弟の寝言と、永遠のかくれんぼ。
「寝言と会話をしてはいけない」 ―これは、僕が昔、どこかで見聞きした言葉だ。当時好きだったマンガだか本だかに書いてあったのか、お祖母ちゃんが言っていたのか、学校でそういう都市伝説か何かを聞いたか・・今となっては、定かではない。でも、僕はあの日、この言葉の意味を身をもって体感してしまったように思う。そう、あれはたしか、20年ほど前。小学校の夏休みのことだったー
夏は、お昼時を過ぎても、うだるような暑さと日差しは変わらない。居間の畳の上で、扇風機がなまぬるい風をまき散らしていた。縁側からのぞむ真っ青な青空と目が痛くなるような白い雲、青っぽく見えるほど濃い緑色の木の葉が妙にまぶしくて、別世界の風景をながめているような心地だったことを覚えている。昼食後、僕は愛読書の少年ジャンプを広げ、弟の水季は居間の隅でコテンと寝ていた。水季には、よく寝言を言う癖がある。その日も、眠りながら時折ぶつぶつ言っていた。
「んぁ、らんかつまんないな、なにか・・・ぉおもしろいこと、ないかな、・・・・・さびひぃ」
僕の心に一瞬、いたずらっぽいものが芽ばえた。僕はジャンプを置いて、水季の寝顔をのぞきこんだ。
「じゃあ、かくれんぼでもしないか。よっちゃんたちも誘って」
「いいね」
急にセミが鳴きはじめた。セミは、静まり返っていたと思えば急に一斉に鳴きはじめる。
水季はすうすうと寝息をたてて寝ている。でも、さっき水季は、たしかに返事をした。
「・・・じゃあ僕、よっちゃんたち誘ってくる。水季はどうする?まだ寝てる?」
「いく。いっしょに。もう、おきる」
「よっしゃ、じゃあ行こう。・・・あ、ばあちゃん?ちょっと遊んでくる〜」
僕は縁側からサンダルをつっかけて、暑さの中にとびこんだ。水季が起きて、ついてくる気配がした。
このとき、すでに僕は、心の片隅で思い出していた。「寝言と会話をしてはいけない」という言葉を。でも、僕は無視した。すこし不安に思っている、自分の心さえも。あぁ、あのとき引きかえすべきだったのだ。やるべきじゃなかった。近所の友達と、ほんとうは眠ったままの水季と、かくれんぼをしようなんて。
「いろはにほへと、ちりぬるを、わかよたれそ、つねならむ、ういのおくやまけふこえて、あさきゆめみしえひもせす!はるくんオニ!」
よっちゃんが、指を僕の足においたままいった。・・・僕は、かくれんぼもおにごっこも、オニになってしまうことが多い。
外はイヤになっちゃう暑さだけど、神社の境内は木陰が多くて、わりと涼しい。この時期、神社は、僕ら近所の子どもたちにとって絶好の遊び場だった。先に遊んでいた他の子たちも加わって、かくれんぼは始まった。
「もーういーいかーい」と叫ぶと、「もういいよ」と、妙に不気味な声が返ってきた。あのときは、お調子者のよっちゃんがフザケているんだろうと思った・・・
「みーくん見っけ!」
「よっちゃん見っけ!啓太も見っけ!」
「優子ちゃん見っけ!」
「タクミ見っけ!」
「晴子ちゃん、美代ちゃん、桂子ちゃん見っけ!」
順調にみんなを見つけていった。でも、なにかおかしい。
「ねえ春樹くん、水季くんがまだ見つかってないね」
優子ちゃんが長いおさげを揺らして、僕に言った。
「なんか空気、ヘンな感じしねえ?あと、もう夕方かぁ?」
タクミが頭をかいた。たしかに、夕焼けができるには早すぎる時間だった。
「とりあえず、水季を探そう」
僕は境内全体を見渡し、・・・首筋がひやりとした。
水季が、木の下の藪のところにつっ立っていた。かくれんぼを始めるとき、不気味な声がしたところに。口を半開きにして、何を見てるか分からない、うつろな目をして。それが、言いようもないほど異様だった。
「・・みず、き?」
おそるおそる声をかけると、水季は、つっと僕を見た。その目にまた、首筋をひやりとさせられた。他の友達が不安そうに身じろぎするのを、背中に感じた。
水季の目に、何かが宿った。それは水季じゃないと僕の直感が叫んでいた。
水季は、何かが乗り移ったかのように、にやぁっと笑った。
つまりこういうことだ。寝ているときに発せられる言葉・・・「寝言」は、寝ている本人の言葉じゃない。よくわからんが、黄泉とかあの世とか、そういうところのモノが寝ている人の身体に入って発しているんだと思う。ソレは、何もしなければすぐに出ていくが、返事をして会話をしてしまうと・・・
今も僕たちは、ソレとかくれんぼをさせられている。もう、20年くらい。ソレが鬼で、このかくれんぼはずっと終わっていない。前、よっちゃんと会ったけど、それ以来は見かけてない。もうここがどこかもわからん。
長い回想から現実に帰ってってきて、僕は息をひそめて顔をそっと上げる。水季の、あの頃のままの幼い顔が、僕を見つめていた。