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青銀との絆

 日の差す広場の足元を霧が漂う。

 肌に寒さを感じるのは霧のせいか、それとも異常な事態への緊張から来る冷や汗のせいか。

 身動きが取れず、隊員の中には恐怖から青ざめる者もいた。

 そんな隊員とは裏腹に、ウィルは少し楽しむように体を揺らしている。


「一片」

「案ずるな。今のところ害意はない」


 シローが念のため確認すると呼びかけられた風の一片がシローの隣に顕現した。

 霧は魔力を帯びている。だがその魔力に誰かを傷つけようとする意志は感じられない。

 ウィルはそのことを誰よりも感じ取って、ただ待っている。相手もウィルに気付いている。だからここまで足を運んだのだ。


「きたよ」


 ウィルの言葉に緊張が走る。だが、まだ視界には何も映らない。


「いったい何が――」


 隊長が確認しようとした時、ようやくはっきりと分かるような異変が生じた。

 青みがかった銀毛の魔獣が一匹、また一匹と景色から溶け出すように姿を現す。

 それはソーキサス帝国の帝都アンデルシアに居れば知らぬ者はいない存在だ。


「せ、青銀……」


 森の固有種であり、領域の主でもある魔獣――濡れ狐。その群れにウィルたちは囲まれていた。

 群れを率いる濡れ狐は毛並みも魔力もどの個体よりも美しく、ウィルが見誤ることはない。

 相対しては致命的なまでの接近に固まるソーキサス帝国の調査隊。しかしウィルは最上の個体と真っ直ぐに向き合った。お互い、先日命のやり取りをしたとは思えぬほど穏やかである。


「だいじょーぶだったー?」


 ウィルは怨霊鯨が発生した際、濡れ狐たちが森を守る為に展開していた魔法の光を見ていた。そのことを労うように腕を広げて濡れ狐を迎えると濡れ狐はウィルの前で寝そべった。

 ウィルの言葉を理解しているのか、濡れ狐がフンスと鼻息で応じる。


「こやつは妖獣なのか?」

「おそらくな。坊主の話を聞くに妖獣の特徴と合致している」


 一片の疑問にロンが答える。妖獣は普通の魔獣に比べて知性が高く、会話できずとも理解を示す種族もいる。

 何でもないようなやり取りをするトルキス家の横でソーキサス帝国の隊員たちは肝を冷やしていた。

 妖獣とは魔獣よりも高位の特殊な存在。領域の主ですら妖獣であることは滅多にない。それが自分たちの住む街の近くの森に存在しているというのだから。


「よしよーし」


 身動きの取れない大人たちの前でウィルは自由に行動している。濡れ狐の機嫌が変わればいつでも食べられてしまいそうな位置でウィルは濡れ狐を撫で始めた。


「あわわ、あぶ、危な……」


 危なっかしくて狼狽える隊員もいるくらいだが、濡れ狐たちが襲い掛かってくることはなかった。それどころか、他の濡れ狐たちも妖獣に倣うように伏せたり、腰を下ろしてくつろいでいる。

 不思議な空間に放り出されたような気分になって、調査隊は危険な森で無警戒な傍観者になり果ててしまっていた。


「いったい何がどうなっているんだ……?」


 調査隊の心情を代弁するような隊長の呟きに一片が小さく唸る。


「ひょっとしたら……怨霊鯨を浄化したことに恩を感じているのかもしれん」


 ウィルが現れず怨霊鯨が暴れ続けていたら森は死んでいた。濡れ狐たちは月下の騎士が怨霊鯨を浄化する姿を見ていたはず。それがウィルの力だと理解して、森に訪れたウィルの前に姿を現した。

 言葉を介するわけではないので本当のところは分からない。だが一片の見立ては間違ってはいないだろう。そうでなければ目の前の光景に納得することは難しい。

 そんなウィルだが濡れ狐の動きに何か感じたようだった。


「どうしたのー?」


 顔を上げる濡れ狐。ウィルが戸惑っていると魔法の霧がウィルの視線を誘導し、別の個体を指し示す。個体を見たウィルはすぐに気が付いた。


「おけがしちゃったこがいるんだね」


 ウィルの視線の先には傷ついた足を持つ濡れ狐の個体がいる。傷跡はまだ生々しい。よく見れば他にも傷を負った個体が見受けられた。その多くは先日の騒動で傷を負ったものと思われる。

 濡れ狐の求めるものを理解したウィルが笑顔で頷いて。


「くろーでぃあ」


 呼ばれたクローディアがウィルの意図を組んで広域に回復の魔法を展開する。広場に集まった濡れ狐たちの傷が魔法の光に触れて癒され始めた。どこか元気のなかった濡れ狐も活力を取り戻していく。

 傍目には魔獣を治癒する危険極まりない行為だがシローたちの感想はまた違ったものであった。


「自分たちでは傷を癒せないんだな……」


 ぽつりと呟くシローに気付いたウィルが不思議そうに首を傾げる。

 シローの言葉の意味を理解したアジャンタとシャークティがウィルにも分かりやすいように説明してくれた。


「霧属性の魔法って水と火、それから光の属性で合成されているでしょ? 属性的には回復魔法を行使するのに向いているはずなのよ」

「それなのに高度な魔法を使うはずの妖獣がウィルに回復をお願いするのは不思議だってこと……」


 実際、上位に位置づけられる魔法の属性の中で樹属性と霧属性には回復魔法が存在する。

 魔獣の中には自らの魔法で傷を癒すモノも存在するので魔獣が回復魔法を使えないということはない。単に知識として濡れ狐たちが回復魔法を知らないということなのだろう。

 説明を受けたウィルが理解したようにほうほうと頷いている。


(ひ……みず……ひかり……)


 ウィルが心の中で反芻する。

 ウィルも水属性と光属性の回復魔法のことを知っている。回復魔法を練習するのに何度も使っているからだ。そして使用頻度のまだ少ない火属性の魔法にも浄化の作用があることを知っていた。

 組み合わせれば得意としている樹属性の回復魔法と同じようなことができるはずで。

 クローディアが濡れ狐を治癒している間、ウィルは手を合わせてぶつぶつと何かを呟き始めた。その様子をシローたちも濡れ狐も不思議そうに見守っている。

 ウィルが頭の中でウィル自身もまだ知らない魔法の魔力の配分を構築していく。


「こんなかんじだとおもうんだけどー」


 合わせた手を広げたウィルの前に溢れる回復魔法と分かる光。弱々しい回復魔法を濡れ狐も驚いたように眺めている。


「ちょっといまいちー」


 魔法が維持できずに消えてしまい、ウィルが困ったように息を吐いた。

 知りもしない魔法をいきなり発動してしまったウィルにシローも困った笑みを浮かべてしまったが、ウィルのしようとしていることも同時に理解する。ウィルは濡れ狐に回復魔法を見せて教えてあげようとしているのだ。


「水と光の回復魔法を見せてあげればいいんじゃないかな?」

「なるほどー」


 濡れ狐は霧属性の魔獣だが上位の魔法である以上、水属性と光属性を扱える可能性がある。同種の魔法であればウィルのしようとしていることも濡れ狐に伝わりやすいだろう。


「あのぅ……シロー殿?」


 濡れ狐に魔法を伝授しようとしているウィルの姿を見て隊長が思ったままを口にした。


「私には濡れ狐がさらに強くなろうとしているように見えるのですが……」


 隊長の懸念はその通りで、傍で聞いていた一片も思わず笑ってしまった。

 ウィルは濡れ狐を強くしようとしている。ウィルにその自覚があるかどうかは微妙だが。そんな双方のやり取りはお互いがお互いを気に入っているように見えて可笑しい。


「じょーずじょーず」


 一定の成果は得たようで、回復魔法を発動する濡れ狐を見たウィルが満足げに手を打ち鳴らした。

 そんなウィルに濡れ狐の操る魔法の霧が何かを運んでくる。


「これはー?」


 霧がウィルの手を導いて、何かを握らせる。一抱えもあるそれは魔力を帯びた綺麗な獣毛であった。

 顔を近づけた一片が匂いを嗅ぐ。


「これは濡れ狐の獣毛だな」

「濡れ狐の!?」


 一片の言葉に隊長が驚き、隊員たちが騒めく。

 濡れ狐の獣毛とは魔力を帯びた特殊な繊維で滅多なことでは手に入らない高級品だ。それこそ一財産築けるようなものである。

 濡れ狐たちがその価値をどれほど知っているかは疑問だが、己が身から取れる素材を自ら贈るなどよほどのことだ。


「ありがとー」


 濡れ狐からの贈り物を笑顔で受け取ったウィルが【戯れの小箱】の中に獣毛を押し込む。

 ウィルと濡れ狐は完全に打ち解けたようだ。だが、そこは人と妖獣。別れは来る。ウィルもそのことは理解しているようであった。

 妖獣が身を起こすと今までくつろいでいた他の濡れ狐たちも動き出す。彼らの用事は済んだ、ということなのだろう。

 この場を去ろうとする濡れ狐に対し、ウィルは決心して月属性の魔力を展開した。不思議な魔力の光に濡れ狐が興味を示す。


「ぬれぎつねさんとうぃるのなかよしのあかしー」


 ウィルが展開した魔力はウィルが友情の証として認識している精霊や幻獣との契約紋だ。

 しかし魔獣よりもはるかに強い力を有する妖獣であっても契約することはできない。ウィルもそのことを理解している。それでもウィルにとって魔力を触れ合わせる事は意味のある行為であった。

 妖獣もウィルの想いをなんとなく理解できたようで、自身の魔力でウィルの契約紋に触れる。


(ぬれぎつねさんはやさしー)


 触れる魔力から感情と意志をなんとなく感じ取ったウィルが魔力を用いて濡れ狐を受け止める。濡れ狐もウィルを受け入れてくれている。恩に報いるために力になりたい、と。しかし彼らは魔獣であり、この森の主である。この地を離れることはできない。生きていける場所が違うのだ。

 お互いの想いが触れ合って、魔力の光がいくつも溢れて。ウィルと濡れ狐の間を優しい光が何度でも行き交う。


「隊長、泣いてるんですか……」

「お前もじゃないか……」


 見たこともない神秘的な光景に感極まって涙を流す者もいた。先程まで恐怖の対象として恐れていたはずの領域の主と幼いウィルの触れ合いは温かな光に包まれて神々しさすらあった。

 そして、そんな不思議な光景に言葉を失ったのは人間だけではなかった。


(馬鹿な……)


 ウィルと濡れ狐の様子を眺めていた一片が胸中で呟く。

 彼はその光景によく似た出来事を知っていた。知っていて止めようともしたがすでに手遅れ。

 黙って成り行きを見守っていた風属性の精霊であるアローも思わずシローの鞘から顕現し、口に手を当てて驚いている。


「一片、これって……」

「いや、しかし……そんなはずは……」

「どうした? 一片、アロー?」


 さすがのシローも何が起こっているのか分からず、驚きから固まっている幻獣と精霊を交互に見る。

 アローが魔力の玉を指差してシローたちがそれを視線で追った。

 思い思いに飛び去って行く光の玉。その中で留まった玉に変化が起きた。光が徐々に形を変えて、それが狐へと変化していく。


「まさか、幻獣か……」


 目の前の現象にシローも口を開けてしまった。次々と生まれてくる新たな狐の幻獣を目にして、大人たちも言葉を失ったまま立ち尽くす。

 精霊や幻獣が己の魔力を用いて新たな幻獣や精霊を生み出すことはある。一片とアローもそうしてレヴィたちを生み出し、トルキス家の子供たちと共に成長するように計らった。

 だがウィルは人間なのだ。それが妖獣と魔力を掛け合わせ、新たな幻獣を生み出すなど一片やアローですら聞いたことのない話であった。

 魔力の展開を終えたウィルが崩れ落ちるように膝をつく。


「ウィル!?」

「ウィル様!?」


 我に返ったシローとレンがすぐにウィルを覗き込んだ。

 額に汗を浮かべ、荒く息を吐くウィルは見た目にもかなり疲弊している。おそらく限界近くまで魔力を消費したのだ。人の身で新たな幻獣を生み出すなどという前代未聞の結果を考えれば当然のように思える。

 だがウィルの表情は疲れていても満ち足りたものであった。

 深く息を吐くウィルに一匹の小さな狐の幻獣が歩み寄り、気遣うようにその手を舐める。

 この子狐はウィルと一緒にいることを選んだようで、それを理解したウィルが疲れた顔に笑みを浮かべた。

 ウィルが子狐を撫でて抱き上げ、アジャンタたちに支えられながら立ち上がる。

 不思議な現象が収まった広場から濡れ狐たちが一匹、また一匹と森へと帰り始めた。最後まで残った妖獣の濡れ狐がウィルとその腕に抱かれた子狐に視線を送ってから踵を返す。森に帰る選択をした幻獣の子狐たちと、来た時と同じく静かな足取りで領域の主は森の彼方へと消えていく。

 濡れ狐たちを見送ったウィルはなんとか息を整え、調査隊の方へ向き直った。

 ウィルが何かを言おうとしている。そのことに気付いて全員が姿勢を正した。

 伝えようとしている内容はウィルにとってまだまだ難しい。そのことを理解してクローディアがウィルの肩に手をかけた。


「森のことは樹の精霊に……」

「うん……」


 代弁してくれると理解したウィルが頷いて、クローディアに後を託す。

 ウィルを他の精霊たちに任せたクローディアが一歩前に出た。注目するトルキス家の家臣たちとソーキサスの調査隊をゆっくりと見回してから彼女は口を開いた。


「ウィルベル・ハヤマ・トルキスの名において、精霊たちが命じます。今後、森の守護者たる濡れ狐へ手出しすることを禁じる、と。人が手を出さなければ今後彼らが人に牙を向けることはありません。ここで新たに生まれた幻獣がその証。お互いが尊重し合えれば、帝国も森も双方長く繁栄すると断言しましょう」


 それが精霊であるクローディアの言葉だったからか、それとも神秘的な光景を見た後であったからかは分からない。おそらくその両方か。

 調査隊の隊員たちは誰に言われるまでもなく膝をつき、またトルキス家の家臣たちもそれに倣って。この場の誰の異論もなく、ウィルと精霊の願いを重く受け止めた。


「畏まりました。間違いなく皇帝陛下にこのことをお伝えいたします」


 代表して調査隊の隊長がクローディアに答える。

 今後の濡れ狐への対応はこの場では決まらず、一度帝国へと持ち帰って正式に議論される。だがウィルと精霊の願いであれば皇帝レオンハルトが悪いようにすることはないはずだ。各ギルドの関係者も帝国が法を整備すればそれに従うだろう。元より手を出せる冒険者など限られているが、これで濡れ狐が狩りの対象になることはない。


「これでいいかしら、ウィル?」

「うん。うぃるたちとぬれぎつねさんはおともだち……」


 疲れ切ったウィルがはっきりと断言する。この場にいた誰もウィルの言葉を疑う者はいない。それだけのものを目の前で見せられた。


「さぁ。調査に戻りましょう」


 シローが音頭を取って。各々が森の調査へと戻っていく。

 魔力を消費し過ぎたウィルは休養を要した。レンに付き添われて広場に腰を下ろす。


「また無茶をなされて……」


 眉根を寄せて心配してくるレンにウィルが笑みを浮かべた。


「ぬれぎつねさんはわかってた……」


 ウィルの魔力の展開がどれほど魔力を消費するのかを。分かっていて濡れ狐は力を貸してくれたのだ。それほどの魔力的繋がりをウィルは感じていた。そうでなければウィルが幻獣を生み出すことなどできなかった。

 濡れ狐のウィルへの信頼は傍目にも理解できるものなのだが。


「事ある度にこんなことをされても困るのですが?」

「ぬれぎつねさんぐらいなかよくならないとむりー」


 苦言を呈するレンにもウィルの満足そうな表情を覆すことはできず。

 ウィルとその腕の中の子狐に見上げられてレンは深々と嘆息した。


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[一言] 今日も可愛くてかっこいいウィルベルを堪能させてくれて感謝
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