セシリアの魔法
少し長文なってしまいました。
それから、小説のタイトルを『ウィルと精霊の箱庭』から『ウィル様は今日も魔法で遊んでいます』に変更しました。
「ウィール♪ チャチャチャ♪ ウィール♪」
「あいあい♪」
「ウィルウィルウィール♪ ウィール♪」
「あい、あい♪」
ニーナが歌いながら庭を歩く。
その後をウィルが合いの手を入れながら付いていった。
トルキス家の庭は広く、子供達の恰好の遊び場になっている。
ウィルとニーナは、午前中はこのように庭で遊んだり、室内で子供向けの本を読んで読み書きを覚えたり、時にはメイドの誰かと散歩に出かけたりしていた。
セレナは学舎に通っている事もあり、休みの日以外はお昼過ぎまで学舎で勉学に勤しんでいる。
「ふふっ……」
庭のすぐ側に置かれた椅子に腰掛けて読書に耽っていたセシリアが顔を上げ、子供達の様子に小さく笑みを浮かべた。
と、そこへワゴンを押してエリスが姿を現した。
「何をお読みで?」
ティーカップに紅茶を注ぎながらエリスが尋ねる。
セシリアは本に栞を挟んでエリスに見せた。
「これは魔法書ですか?」
「ええ。何かウィルの興味を引ける魔法がないかと、ね」
本のタイトルを見ると、【家庭菜園に使える魔法】と書かれていた。
本自体はここで暮らし始めた当初、家庭菜園を作る為に買ってあった物だ。
パラパラと捲ってみると、
土を耕す初級魔法
土に栄養を含ませる魔法
水を広範囲に振り撒く魔法などなど
戦闘向きでない魔法が色々紹介されていた。
「これをウィル様に……」
エリスが呟いて考え込む。
ウィル程の才能があれば、簡単な魔法なら容易く習得するだろう。
問題はそこではない。
二人が庭へと視線を向ける。
均一に切り揃えられた芝生が一面に敷き詰められ、整えられた花壇と家庭菜園が彩りを添えている。
綺麗に手入れされた庭がそこにはあった。
「確実に泣きますね、庭師の方が……」
「あ、あはははは……」
引きつった笑みを浮かべるセシリア。
魔法を覚えたウィルが庭で何もしない訳がない。
暴虐の限り(土いじり)を尽くすウィルの姿と泣き叫ぶ(仕事の増える)庭師の姿が目に見えるようだ。
「ウィル様にお教えする魔法は追々考えていくとして……」
「実家に何か良い物がないか、調べて来ようかしら?」
「それもいいですが、一度研究所の見学をしてみては如何ですか?」
「精霊魔法研究所?」
エリスの提案にセシリアが聞き返す。
確かに精霊魔法研究所ならウィルの好奇心を大いに満たしてくれそうである。
「はい。ウィル様が興味を示されそうな物も多いですし、私が案内して回れますので」
「そうね……」
それによってウィルの魔法への理解が深まれば、という事らしい。
確かに訪れてみる価値はある。
「お父様にお願いしてみましょう」
「ええ、オルフェス様もきっとお喜びになるかと思います」
セシリアとエリスが笑顔で頷き合う。
そんな二人の様子に気付いたウィルが興味を惹かれて駆け出した。
「あ、ウィル! 急に走り出したら……」
「あっ……」
ニーナの注意喚起も間に合わず、ウィルは庭の真ん中で思い切り転んでしまった。
のそのそと起き上がるウィル。
「ふっ、ぐ……!」
大粒の涙を浮かべて顔を歪ませたウィルが少し堪えて、しかし痛みと驚きで泣き出してしまった。
「あらあら、ウィル。大丈夫!?」
慌てて駆け寄ってきたセシリアがウィルを抱き上げる。
その後に続いたエリスがウィルの怪我の具合を確認した。
「膝と手を擦りむいていらっしゃ――」
ドバンッ!
「ウィル様! どうなされましたか!!」
勢いよく開かれた二階の窓とトマソンの声がエリスの声を遮った。
「とうっ!」
「ト、トマソンさん!?」
二階の窓から飛び降りて庭に着地する老執事。
驚きに目を見開くエリスであったが、驚きはまだ止まらなかった。
「「「ウィル様!」」」
持ち場を異にしていたメイド達が階上の窓からテラスからと飛び出してウィルの元まで駆け寄ってくる。
それどころか、
「どこだ、どこだ! うちの王子を泣かす奴ぁ!」
「俺の手入れした庭で坊に何してくれやがったんだー!」
門番のジョンや休憩していた庭師であるラッツまでも鎌を携え、飛び出してきた。
ニーナが大集合を果たした使用人達に拍手を送り、驚いたウィルがぴたりと泣き止んだ。
「あああ、もうジョンさんまで……ウィル様は転んで怪我をされただけです!」
「「「け、怪我を……っ!」」」
雷に撃たれたかのように戦慄する使用人達。
あまりに過保護な一面にエリスが嘆息した。
「お庭で遊んで転んだり、なんてよくある事です。必要以上に甘やかしてはウィル様の教育の妨げになりますよ?」
「「「ええっ〜」」」
嗜めるエリスに使用人達が揃って非難の声を上げる。
甘やかしたいかどうかは兎も角、皆、ウィルにかまいたいのである。
「いいから、早く、仕事に、戻って下さい」
顔を上げたエリスが笑みを浮かべて一言一言区切る。
目が笑ってない。
彼女が本気で怒り出す前に、使用人達はそそくさと持ち場へ戻っていった。
「まったく……」
腰に手を当てて嘆息するエリス。
退場する使用人達を笑顔で見送っていたニーナがエリスを見上げた。
「私の時も、皆来てくれたわ! 皆ウィルが大好きなのよ」
そう言うニーナはご満悦の様子だ。
きっと自分の大好きなウィルの事を皆が好きでいてくれるのが嬉しいのだろう。
使用人達が子供達に甘々なのは今に始まった事ではないのである。
エリスは笑顔でニーナの頭を撫でると、ウィルの傷の様子を伺った。
「傷を少し洗わなければなりませんか……」
幸い、転んだ程度で大した傷ではない。
セシリアは少し悩んで、ウィルの涙の跡を優しく拭った。
「ウィル、これから見せるのは怪我をした人を治す魔法よ。いたいいたいしてる人に使って上げるの」
「セシリア様……」
声をかけるエリスにセシリアが頷いてみせる。
回復魔法であれば見せておいて損はない。
後学としても役立つはずだ。
エリスは頷き返すと、セシリアからウィルを預かって魔法の発動を見やすいようにウィルの姿勢を変えた。
「魔法は呪文の詠唱なしでも行なえますが、基本は呪文を唱えます。その方が外界の魔素を取り込んで、従来の力で魔法を使用できるからです」
エリスが説明を始めると、セシリアはお手本を見せるように両手をウィルに翳した。
彼女の左手の薬指――そこに通された指輪の光が増す。
キメ細かい装飾の中心に淡い緑色をした長方形の精霊石。
樹の精霊石である。
エリスはウィルやニーナの様子を伺いながら説明を続けた。
「呪文は多少違っても意味が分かれば成立します。先ずは使用する属性を宣言して、外界の魔素や精霊の力の一端に触れる事で魔力を増幅します。それから効果や内容を唱えて発動するのです」
目を見張るウィルとニーナの前でセシリアが呪文を詠唱した。
「来たれ樹の精霊。大樹の抱擁、
汝の隣人を癒やせ生命の息吹」
膨れ上がった淡い緑色の優しい光が見る間にウィルの傷を癒やしていく。
「ふぉぉ……」
「これが、お母様の魔法……」
ウィルとニーナが魔法の効果に驚いて目を見開く。
光が収まると、ウィルは怪我をした場所を曲げたり伸ばしたりした。
傷は完全に塞がっている。
痛みもない。
「これが回復魔法よ」
「回復魔法にもいくつか種類がありますが、セシリア様の樹の属性魔法はその中でも上位の魔法になります」
エリスの説明を聞いて、尊敬の眼差しを向ける我が子達にセシリアが少しはにかむ。
「ウィルも使える?」
「んんっ……」
ニーナに促されたウィルが魔力を巡らせる仕草をした。
が、魔法は発現しなかった。
「あれぇー?」
首を傾げるウィル。
顔を見合わせたセシリアとエリスが笑みを浮かべた。
庭に降ろしたウィルと目線を合わせるようにエリスが屈む。
「魔力が足りないのでございます。上位の魔法ですから、精霊石と魔力の増幅無しでは使えません」
「ぞーふく……つえっ!」
気付いたようにハッとした顔をするウィルに、エリスは笑顔で頷いた。
もっとも魔力を増幅したからといって、上位に位置する魔法をウィルがすぐ使えるかは怪しい所だったが。
「でも……」
同じように隣で話を聞いていたニーナが首を傾げる。
「精霊のランタンに樹の精霊石ってなかったような?」
「ミーシャの紙芝居に名前だけ出ていたのだけど、樹の属性は複合属性なの」
今度は代わってセシリアが答えた。
「土、水、光の属性を合わせると樹の属性を使う事が出来るのよ」
「へぇ~」
感嘆するニーナの視線がセシリアの左手の薬指に注がれる。
「その指輪の石が精霊石?」
「ええ、そうよ」
ニーナの問いにセシリアが優しく微笑んで視線を指輪へ向けた。
魔法の発動媒体には例外なく精霊石が埋め込まれている。
剣やワンドのような戦闘向けの物から装飾品のように日常に用いられる物など、様々な種類がある。
中でも指輪の魔法媒体は女性に人気が高かった。
愛おしそうに指輪を撫でるセシリアに子供達が首を傾げる。
それを横目で見守りつつ、エリスが少しニヤニヤした笑みを浮かべた。
「その指輪はシロー様からセシリア様に贈られた、愛の証なのでございます」
「お父様から?」
「ちょ、エリス!」
頬を朱に染めて抗議するセシリアに、エリスが遠くを見つめて身をくねらせる。
「忘れもしません。指輪を贈られてその日を迎えるまで、毎朝毎夜、シロー様に想いを馳せて惚けられるセシリア様の姿を……」
「ちょ、まっ……」
妹分のいきなりな仕打ちにセシリアが耳まで赤くする。
子供達の前で赤裸々に告白されるにはまだ恥ずかしいのである。
「ほぇ……?」
理解の追いつかないウィルは目をぱちくりさせて、セシリアとエリスのやり取りを眺めていた。
そこに、訳知り顔でニーナが説明する。
「あの指輪は婚約指輪といって、男の人が大好きな女の人にずっと一緒に居てください、って渡すものなのよ」
本来、婚約指輪と結婚指輪は別々である。
しかし、魔獣の蔓延る昨今、男性が相手の女性の加護霊石(素質のある精霊石)を婚約指輪にして贈るという行為が世界的に流行した。
その結果、婚約指輪と結婚指輪を一緒にし、護身用の魔法媒体として持ち歩く女性が増えたのだ。
現在では精霊石の指輪を贈るという行為自体がプロポーズとして受け取られるようになっている。
セシリアの指に光る樹の精霊石の指輪もまた、そういった流れでシローから贈られた物だった。
「男の人はお給料の三倍の指輪を女の人に送るのよ」
「ふえっ!?」
ニーナの言葉にウィルが驚いてみせる。
が、お小遣いも貰った事のないウィルにお給料の三倍は分からなかった。
腕を組んで考え込むポーズをするウィル。
「そんな事言っても、ウィルにはまだ分からないわ。ニーナ」
居住まいを正したセシリアが取り繕うように笑みを浮かべて、ウィルとニーナの頭を撫でる。
「うぃる、にーなねーさまにゆびわおくるー」
しばし考え込んでいたウィルがそんな風に言い出して、ニーナとセシリア、エリスも一緒になって思わず顔を見合わせた。
子供の言い出す事とはいえ、三人が思わず吹き出してしまう。
「ウィル、お姉ちゃんとは結婚できないのよ?」
「ええ〜?」
セシリアに教えられ、残念がるウィル。
その頭をニーナが撫でた。
「残念だったわね、ウィル」
撫でていた手を背中に回し、ニーナがウィルを抱き締める。
「でも、ありがとう」
大好きな弟の気持ちを汲むように、ニーナは体を使って目一杯喜びを表現してみせた。
その様子を後ろから見守っていたエリスもウィルに微笑みかける。
「ウィル様にもその内、いい人が現れますよ」
「ほんとー?」
「ええ」
聞き返すウィルに頷いてみせるエリス。
ニーナの腕から開放されたウィルがまた何事か考え込んで、エリスに視線を向けた。
「じゃー、えりすにゆびわあげるー」
「あら、嬉しいですわ」
エリスが笑顔でウィルの頭を撫でる。
「それから、れんとーあいかとーまいなとーみーしゃとー……」
指折り数え始めたウィルに、三人がまた顔を見合わせて吹き出した。
「ウィル様、お気持ちは嬉しいのですが、ウィル様がいい年になる頃には私共はおばさんになってますよ?」
「みんなしゅきだからいいのー!」
謎のやる気を漲らせるウィルに、困ったような、だが楽しそうな笑い声が庭に響き渡るのだった。