緊急事態
ジョンは廊下を駆け抜けて、一階にある応接間に向かった。
「シロー様、大変です!」
ノックもせず、勢い任せに飛び込んできたジョンに室内にいた者達が驚いたように振り向いた。
作法を心得ているジョンが来客中の部屋に許可なく飛び込んで来たのだ。
シローは嫌な予感を覚えて、思わず立ち上がった。
「何事ですか?」
「緊急事態の呼び笛が鳴りました!」
「なんだとっ!」
ガイオス達が弾かれたように立ち上がる。
この場にその意味が分からない者はいない。
「分かった! すぐ出ます!」
「俺も出るぞ!」
シローとガイオスが部屋を飛び出していく。
「俺達も手伝うぞ!」
「「「おうっ!」」」
モーガンの声に【大地の巨人】のメンバー達も声を上げて頷いた。
ジョンを先頭にモーガン達が後に続く。
「スワージは全員分の武器を! アイルは庭のメイドさん達に伝令! ポーは奥様達に伝令だ!」
「了解!」
「了解!」
「了解ッス!」
モーガンの指示でメンバー達が散開する。
ジョンとモーガンはそのまま玄関ホールへ差し掛かった。
「エジルッ!」
「うわっ!?」
今まさに扉を開けようとしていたエジルが背後から大声をかけられ、驚いたように飛び上がった。
「な、何事ですか!?」
鬼気迫る表情で突っ込んで来るジョンにエジルが顔を引き攣らせる。
「外で緊急事態の笛が鳴ったんだよ! 急げ! お前の見せ場だろ!」
「ええっ!?」
勢い良くドアを開け、ジョン、モーガン、エジルが玄関から飛び出した。
シローとガイオスの姿はもう無い。開け放たれたままの正門があるだけだ。
「ブラウンッ!」
エジルが相棒の名を呼ぶと、召喚されたツチリスが地面に降り立った。
「外の様子を探って来い!」
エジルの指示にブラウンは高い声で鳴いて、正門から外に飛び出して行った。
向かいの家の壁伝いに屋根へと駆け登っていく。
登り切ったのを確認して、エジルが片目を瞑り、二本の指をその上に載せた。
魔力を注いで視覚をブラウンと同調させる、エジルの斥候術だ。
屋根伝いに区画の端まで駆け抜けたブラウンから情報が送られてくる。
「なっ……!?」
エジルはその光景に絶句した。
「どうした!? 何が見える!」
掴み掛かるような勢いのジョンにエジルは息を呑んでから答えた。
「外周区に……魔獣の群れが……」
「はぁっ!?」
エジルの言葉はジョンの予測の斜め上を行っていた。
「ジャイアントアントにキラーマンティス、ポイズンスパイダーに……こんな大量に、何処から……」
呆然と呟くエジル。
ジョンは無言でエジルから離れた。
王都レティスはロクス山脈を背に王城から放射状に街を広げていて、王城、内周区、外周区、市街区に分かれている。
旧戦争時はその最前線であり、城の背後にそびえ立つ山と外周区まで囲む堅牢な城壁は難攻不落の城塞と歴史に名を残す程だ。
市街区にしても後に建設された堅固な城壁に囲まれている。
そんな王都であるから、魔獣の被害は市街区の外でしか起こったことがない。
ジョンが視線を市街区の方へ向ける。
市街区から侵入を許したかと思ったが、市街区の方からは煙一つ上がっていない。
ならば地中から侵入されたのかと一瞬頭を過ぎったが、それも即座に否定した。
アントの群れだけならば可能性はなくはない。
あれは地中に巣を持つ魔獣だ。
だが、他の魔獣とは相容れない。
仲良く他の魔獣と侵攻してくる事は有り得ない。
では、他に何処から侵入したのかと問われれば、全く考えつかない。
(情報が少なすぎる……)
現状では、何処が安全かの判断すらつかなかった。
ジョンが渋面を作っていると、庭の方からメイド達とアイルと呼ばれていた女性冒険者が血相を変えて飛んできた。
精霊達も一緒である。
「リーダー、大変です!」
「落ち着け、何があった?」
大慌ての部下をモーガンが落ち着かせる。
よく見ると、メイド達も相当慌てていた。
その中のアイカとジョンの目があった。
「お父さん! ウィル様見てない!?」
ジョンは一瞬、アイカの言葉を理解できなかった。
公私混同を良しとしない娘がいきなり父と呼んだせいもある。
呆けているジョンに詰め寄ったのは、意外にもレンだった。
この世の終わりみたいな表情で縋りついてくるレンにジョンは一歩引いてしまった。
「ウィル様が何処にもいないんです! ジョンさん、見ていませんか!?」
「い、いや……」
見てない、と答えようとしてジョンは口を噤んだ。
時間にして僅か、自分が門から離れたのを思い出したのだ。
まさか、と。
最悪な予感がして、ジョンは正門へと視線を向けた。
その視線の先を全員が追って、顔を青ざめさせた。
「ま、まさか、外に……?」
エリスが唇を震わせて呟く。
「ちょ、ちょっと待て! 今、外は魔獣で溢れ返っているんだろ!?」
「いや、まだ外に出たと決まったわけじゃ……」
モーガンの声に慌てて他の可能性を模索するジョン。
と、人の気配を感じてジョンは顔を上げた。
「ウィルが、外に……?」
セシリアだった。
残った使用人達を引き連れて、玄関から出てきたのだ。
よろめくような足取りで進むセシリアをトマソンが遮るように止める。
「お待ち下さい、セシリア様!」
「離して! 離して下さい、トマソン! ウィルを連れ戻さないと!」
「まだ外に出られたと決まったわけではございません!」
トマソンが強く押しとどめると、セシリアは足を止めた。
崩れ落ちそうな彼女をステラとローザが支える。
重苦しい空気がその場を包み込む。
セシリアの辛そうな表情に居た堪れなくなって、ジョンが動き出そうとした、その時――
「見つけた! 中通りだ! 手前!」
エジルの叫び声に全員が弾かれたように走り出した。
「……っ! 女は残れ!」
トマソンが咄嗟に指示を出す。
屋敷の中にはセレナとニーナが残っている。
戦力を分けている時間がない、苦肉の策だった。
男達が門を飛び出て、左へ曲がる。
外周区は城から伸びる一本道に対して大きな通りが三本交差している。
エジルの告げた場所は、その真ん中の通りのトルキス邸寄り。
そこまで離れてはいない。しかし――
「坊っちゃん、そっちはダメだ!」
ブラウンと視覚を同調したままのエジルが叫ぶ。
ウィルの進む先に潜む魔獣の姿を彼はしっかりと捉えていた。