救出戦、開始
少し残酷描写があります。苦手な方はお気を付けください。
キィィィィィ!
ポイズンスパイダーが鳴き声を発して建物の屋上から飛び降りた。
「下がって!」
見上げるウィルに駆け寄ったエジルが半ば強引にウィルを後ろに下げさせる。
その場にいた者は皆、ポイズンスパイダーの着地点から遠ざかるように後退した。
大蜘蛛の巨体が蜘蛛の巣とウィル達の間に割り込む。
キィィィィィ!
前脚を振り上げたポイズンスパイダーが最前列にいたジョンとトマソンを薙ぎ払った。
ポイズンスパイダーの毒は唾液に含まれており、多くは噛み付いた際に流し込んでくる。
しかし、時には唾液が脚に付着していることがあり、鉤爪の一撃で感染してしまうこともあった。
ポイズンスパイダーの毒は激痛を伴い、行動力を阻害する。
それを知っているジョンとトマソンは無理に受け止めようとはせず、サイドに散るようにその一撃をやり過ごした。
ポイズンスパイダーの八つの眼が油断無くウィル達の動きを追う。
「もう少し、巣から切り離します」
「了解……」
トマソンの声にジョンが視線を大蜘蛛に向けたまま応える。
二人は必要以上に間合いを詰めなかった。
ポイズンスパイダーの後方には蜘蛛の巣がある。
不用意に間合いを詰めると蜘蛛が巣に登ってしまう可能性があり、そうなると囚われた人々が戦闘に巻き込まれてしまうのだ。
威嚇するように前脚を振り上げるポイズンスパイダーを警戒しながら、ジョンとトマソンがじりじりと後退する。
少しずつ、ポイズンスパイダーを巣から離すように、ゆっくりと。
そんな二人をエジルの影から見ていたウィルはある事に気がついた。
(ぶーすとけーだ……)
ジョンの体からは紅い魔力が。
トマソンの体からは白金の魔力が。
それぞれ溢れ、体を包んでいた。
剣士などの前衛が好んで使う身体強化系魔法である。
前衛にとっては最重要の魔法と言っても過言ではない。
身体を強化すれば、それだけで攻防力や耐久力が増す。
更に、この魔法には属性恩恵がある。
無属性だと身体を強化するだけだが、そこに属性が加わると身体強化に上乗せして属性毎の特徴を得る事が出来るのである。
ジョンの体は紅い魔力に包まれている。
あれは火属性だ。
一方、トマソンは白と金の間くらいの色合いの魔力に包まれていた。
(なんだろー?)
あまり見たことがない魔力の色にウィルが首を傾げる。
時折、パシッと弾けるようにトマソンを包む魔力が輪郭を乱していた。
「ジョン、合わせろ!」
トマソンが叫ぶと同時に微かな雷光を残して、その姿が消えた。
「てぇやぁっ!」
次の瞬間、警戒するポイズンスパイダーの傍らに一瞬で移動したトマソンが、意匠を凝らした尺の長い棍を突き立てた。
バチンという音と共に紫電がポイズンスパイダーの全身を駆け巡り、大蜘蛛が痙攣する。
(わかった! かみなりぞくせーだ!)
感電し、動きを止める大蜘蛛を見て、ウィルは理解した。
行動不能に陥ったポイズンスパイダーの前にジョンが躍り出る。
「せぇっ! はっ!」
横薙ぎに払われた初太刀が大蜘蛛の右前脚を斬り飛ばした。
切断面が火の魔力で焼かれて焦げる。
更に踏み込んだ一撃が大蜘蛛を脳天から斬り割いた。
頭を潰され焼かれたポイズンスパイダーの体が傾いで、そのまま崩れ落ちる。
ポイズンスパイダーが動く気配はない。
ポイズンスパイダーの死を表すように、蜘蛛の巣が力を失ってゆっくりと弛み始めた。
それに合わせて蜘蛛の糸で拘束されていた者達も解放され、次々と蜘蛛の巣から抜け出していく。
「た、助かった……?」
「助かったのか……」
窮地を脱した者達が己の無事を呆然と確認し、徐々に実感して喜び合う。
「やった!」
「助かったんだ……!」
喜声を上げ、中には泣き出す者もいた。
が、まだ危険が無くなったわけではない。
再び襲われては元も子もない。
「ガイオス様! きゃっ!?」
蜘蛛の巣の上の方で囚われていたリリィが悲鳴を上げた。
緩み始めた糸が急速に力を失ってリリィの体がガクンと下がる。
「おっ、と……」
落下に近い速度で降りてくる人々を下にいた者が受け止めた。
ガイオスもまた、リリィをしっかりと抱き止めた。
「大丈夫か、リリィ! 怪我は?」
ガイオスの問いかけにリリィが首を横に振る。
首に回された細い腕、肩に埋める額、密着した体が小刻みに震えていた。
一先ず、外傷がない事に安堵したガイオスが大きく息を吐く。
「では、手筈通りに」
トマソンの言葉に全員が頷いた。
「動ける者から、こちらへ!」
エジルが誘導を開始する。
場所は中通りの端の為、トルキス邸へ至る道へは直ぐに出られる。
問題はそこからなのだが、今の所ブラウンの感知には引っかかっていないようだ。
「ポー、ある程度人数が揃ったら誘導しろ! スワージ、援護してやれ!」
「「了解っ(ス)!」」
モーガンの指示にポーとスワージが避難民を集めていく。
ウィルも自分の役目を果たそうと周りを見回す。
ウィルのクレイマンは四体。
そのうち一体はウィルが乗る。
ウィルサイズのクレイマンは大きくない為、一体につき大人一人しか運べない。
「うごけないひと、いませんかー?」
ウィルの呼び掛けに貴族の女性が一人、そろそろと手を上げた。
どうやら腰が抜けているらしい。
後は泣いている女の子とそれをあやしている男の子。
兄妹だろうか。
子供ならおぶってもらえれば二人でも運べそうだ。
恰幅のいい男性も足を怪我をしているらしく、若い騎士に肩を借りていた。
「坊、先ずは力の弱い者からだ」
ラッツの指示に従って、ウィルはクレイマンに貴族の女性と子供達を運ぶように指示した。
貴族の女性を肩車し、子供達は女の子をおぶった状態の男の子を肩車した。
そのまま、二体をポー達の元へ送る。
そこで蜘蛛の巣の近くにいる者達がどよめいた。
「なんてこと……」
「ひでぇ……」
「まだ息があるわ! なんとかならないの!?」
そんな声が聞こえて、ウィルはその人だかりの方へ駆け寄った。
「駄目だ、坊! 行くな!」
嫌な予感を覚えたラッツが慌てて止めるが、もう遅い。
ウィルは隙間からそれを見てしまった。
「しっかり! しっかりして! ジェッタ!」
メイドが半狂乱になって倒れた男にしがみついていた。
ウィルはその声よりも倒れた男に釘付けになっていた。
血のシミが道に広がっていく。左腕と右足がなかった。
そこからダクダクと血が溢れ出ていた。
「ジェッタ……! メアリー……!」
リリィも口元を抑え、涙を流していた。
ガイオスに支えられながら、リリィがメイドの傍に屈み込む。
「我々の背後に囚われていたらしい……魔獣に手足を喰い千切られて……蜘蛛の糸で無理やり止血してたみたいなんだ……」
傍らに立った男性が誰に言うでもなく呟いた。
蜘蛛の糸は魔力を失い、弛緩している。
もう止血の効果は無くなっていた。
「坊、こっちへ……」
ラッツがウィルの手を取る。
呆然と見上げるウィルの視界にラッツの居た堪れない表情とトマソンの苦り切った表情が映った。
誰かが怪我をしている。
この状況は想定できた事だった。
だが、彼らもウィルを見失って慌てていたのだ。
結果として、治癒魔法を使える者を誰も連れて来なかった。
「取り敢えず、止血を……」
ジョンが促すがメアリーと呼ばれたメイドは心を乱したままだ。
その様子で、誰もが二人の関係を推測できた。
「ジョン……作戦に変更はありません」
「分かってる……」
トマソンの声に、ジョンはメアリーから視線を外さず答えた。
彼も最愛の者を亡くした身だ。
それがどれほどの事か、理解している。
それでも作戦を遂行してくれるだろう。
そういう男だ。
トマソンはそれ以上、何も言わなかった。
戦闘の開始を察して、ラッツがウィルを避難させようと手を引く。
「坊……?」
動こうとしないウィルにラッツが視線を送る。
ウィルはジッと怪我人の方を見ていた。
初めて死に瀕している者を目の当たりにして、ショックを受けているのだろうか。
こんな幼い子供なら致し方ないだろう。
ラッツはそう考えて、ウィルを抱き上げようとした。
しかし、ウィルはその手を遮るようにラッツの手を掴み返した。
「らっつさん、うぃる、やってみる!」
力強く頷くウィルにラッツが疑問符を浮かべる。
「なにを?」と言いたげなラッツの手を振り切って、ウィルはメアリーの横にしゃがみ込んだ。
「ジェッタ! ジェッタ! 嫌よ! 死なないで!」
メアリーが涙で顔をクシャクシャにしながら叫ぶ。
それを反対側に座ったリリィが涙しながら支えていた。
リリィがウィルに気付いて顔を上げる。
メアリーにはそれが見えていないのか、ジェッタの残った手を握り締め、叫び続けていた。
ウィルの小さな手に袖を掴まれて初めてメアリーはウィルが横にいるのに気がついた。
「ああ……お嬢様、メアリー、無事……か? メアリー……よかった……君が無事で……本当によかった……」
薄っすら目を開けたジェッタが力無くメアリーを見つめる。
その視線がリリィを見て、それからウィルを見た。
「はは……こんな所に小さな子が……天使様かな……お迎えが来ちゃったか……」
力無い笑みを浮かべるジェッタにメアリーが強く首を横に振る。
死期を悟ったジェッタがメアリーに握られた手を彼女の顔に伸ばす。
意を汲んだメアリーが、その手を自らの頬に導いた。
「ジェッタ……」
力無く呟くメアリー。
その横でウィルが唐突に立ち上がった。
「うぃるがきたから、もーだいじょーぶ!」
自分を励まそうとしてくれているのだろうか、とメアリーが視線をウィルに向ける。
ウィルは小さな精霊のランタンと杖を構えていた。
流された魔力が精霊のランタンに光を灯す。
「「「おおお……」」」
ウィルの魔力に呼応して輝く全ての精霊石を見て、周りにいた人々からどよめきが起こった。
「んっ……!」
一際強く輝く青黃白の精霊石を確認したウィルがイメージを固めて詠唱した。
「きたれ、きのせーれーさん! たいじゅのほーよー、なんじのりんじんをいやせせーめーのいぶきー!」
いつかセシリアが使って見せてくれた怪我を癒やす魔法。
ウィルの杖先から溢れ出た淡い緑色の光がジェッタへと降り注ぎ、彼の体を包み込んでいく。
「あ……ああっ……!」
メアリーの目が見開かれる。ジェッタの傷が見る間に癒えていく。
失った手足の断面も新しく肉が盛り上がり、出血も止まった。
部位欠損による失血死の危機に瀕していたジェッタは辛うじて命を繋ぎ止めたのだ。
当然、まだ予断は許さない状況である。
いかに治癒魔法と言っても失った血までは戻らない。
ジェッタの受けたダメージは深く、体は衰弱していた。
何か悪い要素が彼の身に降りかかれば、彼は死んでしまうだろう。
それでも。
「ありがとう……ございます、ああ……よかった……本当に……」
メアリーの口から掠れた声が溢れ、瞳から先程とは異なる涙が溢れる。
最悪の状況は脱したのだ。
強く握ったジェッタの手を胸の中に抱き締め、メアリーが嗚咽を漏らした。
「奇跡だ……奇跡の子だ……!」
衆目の中からそんな声が上がり、皆の視線がウィルに集まる。
「ううっ……」
「「「…………?」」」
歓喜に湧く人々と裏腹に、ウィルはしょんぼりしていた。
「どうしたのですか?」
代表するようにリリィが尋ねる。
「うぃる……しっぱいしちゃった……」
「えっ!?」
泣き出しそうなウィルの言葉に、リリィが慌ててジェッタとメアリーを見やる。
「いえ……失敗はしていないかと……」
涙を拭いながらメアリーが答える。
ジェッタの命は握られた手にしっかりと感じていると。
リリィの目から見ても、ウィルの魔法はしっかりとジェッタを癒やしていた。
では、なぜなのかと皆がウィルの方に視線を戻すとウィルは悲しそうに呟いた。
「だって……おにーさんのてとあし、はえてこないんだもん」
合点がいった。
ウィルは魔法で部位欠損ごと治そうとしていたのである。
なのに、手や足は欠けたまま。だから失敗したと言ったのだ。
「ウィル様、傷を癒やす属性魔法で失った手足まで取り戻す事は不可能なのです」
トマソンが説明すると、ウィルは顔を上げた。
「失った手足を元に戻すには、更に上級の回復魔法が必要なのです」
現在、部位欠損ごと治すには精霊魔法クラスの回復魔法か神薬レベルの回復アイテムを使うしかないとされている。
人の扱える属性魔法では傷を塞いで失血を止め、生命活動を問題なく維持する事までしか出来ない。
例外もあって、切断された部位が残っており、修復可能であった場合は属性魔法でも繋ぎ合わせる事ができる。
今回の場合は魔獣に喰い千切られており、欠損部位が無いため、繋ぎ合わせる事はできない。
おそらく何処かの魔獣の胃の中だろう。
嫌な話であるが。
そういう訳で、今回ウィルの行った回復魔法は最上の成果を上げたと言える。
それだけでも相当レベルの高い魔法を使いこなした事になるのだ。
「うぃる……しっぱいしてない?」
おずおずと尋ねてくるウィルの頭をトマソンが撫でた。
「死にそうだった者の命を救ったのです。大変良く出来ました、ウィル様」
そこは単純に誇っていい。
トマソンに褒められて、ウィルが見る見る笑顔になって瞳を輝かせた。
「うぃる、よくできました!」
周囲の人々に成功の報告をすると、皆がほっこり笑顔になった。
「ささっ、ウィル様。お屋敷へ戻りますぞ」
「はいっ!」
トマソンに促されて、ウィルは自分の役目を思い出した。
若い騎士がジェッタを運ぶと申し出た為、ウィルが恰幅のいい男性の足を治癒魔法で癒やす。
「おお、これは凄い! 痛みも無くなりましたぞ!」
「えへー♪」
感動の声を上げる男にウィルが嬉しそうな笑顔を返す。
傷ついた者を癒やして一段落ついた時、トマソン達の準備も整った。
「後退する準備を!」
ジョンが後方に合図をすると、トマソンが大きく息を吸い込んだ。
空属性の音声魔法の合図が周囲に響き渡る。
『今だ! 動ける者は中通りに出てこい! 魔獣は我らで食い止める! 急げ!』
魔法を発動したと同時にトマソンが中通りを駆け出す。
該当地区の中程まで出て、魔獣に対処するべく足を止めた。
音声魔法の発動から少し間があって、脱出可能であった人々が中通りへと出てきた。
男、女、大人、子供、貴族、使用人、裕福そうな身なりの者から騎士まで、様々。
その動きを察知したのか、蟻の魔獣――ジャイアントアントが逃亡者を追いかける。
「来おったな、魔獣共……この【フィルファリアの雷光】を容易く抜けると思うでないぞ!」
白金の魔力を纏ったトマソンが棍を構え直した。
魔力が武器を覆い尽くし、棍の先に魔力の刃を形成する。
逃げる人々がトマソンの脇を駆け抜けていく。
彼は振り向かず、追い縋るジャイアントアントにだけ神経を集中していた。
「雷光のトマソン・ロンメダール、参るっ!」
最初の一匹が射程に入った瞬間、トマソンは強く地面を蹴った。