閑話 ある少女の逃走録
今日は、もう一話行きます。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
即席のバリケードを盾に、部屋を飛び出す。
腕に幼い弟を抱えながら。
脇目も振らず、震える足を無理やり動かして、私は階段を駆け下りた。
気付いたときには、外は魔獣で溢れていた。
生まれたばかりの弟と留守番していた私は慌てて戸締まりをして家の二階に立て篭った。
弟が泣き出さない事を祈りながら、ずっと。
しばらくして、玄関の方からもの凄い音が聞こえた。
(魔獣……!)
何かを突き破るような音に、魔獣が屋内に侵入したのが直ぐに分かった。
私達のいる二階への階段は玄関からすぐ傍にある。
(お願いだから、上には来ないで……)
「ふぇぇぇっ……」
「……っ!?」
音に驚いたのか、弟がぐずり出した。
「大丈夫だからね、大丈夫! お姉ちゃんがいるから、ね?」
弟を抱きかかえ、半ば自分に言い聞かせるように、弟を優しく揺らす。
(大丈夫……きっと、大丈夫……!)
ただ、祈るように、息を殺した。
『外周区中通り東一番、二番に潜伏中の者に継ぐ! ……』
ややあって、年を感じさせる男の人の声が聞こえた。
どこから響いてくるのか分からない声。
その声が魔法であるという事に、随分時間がかかった。
声の主は【フィルファリアの雷光】と名乗っていた。
もしくは【フィルファリアの紅い牙】だったか。
昔、父に「この国で強い人は誰?」と聞いた事があったが、その時に上がった名前の内の二つだ。
『これより我らが魔獣の殲滅を行う!』
その二人が通りの魔獣を討伐するというのだ。
(もしかしたら、助かるかもしれない……)
そう思って、隠れていた部屋の前に立った時、ゾッとした。
ぎしり、と廊下の軋む音が聞こえた。
いる。廊下に、侵入してきた魔獣が。
魔獣はまだ遠いようだが、確かにいる気配がした。
階段の前に陣取っているのかもしれない。
「あっ……」
混乱した頭で家の間取りを確認する。
今いる部屋は奥に続く扉があって、我が家の最奥に繋がっている。
いずれも廊下に面しており、外に出る手段はない。
(だめ……逃げられない……)
それどころか、隠れられる場所もない。
(どうしよう……)
泣きそうになった。
このままでは魔獣に殺される。
先程の声の主は「無理なら時を待て」と言っていたが、いつまで待てるか。
魔獣に気付かれないように、部屋の端により、息を殺す。
いつ、魔獣がドアを破ってくるかも分からない。
そんな中で、ジッと時が過ぎるのを待つ。
どれくらいの時間、そうできたのか。
恐怖に体を震わせていると、服を引っ張られた。
「だー……」
意味のない発言をする弟。
でも、私の顔をじっと見上げていた。
そうだ。この子には、今、私しかいない。
私がなんとかしないと。私が。私が。
気を取り直して、一つ息を吐くと周囲を見回した。
(よし……)
目星をつけて、静かに動き出す。
まず、弟を床に寝かせ、奥の部屋に続くドアの前に椅子を用意しておく。
頑丈だけが取り柄のような、正直座ってるとお尻が痛くなる椅子だった。
そして、足音に注意して、奥の部屋へ。
深呼吸をして、私は扉の鍵に手を掛けた。
思い切り、鍵を捻る。
ガチリ、と大きな音がした瞬間、廊下の外で唸り声が聞こえた。
何かが廊下を走ってくる。
それを確認して、足音を立てないように、弟のいる部屋へ戻った。
ドアをそっと閉め、予め用意しておいた椅子をドアに押し付ける。
おそらく、奥の扉は壊される。
そこからが勝負だ。
弟を抱き直し、ジッとその時を待つ。
体が震えるのを必死に抑える。
タイミングが早すぎても駄目だ。
魔獣を破りにくいドアに誘導しないと。
ややあって、奥の部屋の扉が破られた。
そのタイミングで私は奥の部屋に続く扉の鍵を閉め、扉から離れる。
(来る……!)
音に気付いた魔獣は直ぐにこちら側の扉にやってきた。
ドン、っと扉が大きく揺れる。
(今だ!)
魔獣がバリケード付きの扉に引っ掛かっているうちに。
部屋の扉を開けて、全力疾走だ。
廊下に飛び出し、走って階段へたどり着き、駆け下りる。
目の前に、玄関があった。
無惨に壊れて開け放たれているが、正直どうでもいい。
(出られる!)
玄関から外に出て、絶望した。
グルルルルルッ
狼の魔獣が玄関の周りに群れていた。
こちらに気付いて、一匹、また一匹とこちらを包囲してくる。
「うっ……!」
玄関で足止めされている内に、二階から更に狼の魔獣が降りてきた。
逃げ場はない。
行くも引くも出来ずに、腕の中の弟を強く抱き締めた。
「だうー」
大きな音にも激しい動きにも、泣かずについてきた弟が私の顔に手を伸ばす。
「ゴメンね……お姉ちゃん、失敗しちゃったみたい……」
自然と涙が出てきた。
せめて、弟だけでも、という慈悲は魔獣には存在しない。
後は二人、死に喰われるのみ。
狼の魔獣が包囲を狭めて、牙を剥き出してくる。
「だ、だれか……!」
掠れる声で助けを呼ぶ。
ただ、すがるように。
「だれか、助けて……!」
そんな都合のいい存在、いないと、頭のどこかで理解しつつも、でも、認めたくなくて。
「だれか!」
弟を体で隠すようにして、強く目を閉じた。
迫り来る死の気配から目を背ける。
《はいはーい》
次の瞬間、聞こえたのは、そんな調子の外れた軽い返事だった。
横から何かが飛んできて、気がついた時には囲んでいた狼の魔獣の大半が倒れて動かなくなっていた。
「えっ……?」
驚いて振り返ると、自分よりも遥かに小さな男の子が二人、手をこちらに翳していた。
《悪い狼さんをお掃除だー♪》
《どーん♪ どーん♪》
男の子の手の前に石の塊が生成され、撃ち出されては狼の魔獣を葬っていく。
《お掃除かんりょー!》
《イエーイ!》
瞬く間に狼の魔獣を全滅させた男の子達が両手を打ち合わせる。
「つ、土の精霊……様?」
精霊様なんて初めて見た。
え? 助けてって思ったけど、なんでいるの?
言葉を失っていると、今度は空から風の精霊様が降りてきた。
《二名様、ごあんなーい♪》
《はいはーい。それじゃあ、ウィルん家に運ぶねー》
《宜しくどーぞー》
土の精霊達は、そのまま地面の中へ消えていった。
残った風の精霊様が私達の前までやってくる。
「あ、あの……?」
《あ、驚いた?》
そりゃそうよ。
精霊様なんて初めて見るんだもの。
私の表情を見てなのか、精霊の女の子が優しく笑う。
《気にしなくて、いいからねー?》
無理。それは無理。
いきなり精霊が現れて、気にしなくていいとか言われても無理だから。
こっちの反応は無視して、風の精霊は私の体を支えて宙に舞い上がった。
「えっ……? ええっ!?」
驚きに周りを見回すと、私と同じように空を運ばれていく人々が見えた。
皆、自分が空を飛んでいる事に驚いて、ポカンとしている。
そして目に飛び込んできたのは、異様にでかいゴーレムだ。
頭に誰か乗ってる。
子供だ。
次々に飛び込んでくる信じられない光景にポカンとしながら、空を飛ぶ私達は一箇所に向かって飛んでいた。
東の端にある、豪邸。
確か、元公爵の娘さんのお宅だとか。
その庭の上空に差し掛かると、家主や使用人さん以外にも多くの人が見受けられた。
「そういえば、ここに避難しろって……」
ふと、【フィルファリアの雷光】さんだかの言葉を思い出す。
考えている間に高度は下がり、私達は庭で一人の綺麗な女の人の前に降ろされた。
風の精霊は女性に手を振ると、また空へと飛び去って行った。
「よくぞ、ご無事で……私はこの屋敷の主の妻、セシリア・フィナ・トルキスと申します。今、当屋敷は避難所として開放しています。どうぞ、奥へ」
心に染み込むような、澄んだ女性の声に安心した私は、その場でヘナヘナと座り込んでしまった。
お貴族様の前でこんな格好、無礼なのは承知しているの。
でも、ね。
色々と私は限界だった。
その上でこの安心感。
「ど、どうされましたか?」
心配してくれるセシリア様に弟が手を伸ばした。
そんな弟を嗜められないで、私は泣き笑いながら言った。
「腰、抜けちゃいました……」