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かわいそうなキマイラ

 カルディ邸の前に不気味な魔力の渦と雷光が現れた。

 ローブの男達の無力化と魔獣討伐を順調に行っていた混成部隊の面々がその異様な雰囲気に思わず動きを止める。


「何、あれ……?」


 呆気に取られたような声音で呟くニーナにウィルも首を傾げる。


「たぶん……まじゅーがでてくるー」


 ウィルが自信なさげなのも無理はない。

 今まで見た魔獣召喚と比べても、それは異質だった。


「皆様、油断なさらぬように」


 レンがこの不穏な空気に警戒心を引き上げる。

 戦闘経験豊富な彼女はここで対応が遅れる事がどれほど危険か熟知しているのだ。




 人々が固唾を呑んで見守る中、魔力の渦に巨大な獣のシルエットが浮かび上がった。


「あれは、まさか……!」


 シルエットの異形に誰かが呟く。

 渦の奥から六つの異なる形の目がこちらを睨みつける。

 その影がゆらりと揺れて、渦からゆっくりと姿を現した。


 二つ首は狼と山羊。

 四本の足はそれぞれが混ざり合い、体は狼に近い。

 ウィルのゴーレムと同等の大きさを誇り、その尾から伸びた大蛇が二つ首の更に高い位置で鎌首をもたげていた。


「ば、バカなっ!?」

「巨獣のキマイラだと!?」

「でかい……!」


 騒然となる混成部隊。

 それもその筈、キマイラは人が滅多に立ち入らないような自然の奥深くで稀に発生する危険な魔獣だ。

 その容姿は様々で、複数の魔獣が何かの要因で合成されている。

 個体毎に有する能力もばらばらで、厄介極まりない。

 発見されれば即座に緊急の討伐依頼が発令され、上位の冒険者で討伐隊が組まれる。

 時にはテンランカーに直接依頼が出される事もあるキマイラの討伐ランクは8や9だ。

 殆どの冒険者は伝え聞いたことがあるだけで目にしたことすらない。



 ギャァアアアアアッ!!



 目を血走らせたキマイラが涎を撒き散らし、不快な絶叫の三重奏を奏でる。


「きゃっ!?」


 その忌々しさにセレナが思わず悲鳴を上げ、顔をしかめた。

 心の奥底から這い出してくるような恐怖に足が竦む。


「テラーボイス……」


 エリスの呟きにレンが無言で頷いた。

 その叫び声に魔力を乗せて、相手を恐怖に陥れる魔獣特有の能力だ。

 力のない者であれば一瞬で戦意を喪失してしまう。


「ううっ……」

「どうしたの、ウィル!?」


 先程までの様子とは打って変わってうずくまるウィルにニーナが慌てて駆け寄った。


「「ウィル様!?」」


 ウィルの急変にレンとエリス、セレナも駆け寄る。

 それを後ろから見守っていたシャークティが辛そうな表情で目を伏せた。


「ウィル……見えてしまったのね……」

「ひどい! こんな事って……」


 アジャンタの視線の先でキマイラが体を振り回し、近くの建物を破壊する。

 それは何かに襲いかかるというよりは苦しみにのたうち回っているように見えた。


「うっ、グスッ、ううう……」


 ウィルがポロポロと涙を零し始めた。

 寄り添ったニーナがそんな弟を励ますように強く抱き締める。


「ウィル、大丈夫?」

「まじゅーが、いたいよーいたいよー、って……」

「いったい……どういう事ですか、精霊様?」


 ウィルの言葉の意味が分からず、エリスが精霊の少女達を交互に見る。

 シャークティが伏せた目を開き、視線をキマイラに向けた。


「あのキマイラ、魔力の流れが普通じゃない……三つの魔力が無理やりつなぎ合わされてる。おそらく、自然発生したキマイラじゃない……」


 彼女が言うには、キマイラも個として生まれてくるのだそうだ。

 混ざり合った魔獣は別々の意思を持つが、魔力は共有され、複数の意思の間を淀み無く流れるという。

 だが、彼女達の目の前に現れたキマイラの魔力は共有されず、三匹分の魔力が混在している状態なのだ。


 ウィルの目には、その歪められた魔力の流れがはっきり見えていた。

 その魔力がキマイラの中で膨れる度、キマイラが苦し気な雄叫びを上げる。

 決して人に理解し得ない声であったとしても、ウィルにはキマイラの悲痛な訴えが分かってしまったのだ。

 かわいそうだ、と。

 ウィルの涙は止まらなかった。


「あれは造り出されたキマイラなのかもしれない……」


 アジャンタがポツリと呟き、心配そうにウィルを見た。

 その言葉をレンが反芻する。


「造り出された……人造だと……?」


 本当に人の手でそんな事が可能なのか、レンにもそれは分からない。

 だが、どういう経緯であれ、キマイラのような危険な魔獣が街で召喚されてしまった。

 すぐにでも倒さねば、街に及ぼす被害は計り知れない。


「このままじゃ、逃げ遅れた人達が……」


 呟きながらキマイラの様子を再び確認しようとしたセレナの目に止まるモノが映り、彼女はそれを注視した。


「レンさん、エリスさん、あれ!」


 セレナの指差す方向に二人が視線を向ける。


「あれは……」

「反対側からも来てますね……」


 何者かが両側の屋根を伝ってこちらに接近してくる。

 現状でキマイラを意に介さず突進してくる者など不審極まりない。

 敵と見て間違いなさそうだ。


(……あの位置取りなら)


 レンがすぐに判断してエリスに向き直った。


「エリスさん、私が出ます。ウィル様の事をお願いします。動けないようでしたら撤退を……」

「分かりました。ですが、もう片方は……?」


 エリスの質問にレンが答えるより速く、何者かが飛び上がり、右手の屋根の上へ着地した。


「あ……シロー様と一片様」

「あのようなだだ漏れの気配、シローや一片が気付かないわけありませんので」


 シローに対して絶対的な信頼を寄せるレンの答えにエリスが笑みを零す。


「それでは、よろしくお願いします」


 レンはアジャンタとシャークティに小さく礼をして、最後にウィルの頭を優しく撫でるとゴーレムの頭上から飛び立った。

 シローとは反対側――左手の屋根の上に降り立つ。

 突進してきた者がレンの姿を捉えて足を止めた。

 小柄でローブから露わになっている両手に鋭い鉤爪を装備している。


「ケヒッ! 当たりだぁ……!」


 男が淀んだ目でニタリと笑い、舌なめずりをする。

 そんな不快な笑みをレンは斜に構えたまま、鋭く睨み返した。




 レンと同じく反対側の屋根の上ではシローと風の一片がローブの大男と対峙していた。


「こっちはハズレか……」


 嘆息混じりに呟く大男にシローの目が微かに細る。


「ハズレ……?」

「ああ、気にするな。俺も拳闘士なんでな……」


 ローブをはだけ、腕に嵌めた手甲を見せる大男。

 同じ拳闘士のレンと戦いたかったという事なのだろう。

 正直、シローにはどうでもいい事だった。

 彼の関心は反応の無くなったゴーレムに向けられていた。

 ウィルの様子を見に行きたかったが、近付いてくる気配を無視する事も出来なかった。


「あれを見たのであろうな……」


 シローの心中を代弁するかのように風の一片が呟く。

 シローにも風の一片にもキマイラの異常さは感じ取れていた。

 同じものをウィルが見ていたというのなら、ウィルはキマイラを見て何を思ったのだろうか。


「シロー。キマイラは儂が殺る……その男は任せる」

「できるのか?」

「やらねばならぬだろう。このままでは街が滅ぶ」


 風の一片の本体はシローの持つ魔刀である為、魔刀から離れると十分な力を発揮できない。

 広い場所なら機動力を活かしてなんとかできるかもしれないが、街中でそれをやれば被害が拡大するだけだ。

 風の一片にとっては不利な戦いになる。


「お主はそこの男を倒してから来るがいい」

「分かった……」

「それから」


 納得するシローに風の一片が視線を向けた。


「ウィルにも声をかけてみる。心配するな」

「すまん」


 シローが素直に謝ると、風の一片は微かに笑みを浮かべて大きく跳躍した。

 ローブの大男の頭上を飛び越える。

 すれ違いざまに風の一片と男の視線がかち合うが、男は特に何もせず風の一片を通した。


「余裕だな……」

「まさか」


 シローの声に向き直った大男が笑みを浮かべる。


「【飛竜墜とし】と幻獣を同時に相手できるかよ。だったら、楽しめる方で行くさ」


 そう言うと大男は拳を上げて身構えた。

 それに呼応するようにシローも半歩左足を下げて魔刀を握り直す。

 双方はいつでも動き出せる状態で睨み合っていた。




 ウィルはしゃがみこんだまま、ニーナの腕の中で泣いていた。

 時折響くキマイラの張り裂けるような悲鳴にウィルの体がビクリと震える。

 ニーナはその度にウィルの体を撫でさすった。


(これ以上は限界ですね……)


 ウィルの様子を見守っていたエリスは早々と結論付けた。

 これ以上、この場に長居をしてウィルに精神的な負担を負わせたくなかったのだ。


 神憑り的な快進撃を繰り広げたウィルを止めたのは、魔力異常を起こして悶え苦しむ魔獣。

 その可哀想な姿を見て悲しんだウィルはそれ以上前に進めなかった。


 それでいい。

 この戦況を覆した小さな男の子を誰が責められよう。

 ウィルのお陰で救われた命も沢山あった筈だ。


 セレナがウィルとニーナを一緒に抱き締め、アジャンタとシャークティが幼い姉弟を労うように撫でた頃、エリスもまたウィルの頬に触れ、優しい笑みを浮かべた。


「ウィル様――」


 帰りましょう、と。エリスが続けようとした時、頭上から聞き覚えのある声が響いた。


『ウィル、聞こえておるか?』

『ひとひらさん……』


 伝達用の魔法で届いた静かな風狼の声に、ウィルは涙に濡れた顔で空を見上げた。


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