初めての魔法
貴族や富豪の子供は集団で学ぶ学舎に入る前から教育係をつけられ、勉学に勤しむ。
先んじて知識を身に付ける事が将来的に有利になるのは何処も同じだ。
一方、トルキス家は、というと――その役目は執事やメイド達が担っていた。
雇えなかったわけではない。
簡単に言ってしまえばその必要がなかったのだ。
トルキス家は少々特殊なご家庭なのである。
ウィル達の祖父、オルフェス・レナド・トルキスは元公爵。
彼の兄はフィルファリア王国先王、ワグナー・レナド・フィルファリアである。
オルフェスは家督を長女の娘婿に譲り、隠居した現在は趣味の魔法研究に没頭している。
そして、家督を継げなかった次女がセシリアであった。
本来、公爵家の次女ともなれば国内外の王侯貴族から婚約の申し入れが相次ぐ。
セシリアもご多聞に漏れず、そういった申し入れがあった。
しかし彼女はそれを一蹴し、当時冒険者であったシローと結ばれる事になった。
二人の結婚をフィルファリアの王族は祝福した。
しかし、一介の冒険者と王家に連なる者の結婚に異議を唱える者も当然のように現れた。
政略結婚の相手として、セシリアは身分も容姿も申し分ない相手だったのだ。
フィルファリアの王族は危惧した。
家督を継げないセシリアは家を出ねばならない。
それをいい事に拐かし、王家が脅迫される恐れすらあった。
そこで、オルフェスは彼女達に一流の側仕えを用意したのである。
あらゆる訓練を施されたメイド達。
そんな彼女らを統率する一流の執事。
番兵や庭師に至るまで。
王家に引けを取らない優秀な人材がシローとセシリアの下に送り込まれたのだ。
話を元に戻そう。
トルキス家は新たに教育係を雇う必要がない。
何故なら側仕えのひとりひとりが既に雇われる教育係よりも優秀である為だった。
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ウィルが魔法を発動させてから三日が経った。
「きゃーん、ウィル様かわいい!」
「はいはい、こっちですよ〜ウィル様〜」
「あっ、ずるーい。私にも抱っこさせてぇ」
屋敷内の一室でウィルにメロメロになっている三人のメイド達をレンがジト目で眺める。
「ゆう……しゅう……?」
頭を抱えたくなる。
確かに彼女達は優秀なのである。
しかし、その判断基準に人格が含まれているのか疑わしい。
いや、仕方ないか。
ウィルはかわいい。
これはトルキス家に関わる者の総意なのである。
レンも彼女達ほどデレデレする事はないにしても、だ。
「そろそろウィル様に魔法の練習を……」
レンが切り出したところで亜麻色のロングヘアーをツインテールで纏めたメイド――マイナが「イヤイヤ」と首を振った。
釣られてウィルも「イヤイヤ」と首を振って真似する。
どうやらウィルに色々な仕草を覚えさせてる犯人は彼女らしい。
「待って! もう少しウィル様を味わいたい!」
(味わいたい、ってなにを?)
レンは思わずツッコミそうになった。
「とにかく、真面目にやりましょう。ウィル様の今後を左右する一大事なのです」
ロマンスグレーの紳士――執事のトマソンがメイド達を見回す。
にこやかな老紳士であるが、彼が使用人達を一手に監督している。
話し合いの結果、ウィルに教える魔法は防御魔法のみという事になっている。
身を守る魔法で人を傷つける事はまず無いからだ。
それを使用人達が交代で教えていく。
ウィルを飽きさせない為の工夫だ。
「最初の問題は二種類の障壁を理解してくれるか、ですね……」
赤毛のショートカットのメイド――アイカが顎に指を当てた。
障壁には物理障壁と魔法障壁がある。
子供達が最初に覚えるのが物理障壁だ。
生活圏内で遭遇する危険な事故は物理的なもの(馬車に轢かれたり、高所からの転落などだ)が多い。
覚えておけば生存の確率が上がる為、そちらが優先されるのだ。
分別がつく子供なら二つの障壁の違いを理解するのだが。
(ウィル様がちゃんと理解してくれるだろうか?)
レンが見上げてくるウィルの顔を覗き込む。
その横で緩くウェーブのかかった茶色のロングヘアーのメイド――ミーシャが手を上げた。
「こんな事もあろうかと〜」
彼女はのんびりした口調でそう言うと、「ジャーン」と口で効果音を添えながら袋の中から何かを取り出した。
「ウィル様〜、紙芝居ですよ〜」
「ふわぁ……」
紙芝居の面を翳してみせると、ウィルがバッと振り向いて目を輝かせた。
「ウィル様、喰い付いた!」
「え……? 紙芝居? 魔法の教材にそんな物あったっけ?」
手応えを感じるアイカの横でマイナが首を傾げる。
紙芝居は細やかな線と柔らかな色彩で描かれていて、大人でも楽しめそうな綺麗な絵であった。
「作者は……?」
紙芝居なら冒頭のページに作者の名前が書いてある筈だが――
【ミーシャ・バレンシア 作画】
「アンタかっ!?」
思わずツッコんだマイナにミーシャが照れ笑いを浮かべる。
「どうすればウィル様に理解して頂けるか、一生懸命考えたんです〜」
「なる程……これなら何度も読み聞かせられますね」
「見事な絵ですな。ミーシャにこんな才能があったとは……」
レンとトマソンも感心しきりだ。
題名は【ベルくん、まほうつかいになる】と記していた。
「ある所にベルくんという男の子がいました〜」
ミーシャが紙芝居を始めると、ウィルがきゃっきゃと嬉しそうに笑顔をみせた。
ウィルに似た男の子が魔法使いになる為に最初の一歩を踏み出すという話だ。
ページが捲られ、物理障壁と魔法障壁を習得する様が綺麗な絵で丁寧に描かれている。
いるのだが――
『いつもフラフラと。悪いご主人様にはお仕置きです。このこの〜』
『いいかい、ベル。相手がこの様に叩いてきたり、物を投げてきたら物理障壁を使うんだ』
『生意気です。魔法攻撃を味わうがいいです』
『おっと、相手が魔法を使うならこっちは魔法障壁だ』
丁寧に描かれた紙芝居の中で、レン似のメイドがシロー似のご主人様に攻撃を加え、シロー似のご主人様が息子のベルくんに障壁について説明していた。
「トマソンさん。私、あの紙芝居から悪意を感じるのですが……」
「えー……」
ジト目で紙芝居を眺めるレンにトマソンの視線が泳ぐ。
紙芝居はベルくんが見事障壁を発動して、魔法使いの第一歩を踏み出した所で幕を閉じた。
ウィルが楽しそうに手をパチパチと叩いた。
「いかがだったでしょうか〜?」
「ええ、とっても分かりやすかったかと……」
感想を求めてくるミーシャにジト目でレンが答える。
因みに、レン以外の観賞していた使用人は全員視線を泳がせていた。
「ウィル様は分かりましたか〜? 物理障壁とぉ魔法障壁〜」
「わかりましたー」
手を上げて、笑顔で答えるウィル。
目の前でミーシャが障壁を交互に実演してみせると、ウィルは指差して物理障壁と魔法障壁を言い当てた。
それを見たミーシャがウンウンと頷いて笑顔を返す。
「それじゃあ、ウィル様もベルくんの様に物理障壁ができるかな〜」
そう言って、初心者用のワンドをウィルに持たせる。
紙芝居でベルくんが持っていたワンドと似たようなデザインだ。
ウィルがワンドを構えて集中する。
「できましたー」
ウィルの前にまだ弱々しいが物理障壁が完成した。
「上手ですね〜」
ミーシャがウィルの頭を撫でた。
ウィルは嬉しそうに身を任せている。
ほんわかした空気が二人の間を流れるが、他の者は違った。
「一発ですか……」
「一発ですな……」
「一発ですね……」
「ウィル様、恐ろしい子……」
レン、トマソン、アイカ、マイナが呆然と呟く。
魔法の習得は本来なら何度も失敗を繰り返し、感覚を養うものである。
繰り返し失敗をしながらコツを掴んでいき、発動に成功する。
そこから更に練習を重ね、初めて使いこなせるようになっていくのだ。
その辺を気にした様子もないミーシャは少し天然なのであった。
「うーん……」
こうなると、魔法障壁も簡単に習得してしまうのだろうか。
気になったアイカがウィルの前に進み出た。
「ウィル様、これは?」
アイカが指先に小さな光の玉を生み出す。
これ自体は単純に暗がりを照らす初歩の光魔法だが、一見して魔法だとすぐに分かるものだ。
「ん」
小さく返事したウィルの前に魔法障壁が出現した。
「お利口ですね〜、ウィル様〜」
自分の紙芝居の効果にご満悦なミーシャが「いい子いい子〜」とウィルの頭を撫でる。
ウィルはまたも嬉しそうに身を任せた。
「いくら何でも滅茶苦茶過ぎます……」
レンの表情が曇る。
ウィルの魔法習得速度は明らかに異常だ。
レンは普段感情を表に出さない方で、これほど心配が顔に出るのも珍しい。
「ふむ……」
トマソンがきゃっきゃとはしゃぐウィルの横に膝をついた。
「ウィル様、じいに教えて下さいませ。ウィル様はどのようにして魔法を使っていらっしゃるのですか?」
トマソンなりに砕いて話し掛けているつもりなのだが、そんなに砕けてない。
案の定、理解出来ずにウィルが首を傾げる。
そこにアイカが助け舟を出した。
「ウィル様はどうやって魔法を使ってるのかな〜?」
「みーしゃのまねー」
照れたようにウィルがはにかんだ。
その仕草のあまりの可愛さに、アイカがウィルの頭を撫でて、続けて質問した。
「じゃあ、ウィル様はなんで魔法を使おうと思ったのかな〜?」
「ふぇっ?」
ウィルが腕を組んだ可愛い仕草でうーん、と考え込む。
使えるからと言ってしまえばそれまでなのだが、ウィルは一生懸命に彼なりの答えを考えた。
「ねーさまがまほうつかうとみんなよろこんでたのー」
確かにセレナとニーナが庭で魔法を披露していた時も、皆で彼女達の成長を喜んでいた。
「だからうぃるも、みんなをよろこばせたかったのー」
この小さな男の子はその想いだけで魔法を発動してしまったのだ。
皆の喜ぶ顔が見たい一心で。
「「「ウィル様……」」」
メイド達が皆、目頭を熱くする。
「れん、いつもむちゅかしーかおしてるから、よろこんでくれるかなー?」
「ウィル様……」
そんな風に思われていたのかという事よりも、ウィルの心遣いに胸が熱くなる。
レンが思わず、ウィルを抱き締めようと腕を伸ばしたところで――ギョッとして立ち止まった。
トマソンが滝のように涙を流して、目を手で覆っていたのである。
「な、なんと心お優しい……ウィル様、このトマソン! 感動致しました!」
ガバッと立ち上がったトマソンに怯えたウィルがビクリと体を震わせた。
そのウィルを片手で抱き上げ、空いた手で斜め上を指差す。
「私めの、全力を持って、ウィル様を、大魔法使いの極みへ、お連れ致しましょう! あれが魔法使いの星です!! 見えますか、ウィル様!!!」
室内である。
当然、星は見えない。
おまけに真っ昼間だ。
「さあ、みなの衆! ウィル様の魔法修行のお手伝いを致しますぞ!!」
気合の入りまくったトマソンにウィルが引いている。
泣き出さないのが奇跡だった。
抱き締めようと腕を伸ばしたまま固まるレンの肩を、アイカとマイナが気遣うようにポンと叩いた。