光の国の使者
海上――
帆に風を受けたアルメア皇国の船が目的地へと向かって進んでいた。
船にはその権力を示すかのように装飾が施され、甲板には滞りなく海を進むために船員が各々職務を全うしている。
そして船内には今回の任務を担った者たちが待機していた。聖女と護衛を勤める聖騎士と聖女の身の回りの世話に従事する聖女候補生と呼ばれる少女たち。
大聖女と呼ばれる幻獣の巫女の筆頭を頂に据える組織の性質上、聖女が遠征する任務の殆どは女性のみで使節団が構成されている。今回も、また。
そうであるからか移動の際は気心の知れた者たちは柔軟な態度を取ることが多い。
聖女があてがわれた自室に聖騎士を預かる隊長を招き入れたのも同郷の友であったからだ。
「お疲れ様、アルミダ」
「浮かない顔をしているな、ロレッタ」
椅子に腰を下ろした女隊長アルミダの前に聖女のロレッタが茶を入れる。その表情がいつもより険しいものになっていてアルミダが微かに笑みを浮かべた。付き合いの長い彼女はロレッタが何に憂いているのかなんとなく察していた。
「今回の遠征は内外問わず納得のいかないことだらけだもの」
普段の聖女としての顔ではなく友としての様相で頬を膨らませるロレッタ。宮殿に勤めているときの聖女というのは軽々しく不満を漏らせる立場ではない。だからこれは彼女たちなりの息抜きでもある。
それが分かっているからアルミダは黙って耳を傾けていた。聖女や聖騎士といっても彼女たちは年相応の女性でもあるのだ。
「まずフィルファリアとソーキサスで暴れた組織の名前が【白の教団】っていうのが嫌」
子供のように口を尖らせるロレッタだがアルミダも理解できる話だった。
「白はアルメアが基調としている色よ。勘違いした人がアルメアに疑惑の目を向けたらどうするの?」
「気持ちは分かるが……」
「それにフィルファリアに【大空の渡り鳥】が集まっているのも納得できない。各国に配置されている方が問題に対処しやすくなるはずだわ」
「確か【大空の渡り鳥】のリーダーがフィルファリアの王都に居を構えているのではなかったか?」
「そうだとしても……」
ロレッタの言葉に熱が帯びてくる。よほどの不満がたまっているらしい。彼女がこれほど感情的になるのは珍しいことだ。
ロレッタが震える息を吐き出して気持ちを落ち着かせる。その表情は怒りではなくはっきりとした愁いに変わっていた。
「……アリーチェはどうしてる?」
「……寝かせている。他の聖女候補生が看病をしてくれている」
ロレッタの質問にアルミダが答える。
今回の遠征には彼女たちの同郷がもう一人いた。ロレッタとアルミダが妹のようにかわいがり、自分たちの後を追って聖女候補生として都に来たアリーチェという少女だ。
子供の頃は元気な少女であったがいつの頃からか病弱になり普段の生活にも気を遣うようになっていた。治癒術師に見せても原因は不明。昨今治療法が確立された魔暴症とはまた違う病であるらしく安静に過ごすより手がない状態であった。
だというのに今回の遠征の名簿にはアリーチェの指名がされてあった。普通に考えたらアリーチェに遠征が無理なことくらい理解できるはずなのに。
ロレッタを気遣いながらアルミダは静かに口を開いた。
「アリーチェが遠征に指名されたのはメリア様のご信託があってのことだと聞いている」
「私も聞いた。でも本当にメリア様なの? ここ数百年、お声がかかったという記録もないのに――」
「ロレッタ」
アルミダに途中で遮られてロレッタが口をつぐむ。メリアというのはアルメアが祀る光の大幻獣の名だ。一番に信仰している大幻獣に対してその巫女である聖女が疑惑を口にするなど良いことであるはずがなかった。
二人の間に沈黙が流れる。
実のところロレッタやアルミダにとって国外で起こった事件も同盟もそれほど気にしたことではなかった。国として無視できない出来事というだけのことで。
妹のようにかわいがっていたアリーチェが未知の病を押して遠征に加わる――そのことに比べれば他の不満など些事もいいところだ。
「ごめんなさい……」
小さな声で呟くロレッタにアルミダは微かな笑みを浮かべた。同じ不満を抱えた者同士だ。アルミダがロレッタを責めることはない。
アルミダは目の前の茶に口をつけてから小さく息を吐いた。
「フィルファリアはアルメアと同じで大幻獣を信仰し、古くから栄える魔法国家だ。魔暴症もかの国で治療法が見つかったという……だから私はアリーチェの病に関する手がかりも見つかるのではないかと期待しているんだ」
「そうなればいいけど……」
その期待がどれほど都合の良いものか、アルミダにだってわかっている。だがそうでなければメリアの神託は降りないのではないか。
そんな細い希望の光に縋りながらロレッタとアルミダは旅の無事を祈り続けているのであった。
見慣れない船室の天井。しかし体調を崩して天井を見上げることはここ数年で幾度となく繰り返してきた。その度に周りへ後ろめたさを感じてしまう。
看病をしてくれていた聖女候補生が席を外して一人になり、アリーチェは小さくため息をついた。
いつの頃からこんなことになったのか、というのはアリーチェ自身にも覚えがある。それはアリーチェが都に移って聖女候補生として学び始めてすぐのことであった。
討ち漏らされた不死の存在が自分たちの住まう学園の寮へと逃げ込みアリーチェたちの前に現れたのだ。聖女候補生と言ってもまだ大した力もなく、討伐隊から逃げおおせるだけの力を持つ不死に抗うすべなど皆無であった。
それでもアリーチェは立ち向かった。聖女候補生と認められた素養を発揮して仲間たちを救うために。
その結果アリーチェは不死を退けることに成功した。あらん限りの魔力を解き放ち、気を失いながらも仲間を救ったのだ。弱っていたとはいえ力ある不死を撃退したことは聖女候補生が起こした奇跡だと噂にもなった。
だがその代償は大きかった。アリーチェは体調不良を繰り返すようになり簡単な魔法の行使さえままならなくなった。
宮殿お抱えの治癒術師ですらアリーチェの不調の原因を掴めず、アリーチェの具合は悪くなる一方だ。
そんな中舞い込んだ今回の遠征であった。
アリーチェが再び小さな息を吐いた。アリーチェは本来元気が取り柄な明るい少女であった。誰からも好かれるような朗らかな性格。笑顔も絶やさない。
だが長く病に臥せっていれば気も落ちる。意識しなくても届いてしまう噂もそれに拍車をかけた。
間違いなく素養はあったのにたった一つの事故が彼女の全てを台無しにしてしまった。終わった娘だ、と。
病む心に抗うようにアリーチェは体を起こした。落ち込んではいけないと自分に言い聞かせる。
(わたしは確かに見たもの――)
対峙した不死と決死の自分との間に輝いた光を。その光が自分に力を貸してくれて不死を退けたのだ。
自分に力を貸してくれた存在は間違いなくいた。それが今の自分を招いたなどとは思わない。
そう思えば弱っていく体をこのままなんかにしておけない。今のところ目ぼしい手段はないけれど気持ちだけは負けたくない。気持ちで負けていては故郷の父にも母にも、そしてかわいがってくれているロレッタとアルミダにも合わせる顔がなくなる。
そんな風に勇んでいると先程の聖女候補生が部屋に戻ってきた。
「だめよ、寝てなきゃ!」
体を起こしたアリーチェの下まで心配そうに駆け寄ってくる少女。長旅に余計な看病まで抱えているというのに少女は心配してくれていた。いい仲まだ。目の前の少女も悲しませたくない。
「ありがとう……」
口から出た言葉は思ったよりも弱々しくて。
嫌になりながらもアリーチェは心配する仲間の手でまたベッドに横たわることになった。




