第五話 はぐれ者は誰 後編
雨木が隣を見ると一緒に沈んだリックが寝ていた。彼らはまだ淀みの中を漂っていた。魔術が解けたリックの顔を雨木は覗き込む。女性だと思っていなかったため、自分の行動を鑑みて猥褻罪とかになったりしないのだろうかと血だらけになった左手を見つめる。
「がほっ!」
咳とともにリックは目を覚ました。目を覚ますや否や、どこか怯えた表情で雨木を睨む。
「雨木透……! そんなあんたは……くそっ、もうあんたを襲おうとはしない。だから、ここから出せ!」
頭を掻きながら雨木はバツが悪そうに視線を外す。
「いやー出る方法は知らないんだよね」
「は? いやいや、あんなにスムーズに魔術を使ってこれが何なのか知らないわけないだろう」
「これ、部屋にあった本を勝手に読んで唱えただけなんだ。文章からして空間を捻じ曲げる程度のものなんだろうけど、言葉の部分だけしかほとんど読んでない。同僚にも聞いたけど、その人も詳しくは知らなかったんだ」
リックは頭を抱える。口調も年相応に少し崩れ始める。これが本来の彼女の言い方だろうか。
「まじか、ここは魔力の流れが気持ち悪い。私の実力じゃ、魔術を持ってしても抜け出すことは困難だ。どうやってヴィドは抜けたんだ?」
「さぁ?」
無責任な物言いにリックは怒りを抑えられない。
「考えろよ。お前が引きずり込んだんだろうが?!?」
「考える必要はないよ、リック。この場所に来た。それだけで君はもう袋の鼠だ」
リックは舌打ちをする。
「記憶を見て思ったよ。おかしいよ。あんたはやっぱり魔法界の存在は知らなかった。怖くないのか? 私が襲った時も、今も、魔術に対して恐れが全くない。魔術は恐れるものだろう。過ぎた科学技術のように、過ぎた魔術も人間に牙を向く。それなのになぜだ。」
「知らない人の方が、思いっきり使えるだろう。無責任に使えばどんな者でも扱える」
「命が惜しくな……いやそうだな」
雨木の記憶を見たリックは理由を知っていた。それゆえに口をつぐんでしまう。そして、リックは再び雨木に触れようとする。雨木もその場から動こうとしない。彼女の手が触れようとする時、彼らのすぐそばの空間にヒビが入った。リックは目が点に、雨木は口を開く。
ヒビは次第に大きくなる。暗い淀みの中、太陽の木漏れ日のような光達がその場を照らし始めた。大きくなっていくヒビを見つめ、雨木は呟く。
「あんた達は来るんだね」
次の瞬間ヒビから空間が大きく砕け、破片があたりに飛び散る。破片は誰か知らない過去を映し出していた。どこかの家族が一緒に食事をとっていた。山に登って雄叫びを上げる男性。寝たまま動くことのできない猫。ありとあらゆる事象が破片に映っていた。暗い淀みの中を破片は散っていく。リックはとある破片を掴んだ。その顔を雨木は見てしまう。
彼女は泣いていた。涙は光輝き、淀みの中を破片と同じように落ちていく。破片が落ち着き始め、中から女性が現れて叫んだ。あの声、どこかお調子者のようだけどいつも真剣な声。
「雨木! 来い!」
凪だった。伸ばす手は傷がついてる。雨木は彼女の手を掴み、そして自身に触れようとしていたリックの手も掴む。凪はリックを鬼の形相で睨みつけ、リックは思わずびくついてしまった。
「そいつは置いていけよ!」
「いやだ。荷物を運ぶのが仕事だろ?」
「ったく、世話のかかる後輩だな!」
凪は二人を引っ張り出した。郵便局の外、雨木とリックは地面の上を転がった。外に出ると、体の中に得体の知れないものが侵食していたことに二人は気がついた。猛烈な吐き気に襲われ、彼らは嘔吐した。そしてその場で淀みを吐き出し続け、動けずにいる。雨木の元には羽山が、リックの元にヴィドが近づく。
「あんた、大丈夫かい?!?」
羽山は雨木の手をとり、背中をさすっている。
「はい、それよりも……」
雨木が視線を移した先、記憶の見た景色と重なる。吐き続けるリックを見下ろすヴィドの姿があった。
「久しぶりだな、リック」
「…………」
何も言わず彼女はヴィドを睨みつけ、唾を地面に吐いた。
「お前達を護れなくてすまなかった」
リックの目はこれ以上ないぐらいに開き、頭を抱え、ふらつきながらも地面に立つ。彼女の激情が空気の温度をさらに上げる。
「今更あやまったところで遅い! まぁ贄はもういい。もうこれ以上、あいつにもこの郵便局にも関わりたくもない。だけど、ヴィド。あんたは何もしなかった。それはずっと覚えておくからな」
「待て、リック! 渡したいものが!」
ヴィドは手を伸ばすが掴むことはできなかった。黒い花びらが宙に舞う。リックの姿はもう無い。ヴィドは神妙な顔つきでその場から動かなかった。
「次に会うときは渡せなかった荷物を運びに行く。あれは君に必要な荷物だ。私は親にはなれなかった。だからー」
彼の手にはハコがあった。彼は強く握りしめる。
「だから、あの荷物だけは君に渡さなければならないんだ」
ヴィドは地面に落ちた一枚の花弁を拾おうとした。風は彼の手が届く直前に、花びらを飛散させる。まるで、彼から逃げるようだった。




