きまいらさん
金の刺繍の入ったローブの男は空に浮かび、ウィル達の戦いの一部始終を静かに見下ろしていた。
「まだまだ改良の余地はありそうだな……」
その手にはカルディが召喚に用いた筒がある。
未だ実験段階にある特殊な筒だ。
他の筒とは違い、強力な魔獣を生み出すと説明されていた。
しかし、召喚する度にカルディのようになっては作戦行動などできない。
しかも、召喚された魔獣が不完全で弱っているのでは目も当てられない。
(ホントに実験段階もいいとこだ……)
これは開発部の連中に文句の一つでも言ってやらねば。
そういう意味ではカルディを実験台に使えたのは男にとって好都合だった。
(それにしても……ウィル、と言ったか)
男が視線を手の筒から庭へと落とす。
その視線の先には狼の背に跨って進む小さな男の子がいる。
今回の戦局を決定づけた男の子だ。
(未だに信じられんが……)
胸中で呟いてみるが、その目で見てしまったのだから仕方がない。
問題はその存在が自分達の組織にとって脅威になるかもしれないということだ。
今はどうということはない。
今後、ウィルがどのように成長していくのかは分からないが、無視してもいいという考えに男は思い至らなかった。
(殺せればよし。殺せなくとも、我々の役には立ってもらおうか……)
男は考え纏めると懐から静かに杖を取り出す。
「来たれ火の精霊よ、――」
風狼の背に狙いを定め、男がゆっくりと魔力を込め始めた。
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風の一片から降りたウィル達はキマイラの傍に歩み寄った。
「近付いて危険はないでしょうか?」
「この距離であれば問題なかろう」
心配するエリスに風の一片が答える。
ウィル達は足を止め、並んでキマイラを眺めた。
巨体に似合わぬ小さな呼吸を浅く繰り返している。
ぐったりと横たわったキマイラを間近で見て、ウィルの手に力が篭もる。
手を引いていたニーナがそれに気付いてウィルに向き直った。
「ウィル、大丈夫?」
「うん……」
ニーナの問い掛けに、ウィルはキマイラを眺めたまま頷いた。
セレナもエリスもその様子を心配そうに見守っている。
ウィルは少し躊躇ってからキマイラに話しかけた。
「まじゅーさん、もういたくないー?」
当然、返事はない。
ウィルは少し肩を落とした。
ウィルが何を思っているのか、誰にも分からない。
ウィルも正しくは理解していないだろう。
ひょっとしたら害獣とはいえ、苦しみから解放するために手をかけてしまった事を悔いているのかもしれない。
害ある魔獣を討伐するのは当然だ。
大人ならそうして割り切れる。
しかし、子供に言ってもそれはきっと難しい事だ。
「ウィル……」
セレナが気を使ってウィルの頭を優しく撫でた。
「ウィル様ー!」
「セレナー! ニーナー!」
遠くから呼び掛けてくる声にウィル達が顔を上げて向き直る。
「お父様とレンさんだわ!」
駆け寄ってくるシローとレンの姿を見て、ニーナの表情が華やいだ。
頼れる二人の登場に、全員が安堵する。
しかし、その安堵をシローの鋭い声が掻き消した。
「一片! 上だっ!!」
「なんだと!?」
全員が空を見上げる。
何もない空間からにじみ出すように白いローブの男が姿を現す。
空に浮かんだまま、男はウィル達の方に向けて杖を構えていた。
杖の先に炎が灯り、その火勢が一気に増す。
威力に魔力を割り振られた火球が見る間に膨れ上がった。
「遅い! 死ぬがいい!」
高威力の火球が杖の先から撃ち出される。
「くっ……!!」
レンが走る速度を上げるが間に合わない。
「一片っ! 意地でも止めろ!!」
「任せろ!」
シローの言葉に風の一片が四肢を踏ん張って身構えた。
もしもの時は体に当てても止めると急ぎ防御壁を練り上げる。
その後ろでエリスも子供達の前へ出た。
無詠唱で水属性の防御壁を練り上げ、子供達の盾になるよう位置取る。
「間に合えっ!」
魔力を開放したシローがレンを追い越し、エリスの前へ出ようとした、その時――
メエエエエエッ!
「「「ッ!?」」」
死の間際であった筈のキマイラが首を起こし、山羊が絞り出すような咆哮を上げた。
魔力特化の防御壁がローブの男とウィル達の間を隔てる。
防御壁に衝突した火球が大爆発を起こし、空気を震わせた。
「なっ……!?」
「まじゅーさんっ!」
ローブの男が驚愕に一瞬動きを止め、目を見開いたウィルがキマイラを見上げる。
キマイラはなけなしの力を狼に注いでローブの男に火球を撃ち返した。
弱体化した火の玉が空気を焦がしてローブの男に迫る。
力を出し尽くしたキマイラはそのまま震えるように再び地に伏した。
「クッ……!」
迫る力のない火球を目にして、ローブの男が奥歯を噛み締めた。
火球自体は大した脅威ではない。
だが、男は魔獣召喚の秘密を知るが故に、キマイラの行動に驚きを隠せなかった。
(捕えた筒を持つ者を主として護るのではなかったのか!? 開発部のポンコツ共め!!)
最早、文句の一つでは物足りない。
胸中で舌打ちしながら男が防御壁を展開する。
火球が男の防御壁に当たって爆散した。
大した衝撃もなく、煙が男の視界を遮る。
一方、キマイラの動きはウィル達にも予想外であった。
そういう混乱した状況を味方につけられるかは経験値が物を言う。
男が火球を回避せず、防御壁を用いて防いだ事で死角が生まれた。
シローがレンに目配せをし、それだけで理解したレンがシローに代わってウィル達の前に出る。
「天駆ける!」
「行ってこい!」
シローの意思表示に風の一片が送り出した。
走り出したシローが魔力を纏い、空中を階段のように駆け上がる。
「お父様が……」
「お空を走ってる……」
空へ駆け登って行くシローの後ろ姿をセレナとニーナがポカンと見上げた。
シローがローブの男を目掛けて一直線に突き進む。
煙が晴れる、その前に。
疾走したまま、魔刀に手をかけ、煙を突き抜けて間合いに飛び込んだ。
「…………っ!?」
シローとローブの男の視線が合う。
同時にシローが魔刀を振り抜いた。
白刃が閃いてローブの男に襲い掛かる。
タイミングも完璧だった。
しかし、魔刀が男のローブに触れた瞬間、男の姿が消え失せた。
「っ!?」
目標を見失ったシローが宙を蹴って飛び下がる。
そのまま自由落下に身を任せ、地面に着地した。
(空間魔法……いや)
魔法を発動した気配はなかった。
と、すれば、また何かの魔道具だろうか。
気配を探るが、敵が近くにいる様子はない。安全を確認したシローは魔刀を鞘に納めた。
ふぅっ、と一つ息を吐く。
「子供達は……」
シローがウィル達の方を確認すると、皆揃ってキマイラの方を眺めていた。
「ウィル様……」
伏せたまま動かないキマイラに寄り添うウィル。
その後ろ姿をレンは静かに見守っていた。
ウィルが地に膝を付き、山羊の鼻先を撫でる。
反応はない。
キマイラは既に息を引き取っていた。
「れん……うぃる、まじゅーさんやっつけたのに……まじゅーさんはうぃるをたすけてくれたの」
「そうですね……」
ポツポツと呟くウィルにレンが静かに返す。
キマイラがウィル達を助けようとしたのか、本当の所は分からない。
しかし、結果として救われたのは事実だ。
あのまま火球を間近で受けていれば、どうなっていたのかは分からない。
「うぃる、わるいことしちゃったのかな……?」
ウィルがキマイラの亡骸を撫でつつ、自分の事を責めた。
その背中をレンが優しく撫でる。
「それは違いますよ。ウィル様……」
見上げてくるウィルをレンは微笑んで見返した。
「私やシロー様が倒したとしても、キマイラは庇ってくれなかったでしょう。ウィル様が一生懸命キマイラと向き合ったから、きっとキマイラもウィル様を守ってくれたんだと思いますよ?」
それもやはり、本当の所は分からない。
だが、レンは自分の発言があながち的外れでもないと思っていた。
そうでなければ凶暴として知られるキマイラがこんな穏やかな死に顔を見せるだろうか。
「そっかー……」
ウィルがその事を理解するのは難しい。
曖昧に呟いて、視線をまたキマイラへと戻した。
「さぁ、ウィル様」
いつまでもこの場に座り込んでいても仕方がない。
やれる事は全てやった。
後は騎士達がこの騒動に幕を引いてくれるだろう。
レンに促されて、ウィルは立ち上がった。
両脇に立つセレナとニーナと手を繋ぐ。
「きまいらさん、ばいばい……」
ウィルはキマイラに別れを告げると姉達に手を引かれて歩き出した。
その後をレンとエリスが付き従う。
「先にお屋敷へ戻ります」
「ああ。子供達を頼むよ」
すれ違う際、頭を垂れるレンにシローが短く返す。
シローは事後処理の為、その場に留まった。
シローと風の一片が並んでウィル達を見送る。
その後ろ姿が見えなくなると、シローは風の一片を伴ってキマイラの前に立った。
苦しみから解放されて穏やかな死に顔を浮かべるキマイラ。
ウィル達を守ってくれた魔獣へ、シローは深々と頭を下げた。