能性が高い。普通なら死んでしまう」
「誰かが彼を守っていたということか?」
「可能性はある。だがどこの誰かはわからない。雨木、心あたりはあるか?」
ミアの問いに首を横に振る。近くにいる精霊たちをどうにかして欲しい気持ちでいっぱいだった。
「そうか……わかった。だが雨木が魔術に物怖じせずに動けていたのは、守っていた存在がいたからだろう。それにしても巧妙な魔術だ。私ですら何かあるということぐらいしかわからない」
「それだけで十分だ。ありがとう。ミア、荷物を忘れないうちに渡しておきたいんだがいいか?」
「構わない。たぶん荷物は試薬だろう。奥の部屋に来てくれるか? 雨木はすまないが、この子達と遊んでおいてくれ。奥の部屋は危険な物が多くて素人には触らすことができないんだ」
「遊んで……?!?」
困惑する雨木の手を離し、ミアはヴィドを連れて奥の部屋に行ってしまった。雨木は恐る恐る精霊に手を近づける。触れると噛まれることはなく、手を舐めてきてくすぐったい。案外可愛いやつらなのかと頬が緩んだ。
奥の部屋には大量の試薬や予備の実験器具たちが並んでいた。一つ一つが細かく区切られ、徹底した管理が行われている。ヴィドの作り出した魔術はここでも使用されていた。ミアとヴィドは雨木に聞こえないように扉に魔術を施す。ミアは両手で頬を押さえ、恍惚とした表情を浮かべていた。
「ミア、あいつは食べるなよ。それと実際どうなんだ?」
「おっとすまない、美味しそうでついヨダレが垂れてしまっていた。まぁ焦るな。一人、心当たりがある」
「誰だ」
「彼を守っているのは魔法使いだ。特定はできないけどね。だが私よりも強力な存在かつ、この手の魔術に長けている者。そうなってくると、自ずと候補は限られてくる。可能性が高いのは__だ」
ミアの口からその人物の名前が語られる。名前を聞いたヴィドの顔は、たちまち酷く青ざめてしまった。
「リック達の件は残念だと思っていた。君に情があるのもわかる。だがヴィド、古い友人として忠告しておく。雨木には気をつけろ。本人が知らないところで何かが確実に起きている。本当は解剖でもして、魔法や魔術の痕跡を隅々まで調べたいけど、それはダメなんだろう。ならば覚悟を決めておけ」
ヴィドは頭を抱える。だが、思考というものは不思議で彼が長考しそうになった時、とあることが頭によぎった。手紙だ。雨木が攫われたあの日、彼の部屋に置かれていたものだ。ミアの言葉と同じように”雨木には気をつけろ”と書かれてあり、彼に手紙の存在は知らせていない。そして、その筆跡はー
“リックではなかった”




