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「どうして、兄上がここにいらっしゃるんですか⁈」
「いや、お前が具合悪そうにしていたのでな。アイリーン嬢が、さぞ心配をしているかと思い、お前の代わりに来ただけだ」
シェルトはすごい剣幕で、中へと入ってくると迷わずアイリーンの側に歩いて行った。
「アイリーン、兄上に何もされてない?」
「へ、あ、はい。特には……」
シェルトの気迫に押され気味なアイリーンは、タジタジになりながらそう答えた。
「……なんだか、失礼な物言いだな。私を何だと思ってるんだ」
「兄上も、一応は男ですので」
「一応、か。フッ」
シェルト様、目が据わってます。それにリオネル様はいくら兄でも、王太子殿下なのに失礼過ぎます!ある国では兄弟でも不敬罪の罪に問われ、首を落とされたと聞いた。
「まあ、一理ある。だが、もう幾ばくせずにアイリーン嬢は私のモノになると言うのに、そんな心配は無粋だろう」
そう言ってリオネルは、不敵に笑った。
今、リオネル様はなんて仰ったの?
ワタシノモノニナル?ナニソレ。
「リオネル、様……それは、どういった意味でしょうか」
心臓が煩いくらいに脈打っている。理解出来ないし。したくない。
「アイリーン嬢、君は私の妃になって貰う。シェルトもそれは、承知している」
ヤメテ、キキタクナイ。
「兄上っ‼︎そのお話はまだしない約束でしたよね。折を見て僕から彼女に話すと言ったじゃないですか!」
それからは、もう何も聞こえなかった。シェルトが顔を真っ赤にしてリオネルに詰め寄り何かを言っている。リオネルは、宥めるようにしていたが、少し冷たい目をしてシェルトを見ていた。
頭が真っ白になるとは、こういう事を言うのか。身体だけが、この場から逃げ出したがり勝手に動いた。
どうして?どうしてなんですか、シェルト様……。
「アイリーン‼︎」
気がついたら家を飛び出していた。
背中越しにシェルトの声が聞こえたが、アイリーンが足を止める事はなかった。
外に出ると護衛の男が、アイリーンの腕を掴もうとしたが、シェルトの「彼女に、触るなっ‼︎」の怒声に身体を震わせ動きを止めた。
そして、アイリーンはそのまま走り去った。
アイリーンは、アテもなく歩いていた。此処が何処かなど分からない。だが、あの家には戻れないし、そもそも帰り道も分からない。
これまで、公爵令嬢として育ったアイリーンは、走るという経験がなかったが、意外と自分が足が速い事を知った。そして、ぼんやりと、また新しい経験をしたなぁと、どうでもいい事を考えていた。こんな時に、本当に自分はしょうもない。
後ろから走って追いかけてくるシェルトは、途中で姿が見えなくなった。もしかしたら、具合が悪くなってしまったのかも知れない。
シェルト、様……。
大丈夫かな、シェルト様……。
アイリーンは、少し冷静になり立ち止まった。どうして、こんな事になってしまったのだろう。ずっと、あの幸せな日々は続かないとは、分かっていた。だが、まさか……こんな。
これから、どうしたら。
もう、実家である公爵家には戻れないし、そのつもりもない。このまま、何処へ逃げてしまおうか……たった1人で、生きていけるだろうか。いや、でも、シェルトとの生活で嫌と言う程、自分が無力だと思い知らされた。きっと、このままなら野垂れ死ぬかも知れない……。
なら、リオネルの妃か愛妾になる?
今現在リオネルには、王太子妃がいる。故になるとしたら、側妃か愛妾のどちらかとなる。現在リオネルには、王太子妃以外の妃はいなかった筈だ。
意外とも思えるが、リオネルの妃になりたがる令嬢は少ない。3人の王子の中で1番地味な風貌と性格で、オマケに影も薄くて人気がない。年頃の娘達は、候補に上がる前に次々に結婚したり、婚約したりしていった。
今の王太子妃は、とても大人しい方で断れず仕方なしに王太子妃になったと専らの噂になっている。だが流石に、妃が1人では体面的な問題があるのだろう。だから……シェルトは、兄のリオネルの為に自分に近づいた……?
シェルトは、初めからそのつもりで自分をあの家に連れてきたのだろうか……。
それなら、色々納得出来る。シェルトは全くアイリーンに触れて来なかった。結婚の話も、婚約の話も全くない。それしか、考えられない。
だがこんな、結末は嫌だっ‼︎
アイリーンは、その場に蹲り動けなくなってしまった。目の奥が熱くて、心臓が張り裂けそうだ。
いつか読んだ本に書かれていた。誰かを想うと胸が張り裂けそうになり、息も出来ないと。その時アイリーンは、その感情が理解出来なかった。だが、今は痛いくらい分かる。
これが、誰かを好きになると言う事なら……。
こんな感情なんて、イラナイ。
こんなに、辛く苦しいなら……。
「私はっ、いらないっ‼︎」
どうして、私に初恋だと教えたの?
どうして、私に優しい言葉をくれたの?
どうして、私を守ってくれたの?
「どうして……」
全ては兄のリオネル様の為⁈
そんなの、信じたくない。
だって、自分に向けるシェルトの瞳も言葉も酷く優しくて、あれが全て嘘だったなんて……嫌です、シェルト様……。
日が落ちた街の片隅で、蹲り声を上げる不審な女に声を掛ける人間などいない。
皆アイリーンを、一瞥しては見ないフリをして通り過ぎていく。
だが、次の瞬間肩に誰かの手が触れた。アイリーンは、身体をピクリと震わせるが、ゆっくりと顔を上げた。
そして、肩に触れた人物を見遣り、驚いた。




