フィルファリア城、テラスにて
時は少し遡る――
フィルファリア城。
小高い山の上に立つこの城のテラスからは、放射状に広がった王都を一望する事ができる。
普段は穏やかな様子を覗かせるその景色は、今や煙がそこかしこから上がり、魔獣が跋扈する異常な光景と化していた。
時折、応戦するような魔力光が街中で上がっている。
テラスには物見の兵が立ち、数人の騎士が詰め、国の大事を担う重臣が集まっていた。
その最奥に急遽設えた立派な椅子があり、男が腰掛けている。
眉目の整った優し気な男の顔は、今や何事にも動じないよう、無表情に固まっていた。
「こら、アル……いや、フィルファリア王よ。そのような態度では兵や娘達に緊張が伝わるぞ?」
「……先王」
己の父、ワグナーに諭された現王アルベルト・ラフト・フィルファリアが傍に立つ宰相フェリックスや叔父であるオルフェスを見て、それから背後に控える妻や王女達に目を向ける。
心配そうな表情を浮かべる娘達を見て、アルベルトの表情が和らいだ。
「そんな顔、するな」
父の笑顔に王女達の表情も和らぐ。
(まだまだだな……私も)
己の未熟を恥じながら、アルベルトは視線を前に戻した。
(しかし、賊め……何が目的だ……?)
緊急事態の知らせを受けたのが昼前、謁見の準備をしている時であった。
外周区の西側で多数の魔獣が出現し、暴れていると。
にわかには信じ難い事だったが、続いて届いた報告には、更に耳を疑った。
人が魔獣を召喚しているというのである。
魔獣騒ぎはすぐに外周区に広がっていった。
そして、魔獣を率いた賊が内周区と市街区に向けて魔獣を放ち始めた。
現在、内周区に押し寄せている魔獣は警備兵の奮闘もあり、第一騎士団が引き継いで防衛中。
市街区の方も奮闘しているようだ。
と、言うのも、先程物見の兵から報告があった。
【飛竜墜とし】シロー・トルキス様、市街区の門前に風の幻獣を率いて到着、と。
シローの強さは誰もが認めるところである。
その彼が、ずっと門の前で剣を振るってくれている。
(中を抑えられると、これ程厄介か……)
市街区から城までの行き来は、中央通りの門をくぐる必要がある。
そこを抑えられているが為に、援軍を送る事も救援を求める事もできない状態であった。
状況を打開するには、何か手を打たなければならないのに、城側からは打てる手が限られていた。
思考を巡らせながら、また押し黙ってしまった息子にワグナーは内心ため息をついた。
(まぁ、しょうがあるまい……)
隣国との戦争が一旦の終結を見てから十年以上が経っている。
現王アルベルトはその当時成人したばかりで、戦争を殆ど経験していない。
非常時における王としての振る舞いは、まだまだ経験不足というものだ。
だが、ワグナーにしてみても王都を魔獣に襲われるというのは経験したことのない出来事である。
何かあれば、アルベルトを影から助ける心積もりでいた。
「内周区前の戦況はどうか?」
「はっ……依然として、拮抗しております!」
王の問いかけに物見の兵が緊張した様子で返してくる。
隊列を入れ替えながら応戦しているとはいえ、拮抗し続ければいずれ騎士達の体力が尽きる。
戦況は優位とは言い難い状況だった。
息を吐き、椅子に身を沈めようとしたアルベルトに、物見の兵から慌てて声が飛んだ。
「内周区前の戦況に変化あり!」
「なにっ!?」
アルベルトが慌てて立ち上がる。
周囲にいた騎士達や重臣達もざわめいた。
「敵の側面より突入した人影がもの凄い速度で魔獣を屠っていきます! あ、あれは……!」
「おお……!」
背後で歓声が上がる中、物見の兵はしっかりと見ていた。
戦う人影が舞う度に振り撒かれる美しい闇色の炎を。
仲間達の窮地を救うべく進むその姿に、物見の兵は感極まって、泣きそうになった。
「【暁の舞姫】レン・グレイシア様です!」
「なんと……!」
ワグナーも驚いた様子で手渡された望遠鏡を覗き込んだ。
外周区の状況が分からない今、レンは外周区に残っていると思われる最大戦力の一人だ。
トルキス邸に身を置いている彼女が単独で活動しているのである。
ワグナーが振り返ると、弟のオルフェスの顔が少し動揺しているように見受けられた。
それを周りに悟らせまいとしているのはさすがだが、兄弟であるワグナーにまで隠し通せるものではない。
ワグナーがオルフェスの様子を伺っていると、アルベルトの傍に控えた壮年の男の元へ仮面を被ったローブ姿の配下が駆け寄ってきた。
王族直属の諜報機関、その諜報員である。
彼らは特殊な魔道具を使い、情報の受け渡しができるように訓練されている。
普段は庭師として城内に勤め、有事の際は御庭番として戦う事もできる。
壮年の男はその諜報機関のトップーーエドモンド・ホークアイであった。
「陛下、伝令にございます」
立ったままのアルベルトにエドモンドが頭を垂れる。
「申せ」
「はっ! レン殿より知らせでございます。外周区北側の門へ、難を逃れた騎士達を再編したガイオス騎士団長が救援に向かったとの事です」
男の言葉に、その場にいた者達が安堵のため息を溢した。
「そうか……ガイオスが……」
アルベルトとガイオスは幼い頃からの友だった。
友が無事であると聞いて、アルベルトの表情に少し明るさが戻った。
内周区前の門はレンが来てくれたことで防衛側がやや有利に展開していた。
状況を好転させるには、もう一手欲しいところである。
しかし――
「外周区、東の端に魔力光!」
物見の焦った声に緊張が走った。
今まで目立った戦闘がなかった街の端まで戦域が拡大したのだ。
そして、その場所は王族にとっても特別な場所があるところであった。
「場所は!」
声を荒らげるオルフェスに物見の兵が声を震わせる。
「トルキス邸にございます……」
最悪だった。
魔獣の侵入を許したトルキス家の者達が戦闘を開始したのだ。
アルベルトが悔しげに顔をしかめ、オルフェスが強く拳を握る。
「くっ……!」
「待たんか! オルフェ!」
踵を返して駆け出そうとするオルフェスをワグナーの一喝が引き止めた。
「お前が行ってどうなる……内周区前の戦闘に勝利せねば援軍を送ることもできんのだぞ?」
「ですから、私が自ら戦闘支援を……」
「馬鹿を申せ……訓練を重ねた第一騎士団を超える支援などおいそれとできる筈があるまい……」
オルフェスが言い返す言葉を見つけられず、項垂れた。
オルフェスは魔法使いとしては優秀だ。
それは誰もが認める事だ。
しかし、それでも連携という部分では騎士団を上回る事は難しい。
単発の魔法であれば、上回る成果を上げられるかもしれないが、それで片が付くなら騎士団がもうやっている。
黙り込んでしまったオルフェスを気遣って、アルベルトが前へ出た。
「父上。それでも、レン殿の参戦により我らは優勢になっております。主導権を握り返すならば、ここが攻め時です」
「……好きにせよ、アルベルト。王はお主じゃ。だが、先だって王であった者の口から助言するのであれば、前に詰め過ぎて城を明け渡すような事があってはならんぞ?」
ワグナーの視線の先を振り返ると、先程より不安げな表情をした彼の娘達がいた。
「国を、民を守る。その意味をしっかりと理解せぃ」
「はっ……! 父上」
ワグナーに向き直ったアルベルトが強く頷く。
「ダニール! 残りの騎士を集めよ! 部隊を再編し、攻勢に出るぞ! エドモンド! 御庭番も出陣に備えてくれ! 一気に内周区前の戦闘を鎮圧する!」
「「はっ!」」
騎士鎧に身を包んだ男――第一騎士団長ダニール・コトフとエドモンドが胸に手を当て、アルベルトに応える。
アルベルトは頷くと、妻や娘達の方へ向き直り、それからその周りを固める女性騎士達に目配せをした。
「近衛隊、妻や娘達を頼む」
「はっ! おまかせ下さい!」
アルベルトはまたも頷いて、ワグナーとオルフェスに向き直った。
「父上、叔父上、私も出ます。あとを――」
「なっ――!」
アルベルトの言葉を物見の兵が遮った。
三人が声を発した兵を見やる。
「なんだ、あれは……!?」
「あれは……魔力光か!?」
兵だけではなく、重臣達や騎士達まで騒ぎ出していた。
「陛下!」
宰相のフェリックスに呼ばれ、顔を見合わせていた三人は急いでテラスの端まで駆け寄った。
肉眼でも確認できる程の強大な魔力光がトルキス邸で渦巻いている。
それは直ぐに形を顕にした。
「東の端、トルキス邸にて魔法ゴーレム出現!」
物見の兵が報告するが、皆分かっている。
その巨体は肉眼でもはっきり見えていた。
「大きい……」
誰もが呆気に取られる中で、同じくテラスの端まで駆け寄ってきた姫が出現したゴーレムを見てポツリと呟いた。
「どちら側の……ですか?」
心配そうに見上げてくる姫達にワグナーが笑みを浮かべた。
「心配せんでよい。屋敷を背にするように立っておる。あれは味方じゃ」
そう、あれは味方だ。
なんとも言えない予感にオルフェスの顔が引きつっている。
今現在、トルキス邸にいるであろう戦力の中で、ゴーレム生成を使えると思われる人物は二人しかいない。
その内、一人――モーガンという冒険者は中級クラスのゴーレムの生成しかできないと報告を受けていた。
で、あれば。
「オルフェよ。杞憂であったな?」
「い、いいえ、あ、兄上。まだ何事もなかったと決めつけるわけには……」
ニヤリと口の端を釣り上げるワグナーに、オルフェスが冷や汗を掻きながら応える。
重臣達や騎士達、王や妃、姫達から見ても、オルフェスの表情はおかしな事になっていた。
「ゴーレム、動き出しました!」
幾度となく拳を叩きつけていたゴーレムが何かを捕まえて腕を持ち上げた。
そして、大きく振り被る。
「ゴーレム、何かを投げました!」
「速い!」
ゴーレムが投げた何かが、もの凄い速度で外周区を横切っていく。
「何だ、あれは?」
「人か?」
「ゴーレムの投擲、カルディ邸に着弾しました……」
カルディ邸は西の端である。
東の端から西の端まで、ゴーレムの豪速球が飛んでいく。
「投げられたのは騎士のようにも見えましたが……」
「いったいどうなっとるんだ……?」
重臣達が混乱する中、五度の投擲を遂行したゴーレムはそのまま動きを止めた。
「終わったのか?」
それぞれ思い思いに望遠鏡を覗き込む。
ややあって、ゴーレムはゆっくりと向きを変えてしゃがみ込んだ。
屋根ほどの高さになった頭に誰かが乗り込んでいく。
「ぶはっ!?」
「ああああああ……」
その姿を望遠鏡で覗き込んだワグナーが息を噴き出すように笑い、オルフェスが頭を抱え込んでうずくまった。
何事かと、周りの人々が二人を見る。
「いったい、どうしたのですか? 叔父上?」
不思議そうに尋ねるアルベルト。
ワグナーが必死の思いで笑いを噛み殺しながら、その手に望遠鏡を渡してやった。
「見てみるがいい」
「はぁ……?」
望遠鏡を覗き込んだアルベルトの目に、ゴーレムの頭の上で何かを話している小さな男の子が映る。
アルベルトの目が大きく見開かれた。
「お、おお……もしや……」
「あの子じゃよ。あの子がウィルベルじゃ」
「あの子が……!」
アルベルトの声が興奮で上擦る。
未だ会うことが叶わぬ、王族の末席。
その小さな男の子である。
望遠鏡の先で、ウィルベルが杖を掲げた。
ゴーレムが立ち上がり、その周りを何かが舞い上がる。
「せ、精霊か……!?」
「おお……! あんなに沢山……!」
巨大ゴーレムと精霊の大群。
見たこともない光景に全員が目を奪われる。
ざわつくテラスに新たな諜報員が駆け込んできた。
「で、伝令!」
エドモンドを介さず声を上げる諜報員に、ただ事ではないと感じ取って全員が息を呑んだ。
諜報員は顔を仮面で覆っているため素性が分からない。
なので、伝令は組織のトップであるエドモンドに報告し、エドモンドから王に報告するのが決まりであった。
エドモンドがアルベルトに視線で伺う。
「よい、申せ」
「はっ!」
膝を付き、頭を垂れた諜報員が仮面で隠された顔を上げる。
「お嬢より通達。トルキス邸はカルディの子息グラムの襲撃を受け、これを撃退。尚、今回の魔獣騒ぎがカルディ一派の謀反である可能性大」
諜報員の報告に重臣達がざわめく。
エドモンドはあからさまにため息をついた。
「そうか……カルディ伯爵が……」
小さく呟いたアルベルトがエドモンドに視線を向ける。
「エドモンド。お嬢というのは?」
「恥ずかしながら、私の娘でございます。今はセシリア様の下でメイドの真似事をしております」
「そうか……」
アルベルトが小さく頷いた。
目の前の男は娘のしている事がメイドの真似事とは言っているが、セシリアの下に送り込まれたメイド達は全員優秀な成績を残して任じられている筈である。
「あ、あの……」
「ご苦労。下がってよい」
エドモンドに労われた諜報員が下がらずにアルベルトとエドモンドを交互に見た。
「どうした?」
「お頭……続きが……」
「……すまん」
どうやら報告の途中で切ってしまったようだ。
謝るエドモンドにアルベルトが思わず苦笑した。
「続きを述べよ」
「はっ! その、お嬢から御庭番に出動要請が出ています……」
「なに……?」
エドモンドの表情が険しくなった。
御庭番は本来王家の為の戦力である。
いくら頭目の娘とはいえ、出動を要請できるような立場にはない。
それが分かっているからか、顔も見えないのに諜報員が萎縮しているのが目に見えるようだ。
「なんでも……ウィルベル様が出陣なさるそうで……」
「はぁっ!?」
エドモンドが素っ頓狂な声を上げる。
ウィルベルが幼い子供だという事は彼も知っている。
エドモンドがウィルベルの祖父であるオルフェスに視線を向けると、オルフェスは見たこともないような落ち着きのなさで三人の姫達に心配されていた。
「大叔父様!? 大丈夫ですか!?」
「ウィルや……おじいちゃん、もーあかんわ……」
「大叔父様、しっかりー!」
「しっかりー」
「いやいや。いったい、どういう事ですか?」
エドモンドも混乱していた。
先日起きた学舎での騒動は彼も報告を受けている。
諜報機関のトップなのだ。
王都において彼ほどの情報通はいない。
だから、ウィルが風の精霊魔法を使った事は知っている。
だが、それでもウィルが出陣すると言う事に結び付かない。
誰がそんな幼い子供の出撃を認めるというのだ、と。
ニヤニヤ笑っていたワグナーがエドモンドの肩を叩いた。
「先王陛下……」
「おそらく、あの魔法ゴーレムはウィルの仕業じゃな? そうであろう?」
ワグナーが諜報員に向き直ると、諜報員が頭を垂れる。
「左様にございます。土の精霊魔法だそうです」
「な、なんだと……」
エドモンドが驚いた様子で諜報員とワグナーを交互に見た。
一つの属性の精霊魔法を使った事すら驚嘆に値するのだ。
二つ目とか、歴史上の偉人レベルである。
「先王陛下はご存知だったのですか? ウィルベル様が土の精霊魔法の使い手だと……」
「いいや、知らん」
「はぁっ?」
間の抜けた顔をするエドモンドに、ワグナーが人の悪い笑みを返す。
「まぁ、そういう類の気質なんじゃよ。ウィルは……」
ワグナーは経験上、そういった類の人間は確かに存在すると思っていた。
いわゆる、常識では測れない存在というものである。
ワグナーの知る中でも、ウィルはとびっきりの逸材であった。
「はぁ……」
エドモンドが曖昧な返事をするのを聞きながら、ワグナーはアルベルトを見た。
「ほれ、行くんじゃろ? ウィルに遅れを取らんようにな?」
「……もちろんです!」
アルベルトは強く頷くと、エドモンドに向き直った。
「エドモンド! ウィルの護衛に可能な限り人員を割け! いいな!」
「はっ!」
背筋を正すエドモンドを尻目に、アルベルトが歩き出す。
「ゆくぞ、ダニール! 幼子に遅れを取っては第一騎士団の恥ぞ!」
「ははっ!」
アルベルトの後ろをダニールとエドモンドが付き従う。
その後ろ姿は非常時であるのに意気揚々としているように見えた。