言葉にしないと伝わらない事もある。
ここ数日、トルキス邸の中は少し慌ただしくなっている。
次の休みには昼食会が行われる事になっていて、その準備が本格化し始めた為だ。
「お帰りなさい、セレナ様、ミーシャ」
「あら〜、マイナ……お出かけですか〜?」
入れ違うマイナにミーシャが尋ねるとセレナに頭を下げたマイナが小さくポーズを決めた。
「ええ。ちょっと段取りに」
「ごきげんですね〜」
弾むような歩調で出かけるマイナを二人で見送る。
セレナはミーシャと顔を見合わせるとクスリと笑った。
「何かいい事、あったのかな?」
「マイナはいつもあんな感じですよ〜」
「うふふ。そうですね」
そんな風に話しながら、二人がリビングに入る。
リビングにはセシリアとターニャ、それから子供達と付き従うトマソンとレンの姿があった。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、セレナ」
セレナに気付いたセシリアが笑顔を向ける。
「せれねーさま、おかえりなさい!」
子供達の輪から立ち上がったウィルが駆け寄ってセレナに飛びついた。
「ただいま、ウィル」
セレナが屈んでウィルを抱き留める。
ウィルは飽きもせず、セレナが学舎から帰る度にこうして抱きついてくる。
ウィルなりの愛情表現なのだ。
最近はそんなウィルに倣ってか幻獣のレヴィもウィルの背中にへばりついてくる。
おかしな光景に見る者が思わず笑みを浮かべた。
「魔法の特訓?」
いつもなら、セレナが帰ると直ぐにウィルが魔法の修練を願い出る。
先んじてそれを尋ねたセレナにウィルはふるふると首を横に振った。
「きょーはないってー」
「ない?」
ウィルの言い回しに首を傾げたセレナだったが直ぐにウィルの言わんとしてる事を理解した。
昼食会で人手を取られて子供達の魔法の修練を見守る者がいないのだ。
「それは残念ね」
「ざんねんー」
魔法を使う事に無上の喜びを感じているウィルにとっては物足りないかもしれない。
それはセレナも似たようなもので、魔法の上達に費やす時間はセレナにとっても楽しい時間であった。
とはいえ、セレナにはウィルよりもやらなければならない事が多くある。
「お母様……」
「なぁに、セレナ?」
向き直るセレナにセシリアが小首を傾げる。
「何かお手伝いできる事はありますか?」
セレナは少し子供らしくない所がある。
誰にとっても優秀なのだ。
今もウィルの「魔法の修練がない」という意図の発言を聞き、使用人達の手が空いてない事を理解し、自分にも手伝える事があるかも、と頭を働かせている。
修練がなくなり、空いた時間で「じゃあ、何して遊ぼう」とはならないのである。
そんな娘の気が利き過ぎる部分にセシリアは思わず笑みを零した。
「大丈夫よ、セレナ。当日に少しお手伝いしてね」
「はい」
頭を下げるセレナ。
ならば今の内に引き受けた事を伝えようと、彼女はセシリアに向き直った。
「お母様、門番を増やす予定はございませんか?」
「……どうしたの? 急に」
唐突に切り出したセレナにセシリアが目を瞬かせる。
「いえ、ジョンさんとエジルさんが大変そうだな、って思って……」
門番という仕事は体力がいる。
昼夜問わず、何がなくとも警護し続けなければならない。
如何に実力者だからといっても休まず働き続けるのは無理だ。
二人、手伝いが入っても三人では警護し続けるのは大変なはずだ。
家の警備体制の心配まで始めた我が子にセシリアとレンが顔を見合わせる。
「人を増やして上げる事はできませんか?」
「えっと……」
きょとんとしてしまう大人達を真っ直ぐ見返すセレナ。
ウィルの魔法能力に注目が集まりがちだが、セレナの思考能力や物腰も特筆に値するのではないだろうか。
落ち着いた様子で願い出るセレナの成長ぶりにトマソンなどは感激して目を潤ませている。
「あのね、セレナ」
持ち直したセシリアが我が子の成長に目を細めながら応える。
「新しい人を雇う打診はもう何度かしてあるの」
「えっ……?」
「セレナの言うとおり、今の人数では大変ですから……」
今度はセレナの方がぽかんとしてしまった。
ジョンとエジルが増員して欲しいという願いは伝わっていたのか、と。
しかし、二人の様子から、そう伝えた訳ではなさそうだ。
(ジョンさん達は大変だと思っていても言わず、お母様達も大変だろうと行動に移していたけど言わず……って、ことかしら?)
セレナがそんな風に考えていると横からトマソンが付け足した。
「問題は最適な人材が見つからない、という事ですな」
「誰でもよい、という訳ではありませんので……」
レンもトマソンに同意する。
話を聞くと、どうやら退役騎士や冒険者の中から候補を洗い出しているようだが、厳選に厳選を重ねた結果、まだ候補すら見つかっていないようだ。
「早く見つけてジョンさんやエジルさんに喜んでもらいたいのだけど、ね……」
「はぁ……」
困り顔でため息をつくセシリアにセレナは内心で苦笑いを浮かべた。
結局はお互い思っている事は同じだったという事だ。
(言葉にしないと伝わらないってことよね……)
セレナはそんな風に締めくくると、この話は自分の中に仕舞っておく事に決めた。
ジョン達が知らないという事は、母達は秘密にして驚かせたいのだ。
ジョン達にはもう少し待っていてもらうとしよう。
「はー……」
セシリアとセレナのやり取りを黙って見上げていたウィルが目をぱちぱちと瞬かせる。
「ウィル、どうしたの?」
ニーナがウィルに尋ねるとウィルは小首を傾げた。
「なにー?」
どうやら会話の内容が理解できなかったらしい。
疑問符を浮かべるウィルの頭をニーナが撫でた。
「新しい人が増えるかもしれないんですって」
「あたらしーひと、だれー?」
「まだ決まってないのよ。これから探すの!」
「へー……」
曖昧に頷いてウィルがそのまま固まる。
全員がその成り行きを見守っているとウィルはハッ、と何かを思いついたように自分の読んでいた絵本を片付け始めた。
鼻歌付きである。上機嫌だ。
セシリアはウィルから返ってくるであろう答えを予想しつつ尋ねた。
「ウィル、急に片付けなんかしてどこ行くの?」
「うぃるがあたらしーひと、みつけてきてあげるね」
予想通りの答えだった。
困ったような笑みを浮かべて頬に手を当てるセシリア。
「お散歩がてらにいいのかしらね……」
「そうですな……」
誰もウィルに人選ができるとは思っていないが、ウィルにしか見れないものもある。
トマソンも顎に手を当てて乗り気なウィルを見下ろした。
「ウィル様は他人の魔力を見ることができます。意外と我々にはない視点を持ってるかもしれませんな」
なんにせよ、ウィルが外の世界に興味を持つ事はいい事だ。
進んで人と関わりたいというのなら拒む手はない。
何より、子供達に受け入れられなければトルキス家で働くのは難しい。
「レン、手間をかけるけどウィルを連れて行ってあげてくれないかしら」
微妙な表情を浮かべるセシリアにレンが笑みを返す。
「かしこまりました、セシリア様」
レンが頭を下げてウィルを連れてリビングを後にした。
それを見送って、セレナがニーナに向き直る。
「ニーナはよかったの?」
いつもなら好奇心に駆られてウィルの後を追いそうな妹はフルフル首を横に振った。
「ラティとバークさんと一緒にボルグとジーンを庭で走らせようと思ってたから」
ボルグとジーンとはニーナの幻獣のゲイボルグとクルージーンの事である。
名前が長いので愛称で呼んでいるのだ。
ひょっとしたらウィルもレヴィと庭で遊ぼうとしてたのかもしれない。
「私はどうしようかしら……」
正直、学舎の勉強の復習もしたいところだが。
と、セレナが考えた所で全員の視線が自分に集まっていることに気付いた。
「セレナも一緒に遊んであげたら?」
可笑しそうにセシリアが笑みを浮かべてくる。
勉強は大事だが、客がいる時に優先する事ではない。
皆と庭で遊ぶのは明るい内しかできず、勉強は日が落ちてからでも時間は取れる。
「そうですね」
セレナは笑顔で了承すると自らもフロウを呼び出してニーナ達と庭に出て行った。