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魂篝  作者: 此島
二章
8/31

 如何に鬱蒼とした山中であっても、朝を迎えれば樹々の間を縫ってそれなりの光が届く。妖異を片付けてから焚き直した火の始末をし、玄鳥は手荷物を肩に引っ掛け、伽角と亜也と伴って再び山道を進み始めた。

 昨夜の襲撃により、ぎりぎり保たれていた退魔の結界は完全に壊れてしまった。これからは周囲により気を配る必要がある。自分の身を守る事すら期待出来ない亜也が同行しているので尚更だ。

 亜也は泣き腫らして赤くなった目で足許の道を見つめながら、黙々と玄鳥達に付いて歩いている。

 元はと言えば人に化けた妖異の出方を窺っていた所為で此処まで連れて来てしまっただけの少女である。昨夜、漸く泣き止んだ彼女に玄鳥は村まで引き返す事を提案したのだが亜也はどうしても帰りたくないと嫌がり、頑として首を縦には振らなかった。

 怖い目に遭ったとはいえ、村に帰っても平穏な生活が待っている訳ではないのは察して余りある。村で会った子供等の言からだけでも亜也を取り巻く境遇など容易く想像出来る。だから玄鳥も亜也を無理に送り返す事まではしなかった。少し時間が経てば落ち着いて、一度村に帰る事も考えられるようになるだろう。

 伽角は言わずもがなだが亜也も子供の割には充分な体力と脚力があった。その辺りの身体能力は流石に半妖といったところか。けれども玄鳥等に比べれば長時間の持久力には欠ける。無理の無いよう亜也の様子を気に掛けながら山道を歩いたので、峠を越えて山を下り切る頃には山越えに掛かると予想したよりも二日ばかり時間が掛かってしまっていた。しかし山を下りさえすれば、目指す宵津村までは大人の足で一日半の距離を残すばかりだ。

 間道から街道へ出て、西の方角へとひた歩く。眩しい日差しの下、生命力に溢れた夏の野草が青々と茂り、色取り取りに大小の花を咲かせている。陰鬱とした山の中と違い、この季節らしい爽やかで活き活きとした風景だ。

 だがそんな景色の中にあっても玄鳥の連れは相変わらずである。

 いつ如何なる場所にいても何処か虚ろとも思える風情の伽角は此方から声を掛けない限り一言も言葉を発さない。伽角は玄鳥に付き従うように数歩後ろを歩きつつ、その瞳はぼんやりと、少し離れて側を流れる小川の向こう岸の山裾を見つめていた。

 玄鳥の灰味掛かった黒髪とは違う艶やかな濡れ羽色をした少し長めの髪が黒絹の帳のように伽角の横顔を覆い隠し、その表情はよく見えない。目を遣ればいつも自信無さげな、翳のある表情をしている事が多いが、今もそんな顔をしているのだろうか。

 憂いを帯びたような表情と、顔色どころか眉一つ動かさずに妖異を屠る姿。果たしてそのどちらか彼の内面により近いのか。玄鳥はふと、そんな事を考えた。

 乾いた土を踏む三人分の足音だけが交わされない言葉の分まで続いてゆく。出会った時には騒がしいくらいによく喋っていた亜也も彼女なりに何やら思い悩んでいるようで、山でのあの襲撃以来必要以外は一切口を開かなくなっていた。

 適度に休息を挟みつつ移動を続ける一日が過ぎ、やがて街道の直ぐ脇を小川が流れるようになる。中天を過ぎて太陽の照り付けが強くなった頃合いには前方に村の影が見えて来た。

 山からの湧水の注ぐ清流に囲まれた宵津村は戸数こそ先日訪れた亜也の村より少ないようだが、その分家々の間が広く取られて開放的な印象を受ける。堀めいた小川を越えた村境の外には豊かな田が広がり、家々の側にある畑では野良着を着た村人等がちらほらと作物の手入れをしている。

「わあ…」

 余所の村を目にしたのは初めてらしく亜也が感動した風な声を洩らした。

 木板を渡しただけの小さな橋を渡り、玄鳥は村の入口近くにいた人間に声を掛けて村長の家を尋ねた。流水で手拭いを湿らせていた村人は討魔士がやって来た事に若干驚いたようだが、親切な態度で家の場所を教えてくれた。

「へえ…。村長の家が真ん中にあるんだ。うちの村は外れの高台にあったから、何か不思議な感じ」

 特異な訪問者等に興味深げな村人からの視線を気にしつつ、亜也が言う。

「皆が皆同じだと思う方がどうかしている。同一のものではないのだから、異なっていて当たり前だろう」

 とはいえ、それを認められない者が案外多いから半妖というだけで蔑まれる者も多いのだが。

 含みにこそ気付かなかったようだが亜也は玄鳥の言葉に素直に頷いた。付近で遊んでいる子供達が彼女に向ける視線は大半が自分達と異なる亜也の容貌を恐れるようなもので、中には怖がって母親に抱き付くような幼子もいた。

「仕方無いのかな。あたし、半妖だもんね…」

「顔を上げ、胸を張って歩け。何も非は無いのだから、お前が恥じ入る必要は無い」

 しょげて諦めたような顔をする亜也に言って、此方を見ている村人や子供等を玄鳥は一瞥した。討魔士の方に見つめ返されて彼等は慌てて視線を逸らし、それぞれの作業や遊びに戻る。

 どちらかといえば人の良さそうな雰囲気の宵津村の長は玄鳥の来訪を笑顔で迎えた。けれどもこの村で合流予定の討魔士について尋ねるとふっさりとした眉尻を下げて、そのような人物はまだ来ていないと答える。

「ならば、都から別の討魔士が到着したら一報をもらいたい」

「畏まりまして御座居ます」

 恭しく頭を垂れた村長に礼を言い、外へと出る。一先ず宿へと向かいながら玄鳥はまだ到着していないという討魔士の事を考えた。都から宵津村までは山越えを選べば最短で約十日。件の討魔士は玄鳥等が亜也の村を発つより早く出発したのだから、計算通りなら先に辿り着いている筈である。まして此方は予定よりも遅れて到着しているのだ。

 非力な旅人であるならばともかく討魔士であれば流石に山脈を迂回して進んでいるとは考え難い。余程歩みが遅いか、それとも道中で何か予期せぬ事態でもあったのか。今日中に現れなければ、討魔督を経由して其方へ連絡を付けてもらった方がいいかも知れない。

 相手方の予想外の遅延で時間に思わぬ空きが出来てしまい、宿を取ってからは多少暇を持て余す事になってしまった。が、その空いた時間のお陰で話が出来る者達がいたのは嬉しい誤算だった。

 村の宿には旅回りの商人達が宿泊していた。明日で商いを切り上げてこの村を出るという一行の話を聞き、玄鳥は彼等に亜也を同行させてくれるように頼んでみた。

 都から派遣された者と合流すれば玄鳥達は再度御剣山脈へと入る。行方の判らなくなった討魔士を探すという任務があるのだ。ただでさえ危険な山中に従妖でもなく戦えもしない亜也を連れて行く事は当然ながら出来ない。此処まで連れて来てしまった責は己にあるので玄鳥は寄り道になっても亜也の村まで一度戻り、きちんと彼女を送り届けるつもりではあった。けれども商人達の旅路に亜也を同行させてもらい、道中で彼女の村に立ち寄ってもらう事が出来れば渡りに船ではある。

 突然とも言えるような玄鳥の申し出だったが、これも何かの巡り合わせだと商人達は快く引き受けてくれた。各地を転々とする彼等の中には偶然にも半妖の女が一人おり、一同の中でも上の立場である彼女の意見もあって、話は玄鳥が思ったよりもすんなりと纏まった。亜也の方は始め渋々といった様子ではあったが、半妖であるにも拘わらず周囲の人間に溶け込み対等の付き合いをしている女には大分関心を持ったようではあった。

 彼等に同行を歓迎された亜也は当惑しながらもそれを喜び、早速商人等の部屋に移動して、親と一緒に行商をしている似たような年頃の子供等とせっせと話し込んでいる。どうやら大丈夫そうだと判断して亜也を商人等に任せ、玄鳥は待ち人が来るまでの間に刀の手入れをしておく事にした。

 部屋の端では伽角が針を手に似たような事をしているが、互いに特に話はしなかった。時折開け放した窓から風を渡り、子供達の楽しげな話し声とすっかり打ち解けたらしい亜也の笑い声が聞こえる。

 窓から入る風が涼しく気持ちがいい。次第に傾き出した陽が橙色の陽光を室内へと投げ掛ける。荷の点検を終えてつと玄鳥が顔を上げると、窓辺へ斜めに背を向けて座った伽角が心此処にあらずの体で外に広がる夕空を眺めていた。

「……遠くにあるもの程、美しく見えるものですね」

 一瞬、独り言かと思った。そのくらい伽角が自分から玄鳥に話し掛けてくる事は無かった。話し掛けられたのだと気付けたのは伽角の声がほんの僅か、此方へ向けられていたからだ。

「手が届かないからこそ、焦がれるのでしょうか?」

 玄鳥に問い掛けているのか、それとも自問なのか。幽かで静かな声からはよく判らない。

 伽角の横顔は何処か空虚で、射し込む西日に溶けて消えてしまいそうに思える。――否。消えたがっているのだと気付いた。

 その存在の希薄さも、意図的に殺しているかのような気配の欠如も、もしかしたら全てが伽角のそうした心情の表れなのだろうか。

 黄昏に透ける伽角の朧気な気配が玄鳥に幼い頃の事を思い起こさせる。

 外に出る事を許されず、独り宮の奥で過ごした幾年。偶に見掛ける姉弟の姿を羨んだ事。臣下の大人達に交じって対等に自分の意見を述べる姉も、侍従等に咎められながら庭を駆け回る弟も、目に映る全てが妬ましかった。

 妬み羨むだけのその日々をいつ終わりにしたのか、もう憶えてもいない。差し伸べられる手が無いのなら、自分で立ち上がるだけだ。そう決意して玄鳥は討魔士となる道を選んだ。無論、帝や周囲の者からは猛反対を受けたが意地で押し通した。

 何もせず、ただ緩やかに朽ちていくだけの生に意味など無いと、そう思ったからだ。

「…戯れ言を申しました。お忘れ下さい」

 戯れ言などではない。紡がれた言葉は、玄鳥が初めて聞いた伽角の(ことば)だ。

 見上げた空から顔を逸らして伽角が俯く。一見して人間との差異の無いその容姿の中で長い睫が影を落とす緋色の瞳だけが、彼が異形の血を引く事を明らかにしている。

 独り目覚めた時の夜更けの静寂に似た沈黙が降りる。村長から使いが届いたのは陽が落ちて、残光が山の向こうに消えゆくような時分だった。

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