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魂篝  作者: 此島
二章
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 御剣山脈はこの御暈国(みかさのくに)の中央を走る広大な山脈だ。島国である国土はさながら身をくねらせて天へと昇る龍のような形をしており、丁度その背骨に当たる位置に連なっている事からそのまま『龍の背骨』とも呼ばれている。

 明くる早朝、村を出立した玄鳥等は進路を北東の来迎岳方面へと取った。道中適当な山道から山脈を北側へ越え、其方側から再び山へと入り、来迎岳に登るつもりである。

 一足先に調査に赴いたという討魔士には蘇芳が連絡を入れ、来迎岳に近い宵津(よいつ)村で落ち合う手筈となっている。蘇芳の差し向けた討魔士というのが誰かは聞いていなかったが其方が都を発ったのが三日前だというので、恐らくお互いにそう遅れる事無く合流出来るだろう。

 昨夜に降り出した雨も夜が明ける前には止み、空は清浄に晴れ渡っている。路傍の草花は雨露に濡れていて、歩く度に雫が足許を濡らした。旅人の往来に踏み固められただけの道にはまだ小さな水溜まりも残っている。

 数歩遅れて歩く伽角が時々後ろを気にするが、玄鳥は意に介さず黙々と歩き続けた。そうした玄鳥の態度故か、伽角も次第に其方を気に掛けるのを止めたようだ。やや早足で歩く玄鳥に遅れぬように歩調を速めて付いて来る。

 会話という程のものも無く、少しの休憩も挟まず。右手に山々を望みながら草生した平野を歩き続ける事半日。途中で行き当たった次の村々へと続く分かれ道を横目に通り過ぎ、暫しして到着した山越えの山道の入口で玄鳥はこの日初めて足を止めた。

 山林の緑に穴を穿つように現れた道は大人二人が両手を広げられるくらいの幅があるものの、鬱蒼と茂る樹々の葉が重い天蓋となって辺りを暗く覆い隠し、旅慣れた者でさえも敬遠するような陰々とした雰囲気が漂う。緩やかに傾斜する地面は其処が道であると示して平石が敷かれてはいるが、周囲の雑草が道を塞ぐかのように丈を伸ばして山への人の進入を拒んでいるかのようだった。

 此処も昔はきちんと整備された山道だったと聞く。御剣山脈に国土の南北を遮られているのでこういった山道は山間に幾つも存在している。だが、今となってはその大多数が使われていない。

 理由は単純にして明快だ。豊かな山地であるこの御剣山脈は数多の妖異の巣窟なのである。

 獣から変じた低級な妖異ばかりではなく、連なる山々には人間と同等の知能と強い妖力を併せ持った生まれながらの妖異達が巣くう。故に山道の道程には要石が打ち込まれ、行き交う人々を守る結界が張られていた。けれども妖異で溢れる山中を行くのを恐ろしいと感じるのは当然の心理だろう。一人、また一人と山道を歩く人間は減ってゆき、いつしか山越えの際には面倒でも大回りして山を避けての移動が主流となった。今時こんな場所を態々行こうとなどという者は玄鳥達討魔士くらいのものだ。

「…大分がたが来ているな」

 玄鳥は入口の両脇にある石杭を象った結界の要石へ目を落として呟いた。こうした結界の維持は討魔士と対をなす退魔士達の役目なのだが、曰く碌々人も通らないような山道の結界に労力など掛けてはいられないそうだ。表面に刻まれた呪も読めない程に風化した要石はほとんど守護の力を失っている。

 この有様では小物ならともかく、齢を重ねて妖力を蓄えた並以上の妖異を退けるなど出来はしないだろう。少し突いただけで壊れそうな結界に嘆息して玄鳥は振り返る。

「言っておくが、此処から先の安全は保障出来ない。帰るのならば今の内だ」

 玄鳥が忠告した相手は無論伽角ではない。危険の伴う道中に備え、袴と同色の帯に付けた小物入れから拳帯を取り出す伽角から数歩後方。木立の陰に隠れた小さな人影が玄鳥の声に鼻白んで身動ぎした。

 つけられているのは最初から気付いていたのだが途中で諦めると思って放っておいた。それが間違いだったようだ。態と歩調も速めに休みも取らずに歩いたというのに、まさか此処まで付いて来るとは考えなかった。なかなかの根性だと褒める気持ちも正直無くはない。

「出て来い」

「う…」

 ばつの悪そうな顔をした亜也が幹の向こうからこそこそと姿を現す。射竦めるように見下ろす玄鳥の黒鳶色の双眸に亜也は口をへの字に曲げたが、直ぐに強気の表情を作って大きく息を吸い込み、訴える。

「あたし、ここまでちゃんとついて来られました!きっと役に立ってみせます。だから従妖にして下さい!!」

「その話は昨日断った筈だ」

「いやです!従妖にしてくれるまであたし、ずっとついて行きますから!」

 だから、それだけの気概があるのならさっさと都へ行った方が早いのだが。

 試験があるとはいっても単に討魔督がその者の実力を見るというだけの話だ。従妖となるのに特に能力に規程は設けられておらず、実際には志願する半妖全てに広く門戸は解放されている。今上帝から遡る事二代前の帝の時代に定められた、その生まれだけで謂れの無い差別を受け生計さえ限られてしまう半妖達への恩情措置だ。

 玄鳥はその旨を含めて亜也に言い聞かせるが亜也は怒って首を振る。

「あたしはどうしてもあなたの従妖にして欲しいんです!どうしてそいつはよくて、あたしが駄目なんですか!?年だってそんなに変わらないし、そいつなんか太吉達に石投げられても何にも出来なかったじゃないですか!」

 敵意を込めて伽角を睨み指差す亜也。伽角は黙って俯いているだけで何も言わない。その様が余計に彼女を苛立たせたようで、亜也は鋭く尖った犬歯を剥き出しにして更に玄鳥に言い募る。

「あたしはそんなに弱くない。少なくとも、何も言い返せないそこの腰抜けよりは。あたし、何だって頑張ります。あなたの役に立てるように一生懸命やります!だから――っ」

 激情のままに一歩を踏み出す亜也の様子はさながら必死に敵を威嚇する幼い獣の姿を思わせた。

 追い詰められ、けれども助けてくれる者も無く、独りで懸命に吠え立てる小さな獣。

 けれども玄鳥はこの少女に手を差し伸べてやる事はしなかった。

「お前は、目の前の私に都合の良い逃げ場を見ているだけだ」

 ならばそれは、玄鳥でなくとも構わない筈だ。

「なっ!?」

 わなわなと亜也の薄い肩が震え、両手が拳を握る。沸騰するように真っ赤になったその顔が噛み付くようにきっと玄鳥を見上げた。

「――あのう、あなた様は討魔士のお方ですよね?」

 と。お世辞にも良いとは言えない場の空気もお構い無しに、少し離れた位置から間延びした声が尋ねてくる。見れば先程亜也が隠れていた木立の向こうから、旅人らしき若い男女の二人連れが此方へ近寄って来るところだった。

 玄鳥の纏う討魔士の制装を指して問うてきた男は人心地付いたように表情を緩める。

「ああ、やっぱりそうだ。いやあ、よかったよかった。こんな所で討魔士様に会えるなんて。なあ、お前?」

「ええ、あんた」

 行商の夫婦を名乗った男女は顔を見合わせ、にっこりと笑って言った。

「どうもすみませんが、お見受けしたところ討魔士様はこの山道を行かれるので?」

「そうだ」

「おお、それは僥倖。いや、実は自分達も山向こうへ行きたいんですが、ご面倒は承知でご一緒させてはくれませんかね?いやはや妖異を避ける為とはいえ、そう何度もこの山脈を回り込むのはえらい苦労なもので…」

 返事を窺うように男女の目が玄鳥等を落ち着き無く見つめている。答えを返す前に玄鳥が小さく目配せをすると伽角は注意して見なければ判らない程に微かに頷いた。

「同道しても構わない」

「本当ですか?有難うございます。助かりました」

 言って夫婦者は嬉しそうに山道に足を踏み入れる。妻の方が亜也に声を掛け連れ立って歩き出してしまったので、結局あの少女も連れて行く羽目になりそうだ。

 冷めぬ怒りを湛えた亜也の小さな背中からは「絶対に帰るものか」という反抗めいた決意の炎が立ち上って見える。不気味に暗い山道へとずんずん進んで行くのも玄鳥への不満に由来しているらしい。

 仕方が無しに要石を越えた先で待っている夫婦と外方を向いた亜也を追って玄鳥等も山道へと入る。

 常人には聞こえない音をさせてぼろぼろの結界が幽かに軋む。周囲を覆う緑の枝葉がざわざわと不穏にさざめいていた。

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