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ウィルvs怨霊鯨

「ここは……」


 巨人の中に吸い込まれたシローが一片やアローと並んで周囲を見渡す。薄暗がりの閉ざされた空間。ウィルがルナと並んで立っており、その前にはアジャンタたち精霊が並んでいる。皆一様にどちらが前なのか理解しているように同じ方向を見ていた。


「ここは月の魔法で生成された騎士の中心部。核に当たる部分です」


 シローの呟きに向き直ったルナが丁寧に説明する。


「基本的な魔法イメージはウィルのゴーレムと同じものです。ウィルはゴーレムの頭の上に陣取っていましたが危険も多いですので、より身を守りやすい内部にそうした空間を形成したのです」


 ルナの言葉に応じるように光が灯り、空間の全容が明らかになった。全面が内側から透けて見えてどこでも見渡せる魔法領域。だが足場はしっかりとそこにある不思議な感覚。空間を暖かく包むその光はウィルが魔法の巨人を掌握したことを意味していた。


(……速い)


 ルナからしてもそれは予期せぬ速度であった。

 いくらウィルが日頃からゴーレム生成の魔法に慣れ親しんでおり、そのゴーレムと似た性質の魔法を与えられたのだとしても異なる魔法を理解するのは容易なことではない。それなのにウィルはルナが手助けをする前に魔法を掌握してしまった。


「……ウィル、動かせそうですか?」

「うごかせるよー。どらごんさんとたたかったときとにてるかんじー」


 ルナの問いかけにウィルは何でもないことのように言ってのけるが、似ているだけだ。

 以前のドラゴンとの戦いではウィルの魔法がベースになっていた。だからウィルが動かせたとしてもそこまで驚くことではない。だが今回は違う。ルナが用意した全く新しい魔法なのだ。

 その掌握速度にはアジャンタたちも驚きを隠せないようであった。


「なにこれ……」

「……すごい」

「別属性の魔法のはずなのに私たちの理解まで深まっていく感じがするわ……」


 アジャンタ、シャークティ、クローディアと言葉を漏らすがその口調は明らかに高揚していた。


(月属性の影響を受けた精霊たちがその恩恵を受けることは不思議ではないのですが……)


 精霊たちの反応には納得するルナであったがシローたちの視線が痛い。なんとなくとんでもないことが起こっていると察しているシローたちの視線は誤魔化すことができないようだ。


「このような強大な魔法、我が子に与えても大丈夫なのでしょうか?」


 素直な疑問をぶつけてくるシローにルナが笑みを返す。


「大丈夫です。この魔法は幼く運動能力が未熟なウィルのために用意した、いわば補助を目的としたもの。いずれは月属性を使いこなすための足掛かりとなる魔法です」


 月属性の魔法の真価はこんなものではないのだ、と。ルナはシローたちを安心させようとするが。

 問題はそんな足掛かり的な魔法をウィルがあっさりと乗りこなしてしまっていることだ。本来であればルナの手助けを得て、使い方を覚えていくはずの月属性の魔法を。


「ウィルにとって魔力操作を多用するこの魔法は相性が良過ぎたのかもしれません……」


 それとなく一片がルナを庇う。

 一片はルナの思惑もウィルの反応も理解しているようであった。ウィルは自身の未発達な運動能力のことをしっかりと理解していて、普段から得意な魔法で補おうと模索している。その中には高度な魔力操作も含まれており、ウィルはそれを楽しんでいる節があった。そんなウィルであるから与えられた魔法の騎士に魔力を流して早々に掌握してしまったのだろう。


「たって!」


 ウィルの命令に反応した巨人の目に光が宿り、ゆっくりと立ち上がる。そんな堂々としたウィルの姿にルナは目を微かに細めた。


(おそらく魔法の素養は初代精霊王より上……)


 胸中でそう納得するとルナはそれ以上驚くのはやめてウィルと魔力を同調した。今は怨霊鯨を浄化する方が先だ。怨霊鯨は既に街の方へと移動を開始していた。


「あいつ、こっちにきてる!」

「ええ。怨霊鯨をこれ以上街に近づけてはなりません。奴が街に近づけば奴の怨念が街の人々に害をなす恐れがあります。そうなる前に浄化させなければ……」

「わかった!」


 勇むウィルに呼応して月下の騎士がゆっくりと動き始める。見送る人々に影響を及ぼさない場所まで来ると月下の騎士は走り出した。


「あじゃんた!」

「まかせて!」


 風属性の速度強化を得た騎士が緑色の燐光を纏って速度を上げる。巨大な怨霊鯨が見る見る近付いてきた。

 怨霊鯨の顔を見たウィルの体がびくりと震える。


「かおがこわい!」


 怨霊鯨の生気のない顔は生理的にも訴えかけるものがあって、おばけ嫌いのウィルでなくても怖気を覚える。

 だがそんなウィルを勇気づけるように精霊たちの魔力が繋がっていて、ウィルは気を引き締め直した。


「とまれー、おんりょーくじらー!」


 ウィルの声に反応した騎士が勢いのまま拳を引き絞る。地を滑り、弓なりに構えた拳が突進してくる怨霊鯨の鼻先に炸裂した。

 幽体であり、物理攻撃の効かない怨霊鯨だが魔力は別だ。騎士に叩き込まれた魔力の衝撃には耐え切れず、勢いが止まる。


「――――!?」


 しかしウィルは追撃をせずにいったん騎士を後方へ引かせた。お互い推進力を失い、騎士と怨霊鯨が睨み合う。

 追撃のチャンスをみすみす逃したウィルにシローが首を傾げた。


「どうした、ウィル?」

「この子、ぐるぐるぱんちとどこまでもぱんちがつかえないー」


 ウィルが言っているのは肘から下を高速回転させてドリルのように拳を撃ち出す攻撃と肘から下を発射して間合いの外から敵を捕らえる攻撃だ。どちらもゴーレムを操作している時は心強い攻撃手段である。

 しかし新たな魔法である騎士はより人間に近づいたせいかその手の攻撃手段に反応しなかったのだ。

 魔力を通じてそのことを理解したウィルは攻撃の選択肢に不備が生じて怨霊鯨と距離を取った。


(特大の怨霊相手に拳で殴り合う気だったのか……)


 怨霊と初めて対峙するウィルには仕方のないことだが。実体を持たない怨霊を殴ろうとする人間はまずいない。距離を取って魔法で浄化を試みるのが一般的なのだが、初めての相手に初めての魔法。ウィル自身の戸惑いが見て取れる。

 少々不安になってしまうシローであったが、中にはそうでない者もいるようで。ルナは変わらず落ち着いた様子であり、隣にいる相棒は腹を抱えて今にも笑い出しそうであった。


「怨霊、殴るとか……プクク……」

「お前は楽しそうね……」


 必死に笑いを噛み殺している一片にシローがしらけた視線を送る。何とか笑いを堪えた一片は目に涙を浮かべながら息も絶え絶えに答えた。


「そうか? そうだな……」


 その視線は嬉しそうにウィルの後ろ姿を見ている。


「儂はウィルの成長を見るのが楽しいのだ」


 もちろんセレナやニーナも。どんどん成長していく子供たちの姿を見るのは一片の楽しみの一つであった。ウィルの予想外の行動も一片は楽しくて仕方ないのだろう。

 そんなウィルは助けを求めることもなく自分の肘を曲げて、手を握ったり開いたりしている。まるで自分の腕の感覚を確かめるように。

 その一連の動作が自分の腕の感覚を確かめるためのものではないということをシローはすぐに理解した。


(魔力の感覚を確かめているのか?)


 何でもない所作で魔力の感覚を確認する我が子の後ろ姿にシローが心を震わせる。おそらく幼くして魔力に目覚めたウィルにとって身の内に宿る魔力は体の一部のようなものなのだ。その延長線上に魔法があり、ウィルは容易く魔法を理解している。

 しびれを切らした怨霊鯨が身を伸ばし、月下の騎士に食らいつかんと前へ出る。それを後方に飛び退いてかわしたウィルが騎士の腕を前に構えさせた。


「あじゃんた、まだん!」

「烈風の魔弾!」


 瞬時にアジャンタと魔力を通い合わせたウィルが騎士を通じて大量の魔弾を撃ち出す。騎士を媒介とした強大な魔弾が怨霊鯨を押し返す。

 その隙にウィルは素早くシャークティと魔力を通い合わせた。


「しゃーくてぃ、ぶき!」

「月塊の大槌……!」


 騎士の手に魔力の光が溢れ、大きな槌を形成する。魔弾に怯む怨霊鯨を目掛けて騎士が飛びかかった。


「じょーかしろー!」


 振りかぶった大槌を怨霊鯨の脳天目掛けて打ち下ろす。頭上からの衝撃に耐えかねた怨霊鯨の頭部が大地へめり込んだ。


「まだまだー!」


 騎士が舞うように身をひるがえし、縦横無尽に振り抜かれた大槌が連続して怨霊鯨を捉える。

 顔を弾かれながらも抵抗した怨霊鯨がぶるりと身を震わせた。


「ウィル、上だ!」


 すぐさま異変を感じ取ったシローの鋭い声が飛ぶ。

 釣られて見上げたウィルはその光景に背筋を粟立たせた。

 怨霊鯨の背面から無数に生え出た細長い腕。それらが宙で弧を描いて騎士目掛けて降り注いでくる。


「ぴぎゃあああ!」


 気味の悪い光景が視界いっぱいに広がってウィルがどこから出したのかという悲鳴を上げた。

 すぐさま飛び退いた騎士を追い立てるように細長い腕がうねって騎士を捕まえようと迫り来る。


「うねうねするなー!」


 騎士が飛びずさり、細長い腕が後を追う。右に逃げても左に逃げても腕は追いかけてきた。手にした大槌で振り払うも無数に迫る腕には効果が薄い。


「ウィル、月風の双刃!」


 武器の相性が悪いと判断したアジャンタが魔法を発動すると土塊の大槌が光り輝き、今度は二振りの剣と化した。


「斬り裂いて!」

「あっちいけー!」


 風魔法の影響からか動きまでも俊敏となった騎士が迫る腕を掻い潜りながら次々とそれらを斬り飛ばす。斬られた腕は浄化の光に包まれたが、怨霊鯨は新たに腕を生やして騎士に追いすがる。

 連動して食らいつこうとする怨霊鯨と追尾する細長い腕に騎士は攻め立てられていた。


「こっちくんなっていってるでしょー!」


 しつこく追い回してくる腕におかんむりなのか、ウィルが吼えて魔力を込める。一瞬にして加速した騎士が跳躍し、回転しながら腕の雨を纏めて撫で斬った。上空で身を広げた騎士が剣先で怨霊鯨を指す。


「つきくれのふくわん!」


 騎士の背後が光り輝き、三対六本の腕が飛び立つ。副腕は上空に展開し、狙いを定めるように掌を怨霊鯨に向けた。


「くしざせ、あじゃんた!」

「暴風の直槍!」


 展開された月塊の副腕の掌から魔力の光が溢れ、意味を成した魔法の槍が同時に解き放たれる。六本の槍は怨霊鯨の体を貫通し、その身を地面に縫い付けた。


「ぶっつぶれろー!」


 着地した月下の騎士がその手にした武器を月風の双刃から月塊の大槌へ瞬時に切り替えて怨霊鯨に猛進する。振り上げた大槌を力の限り怨霊鯨へ叩き込んだ。大槌がめり込み、怨霊鯨の顔面がひしゃげる。打撃の衝撃波が怨霊鯨の体を突き抜けた。

 渾身の一撃の余韻に騎士が動きを止める。それほど強烈な一撃であった。怨霊鯨もあまりの衝撃に沈黙してしまった。

 しかし――


「ほへっ?」


 ウィルの口から間の抜けた声が上がった。確かに手応えはあった。しかし怨霊鯨は浄化されずにその場に留まっている。先程のように背面から腕を生やすような動きも見せてはいない。

 動きを見せない怨霊鯨から大槌を引き抜き、月下の騎士が距離を取った。暴風の直槍によって大地に縫い付けられた怨霊鯨の動きを観察する。

 何かがおかしい。ウィルの勘がそう告げていて、追撃の手をこまねいていると突如として怨霊鯨が身を震わせた。

 ぴしり、と怨霊鯨の顔に裂け目ができて。まるで花開くかのように捲れて異形の口が姿を現す。

 あまりの醜悪さにウィルの頬が引きつった。


「ふんぎゃああああああああ!!」


 聞いたことのないような叫び声を上げながらウィルが騎士を後退させる。


「かおが、かおがー!」


 今し方ぶっ潰れろとは叫んだがこんな有様を望んだわけではない。

 再び動き出した怨霊鯨は顔どころか体中に裂け目を増やし、自由を取り戻して騎士に襲い掛かってきた。先程よりも荒々しく貪欲に。命を貪ろうと身をくねらす。


「なんなの!? なんなのー!?」


 すでにどこが頭でどこが尻なのか。

 荒れ狂う怨霊鯨を前にしてウィルは涙目で絶叫を繰り返していた。


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