ウィル、森へ入る
「したがえしゃーくてぃ! つちくれのしゅごしゃ、わがめーれーにしたがえつちのきょへー!」
小さな両手をかざしたウィルの前に魔法のゴーレムが組み上がっていく。
大きさは三メートル程。しかしその体躯は魔法の練度を示すようにまるで巨大な騎士のようであった。
「わぁ……」
ゴーレムの雄々しさにマリエルが感嘆の吐息を漏らす。
それに気を良くしたウィルがさらに腕を振り上げた。
「まだまだいくよ! こねくと、したがえあじゃんた! はるかぜのぐそく、はやきかぜをわがともにあたえよおいかぜのこーしん!」
【春風の具足】を接続されたゴーレムが淡い緑の燐光を身に纏う。その姿は誰の目にも神秘的であり、壮観だ。
「あじゃんた、おねがーい」
「任せて、ウィル」
ウィルが促してアジャンタの防御魔法がみんなを取り囲む。防御魔法はそのまま浮かんでゴーレムの背中に張り付いた。
ウィルとマリエルを肩に乗せ、大人たちを背負ったゴーレムが真っ直ぐ森を見つめる。
「すごいわ、ウィルちゃん」
「えへー」
ゴーレムの頭越しに笑顔を見せるマリエルにウィルは照れ笑いを浮かべた。
「ほんとはおっきなごーれむさんもつくれるんだけどー」
ウィルも人質を救出するためには敵に見つからない方がいいと理解しているようだ。そのためゴーレムを小さく作ったのだ。しかし込められた魔力に加減はしていないようで。
「このごーれむさんはおっきーのとおんなじだけまりょくをつかったごーれむさんなんだー」
巨大ゴーレムを作るのと同じだけの魔力を小さなゴーレムに込めている。
実際、大きな魔法を大きく形成するのはそこまで難しくはない。魔力が足りていて魔法が成立すれば発動するからだ。しかし大きな魔法を小さく形成する場合、膨大な魔力を滞りなく循環させたまま形を維持させなければならず、ロスなく成立させるには相当な技量が必要になる。
ウィルは何でもないように言ってのけるが誰にでもできる芸当ではない。
「それでは、しゅっぱーつ!」
ウィルの元気な掛け声に呼応してゴーレムの目が光る。目指すは遠目に広がる森の入り口。
身を屈めたゴーレムが大地を蹴った。
「「「――――っ!?」」」
土属性のゴーレムでは想像できない強烈な加速に全員が息を飲む。たった数歩で高速に達したゴーレムが風を切って街道を走る。
「すごい、すごいっ!」
マリエルの目が輝きを増す。ウィルはマリエルの知らない景色をたくさん見せてくれる。国が、兄が大変だというのにマリエルの心は踊ってしまった。
そんなマリエルに気を良くしたのか、ウィルが高らかに告げる。
「もっともっと、ごーれむさん!」
ゴーレムが最高速度に達し、遠くにあったはずの森がだんだんと近付いてきた。
その光景はロンにも驚きのものであったが、いつまでも驚いてばかりはいられない。
「坊主、一度森の前で止まれ」
このままの速度で森に突っ込まれてはかなわない。
そう危惧したロンの忠告にウィルが元気よく返事を返す。
「りょーかい、だいししょー! こんどはまちがわない!」
「……今度は?」
何やら不穏な単語が後からついてきて、ロンは動きを止めてしまうのだった。
「坊主……」
「なんでしょー?」
「今度、機会があったら減速を覚えようか……」
「あー……」
ロンの提案にウィルはこくこくと頷いた。
ゴーレムは森に突入することなく、その手前で静止している。しかしウィルが急激な減速を図ったため、ゴーレムの後方には数十メートルに渡って豪快な溝が二本出来上がっていた。上手に止まれましたとはとても言い難い。
「あうー……」
そのことを理解してか肩を落とすウィルをマリエルが笑顔で励ました。
「次こそは頑張りましょう、ウィルちゃん」
「がんばるー」
失敗はしたが、思ったよりは落ち込んでいない。ウィルは顔を上げた。
ウィルたちは今、一度ゴーレムから降りている。
レヴィを抱き上げたクローディアが樹を介して森の様子を探り、シャークティはウィルが掘ってしまった溝を修復してくれている。ロンたちも森の入り口に目を向けているようだ。
「相手がこちらの様子を伺っている気配はないな」
ロンの見立て通り、騎士の姿は見えない。だが人質を取った以上、こちらの反撃も予想しているはずだ。拠点が知られていないと思っていたとしても無警戒であるはずがない。
(想像以上にこちらの反撃が早かったか……)
マイナから聞いた話だとウィルが追いかけていた刺客にはこちらが拠点の位置に目星をつけていることは知られている。
「騎士たちと刺客は別行動を取っている可能性もありますね」
ロンと同じように考えていたマイナの予想はおそらく正しい。刺客たちは人質を二手に分けることで帝国と人質の両方の動きを縛ろうと考えていたのだろう。マリエルのネックレスも狙いに入っていたようなので刺客たちにも都合がよかったはずだ。
(坊主の運がいいのか、刺客たちの運が悪いのか……)
ウィルさえいなければ、刺客たちの思惑通りだったに違いない。現状はウィルの介入で刺客たちは思ったほど成果を得られていない。しかもそのことに気付いているかどうかも怪しい。人質を取ったことで気が緩んでいるとしたらチャンスだ。
(とはいえ、人質がいつまでも無事という保証はない。急がないとな……)
ロンがウィルとマリエルに視線を向ける。森の中には刺客たち以外にも魔獣がいる。子供連れで行き道を急ぐのも難しいのだが、どうするか。
そんな風にロンが思考を巡らせているとクローディアがこちらに戻ってきた。
「なんかわかったー?」
尋ねてくるウィルにクローディアが笑顔で頷いてレヴィをウィルに返す。全員が集まったことを確認してクローディアが森の様子を説明し始めた。
「森の中に不自然な魔力の空白地があって、レヴィの感覚からその空白地にセレナさんたちがいるのは間違いなさそうです。あと、魔獣の密度が濃いのも少し気になります。おそらく空白地に押し出されて魔獣たちも過敏になっているのかと思います」
地面に読み取った森の情報を書き記すクローディア。さすがに森が広大なため、すべてを記すことはできないようだが空白地の位置関係も知れて非常に分かりやすかった。
説明を聞きながら気づくことがあってマイナが顔を上げる。
「帝都へ向かう道中、リザードの群れが商隊を襲っていましたが……ひょっとしたらあれは森の空白地が影響していたのかも……」
あのリザードたちは元々この森の近辺で目撃されていた魔獣だ。その可能性は大いにある。
「不自然な空白地というのはおそらく魔道具か何かで結界を張ったのだと思うが……」
「魔獣の行動範囲にまで影響を及ぼし始めているのが気になるな……」
マクベスの言葉を継いでロンが懸念を付け加える。
そんな大人たちの会話を見上げて聞いていたウィルがこくんと首を傾げた。
「すると……どーなる?」
どうやらウィルには大人たちの危惧が伝わっていなかったようだ。
小さく嘆息したロンが丁寧にウィルに言い聞かせる。
「思いもよらない所で魔獣に襲われたり、何らかの影響を受けた魔獣が狂暴化することもある」
「きけんがあぶない?」
「……その認識で間違ってないな」
ロンにウィルの言葉の誤りまで正す気はないらしい。
「人質を救出するには余計な戦闘は避けたい。魔獣が活動範囲を広げているならより慎重に行動しなければならないが……」
魔獣との戦闘で敵に接近を気付かれては元も子もない。しかし魔獣を避けて時間を浪費するのもあまりいいことではなかった。
(俺とじじいが先行すれば……それでも無理があるか……)
ロンとマクベスが可能な限り迅速に魔獣を排除したとしても、他の魔獣が血の匂いに誘われて集まってくる。力にモノを言わせる行動は得策ではなく、ロンはすぐにその作戦を却下した。
結局はウィルとマリベルを連れて隠密行動するしかないのだ。
「ふむ……」
理解したのかどうなのか。話を聞いたウィルが思案して。なにか閃いたのか、ぽんと相槌を打ってみせた。
「……何か思いついたの、ウィル?」
「えっとねー」
ウィルがシャークティの耳に思い付いたことを打ち明け、それを聞いたシャークティが頷きを返す。
「名案だと思うわ」
「やってみるー」
シャークティの了承を得て、ウィルがまた掌に魔力を込めた。
「したがえしゃーくてぃ! つちくれのししゃ、わがめーれーにしたがえつちのせんし!」
ウィルの魔力が意味を成し、合計四体のクレイマンが姿を現す。そのクレイマンにウィルが魔法を重ねがけた。
「こねくと、きたれきりのせいれいさん! あさぎりのみかがみ、わがみをうつせすいむのすがたみ!」
クレイマンの姿がウィルの魔法に覆われてその姿をウィルへと変える。それだけでも驚くべき光景だがウィルの魔法はまだ終わらない。
「こねくと、したがえあじゃんた! はるかぜのぐそく、はやきかぜをわがともにあたえよおいかぜのこーしん!」
三重に重ねられた魔法の末を見たロンたちが思い思いの表情で驚きを露わにした。
「これはこれは……」
「魔法ってこんなこともできるのね」
マクベスとマリエルは素直に表情を綻ばせ、ロンは平静を装いつつも小さく息を飲む。
(とんでもねぇな……)
大人にも負けない魔法強度。魔法同士を掛け合わせるという独特な発想。それを可能にする緻密な魔力コントロール。加えてこれだけ魔法を連発してもウィルに疲れた様子はない。
精霊と契約しているとはいえ子供とは思えない魔法能力である。
「えへへー」
そんなウィルは実に子供らしい笑みを浮かべてロンを見上げていた。すごいでしょ、褒めて褒めて、と。
根負けしたロンが微かに笑みを浮かべてウィルの頭を撫でた。
「すげぇよ、坊主」
「えへー」
認められて嬉しかったのか、ウィルの表情が一層緩む。それから嬉々として魔法の説明をした。
「このくれいまんさんはねー、ぶらうんにおしえてもらったたんちまほーがつかえるんだー」
ウィルはクレイマンたちを自分たちの周辺に配置して広範囲の索敵を行おうとしているのだ。
ウィルの説明に疑問を覚えてロンがマクベスの方に視線を向ける。
「契約してない幻獣の魔法って使えるようになるものなのか?」
「この子は魔力の流れを目で見ているそうだよ。あまり聞かない話だが、この子には使えるのだろうな」
どうやらロンの常識は留守のようである。
何でもありなウィルのことを推し量れず、諦めたように嘆息してロンがウィルの好きなようにするように促す。
了解を得たと理解したウィルが嬉しそうに指示を出してクレイマンたちを配置につかせた。
「申し訳ございません、ウィル様が我が儘を……」
頭を下げるマイナにロンが手をひらひらと振ってみせる。
トルキス家に仕える者としてマイナは知っていたはずだ。ウィルならこれくらいのことはできると。そうでなければウィルが人質救出に向かうことを許したりはしない。そしてロンがシローの息子であるウィルを守ろうと動くことも折り込み済みなのだ。
(なんつーしたたかなメイドをつけてんだよ……)
実際にマイナを動かしたのはセシリアなのだが。ロンが呆れるのも分かる話だ。
そんなマイナと少しばかり付き合いの長いマクベスも彼女の意図に気付きつつ笑みを絶やさないでいる。
「マクベスさんも申し訳ございません。危険なことに巻き込んでしまって……」
「なーに、構わんよ。そういう約束だからね」
快く引き受けるマクベス。
マイナはマクベスの実力を知らない。シローが信頼を置いているという点とマイナの速度についてこれるだけの健脚であるという点で弱くはないと感じているが、それだけである。
そんなマイナの懸念を払拭したのはロンであった。
「俺もじじいもその辺の奴らに後れを取ったりしねぇよ。ちゃんと坊主どもを親元に返してやる」
「……はい」
少しぶっきらぼうなところはあるがロンの言葉には不思議と安心させる何かがある。それがテンランカーとしての信頼か、ロンの姿勢がそう感じさせるのかマイナには分からなかったが。
「まいなー」
そんな大人たちの間にウィルの元気な声が割り込んできた。
「どうしました、ウィル様?」
「あのねー、みんなとそーだんしたんだけどー」
ウィルが後ろに居並んだ精霊たちに視線を送る。
「あじゃんたがねーさまたちのとこにいってくれるってー」
「ウィルも心配だけど、捕らわれたお姉さまたちも心配だからね」
どうやらアジャンタが先回りしてセレナたちの護衛についてくれるらしい。精霊であれば敵に気付かれずに潜入することも容易だ。ウィルと契約で繋がっているアジャンタと救出のタイミングを合わせることもできる。
自然とこの場の指揮をとる形になったロンの方へ視線が集まった。
「わかった。お願いしよう」
「あじゃんた、おねがいねー」
「まかせて!」
アジャンタが快く引き受けて空に飛び立っていく。アジャンタがセレナたちの下に辿り着けばひとまずは人質たちも安全だろう。ウィルの心配も少なくなる。
「いこー。みんなをたすけなきゃ!」
ウィルとマリエルがゴーレムに乗り込み、大人たちはいつでも動き出せるように歩いて。
その周りにクレイマンを配したウィルたちは静かに森の中へと進行した。




