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――討魔士が一人、行方不明になっている。
宿の客室の造りは小村らしくこぢんまりとしたものになっている。角に畳んだ寝具と古びた屏風が一架あるだけの簡素な一室で、猿妖退治の報告を入れた玄鳥に討魔督の蘇芳は渋い顔でそう告げた。
「どういう事だ、討魔督?」
「言葉の通りだ。先の月の終わり、秋月が連絡を寄越したきり消息を絶った。無論、彼奴の従妖も共にだ」
「秋月が…?」
秋月というのは玄鳥もよく知る壮年の討魔士である。若くから討魔士として実直に勤めに励み、討魔府内でも周囲の信の篤い男だ。
お定まりの報告だけで終わる筈の遣り取りが蘇芳の告げた一言で瞬く間に様相を変える。板張りの床に半跏に座り込んでいる玄鳥の向かいで針の数と研磨具合を確認していた伽角が俄に張った空気を感じ取り、僅かに顔を上げた。
玄鳥は手に持った都との連絡用の呪具である千里鏡を覗き込み、蘇芳の次の言葉を待つ。齢を重ねて皺が目立ってきた蘇芳は如何にも武人然とした顔を生真面目に引き締め、鏡の奥で口を開いた。
「ああ。『来迎岳の北側中腹にて半妖の集団を目撃。何やら密談をしている様子に不審な動きを感じた。少々探りを入れてみる』――秋月からの最後の報告の全文だ。生憎某は連絡のあった折に席を外していたのだが、彼奴からの報告を受けたのは火群だ。内容に関して齟齬はあるまい」
火群は三人いる蘇芳の従妖の中で最も古株の、蘇芳の片腕とも言える人物だ。主と同様に務めに関しては熱心で真面目な男であるから恐らく秋月からの報告を主に伝えるに当たり、万が一にも間違いなど無いよう一言一句全て書き留めておいた事だろう。
「…半妖の集団、か」
玄鳥の呟きに蘇芳が神妙に頷く。
人里離れた山中で半妖の集団が集まり、何事かを話し合っている。ただそれだけを聞いても奇妙だと疑問を抱かせるには充分だが、その報告を寄越したのが秋月であるというのが湧き上がる不審感を加速させる。
従妖とは妖異に対抗する為の道具の一つであるという見方が未だに根強い中にあって秋月は数いる討魔士の中でも残念ながら珍しい部類に入る、半妖を人間と同様に扱う討魔士だった。玄鳥からすれば腹立たしい事ではあるが、討魔士達の中には従妖を妖異の血を持つ汚れた者としてあからさまに蔑みの眼を向ける者や、彼等を単なる盾としか思っていないような輩までいる。そうした類の討魔士が寄越した報告であれば半妖に対する過剰な反応と取る事も出来よう。しかし、秋月は半妖にも平等な視点を持っていた。連絡後に消息を絶った事を除いても、秋月が怪しいと睨むような何かがその半妖の集団にあったと考えるのは想像に難くない。
「来迎岳の北側、山腹だったな」
ならば次の目的地は決まった。言いながら何か異論はあるかとちらりと伽角へ視線を遣る。黙って針を片付けている伽角は玄鳥の決定に従うだけのつもりのようだ。
「行ってくれるか。其方が出向いてくれるのならば某も安心だ。此方から秋月の捜索と件の報告に関する調査に送り出した者がいるのだが、何分今は人手不足であってな。人選に多少不安が残る」
玄鳥からの進言にほっとした様子ながらも蘇芳は重なる心配事に眉間に皺を寄せている。
「人手不足というと、まだ神垣砦の方がきな臭いのか?」
「うむ。だが彼の砦は鬼共の侵攻を食い止める防衛の要だ。落ち着かぬのも致し方あるまい」
言って蘇芳が一つ溜め息を零す。頑健で知られる討魔督殿とはいえ、この所要衝に頻発する鬼族との小競り合いの処理で相当の疲労が溜まっているらしい。
調査に際してのその他細かな相談を終え、宜しく頼むと付け加えた蘇芳の姿が波紋のように揺らいで消える。普通の鏡のように己を映すようになった千里鏡を玄鳥は布に包んで手荷物に戻した。
「明朝此処を発ち、一度御剣山脈を越える。今夜は良く身体を休めておけ」
言葉による返事は無く、会釈のみが返される。押し黙る伽角に代わって返答するかのようにその手の中で針同士が一際大きな高い音を立てた。