戦うということ
『……その様子だと、キマイラの魔力の流れを見たのだな』
『うん……まじゅーがいたいよ、って……』
風の一片の声にウィルがグスリと鼻を鳴らす。
ちょうどいい具合に力が抜けているのか、ウィルの伝達魔法は風の一片と周りにいる者達だけに聞こえていた。
『そうか……』
『とってもかわいそーだよ……』
『そうだな……』
ウィルの言葉に風の一片は静かに相槌を打っていた。
『だが、あの魔獣を治す術はない』
『そっかー……』
あからさまに肩を落とすウィル。
話が途切れたところで風の一片が切り出した。
『ウィル……儂はキマイラを殺す』
『えっ……?』
驚いたような声を上げるウィルに風の一片は静かに話し続けた。
『あの魔獣は元々悪い魔獣だ。今のように苦しんでいなければ、今頃街は瓦礫の山だっただろう……』
『わるいまじゅーなの……? でも……』
『ウィルの優しさはよく分かる。だが、今、奴を倒さねば街が破壊されてしまう。そうなれば、もっと沢山の人間が悲しい想いをする事になるだろう』
『…………』
黙り込んでしまうウィル。
ウィルの心中にもそれはやだな、という想いはある。
だが、目の前の魔獣は生きながらにして苦しんでいる。
ウィルの倒してきた人を襲おうとする魔獣とは違う。
キマイラが魔力異常を起こさず、人や街に襲い掛かっていたのならウィルは迷わなかったかもしれない。
『ウィルはよくやった。あとはこの風の一片に任せるがよい』
『ひとひらさん……』
ウィルが姉達に支えられながら立ち上がる。
ウィルの視線の先には変わらずキマイラのもがき苦しむ姿があった。
そして、会話していた風の一片の大きな後ろ姿が屋根伝いにキマイラへと向かっていた。
「あっ、フロウ!?」
「ゲイボルグ!?」
セレナとニーナの身の内から緑色の光が飛び出し、二匹の仔狼がゴーレムの頭の縁に降り立つ。
そしてレヴィも、ウィルの身の内から飛び出してゴーレムの頭の上に立った。
「れびー……」
仔狼達は皆、横に並んで風の一片を見ていた。巨大なキマイラと対峙しようとする父親の姿を。
「ピィ、ピィー!」
ニーナの肩から飛び降りた火の幻獣の雛がゲイボルグの頭に降り立ち、頑張れと言わんばかりに声を上げる。
ウィルはそんな仔狼達と風の一片の姿を交互に見た。
『ひとひらさんはどーしてたたかうの? あぶないよー?』
『ふふっ……そうだなぁ』
自分の事は棚上げしたウィルの質問に風の一片は思わず笑ってから答えた。
『街が破壊され、人々が傷付けば傷付くほど、シローとセシリア殿が悲しむからだ』
『とーさまとかーさまが……?』
『そうだ。儂はそれが何より辛い。だから、儂は戦うのだ。相手がもがき苦しむかわいそうな魔獣だとしても』
『…………』
また黙り込んでしまったウィルに構わず、風の一片が話を続ける。
『ウィルよ。大切な何かを守りたいのなら、どんな敵と向かい合っても目を背けてはならぬ。時には深く傷付く事もあるだろう。高い壁に阻まれる事もあるだろう。だが、それでも。その度に、何度でも立ち上がって前へ進むのだ』
『なんどでも……?』
『そうだ。戦うとはそういう事だ』
『たたかう……』
ウィルが頭の中で風狼の言葉を反芻する。
『皆の笑顔を守りたいのであろう?』
ウィルは答えなかった。
しかし、風の一片の言葉はウィルの心にしっかりと届いていた。
先程まで悲しみに沈んでいた表情は、今はどこにも無い。
ウィルの表情の変化に周りの者達が安堵の溜め息を吐いた時、風の一片の鋭い声が響いた。
『側仕え!』
「……っ!?」
エリスが反射的に前に出てキマイラを注視する。
もがき苦しんでいたキマイラが足を踏ん張り、狼の頭が大口を開けていた。
その前に巨大な火の塊が膨らんでいく。
「いけない!」
その火球は通りの直線上――ゴーレムへと向けられていた。
エリスが慌てて通りを確認すると、ローブの男達を捕らえていた騎士や御庭番がキマイラの火球に気付いて大急ぎで退避してくるところだった。
(手前だけでは守り切れない……!!)
即座に判断してキマイラに向き直ったエリスが杖を前方に構える。
「来たれ水の精霊! 水面の境界、
我らに迫りし災禍を押し流せ水陰の城壁!」
退避してくる者達を護る為、やや離れた所に展開させた水属性の防御壁を見たエリスは表情を曇らせた。
同時にキマイラの火球が放たれる。
(壁が弱い! これでは……!)
展開した防御壁の強度と火球の威力の差を感じ取ったエリスが後ろを振り向いて身を盾にする。
「伏せてください!」
エリスの声と火球が防御壁を突き破るのはほぼ同時だった。
ゴーレムの頭部にはアジャンタの防御壁もあるが、それでもどれほど火球を抑えきれるか分からない。
衝撃に備えてエリスが目を瞑る。
ドガァァァァァン!!
大きな炸裂音が鼓膜を打った。
「…………?」
しかし、いつまで経っても衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開き、振り向いたエリスの視界に飛び込んできたのは大きな岩の塊だった。
それはピタリと閉じたゴーレムの腕だった。
「シャークティ様が……?」
呆気にとられたように向き直るエリスに、シャークティは優しい笑みを浮かべて首を振り、足元を指差した。
「ウィル……様……」
エリスの足元でウィルが杖を掲げていた。
掲げて口を引き結んでいた。
ウィルが袖でゴシゴシ目元を拭い、涙を拭き取る。
呆気にとられたままのエリスの横まで歩み寄り、真っ直ぐキマイラを見つめた。
キマイラは火球を防がれた怒りと体を襲う激痛に、また悲鳴を上げた。
「いたいよね、くるしーよね……」
ウィルはもう目を逸らさない。
その表情には、幼いながらしっかりとした意志が宿っていた。
苦しむキマイラを救う方法はない。
そのキマイラも元気であれば人も街も襲う。
またみんなを悲しませるのだ。
だったら、どうする。
ウィルの中で答えは決まっていた。
「だったら、うぃるがやっつけてあげる!」
ウィルの意思に添うように、ゴーレムの瞳に紅く力強い光が甦った。