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世界中の幸ある場所はきっとどこかの時計塔

作者: 律稀

  世界中の幸ある場所は、きっとどこかの時計塔───



  本当にそんな古い童謡、何処から引っ張り出してきたんだか。僕の右斜めにある、栗色の頭頂部を見ながらそんなことを考えた。小さくて可愛くて、守るべき人とよく称される君が、突拍子もないこと言い出して大騒ぎになった──しかも僕まで巻き込まれたことは何度もあるから、最初は大して驚かなかったけど。

  でも、この全ての行動がデジタル化可能な超科学の時代に、存在すらあやふやな童謡が本当かどうか確かめに行こうなんて、幼馴染やってた僕さえも予想してなかった。はあ、と呆れたようにため息をつく。そんな僕の気分なんて露も知らずに、長い栗色の髪が楽しそうに揺れる。

  相変わらず能天気だね、気分が良さそうで何よりだよ。

  頭に手をやって、ぐしゃぐしゃと掻き回す。短い黒髪は、僕の手から逃れるように逃げていってしまう。あー、僕何やってるんだろう。こんな皮肉っぽいこと考えてるなんて知られたくないし、言うつもりも無いのに。


「世界中の幸ある場所は、きっとどこかの時計塔………どうしたの、苛々してるみたいな顔して」

「苛立ってはいないけど。それより、本当に君、何処からその童謡引っ張ってきたの?」


  拍子をとって揺れていた栗毛がぴたりと止まる。そして大きな瞳で僕をしっかりと見て、こう言った。


「それが、私もよく覚えていないんだよね。でも、何処から引っ張ってきたのかは重要じゃないよ。この童謡があったことが重要なんだ」

「重要じゃないって、君ねえ……。そもそもそんな昔の童謡の話が本当かなんて、少し考えれば分かるものじゃん。だって超科学の時代だよ? 」


  僕の知ってる限りでは、君以外にそんなこと信じてる人はいない。探し出すのはきっと骨が折れることだろう。大抵の人には、まだ夢を見ていたいなんて子供だな、とかどうでもいいとか思われるんだろう。僕もそう思うし。


「君も分からないねえ、このロマンが! あると信じて探すことが素晴らしいんだよ! 世界から時間の概念が失われてから膨大な時間が経って、もうこの世界には時間の概念を持っていた時代に生きていた人はいない。それでもなお生きている時計があるなんて、これ以上素敵なことって無いよ! ああ素敵だなあ、世界はとっても広いよ! 世界中の幸せが集まる時計塔だよ? もう探すしかないよね」


  馬鹿げてる。子供じみてる。そんな言葉がぐるぐると僕の頭の中を回る。無邪気な子供みたいに、こんなにきらきらした目をしたこの子に、僕は弱い。このやり取りも何回目になるんだろうか。未だに僕はこの童謡の出所を聞き出せたことは無い。


「君はそう言うけどねえ…………時間の概念も時計も、無い方が幸せな気がするのは僕だけなのかな。知っているんでしょ? 時間は人を殺すこともあるって。……確かにロマンはあるのかもしれないけど」


  みるみる萎んだ顔になっていくから、慌てて言い訳のように付け足す。うつ向いた栗毛が小さく揺れてるのを見た時に襲われる罪悪感は半端じゃない。これだから、僕はいつもいつも強く出られることは無いんだ。

  そんな僕を梅雨知らず現金なもので、僕がそう言ったとたんに勢いよく頭をあげて満面の笑みを浮かべた。……これも、いつもの事。何回も変わりなくやっていること。


「そうでしょ! 私だってね、現実離れしてるのは知ってるんだよ。それでも私は時間の概念って素敵だと思う。世界にあってもいいものだと思うんだよ。時間の概念が失われる前にはね……ね、君、自分の誕生日って知ってる?」


  嬉しそうな顔が話続けると、次第に残念そうな顔に変わっていった。素敵なことだと話しているのに。何故だろう、こんな顔をする君なんてほとんど見たことがないはずなのに、僕はある既視感に襲われた。いつ、見たのだろう。何が眩しい訳でもないのに、つい、と目を細めた。


「誕生日……? 知らない」

「でしょ、私も知らないもんね。誕生日っていうのはね、その人の生まれた日のことだよ。時間の概念が失われる前には、毎年年に一回、どんな人にもあったんだよ。今だと年っていうのも日っていうのも、無いんだけどね」


  誕生日っていうのが、それほど魅力的なのか僕には分からない。人を追い詰め、殺すこともあったからとの理由で無くなった時間の概念から出来たものだし、良いものとは思えなかった。害悪な存在だと、今までずっとそう教えられてきたものだから、そう簡単に意見は覆らない。


「所謂記念日の一種だね。…………今、私達が持たない気持ちを見せてくれるものだと私は思うね。誰かの記念日を祝う気持ちとか、祝われる気持ち。とても素敵な、尊いものだと思うんだよ」


  寂しげな表情だった。何故かどこか歯痒いような気持ちになった。僕が悪だとしか思ってなかった時間の概念を、君は違う次元で見ていた。でもそれ自体は今までだって知ってた。でも、今までと「今この瞬間」は違う。今まではぐらかされ続けた時間にこだわる理由を、僕は一瞬だけ垣間見た。それと同時に、僕も寂しくなった。同じように育った幼馴染のはずなのに、君が僕の知らない人のように思えて。君が、時間の概念が失われる前の人のように思えて。どうして二人で旅を始めたのか、知らない訳じゃないのに。何と言っていいのか、分からない気分だ。

  風が僕の短い髪をさらう。ぐしゃぐしゃになった僕の黒髪とは反対に、栗毛は優雅に揺れていた。一枚の絵のような君を見てると、僕はとんでもなく汚ならしいものに思えて、惨めな気持ちになる。ああ、嫌だなぁ。僕の知らない君も、汚い僕も。


「もうすぐ、街だね。このバス凄い風起こすし、早く降りたいな」

「珍しいね、風をきる感覚が好きっていつも言ってるのに」


  強引に変えた話題に込められたものが、余計に僕を汚くする。風の中の砂が全部僕にくっつくような。嘘なんかつきたくなかったのに。


「……そういう気分の日だって、僕にもあるよ」

「そっか……そうだね、街だ。情報収集とか、食料の調達とか、忙しくなるね」

「…………うん」


  僕への不信感をあっさり拭いさって、 楽しそうに話す君と同じ気持ちにはなれない。どうしてこうなったんだろうね、そう他人事のように君の背中に問いかけた。僕のこの気持ちを、君に知らせる瞬間は、きっと来ない。




  遠くで声が聞こえる。誰かを呼んでいるような声が近付いてくる。

「……誰なの?」

  夢であることは分かっていた。何かを呼んでいると思っていた声は近付いてくるに連れて、怒鳴っているのだと分かった。どうしてだろう。何故怒鳴られなければいけないんだろう。どうしてなのか、僕には分からないよ。

「…………!……!………………!」

「……! お……い……か……よかっ…………!」

  ねえ、僕はどこで何を間違えていたの? 分からないんだ、何も。お願い、僕が悪かったのなら、何が悪かったのか教えてください。


「お前……か、………だ!」

「お……いる…………おん…………!」


  嫌われたくない。絶望なんかさせないから、言うこと聞くしちゃんといい子にしてるから。


「お前は、いらないんだよ!」

「どうしていつもいつも期待外れなんだ!」


  ごめんなさいごめんなさい、期待外れになんかならないように頑張るから、頑張れるから。いらないなんて言わないで。必要とされないのは寂しいの、嫌だから。頑張るよ、ちゃんと出来る。役に立てるようになるから出来るから必要とされるためなら何でも捨てられるから。自分を犠牲にすれば許してもらえるなら自我だって自分だって棄てられるから。必要とされなくなって棄てられるのだけは嫌だから。お願い、いらないなんて言わないで。


「成長して都合悪くなるくらいなら成長なんか止めちまえ!」

「何であんたは私達の都合に合わせられないの子供なのよ、そんなのならいらない!」


  大丈夫、出来るよ。僕の成長止めれば必要としてくれるんでしょ。棄てないでいてくれるんでしょ? そのためなら僕何だってするから。


「……駄目だよ」


  どうして? 僕さえ我慢すれば、僕もお父さんもお母さんも幸せになれるのに。


「本気でそれが幸せだなんて思ってるの?」


  だって棄てられないでいられるんだよ? 僕が欲しいのはそれだけなのに。


「……それじゃ駄目だよ、君は、君が人間で居られなくなってしまう」


  人間である事がそんなに重要に思えないんだ。僕は棄てられるかどうかが一番重要なんだから。


「──なら、私は絶対何があっても君のこと棄てないから、一緒に行こう」

  何で? (いらない子)って言われてる僕を? 絶対に棄てないの?

「いらなくないよ、必要だよ……いて欲しいよ。絶対に、幸せにするから」

  なら、僕は……棄てられないなら、必要としてくれるのなら───

  幸せをくれるなら。




  目覚めの悪い夢と、謎の騒音。

「んぅ……何の音?」

「あ、起きた? 早く目覚まして! 出かけようよ、時計塔の正確そうな情報見つけたから!」

「えぇ……もう少しこの街にいてもいいじゃん」

「でも、今回こそは絶対大丈夫だって! だってこんなに古い旅館にあった本だよ、時計塔見つかるよ!!」

「それ、前にも聞いた気がする……」


  街に入ってから二回目の朝、盛大に物音をたてながらせかせかと動く君のせいで目が覚めた。寝起きでボサボサであろう黒い髪をわしゃわしゃ掻き回す。…………まだ眠い。覚醒仕切っていない目がぼんやりと朝の光を後ろに浴びる君の姿を映す。眩しい、な。


「というか、何処からその情報取ってきたの。信用ならないやつって本当に使えないのに……前もそれに捕まったじゃん」

「そんなこと言ったって、慎重になりすぎたら終わりなんだよ! もう何も探しに行けなくなっちゃうでしょ」


  ごめんね、君はそうだったとしても僕はもう探すのを終わりにしたいんだ。僕はもう苦しいから。時間はとっても憎いから。昨日、懐かしい夢をみた。懐かしいって言ったって別にそれを最善なんて思ってない。その懐かしさと一緒に出てくるのは、いつも苦い記憶なんだから。僕に君は眩しすぎて、普段は忘れてしまいがちだけど。


「それに、私は君を連れていきたいんだ。幸せになれる可能性が一欠片でもあるなら、ね」


  寂しそうな顔をしたかと思えばにっこり笑って、またあの童謡を口ずさむ。まだ僕を夢の世界へと連れて行きそうな布団に、惜しくはあるけど別れを告げ、そっと立ち上がる。もう僕が何を言ったところで決定は変わらないのだ。




  空はびっくりするくらいの快晴だった。ばたばたとしながらいきなりチェックアウトすることを決めた僕達に、宿の主は驚いた様子だったけど、豪快に笑いながら鷹揚に送り出してくれた。朝早くから申し訳ない、なんて心の中でも謝りながら感謝を伝えてから出てきた。いつも使う、持ち運びが楽な折りたたみ可能二人乗用車に乗って、街から外れていくと砂漠に出た。情報では、街の外れからひたすら真っ直ぐに進むと高く天に向かって伸びる塔が見えてくるらしい。それが、君の言う時計塔。本当に正しいのか僕はまだ半信半疑だが、もう行くだけだ。燃料は一応予備まで持ってきたが、全部使い果たすなんてことになりませんようにと祈る。爛々と太陽と君の瞳は輝く。風が僕達の頬を撫で、髪をさらっていった。




「見えた!」

「え、嘘でしょ!?」


  慌ててゴーグルを使って探す。砂漠の奥にぽつりと点のようなものが見えた。


「もしかして、あれ?」

「そうだよ、まだしばらく進まなきゃいけないね」


  どれくらいかかったんだろう。点から線に、線から塔に変わってもなかなかたどり着かなかった。着いた時は何があるのかも知らないのに謎の安堵感に襲われた。本当に遠かったし、時計塔はとても高かった。


「今からこれ登るんだよね……?」

「そうだよ。二人乗用車使えないから自分の足で、ね」

「嘘でしょ…………」


  何でこんな所にこんなの建てたんだよ誰だよふざけんななんて心の中で悪態着きながら登った。息が切れる。汗で髪が濡れて首筋に貼りつく。でも息を切らしてても真っ直ぐ進んでいく君を見ていたら情けなくて仕方なくて気力だけで登ったようなものだった。


(僕だって、真っ直ぐで居たいよ……)

  君の横で、真っ直ぐ背を伸ばして立っていたいと望むから、僕は今頑張れる。




「な、長かった……」

「この塔、どれくらいの高さなのかな。建てるのも大変だったんじゃない? それより、本当に過去の建物って感じだね。ロボットが居ないしデジタル音が全然分からないもん!」


  長い道程が終わって、僕達が着いたのは円形の部屋だった。建物の最上階にあるらしい、乱雑に本や昔の家具らしきものが置かれていた。


「これが、時計塔……」


  感慨深いものがあったりするのかな、なんて考えてたけど、それよりも呆然としているの方が正しいような感じだった。部屋の入口で放心している僕とは反対に、ずかずかと部屋の中を歩き回り、何か探している君を見て、逞しいなぁなんて頭の片隅で思っていた。いつまでも入口で突っ立ってるのも如何なものかと少し奥へと踏み出した。塔の幅は下と上であまり変わっていない。広い部屋には、かなり古くなって開くのも怖いくらいの乱雑に置かれた分厚い本や、どうやって操作するのか分からない電化製品が机の上を堂々と陣取っていたりした。高くても砂漠にあるせいであちこち砂埃が溜まっている。僕の髪もじゃりじゃりしているように思う。


「……っ! これ見て、何か書いてある!!」

「うわっ」


  顔面に押し付けるくらいの勢いで何か突きつけられた。一言断りを入れてそっと顔から離してから覗き込む。古典の本に書いてあるような文字の羅列があった。翻訳端末を呼び出して読み込ませ、現代語に変わったら僕は読み上げ始めた。男の人が書いたらしいメッセージだった。


「──これを見つけてくれた人が居ることを誇りに思う。今じゃただの老いぼれの話だと一蹴されてしまうが、そんな話でも良ければこの手紙を書いた意味があるってものだ。さて、お前さんらはこんな歌を知ってるか? 政府の奴らが作った、『世界中の不幸は時計塔に集まる』なんて言ってるやつだ。俺はこっそりあれを変えた。不幸から不を取っちまったんだ。だって、時間が人を不幸にすることがあったからって概念を無くすってのは、なかなかに乱暴な理屈じゃねえか。時間がなきゃ成り立たない大事なもんもあるだろう。しかし、俺が反対した所で無駄だったんだ。ただの時代に取り残された老いぼれが喚いてるくらいにしか思ってないだろうよ。だから責めてもの抵抗でこれを建てたって訳さ。だから、時間によって貰える幸せは全部この時計塔にあるって考えたっていいだろ? それくらいの傲慢、くれたっていいだろ、政府の奴らが時間いらないならよ。この時計塔は、これ自体が時計になっている。日時計ってのを知ってるか? 太陽によってできる影で時間が分かるっつう優れもんだ。どういう影の時に何時になるのか、それはこの部屋にあるミニチュア模型で確認してくれ。見つからなかったら置いてあるタブレットを使ってもらって構わない。使い方の説明書きはどっかに置いておいたはずだから、探してくれ。俺がお前さんらに覚えてもらいたいことは、これだ。これは時計なんだよ、今お前さんらが居る場所は。いいか、時間の概念が無くなったからって、時間が存在しないってことにはならない。時間は確実に存在している。この時計塔がその証拠だ。いや、この時計塔だけじゃない。人間が成長するのだって、時間がなかったら有り得ないことなんだからな。時間から離れて生きるなんて、人間には出来ない芸当だと俺は思うね。あと、もう一つ。これを探しにやって来たお前さんらは人類の宝だということを伝えたい。今の時代の人間は、もう世界の全部を知っている気になってる。未来ならその傲慢さも、もっと大きいだろうよ。世界を知ろうとして、行動に移したことこそが素晴らしいと思っていて欲しい。きっとそれは、人間が忘れちゃならねえことなんだ。覚えておけ、世界はお前さんらが思っているよりも、うんと広いんだからな──だって。……この建物が、時計塔…………」


  長期保存が可能なように工夫された手紙だった。砂漠の砂を被っていて、デジタル化にも対応可能にされているけど、確かに過去の遺産なのだと感じた。それを思うとこの両手に果てしない何かがあるような、そんな気持ちになった。ああ、時間が存在している。工夫されていても汚れたり、端がぼろぼろになっていたりする。時間が経って劣化してしまった過去の遺物がこの手に乗っかっている。果てしない時間が、僕にのしかかっている。今までのひねくれた思案なんて、どこか遠くに吹っ飛んでいってしまった。それが、心地よいような感じがした。


「時間が……世界中の幸せが…………ねえ、こんな満たされた気持ちなんて、私は、いや僕は初めてだよ──サクヤ」


  久しぶりに耳にした。君が僕をサクヤと呼ぶのも、一人称が僕に戻ったのも。


「そっか……そうだね、マナト。何でだろう、止まらないや…………」


  時間が、存在している。子供がそれぞれの道へと成長していくように。成長が、変化が止まらないように。胸の中を何かが走り回ってるみたいだ。

  僕が男になれないなら、成長なんて止まってしまえばいいと思った。でも止まらなかった。辞められなかった。辞めたくて辞めたくて、仕方なかったのに。マナトはいつまでも女の子みたいで、でも僕はいつまでも男の子のようには居られるか分からなくなって。ぐしゃぐしゃになりそうな(サクヤ)(マナト)が連れ出してくれた。幸せを探しに行こうと。


「ねえ、もう僕は騙すようなことしなくていいのかな。ずっとサクヤでいていいのかな」

「良いに決まってるでしょ!? ほら、もう泣かないで。大事な人に笑ってて欲しいから、僕は時計塔を探しに行こうって思ったんだよ。これが見つかったのは、全部サクヤのおかげなんだから」


  いつも通り、君は僕──いや、私には眩しすぎて、直視出来なかった。太陽の光を背に満面の笑みを浮かべて私に手を差し伸べるマナト。眩しくなって目を細めると、目尻から何か落ちていくのを感じた。頬に引かれた数本の線。それはいつか無くなってしまうけど、胸に刻まれたこの光景を、気持ちを忘れる日は来そうに無い。鼓動は確かに打っている。これだって、ここにも、私にも時間は宿っている証拠なんだから。きっとこれから影を見るたびに思い出す。この時計塔のことを。


「……うん! 行こう、また何処かへ。きっと他にも、世界中の幸せが集まるような時計塔があるよ。だって、世界は広いんでしょ?」

「サクヤがそれを言うなんてなあ、ここに来たかいがあったよ。勿論だよ、また出掛けよう。ここにも、またいつか戻ってこよう。幸せを何度も見つけた後に。その時は、日時計の見方とか他の資料とか、もっと沢山この時計塔のこと知りに来よう」


  そっと目の前の、男の子にしては小さくて華奢な手のひらに右手を重ねる。小さい身体の、何処からそんな力が出てくるのか疑いたくなるほど、私の身体はスムーズに立ち上がった。顔を見合わせて、一度笑い合う。君は男で、私は女。コンプレックスに感じていたものだって、原因はいつもマナトだったけど、今度からは感じずに居られるような気がする。手を引かれながらさっき登ってきた階段を駆け降りる。またいつかこの場所に来ることを誓いながら。今はもう早く砂漠の暑い太陽の下に行きたかった。

  涙は太陽に当たる前にもう乾いてしまうだろう。それでいい。それがいい。次の幸せが集まる場所を探すために、真っ直ぐ前を向くのに邪魔だから。

  ねえ、なら朝日が昇ってからまた次に日が昇るまでを一日と呼ぼう。それを三百六十五回数えた日を、この時計塔を見つけた記念日にしよう。そうやって、時間を見つけた日を、記念日を少しずつ少しずつ増やしていこう。マナトが素敵で尊いものだと言ったそれを。それは、私たちだけの時間の概念になってくれるはずだから。

  また、いつか。この場所(時計塔)で君と幸せを探したい。

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