避難所からの反撃
中通りと垂直に交わる東通りは中通りに比べて被害が少なかった。
エジルとブラウンが精度の高い索敵を繰り返し、ラッツが障害となる魔獣を速やかに排除する。
ポーとスワージの避難誘導もスムーズに行われていた。
その最後尾にウィル達を抱えたモーガンがつく。
「はわー……」
モーガンの腕の中で、ウィルは塀を蹴り、壁を駆け、屋根を渡るラッツを見て感嘆の声を上げた。
「すごーい」
隣りで抱えられている少女も目を見開いてラッツの姿を追っていた。
「ありゃあ、風属性の軽業ですかね。ブースト系なんで真似しちゃダメですよ?」
モーガンが釘を差してくるのでウィルは素直に頷いた。
横で少女がクスクス笑う。
(しかし……)
通りを駆け抜けながら、モーガンは道の脇に放置された魔獣の死骸を見やった。
そこには茶色い毛並みの狼の死体が転がっていた。
(ジャイアントスパイダーにジャイアントアントにデザートウルフだと? いったいどうなってやがる……)
目にした魔獣の不自然さにモーガンが心の中で舌打ちする。
三種類とも生息域がバラバラなのだ。
ジャイアントスパイダーは森の奥、ジャイアントアントは荒野、デザートウルフは砂漠。
魔獣の侵攻を許したにしては出鱈目だ。
「リーダー」
避難誘導を終えたスワージとポーがモーガンに合わせて並走してきた。
モーガンは自分の疑問を二人に尋ねることにした。
「魔獣の事、どう思う?」
「……生息域の事ですか?」
微かに黙考した後、スワージが聞き返してくる。
「見かけた魔獣はどれもフィルファリア王国では見かけない魔獣ですよね」
「どこからか侵入してきたにしてはおかしいッス」
ポーも同意見なのか、走りながら頷いた。
「まるでどこからかテキトーに集めてきたみたいッス」
そうなのだ。
種類も場所も規則性がなく、この近辺の魔獣ですらない。
かといって希少な魔獣はなく、その土地に行けば普通に目にかける類いの魔獣だ。
まるでどこからか持ち込んだような印象を受ける。
(召喚魔法……? いや……)
モーガンは即座に否定した。
出食わした状況がモーガンの知る召喚魔法の条件に当てはまらなかった。
「嫌な予感がするな……」
モーガンがポツリと呟く。
何かとんでもない事に巻き込まれているような、そんな予感。
それを聞いたスワージとポーが露骨に嫌な顔をした。
「やめてくださいよ、リーダー」
「そうッスよ! リーダーのカン、不吉な時には当たるんスから!」
カンなんてそんなもんだろ、と言いたげな表情を浮かべるモーガンだったが、二人には思い当たるフシがあるようだ。
「あっ! あいかとまいなとえりすだー!」
ウィルの声に顔を上げると、トルキス邸の門の前に武器を携えた三人のメイドが立っていた。
周りに何匹か魔獣の死骸が転がっているところを見ると、彼女らも一戦しているようだ。
先にウィルの分身で生存は確認できていたのだろう。
彼女らの表情は安堵というより笑顔に満ちていた。
「ただいまー」
呑気なウィルをモーガンから譲り受けたアイカがギュッとウィルを抱き締めた。
胸に顔が埋まる。
「ウィル様、無事で本当によかった……」
「むぅむぅ」
ひとしきりウィルを愛でたアイカがウィルを隣りのエリスへ送る。
「本当に心配したんですよ? ウィル様」
「むぅむぅ」
エリスも同じようにウィルを抱き締め、背中を撫で擦る。
ウィルはアイカより少し大きめな胸の中へ埋まった。
更にウィルがエリスからマイナへと送られる。
「あーん、ウィル様、怖くなかったですか? マイナがいい子いい子してあげますからねー!」
「むぅむぅむぅ!」
マイナに抱き締められるとウィルの顔がエリスと同程度あるマイナの胸に埋まった。
マイナはそのままウィルの頭を撫でて頬擦りまでしだした。
逃げることもできず、ウィルが藻掻く。
その様子を呆然と眺めていたモーガンはハッ、と我に返った。
「ここは俺達が見ておくから、ウィル様とお嬢さん方の避難を……」
モーガンが横にいたアイカに話を振る。
モーガンの横でアイカは難しい顔をしていた。
難しい顔をして、自分の胸を寄せて上げていた。
まるで「自分だってないわけじゃないんだから」と自己主張する様に。
「あの……」
「はぅっ!」
頬をポリポリ掻いて視線を逸らすモーガンに、赤面したアイカが慌てて居住まいを正した。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫です! お客様に門を守らせるなんてとんでもございません! ここは私達が! ですからモーガンさんがウィル様達をセシリア様の下へ……」
「あー、いいからいいから、そんな事は。俺達も世話になってるし、こんな状況だしな。今更だろ」
モーガンはアイカの言葉を遮って抱えていた少女をアイカに託した。
それからアイカの肩を掴んで後ろを向かせる。
「早く奥様を安心させてやってくれ。クレイマンに人を安心させる能力はついてないんでな」
「……分かりました」
アイカがクスリと笑って、視線をマイナに向けた。
「マイナ、いつまでやってるの? ウィル様、苦しそうでしょ! モーガンさんが門の見張りを交代して下さっている内にウィル様達を中へ案内するわよ! ささ、エリス先輩も……」
「了解よ、アイカ。それではモーガンさん、宜しくお願いします」
エリスは深く腰を折って一礼すると、ウィルの分身から降りた女性とメイドを連れて門の中へ入っていった。
「ああ〜、ウィル様〜♪」
「むぅむぅ!」
最後にウィルを堪能しながらマイナが、その後に付いてウィルの分身達が門をくぐる。
【大地の巨人】の男メンバーはウィル達の姿が見えなくなると小さくため息を吐いた。
「ウィル様、羨ましいッス……」
ポツリと本音を漏らすポーに、赤面したスワージがわざとらしく咳払いをする。
そんな部下の様子を見て、モーガンも同意とばかりに苦笑いを浮かべた。
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トルキス家の庭は簡易の避難所と化していた。
避難してきた住民をセシリアが快く受け入れたのだ。
その中にウィルの分身の姿もあり、屋敷に残っていた者達もウィルの無事が確認できた事で幾分余裕が持てていた。
屋敷に入ったウィル達はそのまま庭の方へ案内された。
「ウィル!」
「かーさま!」
ウィルに気付いたセシリアが慌てて駆け寄ってくる。
ウィルもマイナから降ろしてもらうと、短い手足を懸命に動かしてセシリアに駆け寄った。
そのまま二人で抱き合う。
「ウィル……本当に無事でよかった……」
安堵の涙を零すセシリアにウィルの胸がチクリと傷んだ。
「かーさま、ごめんなさい……」
しゅん、と肩を落とすウィル。
セシリアはその頭を優しく撫でて、ウィルを胸の中で抱き締めた。
「いいのよ、ウィル……でも、今度からは出かける前に声をかけてね」
「あい……」
ウィルは頷いた。
セシリアは笑顔で頷き返すと、自らの涙を拭って立ち上がった。
「ウィル、今は大変な時なの。私は怪我した人を見て回らなければならないわ。ウィルはセレナの言う事をよく聞いて、お利口さんにしていられるわね?」
「かーさま、うぃる、てつだうー」
強い意志を漲らせるウィルにセシリアはキョトンとしたが、やがて優しい笑みを浮かべてウィルの頭を撫でた。
「ウィルはここまでよく頑張ったわ。だから今度は母様達が頑張る番よ」
ウィルは休んでいなさい、と言うセシリアにウィルは渋々頷いた。
「さあ、ウィル様、こちらですよ」
マイナに付き添われて、ウィルが子供達の方に誘導されていく。
「ウィル……」
セシリアは聞いていた。
ウィルが魔法で大蜘蛛を退け、瀕死の重傷を負っていた者を癒し、住民の避難を助けた事を。
色んな人に感謝され、ウィルを褒められる事は母親としてとても嬉しい事だ。
しかし、ウィルはまだ小さな子供なのだ。
魔法が使えるといってもまだまだ大人達にとって守るべき存在なのである。
「セシリア様」
ウィルの背を見送るセシリアに歩み寄ってきたガイオスが声をかける。
「ご苦労様です、ガイオス騎士団長」
「はっ!」
労うセシリアにガイオスが背筋を伸ばす。
その様子にセシリアが思わず笑みを浮かべた。
「そんなに畏まらないでください。私は貴方の部下の妻なのですから」
「……まったく、お人が悪い」
ガイオスは苦笑いを浮かべるしかなかった。
本来、セシリアの貴族としての地位はガイオスより上なのである。
シローと結婚し、爵位を頂かなかった為、現在の爵位が逆転した形になっているのだ。
しかも、そのシローはガイオスの部下。
かといって、セシリアが公爵家御令嬢という事実が消えるわけではない。
ややこしい。
もっとも、その辺の感想を出汁に談笑している場合ではない。
ガイオスは再び畏まってセシリアに告げた。
「逃げ延びた騎士の再編が完了致しました。すぐにでも出撃します」
「分かりました……」
セシリアが静かに頷く。
それから視線を空へと向けた。
タイミングよく人影が舞い降りてくる。
《ウィルのお母様〜!》
風の精霊の少女がセシリアとガイオスの前に降り立つ。
屋敷に残った者達もただ待っていたわけではなかった。
状況を正しく理解しようとし、精霊の力を借りて情報収集をしていたのである。
精霊は本来人間を警戒するものだが、彼女はすっかりトルキス家の面々と打ち解けていた。
「お帰りなさいませ、精霊様」
《エヘヘ……》
丁寧に出迎えるセシリアに、精霊の少女が照れ笑いを浮かべる。
「少々、お待ち下さいね」
セシリアはそう言うと、レンの姿を探した。
精霊の少女に情報収集をしてもらう事を提案したのもレンである。
「ウィル様ぁっ!」
「おかえりなさ~い、ウィル様〜」
「ご無事で何よりです、ウィル様」
「心配したんですよ、ウィル様」
「むぅむぅ!」
セシリアの視線の先ではウィルが揉みくちゃにされていた。
メイド達――レン、ミーシャ、ステラ、ローザに代わる代わる抱き締められている。
背後で《ああっ!? 私のウィルが!》と喚く精霊の少女の声を聞きながら、セシリアは苦笑いを浮かべた。
ウィルが愛されているのはいい事だが、開放されたウィルはフラフラしている。
まあ、使用人達にも心配をかけた罰かな、とセシリアは納得した。
レンはセシリア達に気付くと、ウィルに何事か声をかけてセシリアの下へ駆け付けた。
「ありがとうございます、精霊様。それでどうでした?」
《えーっとね、……》
精霊の少女が見てきた事を伝え始める。
魔獣被害は外周区でのみ発生している事。
魔獣が門に詰めかけている事。
その魔獣をけしかけている人間がいる事。
「と、言う事は、これは召喚魔法によるテロという事ですか?」
ガイオスの疑問に精霊の少女が眉を寄せる。
《うーん……多分、魔法じゃない、と思う》
少し自信なさげだが、精霊の少女は自分の中にある情報を確認するように続けた。
《召喚魔法って、最低限意思の疎通が出来る相手でないと喚べないって聞いた事があるわ。蟻だの蜘蛛だの、精霊を見るなり捕食しようとしてくるような相手を呼ぶような魔法はないと思う》
「えっ? ……そうなんですか?」
驚いたようにガイオスが周りを見回すが、セシリアもレンも知らなかったようだ。
二人は首を横に振った。
いきなり明かされた新事実である。
《でも、けしかける人間がいるって事は、何らかの方法で魔獣を従えている筈よ。これは、多分……》
「人の手による王都襲撃……」
セシリアが精霊の少女の言葉を継ぐ。
だが、疑問が残る。
召喚魔法でないのなら、あの魔獣の群れはどこから侵入したのか。
精霊の少女が見た限り、外から侵入した形跡はないと言う。
魔獣を移送できる魔道具など聞いた事もないし、外からこっそり持ち込む事も不可能だろう。
もう一つ。
フィルファリア王国の治安は他の国と比較しても高水準にある。
また、領地の接している二つの隣国があるが、片方は建国以来の同盟国、もう片方は停戦協定を結び、近々同盟を結ぼうかという程、関係が改善している。
その観点から見ると、王都のど真ん中でテロを起こして利する者が思い当たらないのである。
「考えるのは後に致しましょう」
レンの言葉にセシリアが顔を上げた。
どのみち、首謀者を捕らえ、解き放たれた魔獣を駆逐しない限り、何一つ明らかになる事はない。
この騒動が人の手で行われていると分かっただけでも進展があった。
それはそれで許せる事ではないとしても。
「そうですね」
頷くセシリアを確認して、レンが精霊の少女に向き直る。
「では、精霊様。街の状況を……」
レンに促されて、精霊の少女が頷いた。
《魔獣はこの区画に放たれているけど、魔獣を従えた人間は門に集中してるみたい。街に続く門はウィルのお父様と風の幻獣が守ってたわ。お城に続く門は騎士達が守ってたけど、魔獣が多くて苦戦してた。ウィルのお父様は流石ね!》
精霊の少女にシローを褒められ、セシリアが嬉しそうに表情を綻ばせ、ガイオスが力強く頷いた。
レンは当然だと言わんばかりの表情だ。
「私がシロー殿と別れた時、彼は街側の門へ向かいました。街側に被害が出ていないのはそこで分かる筈なので、そのまま、門の防衛に回ったのでしょう」
「シローが並の魔獣に遅れを取るとは思えません。ここは城側の騎士達に加勢して状況の改善を図るのが効果的かと……私が行って参ります」
ガイオスの言葉を継いでレンが提案する。
トルキス邸に残った者達はただ指を咥えて待っていた訳ではない。
反攻の機会を静かに伺っていたのだ。
ガイオスはレンの提案に強く頷き返した。
「心得た。では、私は騎士隊を指揮し、シロー殿の援護に向かおう。市街区からの応援が来れば、私がいた方がいいだろう。よろしいですか、セシリア様?」
ガイオスがセシリアに最終確認を取る。
この場の指揮はセシリアが取っていた。
戦場での動きはレンやガイオスの方が慣れている上、的確だが、セシリアも無知ではない。
彼女には貴族の嗜みとして、戦場で指揮を取る知識があった。
経験不足は否めないが、周囲の意見に耳を貸し、経験不足を補えるだけの思考の柔軟性を彼女は持っている。
何より、公爵家令嬢であり、人と分け隔てなく接する器量の優れたセシリアが指揮を取ることは避難してきた住民達にとって心の拠り所となっていた。
戦闘経験の豊富な者を前線に出したい現状において、セシリアを指揮者に据えるのは適任だったのだ。
但し、戦場へ赴かんとする友人への気遣いは、また別の話だった。
「レン、一人でも大丈夫ですか?」
セシリアがレンの表情を伺う。
レンの実力はずば抜けている。
お供をつけたとしても足手まといなのだが、セシリアは聞かずにいられなかった。
その心配を見透かして、レンが優し気な笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ、セシリア様」
「分かってはいるのだけど……引っ掛かるの。城には【地竜の加護】があって魔獣は近付けない筈なのに、どういう訳か城の方へも向かおうとしているし……」
本来なら魔獣は『地竜の加護』の影響で王都の奥に寄り付こうとは考えないらしい。
その地竜の加護がどういったモノであるのかを知っているのは王族と一部の人間だけだが、加護があるのはお伽噺として子供達でも知っている。
王都レティスが今も尚、繁栄し続けているのはこの加護によるものも大きい。
加護の内容を知るセシリアとしては、絶対の信頼を寄せるそれが効果を発揮していないというのは不安以外の何物でもなかった。
そこへ友が向かうとあれば、尚更だ。
レンは表情を曇らせるセシリアの肩にそっと手を置いた。
「レン……」
「大丈夫。任せて」
レンの言葉に気を持ち直したセシリアが頷く。
「レン殿。中通りでトマソンさんとジョン様が魔獣を討伐している筈です。二人が苦戦しているようであれば助太刀を……」
ガイオスの言葉にレンは頷いて返した。
もっとも、レンはトマソンとジョンの実力を知っている。
そうそう遅れは取らないと踏んでいた。
「行ってまいります」
レンはセシリアに短くそう告げると、一礼をして庭を後にした。
アイカさんは真面目でいい娘ですよ、ホント。