白鬼
旧街道の真ん中で子供たちが身を寄せ合う。
見たこともない白い怪物と対峙するように大人たちは子供たちの外側に立った。とはいえ、大人たちは四名。包囲する怪物に対してあまりにも多勢に無勢だ。
誰の目にも絶望的な状況で静観する怪物たちの間から白いローブの男――ドミトリーが姿を現した。
「ずいぶんと好き勝手してくれたな」
「……何者だ? 騎士共の仲間か?」
ロンが静かに誰何すると答えは後ろにいるウィルから返ってきた。
「あのひと、にせもののひとだ! あのひとがでんぜるおじさんにへんしんしてたんだ!」
断言するウィルにドミトリーの動きが一瞬止まる。苛立ちからではない。先程、完全にしてやられた子供に対する警戒心からであった。
「やはり、危険な存在だ。そのガキは……」
その言葉がすべてを物語る。ドミトリーは不用意に前には出ず、その傍らに巨大なオーガを控えさせて護衛に当たらせていた。
周囲を油断なく見回していたマクベスが小さなため息を吐く。
「またとんでもないものを引っ張り出してきたものだ……」
その口ぶりは怪物の正体を知っているようで、ドミトリーや子供たちの注目を集めた。
マクベスが淡々と尋ねる。
「君はそれが何なのか、知っているのかね?」
「神の尖兵だよ。少なくとも私が所属していた白の教団はそう呼んでいた」
「神の……?」
ドミトリーの答えにマイナは疑問を抱いた。それは知識のある者なら当然の疑問だ。
世界には様々な信仰があるが、その基本は精霊や幻獣が元になっている。だが目の前の怪物はどう見てもそれらの存在からは程遠い。
「知っているのか?」
ロンが警戒を崩さず尋ねるとマクベスは静かに答えた。
「聞いた程度の話だ……君たち人間で言うところの邪神というやつだよ」
邪神。その言葉がいい意味ではないことは子供にだってわかる。何より見たままの風貌である。
「角が多いほど有する力も強い。見れば想像はつくだろうが……」
そう説明するマクベスに倣って怪物たちを見てみると、多少の個体差はあるものの言葉通りであるようだ。
一本角は屈強だがその大きさは大人程のものである。二本角は大型の魔獣ほどの大きさで一本角よりさらに強靭に見える。三本角を持つオーガは強靭な体のところどころに動物的な特徴を有していた。そして馬車を襲い、ドミトリーを護衛している四本角は強靭な巨躯に翼や尻尾まで生やしており、その姿はもはやオーガと呼称するには異形で悪魔じみている。
「よしておきたまえ。それは人間の操れる類のモノではないぞ」
「ご忠告感謝する。だが今やこの軍団は完全に私の支配下にある」
マクベスの忠告は当然のようにドミトリーへは届かない。それを示すように一本角たちが前に進み出た。
「大人しく捕虜となれ。君たちには帝都陥落を特等席で見せてやろう」
ウィルたちを人質にするべくオーガたちが包囲を狭めてくる。その圧力に子供たちが一層寄り添った。
「なんとかなると思うか?」
ロンが攻撃態勢を取ったままマクベスに尋ねるとマクベスは小さく嘆息した。
「狙いが私や君なのであればなんとかなるのだろうが、ね……」
「だよなぁ……」
ロンが短く同意する。相手の狙いは人質の確保であり、その対象は子供たちだ。圧倒的多数のオーガたちが子供たちに押し寄せればテンランカーのロンや同等の力を持つマクベスであっても守り切ることは難しい。
子供たちの安全が保障されるのであれば抵抗するよりも大人しく投降した方が子供たちが傷つく可能性は低くなる。
迫るオーガ。周辺の魔獣の気配も刻一刻と増してきている。時間はあまりない。
(どうする……?)
より良い策を求めて思考を巡らせるロンに応えたのは案の定ウィルであった。
「おことわる!」
子供たちの前に立ち、頬を膨らませるウィル。そんなウィルに対してドミトリーの表情が険しくなる。
ウィルはドミトリーを真っ直ぐ睨みつけた。
「うぃるたちはおうちにかえるの! わるいおじさんはよんでない!」
「……だったらどうするというのかね?」
「こーする!」
言うが早いか。ウィルが手を上げるとアジャンタやシャークティ、クローディアが一斉に姿を現した。
「やはり精霊と契約していたか……」
ウィルの魔力は誰の目から見ても異常だ。ドミトリーももしやという予感があったがさすがに三柱同時に精霊を見て顔色が変わる。超常的な軍団を手にしたとしても幼いウィルの行動だけは予想できないのだ。
身構えるドミトリーに対して精霊たちが声を揃えて朗々と詠唱する。
「「「土の抱擁、草樹の芽吹き、風の歌! 聖域の境界、我らに迫りし災禍を阻め、精霊の城壁!」」」
魔力が意味を成し、強固な防御壁が構築されてウィルたちとオーガたちの間を隔てる。
攻撃的ではない魔法の効果に身構えていたドミトリーは微かに安堵の表情を浮かべた。
「何をするかと思えば……」
精霊たちが力を合わせた強力な防御魔法である。しかしいかに強固とはいえ攻撃を受け続ければいずれは突破される。事態を好転させるほどの力はこの魔法にはない。
そのことを理解したドミトリーは自分の優位を確信し、余裕を取り戻していた。唯一の懸念材料であるウィルもここに至って自分や白いオーガの軍団を上回る術はないのだと。
「無駄な抵抗だ」
「あっちいけ! しっ、しっ!」
ウィルの嫌なモノを遠ざけようとする子供らしい態度に勝ち誇ったドミトリーの表情が愉悦に歪む。
紆余曲折あったものの計画に大きな狂いはない。目の前の防御魔法を砕いて子供たちを捕虜とすれば後は帝国軍との戦闘だけ。
「四角、防御魔法を砕け!」
ドミトリーの命令を受けた四本角の一匹が防御魔法へ迫り、その巨大な拳を打ち下ろす。拳と【精霊の城壁】の強烈な衝突音に子供たちから悲鳴が上がった。二発三発と繰り出される拳が防御魔法の耐久力を削っていく。そのたびに衝突音が森に響き渡った。
「大丈夫なのか、これは!?」
怯えるマリエルを抱き寄せながらハインリッヒが声を上げる。子供たちの目から見ても防御魔法が押し込まれているのが分かる。それなのにウィルは動かず、防御魔法が破られるのを黙って待っているように映った。
先の濡れ狐との戦いで躍動していたウィルとは大違いで子供たちの間にも不安が広がっている。
しかし、セレナとニーナは落ち着いていた。ウィルの狙いが分かっていたから。
「大丈夫です、ハインお兄様」
はっきりとしたセレナの声が子供たちの不安を和らげる。ニーナも皆を勇気づけるように笑顔を見せた。
「私たちの状況はもう伝わっているもの!」
誰に、と問いかけたくなるハインリッヒたちであったが答えを聞く前に足元から反応があった。
ブラウンが一声鳴いて、戦況を睨みつけていたウィルが笑みを浮かべる。
「きた!」
ウィルの言葉が示す通り、子供たちの背後から風が吹き抜けていく。気付いた時には脇を駆け抜けた風の一片が防御魔法に拳を打ち下ろしていた四本角のオーガを突き飛ばしていた。
「吹き飛べぃ!」
一片の咆哮が強烈な風を呼び、白いオーガたちに襲い掛かる。ウィルたちを包囲していたオーガたちが耐え切れずに吹き飛ばされていく。
「ガキどもを捕らえろ!」
強風にあおられてオーガにしがみ付いたドミトリーがなりふり構わず声を荒げた。
命令に従い、ウィルたちに迫ろうとするオーガたち。しかしその動きも次に放たれた一撃で無力化された。
「風禍旋刃!」
シローの一刀が風を巻いて、周囲から迫ろうとするオーガたちを魔法の斬撃で次々と斬り飛ばしていく。
「とーさま!」
ウィルたちの前に降り立ったシローに子供たちから歓声が上がる。ロンもその懐かしい背中に目を細めた。
「待たせたな」
「おせーよ」
解けた防御魔法を潜ってロンがシローと並び立つ。
マクベスと一片も並んで子供たちの前に壁を作った。
「お届け物よー」
飛翔する風の上位精霊であるアローが遅れて次々とトルキス家の家臣たちを下ろしていく。
レンにラッツにエジル、ポーを除いたモーガンのパーティー、ガスパルのパーティー、それにルーシェやモニカも一緒だ。
「ブラウン、よくやった!」
エジルに呼びかけられたブラウンが駆け出してエジルの肩によじ登る。
次々と子供たちの周囲を固める家臣たち。その中でレンが一人、シローやロンの前に歩み出ていた。
((怒ってる怒ってる……))
その立ち振る舞いを見れば付き合いの長いシローとロンにはレンの様子などすぐに察しが付く。
レンが最前線を張るようにドミトリーたちの前に立ちふさがった。
「こ、このっ……!」
ドミトリーにとって突然の乱入者が面白いわけはなく、歯噛みしてレンたちを睨みつける。
増援は思ったほど多くない。数の有利は俄然ドミトリーにあった。
「少し数が増えたぐらいでこちらの軍勢をどうにかできると思っているのか!」
圧倒的な数の有利、信じて疑わないオーガたちの実力。その全てをもってドミトリーが号令をかける。
「敵を排除し、子供たちを奪い返せ!」
ドミトリーの声に反応して白いオーガたちが動き出す。
レンに掴みかかろうと四本角のオーガが手を伸ばし、突っ込んできた。その手が触れるか触れないか、その瞬間オーガの腕が上方に打ち上げられた。
「下がれ、下郎!」
手甲でオーガの腕を弾き、上体の起きたオーガの懐に潜り込んだレンの拳に黒炎が宿る。
「煉華散弾砲!」
打ち出された渾身のボディブローと共に解放された魔力が散弾となって纏めてオーガに叩き込まれる。巨躯を誇る四角の体がくの字に曲がり、黒炎の尾を引いて後方へと吹き飛んだ。
強烈な一撃をもってオーガを退けたレンの後ろ姿にウィルが目を見開く。
「れん、つのが……」
レンの側頭部には羊を思わせるような角が生えていた。そんな見たこともないレンの姿にウィルが戦慄して頭を抱える。
「きっとうぃるがわがままをいってもりにきたから……」
怒ったレンに角が生えてしまったのだと。真剣に悩むウィルにさすがのハインリッヒたちも苦笑いを浮かべた。
「ウィル、違うと思うわよ?」
「そうよ、ウィルのせいじゃないわ!」
「ほんとー……?」
セレナとニーナに諭されてウィルが顔を上げる。怒っているのは間違いないが、それはウィルのせいではない。
ウィルを励ましながらセレナはなんとなく察していた。
「おそらくだけど……レンさんは魔族なのよ」
「まぞくー……?」
首を傾げたウィルが視線をレンへと移す。
戦闘を開始した大人たちの隙間からレンの姿を見たウィルはぽかんと口を開けていた。




