才能の片鱗
「来たれ、精霊。矢を持ちて我が敵を撃て!」
長女のセレナが掲げたワンドが魔力を増幅し、その先端から一条の光が伸びる。
光は十メートル先の的を見事に撃ち抜いた。
庭で行われていた魔法の練習。
それを見守っていたシローやセシリア、使用人達から拍手が起こる。
「セレナは筋がいいのぅ」
セレナのすぐ隣で成り行きを見守っていた老人がセレナの頭を撫でた。
長く伸ばした真っ白な髪と髭の真ん中に柔和な顔立ちがある。
セレナ達の祖父――オルフェスだ。
「本当ですか!? お爺様!!」
セレナの表情がパッと華やいだ。
オルフェスは元宮廷魔術師で、現在は国の精霊魔法研究所顧問を務めている。
この国での魔法の第一人者と目される人物である。
そんな祖父からお墨付きを貰ったのだ。
セレナの喜びも推して量れるというもの。
「本当だとも。幼き頃のセシリアによう似ておる」
素質を褒められただけではなく、大好きな母にも似てると言われ、セレナが喜びを爆発させる。
そのはしゃぎっぷりが微笑ましくて、見守る大人達から笑みが零れた。
「次は私ね!」
姉に負けじと椅子から立ち上がったニーナが庭に出る。
「どれ、ニーナ。障壁を張ってみなさい」
「ぶーっ。私も魔法の矢を撃てるのにぃ」
不服そうに眉根を寄せるニーナにオルフェスが苦笑した。
「基本は大事じゃよ」
「それはそうですけどぉ」
渋々納得するニーナ。
姉への対抗心というよりは、単純に派手な事をしたいという子供的な思考なのだろう。
オルフェスがホッホと笑い、白い顎髭を撫でながら一つ提案する。
「そうじゃな……障壁を上手に出来たら魔法の矢も見てあげよう」
「本当ですかっ!?」
あからさまに瞳を輝かせるニーナに、オルフェスが笑顔で頷いてみせた。
ならば、とやる気を漲らせたニーナが手にしたワンドに意識を集中させる。
障壁は魔力を行使して自身の身を守る防御壁である。
身近に魔力を発生させる為、魔法の矢のように細かなコントロールを必要とせず、呪文の詠唱や魔力の増幅もいらない。
魔法の修練としては基本中の基本とされている。
しかし、戦闘能力の優れた者になればなる程その守りは強固になっていく。
それ故、魔法の上達とは切っても切れない関係になっていた。
あっさりと障壁を完成させてしまったニーナが鼻息荒く胸を張る。
「どうですか? お爺様!」
むふー、とドヤ顔をするニーナ。
オルフェスはまたもホッホと笑った。
「これは一本取られたな。見事じゃ、ニーナよ」
祖父の言葉にニーナがガッツポーズを決める。
ニーナの姿を見たウィルが楽しそうに拍手を送った。
セシリアの膝の上に抱えられてパチパチと手を鳴らす。
「見てなさいよ、ウィル!」
ウィルに良いところを見せようと、ニーナが再びワンドを構えた。
「来たれ精霊! 矢を持ちて我が敵を撃てぇっ!」
気合と共に放たれた魔法の矢が的の脇を抜ける。
「あぅ……」
意気消沈するニーナの頭をオルフェスが笑顔のまま撫でた。
咎めるはずもない。
彼女の成長ぶりに皆が目を細めていた。
「パワーは十分じゃがなぁ。まあ、練習あるのみじゃ」
「はい……」
しゅん、と肩を落として戻ってくるニーナ。
それをセシリアが笑顔で迎える。
そんな母の顔を見上げて、ウィルが手を伸ばした。
「どうしたの? ウィル?」
「うぃるもー、うぃるもー、まほー」
「あらあら……ウィルも魔法の練習がしたいの?」
姉達に感化されたウィルのおねだりにセシリアが困った顔をした。
まだ幼いウィルでは魔法を理解するのは難しいのだ。
「あまりお母さんを困らせるもんじゃないぞ、ウィル」
メイドから差し出された水を受け取ったシローが、ウィルの顔を覗き込む。
「まぁ、でもアレだ。どうしても、って言うのならニーナお姉ちゃんのように、先ずは障壁を張る練習からだな」
意地の悪い笑みを浮かべるシローに、レンがジト目を向けた。
いくら人に魔力があると言ってもいきなり使いこなす事などできない。
少しずつ魔力を知覚し、段階を踏んで障壁や魔法の矢といった行使する力を身につけていくのである。
魔法の修練を始めて短期間で現在に至るセレナやニーナは才能がある方だ。
まだ幼く魔法の基礎も学んでないウィルが障壁を張るなど無理もいいところなのだ。
それが分かっているからか、シローの言葉に真剣味はなく、
「まぁるくイメージしてな。目の前に壁を作るんだぞー」
水を口に含んだシローが笑いながら、ふざけるように大きな魔法の壁を展開してウィルを驚かせようとする。
どうにも不真面目な態度に見えて、レンが文句の一つでも言おうとした時だった。
じっ、とシローの魔法を見ていたウィルが手を前に突き出す。
「……まぁる、できたー」
「ブフゥッ!?」
シローが含んだ水を盛大に噴き出した。
突き出されたウィルの小さな手の前に、弱々しい魔法の壁が浮かんでいる。
不完全ではあるが、それは間違いなくシローが見せた防御魔法と同じものであった。
その場にいた全員がぽかんとした表情でウィルを見た。
「あらあら、ウィルは凄いわねー」
気を取り直して感心するセシリアに、ウィルが満面の笑みを浮かべる。
「まぁるくできましたー」
「……いやいや、できましたー、って」
口を拭う事もせず、顎から水を滴らせたままシローが呻く。
ウィルはニコニコしながら、手を上へ下へ動かして魔法の壁を動かした。
「しょーへきー」
「ウィル。それは、障壁ではないわ」
セシリアが指摘すると、ウィルはきょとんとして首を傾げた。
障壁はあくまで自分の体を中心に展開する魔力の壁であり、自在に動かす事はできない。
一方、シローやウィルが作り出した魔法は魔力をコントロールする事で、その効果範囲を指定できる防御魔法であった。
魔力の量は魔法を使えば使うほど鍛えられていき、その総量を増していく。
当然、ウィルは防御魔法を維持できず、セシリアの腕の中でぐったりとしてしまった。
「つかれたの……」
「魔力切れよ、ウィル」
セシリアが労るようにウィルの頭を撫でる。
「やれやれ……なんとも」
オルフェスが呆れたように呟いた。
「幼子が触媒もなしに魔法を発現するなど聞いたこともないぞ」
魔法は誰にでも習得できる能力であり、人はその力に寄り添って生活している。
火を起こしたり、灯りを灯したり、普通に生活するレベルでも触媒となる精霊石を使用するのだ。
戦闘技能に至ると属性の得意不得意の差が出てくる。
それでも一般的には剣士なら剣に、魔法使いなら杖などに触媒となる精霊石を埋め込んで、呪文を詠唱し、魔法を行使するのである。
魔法を教わった事のない幼いウィルが、
触媒を使う事なく、
呪文の詠唱なしに、
魔法を発現してみせた。
もう違和感しかない。
「どうしたものでしょうか? お父様……」
セシリアが困惑した表情でオルフェスを見上げる。
彼はしばらく顎髭を撫でつけながら考えていたが、小さくため息をついて切り出した。
「少々早いが、教え始めるしかあるまい……幸い、ウィルは賢い子じゃ。丁寧に教えていけば道を外す事はあるまい」
強過ぎる力は時として悲劇を生む。
望もうが望むまいが。
分別のつかない幼子なら尚更だ。
それ故、一定の年まで魔法を教えないというのが一般的な考え方だった。
ウィルの年齢はどう考えても早過ぎる。
しかし、魔法を使えた以上、学ばせなければ制御できない魔力で他人を傷つけてしまう可能性もある。
学ばせて、その危険性を諭したところで幼子が理解してくれるか、という問題も残るのだが。
セシリアが腕の中のウィルを強く抱き締める。
「数多の精霊よ。どうかウィルを見守り下さい」
普段はおっとりとした性格のセシリアだが、この時ばかりは不安を隠せないでいた。
こうしてウィルは一抹の不安と共に、魔法の修練を始める事になったのである。