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エリス、来訪

「……以上が各国の情勢になります」

「うむ……」


 椅子に深く腰掛けたオルフェスが若い執事の読み上げる報告に小さく頷いた。


 一日の終わりに様々な報告を受け取るのが、隠居してからの彼の日課の一つになっていた。


 ワゴンを押して飲み物を持ってきたメイドがオルフェスのティーカップに茶の湯を注いでいく。

 最近手に入れた東の果ての国の茶葉を使ったお茶である。

 薄緑色の透き通った液体がティーカップを満たす。


「ん……?」


 カップの中で茶葉が立ち上がるように浮かんでいた。


「あら……この様に茶柱が立つとキョウ国では吉兆なのだそうですよ」

「ほぉ……なるほど」


 メイドの言葉を聴きながら、カップを持ち上げ、火傷しないように冷ましながらお茶を啜る。

 熱さとともに微かな渋味と甘味が口内を満たした。

 フィルファリアではあまり経験した事のない味だが嫌ではない。


(甘い物が欲しくなるのう……)


 オルフェスがそんな風に考えていると、メイドが口直しに同じキョウ国の菓子を乗せた皿を机に置いた。

 笑みを浮かべたオルフェスがそれを一口食べ、味わってから茶の湯を口に含む。

 菓子の甘さとお茶の渋味が絶妙に合い、オルフェスが思わず顔を綻ばせた。


「これはいいな……キョウ国の茶には専用のカップがあったハズ……確かユノミとか。今度探してみるかのぅ……」


 満足そうに唸るオルフェスに、歳若い執事が報告を続ける。


「最後に、本日のトルキス家の方々の出来事ですが……」

(そう言えば、ウィルがそろそろ魔法の練習を始めるとシロー殿が申しておったが……)


 胸中に一番幼い孫の事を思い浮かべながら、オルフェスがティーカップに口を付けた。


「……ウィルベル様が多重障壁を習得なさったそうです」

「ぶっ……! あっつぁ!!」


 噴き出したオルフェスの顔に熱い茶の湯がかかった。

 メイドが慌てて冷たいお絞りをオルフェスに手渡す。


「おまっ……ちょ、レギス! なに言ってんのっ!?」

「いえ、旦那様。報告書にはそのように書かれてありますが……」


 レギスと呼ばれた執事から報告書を引っ手繰るように取り上げて、オルフェスが頭突きを食らわさんばかりに報告書を睨みつけた。


『本日、ウィルベル様が魔法練習を開始。

 物理障壁を覚えさせようとしたら、同時に魔法障壁も覚えてしまい、ついでに多重障壁を習得してしまいました』


「ついでに、って……」


 報告書の一文を読んで、オルフェスが大きな溜め息をついた。

 そのまま椅子に深く腰掛ける。

 一緒にいたメイドに報告書を手渡すと、彼女もその一文を読んで苦笑いを浮かべていた。


「これはこれは……あの娘達も大変そうですわね」

「どう見る、エリス?」


 オルフェスの問いかけに、メイドが指を頬に当てて考え込む。


「最近あまりウィルベル様にお会いしておりませんので、なんとも……」

「じゃったな……」


 オルフェスは背もたれに体を預けたまま、目を瞑った。

 孫の成長は嬉しい。

 だが、ウィルの場合、些か性急に過ぎる。

 心配が先立つのも無理からぬ事であった。


「それから、旦那様……」

「まだ何かあるのか?」


 目を閉じたままのオルフェスに、エリスから報告書を受け取ったレギスが続きを読み上げる。


「ウィルベル様の成長ぶりに興奮したメイドが一名、抱きつこうとして障壁に激突し、頭部に軽症を負ったようですが……いかが致しましょう?」

「儂、知らんがな……」


 力無く呻いたオルフェスにレギスは「かしこまりました」と応えて、本日の報告を終えた。



▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽



「ここですわね……」

 大きな門の前に立ったエリスが少し離れた場所にある屋敷を見上げる。

 それから門の脇にある守衛室へ視線を向けた。


「ごめんください」

「おっ……どこの別嬪さんかと思ったらエリスさんでしたか」


 四十過ぎた人の良さそうな糸目の男が口の端を上げる。


「相変わらず、お世辞が上手ですね。ジョンさん」

「見慣れぬ私服姿でしたので、ね。眼福です」


 ジョンは立ち上がると守衛室を出て、門の前で待つエリスを眺めた。

 年の頃の美しい顔立ちに白のワンピース姿がよく似合う。


「不審者に目を光らせるだけじゃなく、たまにはいい女も見ておかないとね」

「もう……あの娘達が聞いたら怒りますよ?」

「うちのメイド様方はまだ小娘でさあ……それに、王子に首ったけなんでね」


 肩を竦めてみせるジョンにエリスがクスクスと小さく笑った。

 門を通されたエリスがジョンのエスコートで屋敷の入り口までたどり着く。


「おーい、誰かいねぇかい」


 扉を開けて玄関ホールをのぞき込んだジョンの前でとててて、っと走るニーナが足を止めた。


「ジョンおじさん! と、ああっ!?」


 ジョンの隣に立つエリスを見ると、ニーナが笑顔で駆け寄ってきた。


「エリスさん!!」


 ぴょんとジャンプして抱きついてくるニーナをエリスが優しく受け止める。


「あらあら、いけませんよ。淑女がこんな事をしては……」

「えへへへ……」


 やんわりと嗜められて、ニーナが照れ笑いを浮かべた。

 程なく、賑やかさに気づいたのかアイカが玄関ホールに顔を出した。


「おーい、メイド。お客様だぞー」

「エリス先輩! 申し訳ございません!」


 慌てた様子でアイカが駆け寄ってくる。


「いいのよ、アイカ。たまたま近くを通っただけですから……」


 嘘である。

 本当はいつまでもウィルの心配をして、ついにはのたうち回り始めたオルフェスに押し切られる形で非番の日にこうして出向いたのであった。


「ジョンさんもすぐに呼んでくれればいいものを……」

「呼んだよー。んな父を邪険にすない」

「仕事中は父娘持ち込み禁止、ってあれ程!」

「まぁまぁ……」


 エリスがやんわりと間に割って入る。

 ニーナもぽかんと二人の顔を見上げていた。


「それで、セレナ様とウィルベル様は?」

「セレナ様は学舎に通われておいででミーシャが迎えに行きました。ウィル様はセシリア様とご一緒かと」


 居住まいを正したアイカが二人の居場所を伝える。


「それではセシリア様に挨拶しに参りましょうか」


 守衛室へ戻るジョンを残して、三人はセシリアのいるリビングへと向かった。



「あら、いらっしゃい。エリス」


 リビングのソファーに腰掛けていたセシリアがエリスに気付いて人の良さそうな笑みを浮かべる。


「ご無沙汰しております。セシリア様」


 礼儀正しくお辞儀するエリス。

 その様子にセシリアが笑みのまま、少し困った表情になった。


「身内同然のあなたにそんなに畏まられると、なんだかこそばゆいわ」

「ふふふ……」


 二人の付き合いは長く、セシリアにとってエリスは妹のような存在だ。

 エリスもそれが分かっているからセシリアがこういう挨拶にこだわらない事をよく知っていた。

 とはいえ、そこは礼節なのである。


「だれぇー?」


 ソファーから顔を出し、キョトンとした表情で見上げてくるウィルにエリスが腰を屈めた。


「ご機嫌麗しゅうございます、ウィルベル様。オルフェス様のお側仕えのエリスでございます。覚えていらっしゃらないかしら?」

「ふぇっ?」


 エリスとウィルは初対面ではない。

 しかし会っているのは年始の挨拶の時くらいなものだ。

 幼いウィルには印象に残ってないのかもしれない。


 思い出そうと考え込んでしまったウィルの頭をエリスが優しく撫でた。

 このまま悩ませるのも気が咎めるので、エリスがウィルの顔を覗き込んで違う事を質問する。


「ウィルベル様はなにをしてたのかなー?」

「ごほん、よんでもらってましたー」


 脇に置かれていた絵本を翳してみせるウィル。


「また精霊王の絵本? ウィル、好きね……精霊王」


 ニーナの呆れ声にセシリアが苦笑する。


 精霊王は昔話のメジャーなタイトルの一つであった。

 いつの頃から伝わった話であるのか分からないが、世界各地に様々な話があり、数多くの作家が精霊王を題材に話を書いている。

 絵本や小説、演劇などジャンルは多岐にわたる。


「ウィルは将来、精霊王になるのかしら?」


 セシリアが冗談めかして言うと、ウィルは両手を上げて「せーれーおーになります」と答えた。

 それから気がついたように顔を上げ、


「まほーのれんしゅー!」


 キラキラとしたやる気の満ちた目で立ち上がった。


「もう少し待ってね。セレナが帰って来てからね」

「せれねーさま?」


 セシリアに悟されて、ウィルがソファーに座り直す。


「まってるー」


 手にした絵本をペラペラと捲り、上機嫌で鼻歌を歌い出した。

 その横顔を微笑んで眺めていたエリスが視線をセシリアに向ける。


「これから魔法の修練ですか?」

「ええ。最近は三人揃ってから始めているわ」


 セシリアは答えて、ウィルの頭を撫でた。


「セシリア様、よろしければ私も子供達の修練を見学させて貰えませんでしょうか?」

「ええ、よろしくね」


 突然の申し出であったが、セシリアにしてみれば信頼の置ける人間が我が子を見てくれると言うのだ。

 嫌がる筈もない。


「奥様、エリス先輩、お茶をお持ち致しました」


 リビングに姿を現したマイナが二人の前に紅茶を、ウィルとニーナの前にジュースを並べた。


「マイナ、頭の傷は大丈夫?」

「うっ……」


 澄ました顔で訊ねるエリスにマイナが言葉を詰まらせる。


「元気があるのは結構ですが、もう少し落ち着きなさい」

「はい……」


 エリスの忠告にシュンと肩を落とすマイナ。

 すると、それを見たウィルが立ち上がってマイナのスカートにしがみついた。


「まいな、まだいたい? なでなでしよっかー?」

「大丈夫ですよ、ウィル様」


 マイナがしゃがんでウィルの頭を撫でると、ウィルもお返しとばかりにマイナの頭を撫でた。

 微笑ましい光景にリビングの空気が和む。

 と、そこへ学舎から帰ってきたセレナとミーシャがレンとトマソンを伴ってリビングへ入ってきた。


「ねーさま! せれねーさま、おかえりなさいました!」


 勢いよく立ち上がったウィルがセレナの方へ駆け寄った。

 そのまま身を屈めたセレナの腕の中へ飛び込む。


「ただいまぁ、ウィル」


 セレナが笑顔でウィルをぎゅっ、と抱き締める。

 ウィルも抱き締めてくる姉にご満悦な様子で抱き返していた。

 ニーナもセレナに駆け寄って「おかえりなさい、セレナ姉様!」と明るく出迎える。


「さぁ、ウィル! 準備はいい?」

「とっくんのおじかんです!」


 ニーナの言葉にウィルが元気よく答えて手を上げた。


「はいはい。それじゃあ、お姉ちゃんも準備するわね」


 興奮気味なウィルに苦笑しながらセレナがウィルの手を取る。

 反対側の手をニーナと繋ぎ、三人並んでリビングを後にした。


「本当に仲がよろしいんですね……」

「お陰で助かってるわ」


 子供達の背を見送りながらエリスが呟くと、セシリアも嬉しそうに目を細めた。

 本来の年の頃なら喧嘩の一つや二つありそうなものだが。


「子供達が言い争っているところなど、見た事もありませんな」


 トマソンも満足げに頷く。


「いつも心を和ませてくれる〜、素敵なご姉弟です〜」


 ミーシャのおっとりした口調にエリスが振り返り、ミーシャの顔をまじまじと見つめた。


「ミーシャ……あなた、寝れてないの?」

「いえいえ〜」


 のんびりした喋り方をする娘だという事はエリスも知ってはいるが、原因はそこじゃない。

 振り向いたミーシャの目の下が少し黒くなっている。


「くまができてますけど?」

「いえいえ〜」


 ミーシャの口調は相変わらずだったが、柔和な顔立ちは自信に満ち溢れていた。


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