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勇者の初陣

「うーん……人に見られていると思うとなんか緊張するなぁ……」

「またそんな気の弱いことを言って……ウィル様たちも見てるんだからしゃんとしてよね?」


 コンゴウを降りたルーシェとモニカは街道を真っ直ぐ進み始めた。いつも通りの緩い発言をするルーシェを叱咤するモニカもいつも通りである。しかしその表情に気の緩みは見られない。

 ルーシェはモニカの横顔を見ながら居心地の良さを感じていた。トルキス家に来た頃のモニカはいきさつの申し訳なさからかどこか遠慮がちであった。だが時が経つにつれて年の近いルーシェやミーシャたちと打ち解けられて自然体でいられるようになっていった。

 今では彼女も立派なトルキス家の一員でルーシェにとっては冒険者の先輩であり、良きお姉さんといった感覚だ。


「……なによ?」

「なんでもないですよ?」


 顔をじろじろと見られたと思ったのか、目を細めるモニカにルーシェがそっぽを向く。モニカもそこまで気にしてはいないようでそれ以上は何も言わず、視線を前へと戻した。

 ルーシェも自然と進行方向へと視線を向ける。

 街道の先の少し外れた所に茶色い塊が見える。時折動くそれはカルツの魔法で確認した今回のターゲット、おそらくはブラウンボアと思われる巨体だ。


「それにしても本当にブラウンボアなの?」

「いちおう特徴は一致してますね、図体以外は……」


 元の個体よりも4倍から5倍も違えばモニカが呆れるのも当然の話で。ブラウンボアを見慣れているルーシェも苦笑するしかない。


「本来ならナワバリに入ったり手を出したりしなければそれほど危険はない魔獣なんですけどね」

「農作物を荒らしに来るって聞いたことあるけど?」

「そういうのは、まぁ……罠にかけたりして食べちゃうんで」


 マタギか、とモニカからツッコミが入りそうになるが。ルーシェは元々森に面した村に住んでいて冒険者になる前から食用の魔獣を狩猟している。そんなルーシェにしてみればブラウンボアはちょうどいい食料でしかない。


「食べれると思う? あれ……」

「食用の亜種は美味しいって聞いたことあるような……」


 思い出すように考え込むルーシェにモニカは肩を竦めた。とりあえず食べる食べないは置いておいていい。まずは討伐しなければならない。


「冒険者ギルドで聞いたけど亜種は原種と違う攻撃方法や魔法を持ってる可能性が高いらしいわよ」

「そうらしいですね」


 モニカの情報はルーシェも聞いたことがあって、すぐに思考を討伐へと切り替える。


「とはいえ猪なんで……あの巨体で走り回られるわけにはいかない」

「足止めは……期待できないか」


 ルーシェの言葉にモニカが最善の提案をするが言った傍から自分で却下した。

 猪型の魔獣の一番の脅威は突進力だ。ルーシェたちが有利に立ち回るためには拘束魔法で動きを止めたり、罠で機動力を奪うなどしてブラウンボアの足を止める必要がある。しかし今回のブラウンボアはあの巨体だ。生半可な拘束魔法では抑えきれないし、罠なんてどれだけ大きくて頑丈な物を用意しなければならないか見当もつかない。


「ということは――」

「足ですね」


 モニカとルーシェの狙いは一致した。からめ手で機動力を奪えないのであれば直接足を潰すしかない。


「モニカさんは足を」


 ルーシェの提案にモニカが頷く。モニカの方が素早くブラウンボアの足を狙える位置を取りやすい。ルーシェはそんなモニカを援護するべくブラウンボアの注意を引き付ける。


(たまにカッコいいこと、言うんだから……)


 モニカが内心でルーシェをそんな風に評価した。モニカだって囮を務めることはできる。ルーシェだってブラウンボアの足を潰せないなんてことはない。それでもルーシェは迷いなく危険な役目を取った。確かに能力的にはルーシェの方が敵の注意を引きやすくはあるが敵の動きを制限できない以上危険なことに変わりはない。そんな中で即断即決はなかなかできることではない。


「風下にいるとはいえ、匂いでこちらの存在は気付かれてるはずです」

「動き出される前にこっちから仕掛けましょう」


 モニカの提案にルーシェが小さく頷いて、二人は気配を消しつつ足を速めた。




「おー。るーしぇさんたちもまじゅーもみえるー」

「この魔法、ホントに便利ね」


 ウィルとニーナが感心したように画面の向こう側にいるルーシェたちに視線を送っている。

 コンゴウの中ではカルツとスートが作り出した映像がいくつも映し出されており、ルーシェたちはもちろんブラウンボアの様子や周囲の状況まで確認することができた。

 映像の中ではルーシェたちがブラウンボアに迫っており、ウィルたちと同じように並んで映像を見ていたセレナが少し心配そうな表情をしていた。

 子供たちの様子を伺っていたシローがセレナに問いかける。


「これからルーシェたちが戦闘を仕掛けるわけだけど……セレナならどうしたい?」


 自分であればというシローの質問にセレナは迷わず答えた。


「できれば魔獣の動きを封じたいです。このままじゃ魔獣の注意を引いた人が危ないです」

「そうだね」


 セレナは戦いの立ち回りをしっかりと理解していてルーシェたちを心配しているようだ。

 セレナから満足のいく回答を得られてシローが続ける。


「魔獣が大きくなれば大きくなるほど近付いて攻撃する者には危険が伴う……魔法で魔獣の動きを封じられれば魔獣の近くで立ち回る人間の危険度は下がるね」


 魔法で大型の魔獣の動きを封じるためには高い技術と強い魔力が必要だ。難しいことだがそれが実行できれば大型の魔獣の討伐もより安全に遂行できる。


「ほぅほぅ」

「今の私だとまだあのサイズの魔獣の動きを封じるのは難しいです」


 納得したように頷くウィルと冷静に自分を分析するセレナ。

 満足げに頷くシローの横で反応を示さないニーナは別のことを考えていた。


「私はやっぱり切り込みたいわね!」


 どうやらニーナは魔法で支援する側ではなくルーシェたちと一緒になって接近戦を挑みたいようである。剣士を目指しているニーナであるからその気持ちも分からなくはないのだが。


「近距離戦闘の連携は遠距離支援の連携よりシビアだよ?」

「分かってます、お父様! 鍛錬してこなせるようになってみせます!」


 シローの心配もどこ吹く風。目を輝かせて鼻息を荒くするニーナにシローが苦笑する。ニーナも今の自分にできる事は少ないと理解しながらもこれからの目標を真っ直ぐ見据えているようだ。志が揺らがない、というのも一つの才能である。

 シローの話を聞いていて今度はウィルが疑問に思ったことを尋ねた。


「ごーれむさんでおさえつけるのとはちがうのー?」


 どうやらウィルは魔獣をゴーレムで抑えることと他の魔法で抑えることの違いがいまいち分かっていないようだ。


「違うよ。ウィルがゴーレムで魔獣を抑えようとしたら大きくしなきゃいけないよね?」

「うん、おーきくするー」

「魔獣だってじっとしてないんだからゴーレムが転んじゃうかもしれないよ?」

「あー……」

「近くにいる人、危ないだろ?」

「あぶないー」


 ウィルが納得したようにこくこくと首を縦にする。もちろんゴーレムで迎撃することがすべて悪いわけではない。今回の連携には向いていないというだけだ。


「ウィルのゴーレムの最大の武器は高い火力と機動力だろ? それを生かせない状況ならもっと有効な魔法があるはずさ」

「はー……」


 シローの説明にウィルが感心したような息を吐く。それからウィルは手元のパネルに視線を戻した。

 魔獣とそれに接近するルーシェとモニカ。その動きの先をウィルがイメージしていく。

 食い入るようにパネルを見る子供たちにシローが声をかけた。


「もうすぐでルーシェたちが魔獣と接敵する。ルーシェたちがどう動くのか、自分たちならそこにどう加わっていくのか。どういう選択肢があるのかを考えながら見守ってみようか」

「「「はい」」」


 子供たちが揃って返事して。パネルに映し出されたルーシェたちはブラウンボアに向かって駆け出していた。




 街道を走っていたルーシェがモニカと二手に分かれた。モニカの選んだ街道脇の草むらもそこまで深いものではなく、走るのに支障はない。だが音の違いは出るだろう。


(魔獣の意識がモニカさんの足音に向く前に先制したい)


 まずは魔獣の注意を引きつけること。それがルーシェの役目だ。

 モニカの機動力に後れを取らないように足に力を込めてルーシェが一気に加速する。

 踏み込みの強さが警戒心に繋がったのか、ブラウンボアがルーシェの方へ向き直ろうと体を動かした。ブラウンボアの旋回速度はそこまで速くない。ルーシェがタイミングを合わせるのはそこまで難しいことではなかった。


(今だっ!)


 魔力を込めたルーシェが短く息を吐き出すと同時に開放する。


「来たれ霧の精霊! 朝霧の水鏡、わが身を映せ水霧の姿見!」


 ルーシェの魔力が意味を成して生み出された二体の分身体がブラウンボアに斬りかかった。

 目の前でいきなり増えたルーシェの姿に驚いたブラウンボアの動きが一瞬止まる。

 慌てて首を振ったブラウンボアの牙と分身体が振り下ろしたショートソードがぶつかった。一体の分身体がはじき返され、遅れて飛び込んだもう一体の分身体が切っ先をブラウンボアの顔を覆う白い面へと突き立てる。


(硬い……)


 魔力を込めた分身体の剣では白い面を突き通せない。

 着地した二体の分身体がルーシェの左右に位置取って体勢を立て直した。突進の一撃をまとめて受けないように距離を置いてブラウンボアの頭部を囲む。

 ブラウンボアと睨み合う形になったルーシェがじりじりと横に移動して視線を引き付ける。


(覚えたての魔法が役に立った……初撃としてはこれで十分)


 ブラウンボアの意識は完全にルーシェへ向いていて。その後方から勢いに乗って飛び込んでくるモニカの位置は完全に死角となっていた。


「風刃交差っ!」


 踏み込んだモニカが双剣を振り抜く。交差するように放たれた風属性の斬撃がブラウンボアの右後ろ脚を斬り裂いた。


「よしっ!」


 手応えを感じてモニカが後方に飛び退く。片足の力を失ったブラウンボアの体が少し傾いた。これで力に任せた突進攻撃は封じたはずだ。

 モニカの攻撃と同時に踏み込んだルーシェが剣を上段に掲げる。水属性の魔力が溢れ出し、刀身が伸びた。


(白い面を叩き割る!)


 今後の戦いを見据えれば白い面がどのような特性を秘めているのか知っておいて損はない。砕けるのなら砕いておきたいし、弱点になる可能性だってある。情報を得られる余裕があるのなら得ておきたかった。


「流水剣っ!」


 ルーシェが魔力で伸びた斬撃をブラウンボアの白い面に向かって振り下ろす。白い面とルーシェの斬撃がぶつかって金属のような硬質な音が鳴り響いた。

 弾かれる斬撃。面に傷は入っていない。


「砕けないか……」


 白い面の破壊をいったん諦めたルーシェが体勢を整えようとして。


「ルーシェ、上!」


 モニカの鋭い声が飛んだ。

 ルーシェが咄嗟に防御壁を展開して後方に飛び退く。一拍遅れて何かが頭上から飛来し、ルーシェの元いた位置に突き刺さった。


「なんっ……!?」


 安全な位置まで下がって見上げたルーシェが絶句する。

 ブラウンボアのたてがみが伸びて束になり、まるで触手のように蠢いている。頭上から突き刺さったものはそのうちのひと房であった。


(ブラウンボアは土属性の強化魔法しか使えないはず……)


 明らかに原種のブラウンボアにはない攻撃手段である。そんなブラウンボアが前足を持ち上げた。地面を踏みしめたブラウンボアの前足から魔力が広がる。地面が隆起して土属性の槍が飛び出した。


「くっ……!」


 咄嗟に横へと駆け出したルーシェの背後を槍が通過する。巻き込まれた分身体たちが土の槍に貫かれて霧散した。


「ルーシェ、チェンジ!」


 再びモニカの声が響いてルーシェはそのまま駆け抜けた。

 反対方向からブラウンボアの視界に飛び出したモニカが双剣に風の魔力を溜める。


「風翔斬!」


 振り抜いた双剣の切っ先から風属性に斬撃が飛んでブラウンボアの顔面を斬りつける。血が宙を舞って顔を背けたブラウンボアが体勢を立て直して今度はモニカに狙いをつけた。

 うねるたてがみがモニカに向かって殺到する。


(防御壁じゃ防ぎきれない!)


 瞬時に判断を下したモニカが双剣を握り直して全身に魔力を込めた。


「風葬陣!」


 モニカの体から強力な魔力が溢れ出し、身も心も武器でさえも強力な風属性の魔力に包まれる。迫るたてがみを斬り裂く様はまるで嵐のようであった。


「はあああああっ!」


 モニカの間合いに入ったたてがみが凄まじい速度の斬撃を浴びて散っていく。迂回して彼女の背後を取ろうとしたたてがみもモニカの速度に対応できず、回避されてあっさりと斬り落とされた。

 物量で押し切ろうとするブラウンボアと高速で対応するモニカ。

 その隙を突いて今度はルーシェが死角に入り込んだ。


(モニカさんの風葬陣は長く続かない。ここで決める!)


 ルーシェが魔力を高めて剣を突き出した。


「射貫け、流水剣!」


 ルーシェの剣を覆った水属性の魔力がブラウンボアの首を狙って一直線に伸びる。

 しかしブラウンボアはしっかりとルーシェを警戒していたのか、たてがみを伸ばして流水剣の軌道に割り込んできた。このままでは流水剣が防がれる。

 だがルーシェに焦りはなかった。剣を持つ手に更なる魔力を込める。


「流水剣・大蛇!」


 ルーシェの意思が魔法の刀身に伝わって、蛇のようにうねる。ブラウンボアのたてがみを躱して懐に進入した剣先が狙いを変えてブラウンボアの左前脚に直撃した。


「突き抜けろ!」


 より魔力を込めたルーシェの刺突が勢いを殺さず、まるで蛇が地を這うようにブラウンボアの腹の下を突き抜けた。

 支えをうしなったブラウンボアの体が斜め前へと倒れる。

 その隙を逃さず高速で移動したモニカがブラウンボアの腹側へと回り込んで――


「もらった!」


 心臓目掛けて手にした剣を突き立てた。荒れ狂うような風属性の魔力が腹側から背中へと突き抜ける。

 ブラウンボアの体がびくんと跳ねて――ブラウンボアは断末魔を上げる間もなく絶命した。


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