五話 クローライフの冒険
俺は『クローライフの冒険』を手に持ち、花野家へ向かう。
まさか教える立場になったのに、ここまで緊張するとは……。
主人公であるクローライフは自分の分身のようなもの。俺の生き方、生きた意味は一体外からはどう受け取られるのだろうか。
色んな感情が入り乱れていた――。
「これが零也師匠の本……!」
クローライフの冒険を手渡された真由は目を輝かせていた。
「その反応、やっぱり読んだことはなかったか……」
仮にも新人賞金賞受賞作品。少しは知名度があるはずなのだが、真由は全く知らない様子でショックを受ける。
「勉強前に少し読んでもいいですか?」
「――少しだけだぞ」
「やった!」
真由は嬉しそうに読み始めた。
読み終わった後もそのままの調子でいてくれればいいが――。
☆
――この世界には表と裏がある。
表は人間が何不自由なく暮らす、平和な世界。
裏は様々な猛獣がはびこり、過酷な環境が広がる、地獄のような世界。
表と裏、全く違う二つの世界は干渉しない。だが、二つはどこかで繋がっている――。
そんな世界でクローライフは生まれた。
場所は表の世界。これから幸せになるための選択が待っている、そのはずだったが今クローライフが立っているのはなぜか裏の世界だった。
クローライフは親を知らない。
本人が生まれたと同時、表の世界と裏の世界とを繋ぐ真っ暗な穴へと捨てられたため。
理由は分からない。表の世界から捨てられたということも、クローライフ自身は知るすべがなかったのだから。
捨てられたクローライフは、たまたま近くを探検していた冒険者に拾われた。
この一日を生きることに必死な過酷な世界では、他人を助けてやれるほど余裕のある人間などいない。ほんの気まぐれ……一時の気の迷いのおかげで、クローライフは命を繋いだ。
――だがそんな助けてくれた冒険者も、クローライフが物心ついたくらいの年齢になった時、突然死んだ。
踏み入れた巨大な蟻地獄。落ちた冒険者はなんとか抜けようと足掻いたが、抵抗虚しく体はどんどんと沈んでいく。
クローライフは目の前から真下に吸い込まれるように消えた、育ちの親ともいえる冒険者を助けようと必死に手を伸ばすが意味はない。たとえ届いたとしても大人の男を引き上げられる力などあるはずもないのだから。
やがて冒険者の体が完全に蟻地獄に飲まれた時、バゴッと鈍い音が響き、その音がした場所が赤く滲んだ。
答えは一つ。ここの主である、無限顎と呼ばれる地中を移動する巨大な捕食生物が、冒険者をかみ砕いたのだ。
無限顎からすれば人間など小さな存在、ただの餌である。
その惨状を目にしたクローライフは泣きながら短い足を動かし、その場から全力で逃げ出す。自分も同じように死なないために。
クローライフはなんとか安全地帯へと避難したが、やってくるのは安堵ではなく絶望感のみ。
この地獄の世界で幼い人間が一人になった、もういつ死んでもおかしくない。幼いながらクローライフ自身もそれは自覚している。
せめて痛くない死に方がいいな――本当なら表の世界で平和に暮らしていたはずのクローライフは、もう生を半分諦めていた。
なぜこんな世界に生まれたのだろう……本人は何も知らないまま、ただただ絶望している。
果たしてこの先、クローライフに希望が生まれ、幸せを感じる瞬間はくるのだろうか――
☆
「うっ、うぅっ……」
少しだけ読む、真由はそう言っていたはずだがもう一時間が経過しようとしていた。
「おい、大丈夫か? もう教える時間が全然残ってないんだが……」
真剣な表情で読み入っていた真由の様子がおかしくなったタイミングで俺は声をかけた。
「師匠う゛ぅ゛~、クローライフがっ……」
真由は今にも泣きだしそうだった。というかちょっと泣いていた。
「感想を聞きたいところだが、少し読んで評価できるタイプの本じゃないよな。ほらティッシュ使え」
「いえ、これは間違いなく名作ですっ。ここまで主人公に感情移入して物語に入り込んでしまったのは初めてです……、涙が……止まりませんっ――」
「そうか……」
自分の本を読んだ人が泣いている……。嬉しかった、心の底から――。
俺は書くことだけに没頭し、他者の意見を知ることを避けてきた。唯一話し合ったのは担当編集のみで、付き合っていた彼女にすら怖くて感想は聞けなかった。
本が売れていれば違ったのかもしれない。それがデビュー作であったことも影響しているだろう。
もっと早くから見ればよかった、聞けばよかった――。
続巻を書いている時の俺は自分を責め、本に売れないことを謝罪するばかり……。
だが今、目の前で読者が泣いている――俺の本が確かに人の心を揺さぶっているのだ。
「ありがとう真由……。救われた気がするよ、俺もクローライフも……」
これが少数派なのか多数派の感想なのかは分からない。だけど、過去の俺に聞かせてやりたかった。お前の話は……俺たちの話は、人の心を確かに動かしているぞと。
「今日は無理そうだな」
泣き止んだ真由だったが、今からすぐに切り替えて自分のへと移るような器用さはないだろう。
少しだけとはいえ、先に本を読んでいいと許可してしまったのは俺だ。責任を感じる。
「教えてくれるのが零也師匠でよかったです……。私、絶対に上手くなります! 弟子として恥ずかしくないように――必ず、必ずっ!」
こうも言ってくれた。
熱が入るのはいいことだ。期間は一か月と短く不安視していたが、この分なら大丈夫だろう。
「――待たせてすまなかった。またよろしく頼む」
家に帰った俺はパソコンの電源を入れ、半年振りにクローライフの冒険と書かれたファイルを開いた。
続きを書く――。そのための第一歩として、まずは最初から読み返すことにしたのだ。
読み終わった後、そこから先は俺の仕事だ。必ず報われる未来がくる、こさせる――。
俺は誓いを胸にし、きたる未知の冒険へ向けクローライフと意志を一つにする。
なんとなくのイメージを持ってもらうために入れたんですが、どうなんだろう。
いらなかった気がしないでもないです。難しい……




