微かな気配
「来たぞっ! 突破を許すな!」
中央広場から城門前にまで展開したソーキサス騎士団の防衛線が魔獣たちと衝突する。
その魔獣たちの向こう側には白いローブの刺客たちがレティスの時と同じように次々と魔獣を展開していた。
(入念な準備ができていた分、市街の被害も少ないか……)
騎士団の怒号と魔獣の咆哮を聞きながらレンが眉根を寄せる。
遊撃部隊が上手く動いているのか、目に見えて逃げ遅れた者が巻き込まれている様子はない。しかし、人々が平和に暮らすはずの市街にあふれる魔獣の様子は見ていて気持ちのいいものでは当然なかった。
手甲に覆われたレンの拳に力が入る。
次の瞬間、レンの姿は音もなく消えて、その身は宙を舞っていた。
拳に灯った黒炎が尾を引いて、奥にいるひときわ巨体のワニ型魔獣へと降下する。
天から下る強烈な一撃が魔獣の頭部を粉砕し、燃え広がった黒炎が瞬時にその全身を焼き焦がす。
拳を引き抜いたレンが魔獣から降り立つ間に、大型魔獣は断末魔を上げる間もなく死に朽ちていた。
あまりの瞬殺、凄惨な光景に気付いた者が敵味方問わず息を飲む。
それを実行したレンの表情は美しくも冷酷であった。当然それは白いローブの刺客たちに向けられたもので。
「周りの罪なき人々に害が及んでも構わぬという貴様らの姿勢……反吐が出る」
その表情は英雄【暁の舞姫】ではなく【血塗れの悪夢】のそれであった。
焦った刺客たちがレンに魔獣をけしかけるがレンの歩みは止まらない。最小の動きで魔獣を払い、一歩、また一歩と刺客たちへ近づいていく。
そんなレンが微かな気配を感じて身をひるがえした。
「――っ!」
死角から飛び込んできた男の鋭い一撃がレンの首を狙い、レンがそれを手甲で受け流す。
強襲に失敗した男が舌打ちしながら地を滑り、刺客たちとレンの間に割り込んだ。
ゆっくりと向き直るレンに対し、男――キースが微かに苦笑いを浮かべる。
「まじかよ……完全に死角から隙を突いたろうがよ……」
「そう……? 気配は感じ取れましたが?」
どこまでも冷たいレンの視線を浴びてキースの頬に汗が伝う。
一方、レンも言葉ほど余裕を感じているわけではなかった。
(踏み込みや一撃の甘さを差し引いても相当な実力者ですか……)
少なくとも王都レティスで対峙したかぎ爪の男より数段上手の実力はある。しかもこの男はかぎ爪の男が背負っていた不可思議な魔道具を使用している節はない。
(気配を消す技術に関しては……まぁ、ウィル様を知る私としては……)
ウィルが真似してしまったルーシェの気配を消す魔法は相当洗練されており、油断しているとウィルが逃走を図ろうとするためレンたちもいつしか気配察知の感覚が鋭敏になっていた。
そんなウィルの面倒を一番に見ているレンからすればキースの気配を消す技術は不完全なのだ。
レンが静かにキースの実力を推し量っているとキースが手にした幅広の曲刀を上段に構え直した。
「今度は外さねぇ」
キースの曲刀が魔力を帯びて発光する。その威力は刀身の魔力光を見れば一目瞭然。
「避ければ後ろの騎士に当たるぜ! 血風・地走り!」
振り抜いた曲刀から放たれた風属性の強力な斬撃がまるで地を滑るようにレンへ向かって飛来する。キースの言葉通り、レンが避けてもその威力は衰えず、後方の騎士たちを巻き込むだろう。
迫る斬撃を前にレンは小さく息を吸った。斜に構えるように小さく上げた左足を瞬間、力強く踏み出す。
「震脚・迎門!」
踏み込んだ足から発せられた魔力の波動がキースの斬撃とぶつかり威力を相殺する。
残った魔力の残滓がレン特有の黒炎を帯びてちらちらと揺れた。
「踏み込みだけで……ゴリラかよ」
ゆっくりと構え直すキースの顔にははっきりと引きつった笑みが浮かんでいる。
レンの発した武技はそれそのものに攻撃力があるものではない。武術の踏み込みに魔力を合わせたもので相手の機先を制する技である。
それを斬撃にぶつけて相殺してしまったのだ。
「キース様……」
声をかけてくる仲間にキースがレンから視線を逸らさずに答える。
「……あの女の相手は俺がやる。お前たちは手はず通りに動け」
「はっ……」
レンに気取られては意味がない。
キースは短くやり取りするとレンとの距離を少しずつ縮め始めた。
(生きて帰れるかなぁ……俺……)
皮肉交じりに胸中で呟きながら次の一手の為に魔力を練る。
一方、レンは静かにキースを観察していた。
(軽薄そうに見えて前掛かりになるわけでもなく……この手のタイプは何か企んでいそうですが……)
どことなくカルツに似ていると感じながらレンが大胆に間合いを詰め始めた。
(まぁ、いいでしょう。捕まえて吐かせれば同じこと……)
散歩をするかのように進むレンとにじり寄るキース。その姿勢の違いがそのまま両者の実力差でもあるのだが。
「覚悟してもらう!」
「負けるわけにはいかねぇのよ!」
双方、地を蹴って。レンの拳とキースの斬撃が交錯した。
城内の迎賓館にはウィルたちやハインリッヒたちの他に帝国貴族の子供たちやドヴェルク王国の子供たち、数名の貴族や貴族の婦人たちが集まっていた。
表向きは子供たちや婦人たちの社交会だが、実際は護衛対象として一所に集められているような形だ。
とはいえ会場内に兵士がひしめき合っているというようなことはなく、多くは場外で警備し、室内にいるのは皇族の近衛騎士団のみである。
そんな中、ウィルはというと子供たちの輪の中でぼんやりと天井を見上げていた。
子供たちの中にはウィルに倣って天井を見上げる者もいたが別段何かあるようには見えない。
ウィルだけがその微かな変化に気付いていた。
「どうしたの、ウィル?」
他の貴族の子供たちに気を利かせたニーナがウィルに尋ねると、ウィルは視線を天井からニーナへ向けた。
「にーなねーさま、まそがざわざわしてるの」
「魔素が……?」
ウィルの言いようにハインリッヒを始め、多くの者が首を傾げた。
普通は目に見えない魔素を感知することはできない。歴戦の猛者ですら難しく、精霊や幻獣の契約者になればその精度は増していく。
ウィルほどはっきりと魔素が見えるともなれば皆無だ。
そのことを理解しているセレナがウィルを優しく頭を撫でた。
「ひょっとしたら戦闘が始まったのかもしれないわね」
セレナの言葉に子供たちが思い思いの表情を浮かべる。
子供たちにも今回のレオンハルトたちの作戦が伝わっているようで、ハインリッヒや貴族の男児の中には子供ながらも引き締まった顔をする者もいた。
しかし、そんな中にあってウィルは黙ったまま足元に視線を落としていた。
(なに……?)
いつもは有事の際に騒ぎ出すウィルである。
すぐに落ち着かせられるようにと備えていたセレナは当てが外れて首を傾げた。
ウィルがじっと地面の、見えるはずのないその先まで見通すかのように固まっている。
(なんか……?)
地の底から湧き上がってくるような圧力。意志のようなものが上へと昇ってくる。
予感よりももう少しはっきりしたなにかをウィルは確かに感じ取っていた。
「なんか、くる……」
「えっ……?」
ウィルの小さな呟きは周りの子供たちにもよく聞き取れなかったようで、心配したマリエルがウィルと視線の高さを合わせた。
「大丈夫、ウィルちゃん?」
覗き込んでくるマリエルの顔をウィルが真っ直ぐ見返す。しかしその顔に怯えはなく、ウィルなりに引き締まった顔をしていた。
「だいじょーぶ! うぃるがまりえるねーさまたちをまもるから!」
突然、小さな男の子から頼もしい発言が飛び出してきょとんとしてしまったマリエルたちが笑みを溢す。
それがただの戯言ではないことを理解しているセレナとニーナだけは顔を見合わせて頷き合うと傍に控えていたメイドのアイカに声をかけるのであった。




