港の街
「……そ、それでは、先王陛下。恐れながら申し上げます」
「うむ……」
大人たちに注目される中、やや緊張した面持ちで口を開くセレナに対してワグナーは笑みを浮かべてその言葉を待った。
国の方針に口を挟むのだ。まだ子供とはいえそのことを十分に理解しているセレナが緊張するのは当たり前のことだ。
それでもセレナは一呼吸入れて息を整え、自分の考えをワグナーに伝えた。
「私は――」
翌日――
「セレねーさま、はやく、はやーく!」
ウィルをはじめとする子供たちは港町の見学に向かうため屋敷を出発することになった。
その中にはセレナも含まれており、セレナは後ろ髪を引かれる思いで見送りに来たワグナーやシローたちの方を向き直っていた。
「ウィル、急かさなくても海は逃げたりしないわ」
「そう言うニーナちゃんも急ぎたくてうずうずしてるみたいだけど……?」
「私はセレ姉さまを待ーつ!」
「ウィルもまーつ!」
ウィルやニーナ、アニアの声が聞こえてきてセレナが待たせていると実感する。しかしどうにも気になってセレナはワグナーの下へ駆け寄った。
「先王陛下、やはり意見するだけして後をお任せしてしまうのはどうにも……」
昨日の会議での自分の発言に責任を感じて申し出るセレナを見たワグナーが相好を崩す。真剣に見上げてくるセレナの姿は子供ながらに思い付きだけで発言したわけではないと十分に分かるものだ。
そんなセレナの姿がワグナーにも眩しく映り、ワグナーは笑みを浮かべたままセレナの髪を優しく撫でた。
「それほど気負わずともよい。戯れにそなたへ意見を求めたのは儂だが責任まで背負わせようとは思わん」
「ですが……」
「子供のうちにいろんなものを見ておくことも大切なことじゃぞ、セレナよ。大人同士の話し合いの準備は大人に任せておきなさい。なに、悪いようにはせんて」
「は、はい……」
「ほれ、ウィルたちが待っておるぞ」
ワグナーに促されてセレナが一礼してから去っていく。
ウィルたちの下へ向かうセレナの後ろ姿を見送ったシローがワグナーの隣に並んだ。
「先王陛下……」
「なんじゃ?」
やや心配そうな面持ちのシローを横目で確認したワグナーが可笑しそうに笑みを浮かべる。言いたいことはもはや火を見るより明らかであった。
心の内を見透かされていると分かっていながらもシローは親心から確認するしかなかった。
「本当にセレナの案を採用するんですか?」
「くっくっく……」
その何とも言えないシローの様子にワグナーの口から忍び笑いが漏れる。世界に名を馳せた冒険者の親ゆえの悩み顔などそうそう見れるものではなく、ワグナーは楽しんでしまっていた。
「そんな顔をするな、シロー殿。先程も言うたがセレナに責を負わせる気は毛頭ない」
「そ、それは……」
快活に笑って見せるワグナーにシローが言い淀む。シローもワグナーがセレナに責任を負わせるなどと思ってはいないが、そこはやはりまだ幼い我が子の進言であり親として心配が突いて出てきてしまう。
それは一緒に見送っているセシリアも同じような気持ちだろう。
ワグナーは一度セシリアにも目配せしてからシローの顔を見返した。
「よくよく思い返してみよ。セレナの意見は的を射ていたではないか」
「はぁ……」
ワグナーに諭されたシローが曖昧に頷きながら姿の見えなくなったセレナたちの方へ視線を向ける。その脳裏には昨日のセレナの発言が想い起されていた。
「そ、それでは、先王陛下。恐れながら申し上げます」
「うむ……」
「私は今回の光の国との協議を四カ国での合同協議にすればいい、と考えております」
セレナの発言に異論を挟む者もなく。少し間を開けてからワグナーが聞き返した。
「四カ国協議とな……?」
「はい。フィルファリア王国、ドヴェルグ王国、闇の国、光の国の四カ国です」
セレナの意図が分からず近場で顔を見合わせる者も現れる。そういうざわめきを待ってワグナーは続きを促した。
「どういうことか説明してくれるか、セレナよ」
「はい」
セレナは短く返事をすると自分の考えをなるべく分かりやすいように努めて説明し始めた。
「当初の予定ではテンランカーとしてのマルガレーテ様にご助力いただいて同盟の意義と戦力集中の安全面を光の国の使者に理解いただくつもりでしたが、ザムゼル様を保護することになり計らずも一対三という構図になってしまいました。これではこちらの意図がどうあれ光の国の使者に圧力がかかってしまいます」
「ん? 光の国が、なんだと?」
ザムゼルに視線が集まって今更ながらザムゼルが疑問を口にする。
それを横目で見ていたカルツが端的に説明を挟んだ。
「我々は元々新たに結んだ同盟を光の国の使者へ説明するためにこの街に来たのですよ」
「そういえばフィルファリアは新たにソーキサスと同盟を結んだのだったか。そんな報告が上がってきていた気がするな」
「気がする、って……大国同士が大きな同盟を組んだのですよ。何も感じなかったのですか?」
「闇の国は他国へは不干渉だからな。それに戦力集中と言ってもお前らだったからそんなに心配はしとらんかったな」
信頼されているのか、それとも何も考えていないだけなのか。何でもないように言ってのけるザムゼルにカルツがため息をつく。
やや話の腰を折ってしまった感はあるがセレナはそのまま話を続けた。
「このまま協議しようとしても光の国の使者に対等と受け取ってもらえるか疑問です。そこで国家の枠組みをはっきり分けて四カ国の代表での協議に切り替えてしまった方がいいのではと考えました。幸いにもザムゼル様は闇の国の名家の当主ですし……経緯はどうあれ光の国へ迷惑を掛けまいと動いた結果フィルファリアに逃げ延びたようなものなので闇の国の代表者として相応しいかと。それにマルガレーテ様もドヴェルク王国のお姫様というお話ですし代表を務められるくらいの権限はドヴェルク国王から授かっているとお見受けします。四カ国の代表がそれぞれの立場に立って話し合った方がこのまま協議に臨んで無用な詮索をされるより健全かと思われるのですが……」
大人たちの呆気に取られたような表情に気付いたセレナが我に返り、長々と説明してしまったことを恥じて体を縮こませる。
だがセレナの提案はしっかりと的を射ており一考に値する説得力を秘めていた。大人たちが呆気に取られていたのはただ驚いたのではなくセレナの考えに感心したからであった。
「しかし……こいつらが代表で大丈夫か?」
どちらとも深い関わりのあるロンがザムゼルとマルガレーテを交互に見る。片や女の尻を追いかけて海に捨てられた魔族、片や甘味に釣られて依頼を後回しにしたドワーフ。ロンの言いたいことはそういうことだろう。
これにはセレナも苦笑するしかないが肩書だけ見れば十分代表に立つ資格を有するのも事実である。
「言いたいことがあるならはっきり言いな?」
「別に?」
睨みつけるマルガレーテの視線をロンが顔を背けてかわす。
一方、ザムゼルはセレナの提案を真摯に受け止めているのか黙って考え込んでいた。
そんなザムゼルの様子を横目で伺ったセレナが視線をワグナーへと戻す。
「ザムゼル様の口振りからしても闇の国と光の国も国交らしいものがないご様子でしたので……互いを知るいい機会になるのではと思ったのですが……」
セレナの考えは双方の関係性も考慮してのことだったようで。
目を閉じたワグナーはセレナの提案をじっくり整理してから目を開いた。
「ふむ。セレナの考えはよく分かった。楽にしてよいぞ」
「はい、先王陛下」
ワグナーに労われたセレナは肩の荷が下りたのか小さく息を吐いた。これ以上はセレナが意見を求められることもなく、滞りなく進んだ会議は最終的にセレナの提案が採用される運びとなるのであった。
「セレナのことじゃ……おそらく発言したからにはマルガレーテ殿とザムゼル殿に自ら話を通そうと考えていたのであろうが……」
考え込むシローにワグナーがそんな風に言って聞かせる。その笑みの中にわずかばかり後悔が見え隠れしていた。ワグナーはセレナの責任感の強さを甘く見ていたのである。
だが同時にセレナの人となりの良さを再確認もしていた。
「やはりあの子は聡明で面倒見もいい素晴らしい娘じゃと思うよ、シロー殿。あの子になら全てを話しても良いと思うんじゃがなぁ」
全て、というのはこれから始まる精霊王と邪神の戦いについてである。
シローがセレナにそのことを打ち明けていないのは心のどこかでまだ子供たちを戦いに巻き込む決心がついていないからだ。
戦いがシローたちだけで完結しない以上いつかは話さねばならないことなのかもしれないが。幼い自分の子供を戦いに巻き込む決心を簡単に付けられる親などいやしない。
それが分かっているからワグナーはそれ以上何も言わず、屋敷の中へと戻っていった。
フィルファリア王国は長子継承を基本とする国である。建国後、王家で何世代も女性当主が続いた名残であると言われている。
故にシローが指名しなければトルキス家の次期当主はセレナということになる。だから遅かれ早かれセレナにはすべて話すことになるのだ。シローに何かあった時、その後を引き継げるように。
「シロー様……」
心配したセシリアがシローの傍に寄り添う。
シローは何も言えず、ただ子供たちが去った後をしばらく眺めていた。
街の空気を胸いっぱいに吸い込んだウィルはそれをゆっくり吐き出して満面の笑みを浮かべた。海に面しているこの街は今まで訪れたどの町や村とも違う匂いがしてウィルの好奇心を高ぶらせている。
それはセレナたちも似たようなものなのだがウィルの明らかな態度はいつ駆け出してもおかしくないような様相っぷりで心配になったセレナは微笑みながらもウィルと手をつないでいた。
「いきなり飛び出しちゃだめよ、ウィル?」
「はーい」
子供たちのそんなやり取りを微笑ましく見守っているのはアイカとマイナだ。今日は二人が子供たちの付き添いを担当している。
「よかった。セレナ様も少し気が晴れたみたい」
「セレナ様は責任感が強いからね。自分の言い出したことなら大人たちにも負い目を感じちゃうのよ」
「マイナの三分の一くらい、いい加減でいいのにね」
「なんだとー?」
なぜこの人選になったのか分からない。おそらくはアイカもマイナもそれなりに政務に理解があるためセレナの悩みを気にかけられるということなのだろうが。子供たちの付き添いはまともにこなして欲しいところである。
そんな大人たちの気遣いを知ってか知らずか、ウィルはセレナの手を引いて市場を目指していた。海へと向かう道すがらにあるこの市場には朝に水揚げされた新鮮な魚介類が卸されているということもあり露店も多く並んでいる。旅人からも一見の価値ありとされている場所だ。
「うぉっ?」
そんな市場に向けて快調に進んでいたウィルが思わず足を止めた。
一点を眺めるウィルに気付いてニーナが顔を覗き込む。
「どうしたの、ウィル?」
「ニーナねーさま、あれー」
ウィルが指差す先をみんなで見る。そこには王都では滅多に見られない光景があった。
「にゃんこだ……」
ウィルが見つけたのはのんびり日に当たる猫であった。それも一匹だけではない。少し進めば似たように別の猫がくつろいでいるのである。
王都ではあまり野良猫というのは見られない。ペットを飼うという習慣が一部の貴族や金持ちにしかなく、その管理も徹底されているからだ。
だがこの街には当たり前のように猫が居座っていた。
「珍しいかい?」
そんなウィルたちに声をかけたのは露店で串焼きを作っていた店主の中年男性であった。
魚の串焼きだろうか。焼けたいい匂いが鼻をくすぐってウィルたちは自然と店主の下へ集まった。
「はい。王都では滅多に見かけませんので」
セレナが丁寧に答えると店主は得意げな笑みを浮かべてみせた。
「そうだな。いても倉庫で飼われているだろうし、目にする機会はあまりないかもな」
店主はある程度王都の事情も理解しているようだ。
そんな店主の下へのっそりと猫が近づいてくる。人に慣れているのか、ウィルたちがいてもお構いなしだ。
ウィルたちは串焼きが狙われるんじゃないかと心配したが猫はそんな気配は見せず、ただ座って店主を見上げた。店主も分かっているのか魚の切れ端を猫の前に持っていき猫に与えた。
猫が大人しく魚の切れ端を頬張る様をウィルは興味深げに眺めていた。
「この街にとっちゃ猫は守り神なんだ」
「まもりがみさまー?」
店主の言葉にウィルが顔を上げる。
店主はウィルを見返して頷いてみせた。
「そうさ。元は船の積み荷をネズミから守るために船に乗せたのが始まりでな。積み荷を降ろす港町でも重宝されたってわけだ」
「はぇー……」
店主の説明にウィルが感心したような声を漏らす。
当然のことながらまったく野放しにされているわけではなく、街ぐるみで保護して衛生管理も行っているのだそうだ。
話を聞いていたウィルが周りを見回して小銭を取り出す。
「おじさん、これー」
「おっ、串焼きを買ってくれるのかい?」
幼いウィルから代金が出てくると思わなかったのか、少し驚いた素振りを見せる店主。
だがウィルは首を横に振った。
「あちらの猫さんにも同じものを」
まるでどこかの酒場で他の客に酒を振舞うかのように。ウィルが示した場所にこちらを伺う猫がいて店主が思わず吹いてしまう。
「あいよ」
店主が粋に答えてウィルから代金を受け取りエサになる切れ端を手渡した。
ウィルがそれを猫の方へ持っていき店主と同じように猫へ与える。
「おたべー?」
ウィルの振舞った魚の切れ端を猫が嬉しそうに咥えてその場で食べ始めた。そんな猫の様子にウィルが表情を綻ばせる。
「たべたー」
猫を驚かさないように喜びを露わにしてウィルが猫の様子を伺う。その背後でウィルと同じように興味をそそられたセレナたちが猫たちの様子を見守る。
「にゃんこ、かわいいね。にゃんこ」
ウィルはすっかり猫の虜のようで。見守りながらそんな風に呟いている。
その呟きを聞いたアニアが表情を綻ばせるのをニーナは見逃さなかった。
「なんでアニアがにやけてるわけ?」
「いやぁー……」
猫の獣人としてウィルの言葉に感じ入るものがあるのか、尻尾を喜びでくねらせるアニアにニーナが冷たい視線を向けている。
そんなやり取りも大人たちからすれば微笑ましいもので。
「ほら。串焼き、お待ち」
店主が焼きたての串焼きを用意してくれた。
だが誰も串焼き用の代金は払っていない。
顔を見合わせる子供たちに店主が笑みを深めた。
「坊やからもらった代金は猫様の食事代としては高すぎるからな。うちの名物も一緒に食べていってくれ」
店主はそんな風に言ってのけるがそんなことはないはずだ。ウィルが渡した小銭は串焼き一本分くらいのものだ。だが店主はアイカやマイナの分まで含めて全員分用意してくれている。
猫を大事にしてくれたウィルたちへの店主からの心付けであった。
「「「ありがとうございます」」」
「手を洗ってからですよ」
一堂に礼を言う子供たちにアイカが釘を刺し、各々手を洗ってから店主の串焼きを頂く。
「「ありがとうございます」」
「なんの、なんの。みんなが店前で食べてくれたらいい宣伝にもなるしな」
アイカとマイナが改まって礼を言うと店主はそんな風に言ってはにかんだ。
ウィルたちはしばらく串焼きの熱さに注意しながら店主と談笑を交えておいしい串焼きに舌鼓を打った。猫たちもエサに満足したのか、ウィルたちの傍でのんびりしている。
そんなまったりとした時を過ごしていると道の脇を忙しなく駆けていく男たちの姿があった。
ウィルたちが気付いて視線を向けると男の内の一人がウィルたちの方へ向かって駆け出してきた。
「ありゃ、漁師組合のやつだな」
どうやら駆けてきた男は店主の知り合いらしい。肩で息を切っている様子を見るに相当慌てているようだ。
(なに……?)
何かを感じ取ったウィルが視線を海の方角へと向ける。よく見ると周りの猫たちもウィルと同じ方角へ視線を向けていた。
「なにかあったのか?」
「それが……沖の方に軍船が現れて……たぶん光の国のものなんじゃないかって」
店主の問いかけに駆けてきた男が息を整えながら答える。
どうやらその他の男たちは兵士の詰め所にそのことを伝えに行ったようだ。
「おかしいわ。お父様たちは光の国の使者が着くのはもう一日二日かかるだろうって言っていたのに」
セレナがそんな風に言いながらアイカたちに視線を向ける。セレナもニーナもウィルほど探知に優れているわけではない。だが何か嫌な予感を感じていた。それはソーキサス帝国のモーガンの故郷の村で感じた気配に近い。
おそらく自分たちの身の内にある幻獣たちが自分たちの知りえない気配を感じているのだ。
そう考えてウィルの方へ視線を向ける。
ウィルはただ静かに海の方角へ意識を集中していた。海の沖などウィルの探知範囲からしても相当遠い。だがあらゆる魔素の情報を読み取ってウィルが沖の気配を探り出す。
(ひろいうみ……くーきがおかしい……風と水の魔素がさわいでる……このおっきーのがふね……まりょくがあふれてる……うみの中をなにかが……これは……)
「いい風を捕まえたにしても早過ぎるな。悪いことになってなければいいが……」
ウィルの横で店主が心配を口にするが残念なことにその心配は的を射ていた。
顔を上げたウィルが幼いながら真剣な顔つきになっている。これはなにか危険なモノを感知した時の顔だ。
ウィルの体が風の魔法で浮き上がる。それを見た店主と男が度肝を抜かれたように仰け反った。
「「ウィル!」」
素早く反応するセレナとニーナにウィルが向き直る。
「ねーさま、まじゅーだ。おっきなおふね、まじゅーにおそわれてる!」
口早で舌足らずになってしまったウィルはすぐに船の方角へと向き直って。
「ウィル、おふねを助けてくる!」
勢いよく飛び出して行ってしまった。
「お待ちください、ウィル様!」
「ああ! 行っちゃった!」
焦るアイカとマイナだがウィルの態度を見れば分かる。ウィルは余裕がある時は自分が飛び出していいかどうか、ちゃんと周りに確認する。それをしなかったということは沖の船は相当な危機に瀕しているのだ。
だがアイカたちの心配は他にあった。
「陸の上と海の上では戦い方が全然違うのに……」
「ライム!」
焦るメイドたちの横で平静を保っていたセレナが雷獣のライムを顕現させる。そして矢継ぎ早に指示を出した。
「ライム、お父様たちと繋いで。それからウィルも。無茶しないように伝えなくちゃ……」
セレナの肩に乗ったライムが小さく鳴いて、その魔力を魔法へと変換して港町の空へと打ち上げた。




