やくそく
王都レティスの鍛冶師工房は冒険者ギルドからほど近い場所に点在している。
その中の一つに静かな工房があった。
昼間だというのに灯りが消え、炉に火も入っていない。
そんな工房の隅に男が一人、ただぼんやりと室内を眺めていた。アーガスである。
先日、魔獣騒ぎで失った片腕は短い肩掛けで隠れていた。
その上から残った手で肩掛けを撫でつけ、無い腕を確認し、失望する。
彼は薄暗い工房の片隅で幾日もそれを繰り返していた。
(工房……売っぱらわねぇとな……)
鍛冶師として独り立ちして初めて持った自分だけの工房だ。
使い込んだが、手入れも欠かしておらず、今尚その機能を十分に発揮してくれている。自慢の工房だ。
そこそこいい値で売れてくれるだろう。
妻の造る装飾品と国からの保障で十分暮らしていける筈だ。
一般の居住区へ移り、静かに暮らすのもいい。
そこまで考えたアーガスは残った手で毟るように頭を掻いた。
(……未練だよな)
もう鍛冶屋など営めない身であり、この工房が自分にとって無用になったとしても。
手放し難い程の愛情をこの工房に注いできたのだ。
おいそれと手放す事などできよう筈もなかった。
「くそっ……」
小さく呟いた彼の声はそのまま薄暗い工房に溶けて消えた。
そんな意気消沈するアーガスを影から見守る者が一人、覗き込むように立っていた。
小さな女の子だ。
アーガスの娘である。
いつもいつも、彼女はこうしてアーガスの背中を見ていた。
怪我をして以来はこうして落ち込むアーガスを見守っている。
元気のない父を励ます言葉が見つからず、傍に居られないもどかしさを感じていた少女はふと店の方が少し騒がしくなって顔を上げた。
(おきゃくさん……?)
今は母が店番をしている筈だ。
店の方と父を交互に見た少女は父の事を気に掛けつつ、母の様子を見にその場を後にした。
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「こちらがアーガスさんの工房兼お店です」
マイナに案内されてウィル達は店の中へと入った。
「ふあー♪」
「勝手に触ってはいけませんよ、ウィル様?」
綺麗に並べられた武器や防具を見上げて声を上げるウィルにレンが釘を差す。
それ程大きくない店内に人が詰めかけた為か、驚いたように店番をしていた女性が近付いてきた。
「あ、あの……武器をお求めですか?」
近場の剣を手に取って、刀身を確認していたヤームに女性が話しかける。
「いや……」
ヤームは剣を置いて視線をマイナに向けるとマイナが女性の前に進み出た。
「私達はトルキス家の使いで来ました」
「ト、トルキス家の……?」
王都レティスに住んでいてトルキス家を知らぬ者はいない。
驚きを隠せないでいる女性にマイナは笑みを浮かべた。
「はい。ご相談がありまして。アーガスさんはご在宅ですか?」
「え、ええ……ですが主人は……」
アーガスが腕を失った事はトルキス家の者であれば知っている筈だ。
肩を落とす女性の視界に下から見上げてくるウィルが映った。
じー、っと見上げてくるウィルに女性が落ち込む気持ちを抑えて笑みを浮かべるとウィルもにっこり笑顔を返した。
「こんにちはー」
「こんにちは」
「うぃる、おじさんにあいにきました!」
「そう……」
「そー!」
笑顔を失わないウィルを眩しく感じて目を細める女性にウィルははっきりと伝えた。
「えがお、もってきた!」
なんの事か分からず首を傾げつつ、女性はウィル達を奥へと案内してくれた。
「ラテリア、お父さんを呼んできて」
途中、様子を窺っていた娘を先に行かせ、一行は工房へと足を踏み入れた。
娘にしがみつかれたアーガスがのろりと顔を上げ、次いでウィル達に気付いて腰を上げた。
「はは、みっともない姿を見せちまったな」
照れたように頭を掻くアーガスの足にウィルがしがみつく。
「こんにちはー」
「おう、こんにちは。ウィル様」
アーガスが頭を撫でるとウィルは気持ちよさそうに目を細めた。
その様子を見ていたヤームが工房を見渡す。
「ところで、今日はなんのようだい?」
「ご相談したい事がありまして……」
アーガスの疑問にマイナが答えようとして、その横からポツリとヤームが呟いた。
「いい工房だな。手入れがしっかり行き届いてる」
ヤームの言葉にアーガスが一瞬キョトンとした。
それから自嘲気味に笑う。
「へへ、そりゃどうも。なんなら高く売るぜ? どうせ俺にはもう必要のないものだ」
「あなた……」
寂しそうな表情を見せる女性にアーガスが決まりの悪そうな顔をした。
しょうがない事とはいえ、それがアーガスにとってどれだけ辛い事か彼女には分かっているのだ。
だが、ウィルは知っている。
ここに来たのはそんな悲しそうなアーガス達を笑顔にする為であることを。
「やーむさん」
「分かってるよ、ウィル坊」
見上げてくるウィルに頷き返したヤームが袖を捲くった。
「悪いが買い取りは無しだ。ちっとばかし工房を借りるぜ?」
持ち込んだ材料を台に置き、ヤームが仕事道具を広げる。
「お、おい……?」
静止の声をかけようとしたアーガスがヤームの仕事道具に目を奪われて口を噤んだ。
「分かるか? そうだろうな。安価な剣一本にあれだけ丁寧な仕事する人間だ。道具の目利きができねー筈ないわな」
「あんた、いったい……」
呆然と呟くアーガスも既にヤームの仕事を見守る態勢にあった。
カルツも様子を伺っていた子供達に視線を落とす。
「子供達も見ていなさい。【祈りの鎚】の仕事を目の当たりにする機会なんて、そうはないですよ?」
「…………っ!」
アーガスが息を呑むのが伝わる。
ヤームは静かに己の仕事をし始めた。
とはいえ、今回造る物はそれ程大掛かりなものではない。
黙々と作業を熟す姿を見た娘がアーガスのズボンを掴んだ。
「どうした?」
「あのひとのせなか、おとーさんにそっくり……」
「…………!」
娘の言葉にアーガスの胸が詰まる。
噂に名高い【祈りの鎚】と似ていると言われたのだ。
油断すると涙が出そうだった。
声だけを聞いていたヤームの口元が緩む。
「そりゃ、そうさ。嬢ちゃんのお父さんだってな、使う人間が無事であるように心を込めて仕事してんだ。誇りに思っていいぞ」
「……うん」
少女は小さく頷いて、ヤームの仕事に見入った。
父の姿と重ねるように。
しばし、そうして時が過ぎ、ヤームの手には仕上がった二本のネックレスが握られていた。
「ネームタグですか」
できたネックレスを手渡されたカルツがポツリと呟く。
「ああ。性質上、この方がいいと思ってな」
「流石ですね」
根元に精霊石を嵌め込まれた少し豪華なネームタグ。
二枚の銀を板状に重ね合わされたそれは内側に魔法文字が刻まれた魔道具だ。
「さぁ、ウィル君」
「あい!」
カルツからネームタグを受け取ったウィルがそれをアーガスに差し出した。
「つけてー」
「……俺がか?」
ネームタグを差し出すウィルとヤームを交互に見ながらアーガスが尋ねる。
「そーだよー」
「そいつはウィル坊の願いの結晶だ。いいから使ってみな」
ヤームに促されてアーガスがウィルからネームタグを受け取り、魔力を込める。
魔力に反応したネームタグの精霊石が光を放ち、魔法文字がその効果を具現化し始めた。
「おお……!」
「あなた……!」
失った腕の先に魔力が集まり、土属性の腕が形成されていく。
「う、腕が……」
呆然と呟くアーガスの目の前で魔法の義手が完成した。
閉じたり開いたりと感触を確かめるアーガスの義手をカルツが手で触れて確認する。
「一先ずは大丈夫そうですね。ですが、無理はしないでください」
「これはいったい……」
どこかうわの空のアーガスにカルツが微笑みかけた。
「ウィル君が作り出した魔法を元にした魔道具です」
「作り出した……? 魔法を……?」
聞き慣れない言葉にアーガスが視線を下げる。
「えへー♪」
ウィルが照れたような笑みを浮かべていた。
アーガスが失った腕をもう一度見る。
そこには義手がある。
自分の思い通りに動く、魔法の義手が。
これなら、また鎚を振るえる。
その事実にアーガスが先程とは違う意味で言葉を詰まらせた。
「あなた……」
彼の妻は嬉しそうに泣いていた。
アーガスも感極まって涙を溢れさせた。
「後は経過を観察したいところですが……いい治癒術士がいてくれればいいんですけど」
「だったら、まえるせんせーにおねがいしよー」
カルツの言葉に反応したウィルが最近お気に入りの治癒術士の名を口にする。
「マエル……? そうですね。マエル氏にお願いできれば心強いですね」
「ねー♪」
マエルは国内でも有数の治癒術士だ。
初めて見る魔法の処置でも適切に対応してくれるだろう。
「その、ウィル様……それにヤームさん達もなんとお礼を申し上げてよいやら……」
妻と娘を並べたアーガスが頭を下げる。
それに対してカルツもヤームも特に気にした様子もなく笑みを浮かべた。
「礼はウィル君に。ウィル君が仮の腕を魔法で作ろうと考えなければ成しえなかった事です」
「そいつでまた、いい仕事してくれよ」
「はい……!」
アーガスが力強く頷いて、視線をウィルに向けた。
「ウィル様……ありがとうございます」
「ううん」
ウィルが首を横に振る。
不思議そうに見下ろすアーガスにウィルは言った。
「うぃる、いまはそれくらいしかできないけど……」
どこか肩を落とすウィル。
他の者から見れば魔法の義手は偉業と言っても差し支えないものなのだが。
ウィルの目標はもっとずっと先なのだ。
「うぃる、いつかさいせーまほうおぼえて、おじさんのおてて、もとにもどしてあげるからね!」
「ウィル様……そのお気持ちだけでも……」
アーガスが声を詰まらせる。
正直、十分だった。
伝承に残るような魔法の習得など、生涯をかけて達成するようなものだ。
アーガスはウィルの人生を縛るような真似をしたくなかった。
だが、このウィルの決意に食い付いた者がいた。
「なおるの……? おとーさんのおてて、なおるの?」
「ラテリア……」
アーガスが自分の娘を窘めるようとするより早く、ウィルが前に出る。
「なおるよ! せかいじゅにいければ、きっと!」
「…………!」
少女の顔が驚きから決意に変わる。
大人達は世界樹に到達する事がどれほど難しいか理解している。
だが、そんなものは可能性の塊である子供達には些細な事だった。
「うぃる、まだよわいからだめだけど……いつか、きっと」
「じゃー……わたしもいく!」
「えっ……?」
ウィルは自分で熱く語っといて、誰かが付いてくることは想像していなかったらしい。
「あ、あぶないよ?」
(((自分は危なくないと思ってるのか……)))
周りのツッコミをよそに驚いたような表情を浮かべるウィル。
だが、少女の意志は硬かった。
「わたしのおとーさんのおててだもん!」
「むぅ……」
困り果てたウィルに少女は手を差し伸べ、小指を立てた。
「わたしも、せかいじゅにいく」
「じゃ、じゃあ……できることから……」
気圧されたウィルがシローやレンの受け売りを述べながらそろそろと手を伸ばす。
ラテリアはその手の小指にしっかりと自分の小指を絡ませた。
「やくそく!」
「あ、はい……」
周りの人々は普段見られないたじたじするウィルを見ながら、目指すものの困難さを忘れ、思わず笑っていた。
●人物メモ
アーガス
王都レティスの外周区で起きた魔獣騒動で左腕を失った鍛冶師。
ラテリア
アーガスの娘。