使用人達の夜に(前編)
「おーし、いい子だ」
馬の様子を見に来ていた庭師のラッツが擦り寄ってくる馬の首を撫でる。
今日は少し走らせたので体調のチェックを入念に行っておく。
トルキス家の馬車は二頭立てで、厩舎には二頭の馬がいるが、その世話は主にラッツが見ていた。
「ラッツー?」
ラッツが声に振り向くと、パジャマ姿のマイナが立っていた。
その姿を見たラッツが深々と嘆息する。
「お前なぁ……なんて格好してんだよ」
「なによぉ」
頬を膨らませるマイナ。
どう見ても男の前でしていい恰好ではない。
他の男性陣に見られたら何と言われるか。
マイナはもう少し恥じらいを身につけた方がいい、とラッツは思う。
折角、顔は可愛いのに。
「あー、ひょっとしてぇ」
マイナがニンマリと笑みを浮かべる。
嫌な予感がしてラッツが目を細めた。
「私の色香に参っちゃった?」
「恥じらいを持てっつー話だよ」
体をくねらせるマイナにラッツが半眼で視線を外す。
マイナの容姿は他のメイドと比べても見劣りしない。
にも関わらず、ラッツの反応が鈍いのにはワケがある。
ラッツとマイナは幼馴染だった。
ラッツには親がいない。
まだ幼かった頃、両親と共に旅先で事故に合い、ラッツだけが生き残ったらしい。
その時助けてくれたのが、父の友人であるマイナの両親であった。
二人は行き場を失ったラッツを引き取り、マイナと兄妹のように育ててくれた。
ラッツはラッツでマイナの両親の愛情を理解し、宮廷付きの庭師であったマイナの父に弟子入りして、現在に至る。
ラッツは幼い頃から兄妹のように育てられたマイナを女と意識するのはマイナの両親に申し訳がない気がしていた。
できるなら、いい兄貴くらいの距離感に居たいのである。
「ほれ、いつまでもそんな格好で外にいると風邪引くぞ?」
それとなく気を使うラッツに、マイナはまた頬を膨らませた。
「むぅ……そんなに悪くないと思うんだけどなぁ」
腕で胸を強調してみせるマイナ。
薄い布地のパジャマでその仕草は色々危ない。
一瞬ドキッとしてしまい、ラッツの視線が泳いだ。
くどい様だがマイナは可愛いのである。
それがまた、年頃のラッツを悩ませるのだ。
(もう少しこっちに気を利かせろってんだ……)
心中で深々と嘆息するラッツ。
「でも、しょうがないかぁ」
ラッツの思いもどこ吹く風とばかりにマイナがぶっ込んできた。
「ラッツ、胸でかいの好きだもんね」
「ぶっ!?」
思わず吹き出すラッツにマイナがニヤニヤした笑みを浮かべる。
「分かってるって。ミーシャの胸、コソコソ盗み見てるもんね?」
「見てねぇ!」
顔を真っ赤にして否定するラッツにマイナが近寄る。
風呂上がりなのか、いいニオイが鼻腔をくすぐった。
ミーシャの胸は確かにでかい。
男ならついつい視線が行ってしまうのも無理はないだろう。
しかも、マイナ曰く、彼女はスタイルも抜群でメイド仲間の中でも有名らしい。
【フィルファリアのパーフェクトボディ】だとか【メイド界のアンタッチャブル】だとか影で囁かれているのだとか。
当の本人は、その事を全く気にしていないようであるが。
距離を取ろうと後退るラッツと、引いた分だけ距離を詰めるマイナ。
「顔が赤いぞぉ、ラッツゥ?」
「ば、馬鹿……お前な!」
マイナの距離が近くて、とは言えない。
ラッツは慌ててマイナとの距離を離そうとして、自分が厩舎の掃除をしていたのを思い出した。
肩を掴もうと上げた手を途中で止める。
風呂で清めたばかりのマイナを汚すわけにはいかない。
それをいい事に、悪乗りしたマイナが更に近づいた。
「思い出しているのかなぁ、ミーシャのおっ――」
「わたしのなんですか〜?」
突如、横からミーシャの間延びした声が届く。
「あ、ミーシャさ――」
天の助けとばかりに、ラッツがマイナから逃れるようにミーシャに向き直って言葉を失った。
そこに立っていたのは風呂上がりなのか、まだ頬を火照らせたミーシャであった。
ネグリジェの上からカーディガンをかけただけという出で立ちで、胸元が大きく開いている。
今し方、話題に上がっていた形の良さそうな胸が薄い布地を押し上げていた。
「どうしたんですか〜、ラッツさん」
ミーシャがのんびりした笑顔のまま、固まるラッツに首を傾げる。
ラッツは見事なそれに釘付けになってしまっていた。
意地の悪い笑みを浮かべたマイナがジト目でラッツを見ながら告げる。
「ラッツがねー、ミーシャの胸に興味津々なんだってさ」
「ばっ!?」
それを本人の前で言うのかと、思わず大声を上げそうになったラッツが慌てて言葉を呑み込んだ。
「あらあら〜」
それを聞いたミーシャが困ったような口調で、自分の胸元をカーディガンで隠した。
のだが、窮屈に締め上げたせいで胸の形が歪み、より扇情的な姿になっている事を本人は気付いていない。
「ダメですよ〜ラッツさん。あんまりジロジロ見られるとぉ、恥ずかしいですから〜」
破壊力の倍増した姿で放つ、間延びしたミーシャの声はのんびりと言うより甘ったるく聞こえてラッツの鼓膜を直撃した。
「ふーん……良かったじゃない、ラッツ? たまになら見ていいんだってさー」
「そ、そういう意味じゃ、ないですよ〜」
マイナの言葉にミーシャが困り声で返す。
ラッツはもう限界だった。
「も、もう寝るから! お、おやすみ!」
理性の糸が切れる前に、顔を真っ赤にしたラッツが逃げるように離れの方へ駆け出した。
「あ、待ちなさいよ、ラッツ!」
マイナが呼び止めるが、彼はそのまま走り去ってしまった。
からかい過ぎたか、と反省したマイナが舌を出す。
「もう……シャイなんだから」
「なんだか、お邪魔しちゃったみたいで〜」
申し訳なさそうに謝ってくるミーシャに、マイナが「気にしない気にしない」と声をかける。
そのまま二人連れ立って自室の方へ引き上げていった。