ウィルVSグラム(前編)
「ほーらほら、どんどん行くぞぉっ!」
「ちっ……」
モーガンが襲い掛かってきた狼を横薙ぎに斬り払って舌打ちする。
グラムの戦略は単純な物量作戦だ。
次から次へと魔獣を繰り出し、こちらを押し潰そうとしている。
マーダーグリズリー以降、高ランクと呼べる魔獣は出てきていない。
しかし、押し寄せる魔獣の対処でマーダーグリズリーを相手取っているラッツの援護まで手が回らない状況だ。
このままでは、いずれ疲弊して全滅してしまう。
(潮時、か……)
アイカが入れ替わるように前へ出た隙に、モーガンはチラリとセシリアを振り返った。
セシリアはラッツの後方支援をしており、モーガンに気付いていない。
モーガンにはこの状況を五分に戻せる魔法がある。
ゴーレム生成の魔法だ。
人を優先して襲おうとするマーダーグリズリーには効果が薄いかもしれないが、他の魔獣は押さえ込める。
問題があるとすれば、庭の土を使ってゴーレムを生成する為、芝生がめちゃくちゃになる事だが――
(……後で謝ろう)
もはや四の五の言っている場合ではない。
誰かが死んでからでは遅いのだ。
モーガンが開き直って魔法を使おうとした時、視界の端に近づいてくる何かが映った。
「なっ……!?」
モーガンが思わず目を見開く。
てくてくと、短い手足を動かして、ウィルがこちらに向かって歩み寄ってきていた。
両脇には風の精霊と土の精霊、その後ろからはセレナとニーナが付いてきている。
「誰か止めろ!」
モーガンが短く叫んだ。
気付いたセシリアやローザが動こうとするが、戦闘支援で手を空ける事が出来ない。
「ウィルッ!」
セシリアが声を上げるが、ウィルは振り向かなかった。
その代わり、セレナとニーナが振り向いて、困ったような笑みを浮かべる。
セレナがセシリアへ、何かを伝えるように首を横に振った。
セレナは年に似合わず聡明な娘だ。
間違っても危険な場所に近付こうとする弟や妹を放っておいたりしないし、自ら近付こうともしない。
そんな信頼している娘が困り果てて首を振っている。
セシリアは直ぐに何があったのか思い至った。
ウィルの癇癪だ。
自分やシローですらどうにもならなかったのだ。
セレナやニーナでは止められなかったのだろう。
しかし、子供達が危険に向かうのをただ黙って見送るわけにはいかない。
「ウィル! 戻りなさい!」
「ウィル様っ!」
「アイルッ! 何やってる! 連れ戻せ!」
「了解っ!」
気付いた者達が騒然となる中、さらなる魔獣の群れが押し寄せた。
直ぐに手一杯になったセシリア達は結局ウィル達には近付けない。
「おんやぁ?」
その様子に目をつけたグラムがニタリと厭らしい笑みを浮かべた。
ウィル達は構わず、グラムを見据えて近付いてくる。
「これはこれは、魔法が得意なお坊ちゃんではないか。お母様のお手伝いに来たのかな〜?」
グラムの言葉に取り巻きの騎士達が嘲笑を漏らす。
先日、グラム達はウィルが魔法を使うのを遠目に見ていた。
ウィルが魔法を使える事は知っている。
知った上で、この場で何ができるのかと見下していた。
「おやめなさい! グラムッ!」
焦燥に駆られたセシリアの声が響く。
それを心地よく受け取ったグラムの目が喜色に歪んだ。
「ほーら、お母様のお手伝いだぞ〜?」
グラムの翳した魔道具から狼の魔獣が姿を現す。
砂漠に生息するデザートウルフだ。
デザートウルフ自体は一般的な魔獣で、冒険者ギルドの討伐ランクも3と低い。
群れをなしても4がいいところだ。
それでも、その牙や爪は子供にとって脅威である。
デザートウルフは召喚されたと同時にウィル達を目掛けて走り出した。
鋭い牙を剥き出して、口周りを唾液で溢れさせながら、子供達を獲物と定めて。
「ウィルーッ!」
我が子に迫る魔獣を見て、セシリアが叫ぶ。
先頭にいたウィルは上目遣いで近付いてくるデザートウルフを睨み付けていた。
グルルルルルッ!
デザートウルフがウィルに飛び掛る。
合わせてウィルがベルくんの杖を持ち上げた。
距離が近い。
魔法の詠唱はもう間に合わない。
しかし――
「じゃまっ!」
短く叫んだウィルの杖から緑色に輝く魔法の光が溢れ出した。
バシュンッ――!
光は一条の閃光と化し、一瞬にしてデザートウルフを飲み込んだ。
「……………………は?」
グラムが間の抜けた声を上げる。
その頭上を弾き飛ばされたデザートウルフが血を撒き散らしながら飛び越えていった。
ウィルは健在だ。
そして、デザートウルフは庭の外まで吹き飛ばされて、二度と戻ってくる事はなかった。
「えっ…………?」
それを見ていた者は何が起きたのか、理解できなかった。
分かったことといえば、ウィルが無詠唱で魔法を放ち、デザートウルフが吹き飛んだ、という結果だけだった。
何の魔法を使い、何でデザートウルフが吹き飛んだのか、さっぱり分からなかったのである。
見る者が見れば、ウィルが無詠唱で放ったのが【暴風の直槍】と呼ばれる魔法で、瞬間的に開放した魔力を抑えきれず、突き刺す筈だったデザートウルフが吹き飛んだという事に気付いたかもしれない。
「つ、強過ぎよ、ウィル? もう少し、絞って……」
風の精霊がアドバイスすると、ウィルは一度強く頷いた。
フンフンと鼻息が荒い。
怒っているのだ。
ウィルはまた前進を始めた。
てくてく、と。それに精霊達と姉達が付き従う。
もう何かを言う者はいなかった。
魔獣でさえ、目の前の敵ではなく近付いてくるウィルに警戒心を向けていた。
グルアアアアッ!
ウィルの魔法を見て、興奮したマーダーグリズリーが咆哮を上げた。
ラッツに対する攻撃の圧力が一段増す。
「くっ……コイツ!」
ラッツは悟った。
マーダーグリズリーは突破を計ろうとしている。
ウィルに目を付けたのだ。
マーダーグリズリーがラッツを横薙ぎに振り払おうと腕を振り回す。
ラッツは突破を許さないようにマーダーグリズリーの正面に位置取るしかなかった。
道を譲れば、この殺人熊はウィルまで一直線だ。
しかし、それは身軽さを信条とするラッツの選択肢を狭める結果にしかならない。
ラッツがじわじわと後退を余儀なくされる。
「うー……!」
その様子はウィルの目にも映っていた。
(また、じゃまするー!)
ウィルは頬を膨らませて唸ると、ベルくんの杖を構えた。
今度は魔獣との間に十分な距離がある。
「らっつさん、どいてー!」
「んな、わけには……!」
ウィルの声に、ラッツがマーダーグリズリーの爪を回避しながら応えようとする。
だが、次々と繰り出される凶悪な爪の斬撃は、ラッツに振り向く間を与えない。
だから、ラッツを動かしたのは次に響いたセシリアの声だった。
「ラッツさん! 射線から出て!」
射線。ラッツはすぐに状況を理解した。
ウィルが何かの魔法を使おうとしている。
その射線上にマーダーグリズリーを抑えている自分がいるのだ。
しかし、幼いウィルに任せて大丈夫なのか。
その判断が今のラッツには出来ない。
自分が退けば、間違いなくマーダーグリズリーはウィルに襲い掛かる。
「ええいっ!」
ラッツはセシリアの判断を信じた。
半ばヤケクソ気味に体を横に投げ出す。
障害を取り除いたマーダーグリズリーが躊躇なくウィルへと走り出した。
我が子に迫る殺人熊を通せとは、母としてどうかとも思う。
だが、セシリアは不思議と安心していた。
ウィルは大丈夫だ、と。
考えてみれば、ウィルの横には精霊達がいて、セレナやニーナも一緒にいるのだ。
ウィルの事が大好きなセレナ達や、ウィルの事を気に入ってくれている精霊達が本当に危険だと判断したのなら、ウィルを魔獣の方へ行かせたりしない。
(大丈夫……子供達は精霊様に護られている……)
セシリアの想いを証明するかのように、風の精霊がウィルの杖に手を添えた。
満たされた風の魔素が緑色の燐光を発して、ウィルと風の精霊を包み込む。
マーダーグリズリーがそんな二人の前で立ち上がって、両腕を広げた。
「ウィル! 今よっ!」
風の精霊の合図を受けて、ウィルの目に力が篭もる。
杖を真っ直ぐ殺人熊に向けて、ウィルが魔法を詠唱した。
「したがえあじゃんた! ぼーふーのちょくそー、わがてきをつらぬけかぜのこーじん!」
ウィルの掲げた杖の先から一条の緑光が伸びる。
緑光は腕を広げたマーダーグリズリーの腹部に突き刺さり、そのまま貫通した。
背に突き抜けた緑光の刃が殺人熊を磔にする。
マーダーグリズリーの腕が力無く宙を掻いた。
口からゴボゴボと血の泡を吹きこぼし、力尽きると、マーダーグリズリーは沈黙した。
魔法が魔力を失って、緑光の刃が消える。
「じゃ、ま!」
ウィルは鼻息を荒げたまま、杖を下ろした。
胴体に大きな風穴を開けたマーダーグリズリーが、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
響くような大きな音を立てて、巨体が地面を揺らした。
(………………んん〜?)
周りの人々が呆然と成り行きを見守る中。
想い通りウィルが無事だった事に笑みを浮かべようとしたセシリアは、そのままの表情で固まった。
ウィルの使った魔法、【暴風の直槍】は風の攻撃魔法としてはポピュラーなものだ。
先日、ウィルが精霊の助けを借りて習得している事はセシリアも聞いている。
今回も精霊の力を借りて発動した【暴風の直槍】は、属性魔法より高威力だった。それはいい。
問題は魔法の始動に使われた言葉である。
ウィルはなんと言っていたか。
したがえあじゃんた? したがえ?
したがえ、あじゃんた?
従え? あじゃんた? ん? あじゃんた?
ウィルの言葉の意味を拾いながら、セシリアや使用人達、【大地の巨人】のメンバーがウィルと風の精霊に視線を向ける。
マーダーグリズリーの方を向いたままのウィル。
その背を守るように立つ風の精霊がチラリとセシリアの方を見やり、目が合って、慌てて視線を逸した。
遠目からでも耳まで赤くなっているのが分かる。
ああ、と。
セシリアは何かがストンと腑に落ちるのを感じた。
従え、アジャンタ。
ウィルはそう言ったのだ。
つまり、風の精霊はウィルに真名を教えたのだ。
ウィルの力になる為に。
それは精霊達にとって生涯を伴にあるという誓い。
特に、精霊をお嫁さんにすると言外に宣言したウィルに対する誓いの意味は「あなたのプロポーズをお受けします」だ。
ウィルを護るわけである。
とはいえ、ウィルはまだ三歳。
いきなり何か進展がある筈もない。
(どう受け止めていくかは、今後決める事になるのかしら……?)
先を思いやって、セシリアは思わず苦笑した。
まさか、三歳の我が子のお嫁さん候補について悩む日が来ようとは。
その我が子は、憤りを隠そうともしないで地団駄を踏んでいた。
「もー! なんでうぃるのじゃまするのよー!」
見れば、ウィルを警戒した魔獣達がウィルを遠巻きに囲んでいた。
その先に呆けるグラム達がいて、行く手を遮られる格好になっている。
狼の魔獣を消滅させても、高ランクの殺人熊に風穴を開けても、ウィルの気は晴れない。
「じゃまなのー!」
静まり返るトルキス邸の庭に、魔獣を威嚇するウィルの怒声だけが響き渡っていた。




