私兵達が吹っ飛びました
「…………」
風の余波で髪を乱したエリスが周りの惨状に目を瞬かせる。
傍らにいたセレナとニーナも同じように髪を乱して目を瞬かせていた。
「あは、あははは……」
周囲を見渡したアイカが思わず苦笑いを浮かべた。
小屋の壁は四方に倒れ、既に小屋ではなくなっていた。
固まった子供達も、驚きに目をぱちくりさせている。
どうやら怪我した者はいなさそうだ。
その反対側にいる風狼の背上で小屋を破壊した張本人が楽しそうな笑みを浮かべていた。
《どうだ、ウィル?》
「たのしかったー♪」
ご満悦な様子のウィルが精霊の少年とハイタッチを交わす。
呆れたような表情で嘆息した風の一片が足下で腰を抜かしている男達を見下ろした。
「はよう行け。二度と愚かな真似をするでない。次は儂自ら喰ろうてやるぞ?」
「「ひっ!?」」
体を震わせた男達が這いずる様に後退り、背後に向き直って走り出す。
仲間達とは合流せずに、そのまま逃げ出した。
「いっちゃった……」
むう、とウィルが口を尖らせる。
「おしおきしたかったなー」
「改心したのだ。それでよしとしようではないか」
風の一片が乾いた笑い声を上げる。
ウィルにとって、先程の魔法はお仕置きではなかったらしい。
可愛らしく頬を膨らませているが、これ以上ウィルが魔法を使うと下手すれば死人が出そうであった。
「ほ、ほれ……あそこにシローがおるぞ! 魔刀を届けよう、な? な?」
わりと必死で訴える風の一片。
私兵達に取り囲まれた中央で、こちらの様子を伺うシローの姿があった。
「とーさまだー♪」
父の姿を見つけて表情を一変させたウィルが父に向けて手を振ると、シローも手を振り返してくれた。
「いこー、ひとひらさん」
「う、うむ」
風の一片は内心、胸を撫で下ろした。
これでウィルに人を傷つけさせなくて済む。
大事な盟主の子を預かっているのだ。
下手な事はさせられない。
そんな風の一片の想いとは裏腹に、耳障りな怒号が響き渡った。
「何をしている! 手を拱いているなら、子供を盾に取らんか!」
グラムの指示に私兵達が躊躇する。
ウィルを背にするのは身の丈を超す大狼なのだ。
普通に考えれば先程の魔法の原因なのである。
実際はウィルが精霊の力を借りて魔法を発動しているのだが、その姿を見ていない者には想像つかないだろう。
「高い金を払ってるんだぞ!」
私兵達の給金を払っているのはカルディ伯爵であり、グラムに付き合っているのは小遣い稼ぎである。
私兵達が苛立ちながらも、シローの元へ向かおうとするウィルと風の一片の前に立ちはだかった。
「そうだ! あの化け物を狩って毛皮にしてしまえ!」
従い始めた私兵達に気を良くしたのか、グラムが愉悦に表情を歪める。
武器を構え、立ちはだかる私兵達にウィルがこくんと首を傾げた。
「おしおきー?」
ウィルの言葉に風の一片がビクリと体を震わせる。
化け物呼ばわりした敵の大将など構っている場合ではなかった。
《うぷ、うぷぷぷ……》
口を抑え、うぷうぷ笑い出した精霊の少女に優し気な精霊が引き釣った笑みを浮かべる。
《次は私の番ね!》
精霊の少女がウィルに耳打ちすると、ウィルがこくこく頷いた。
その様子を背後で感じ取った風の一片が群がってくる私兵達に慌てて吠える。
「逃げろ! 早く!」
いきなり慌て出した風の一片に私兵達が怪訝そうな表情を浮かべた。
異変に気付いたエリスとアイカがウィルの元へ駆け寄ろうとするが、もう遅い。
ウィルがまた魔刀を空に向かってかざし、背後に回った精霊の少女が魔刀に手を添えた。
《「集え風の精霊! 気流の弾雨、
我が敵を潰せ風圧の衝撃!」》
淀み無く発動した魔法に私兵達がざわめく。
上空に放たれた魔法が空で留まり、広範囲に散らばった。
ここに至って私兵達は悟った。
先程の魔法を放ったのは狼ではない。
背に跨る子供の方なのだと。
冗談のような光景に、私兵達は我を忘れたように空を見上げて。
その表情がだんだんと青ざめていく。
魔力を十分に含んだ大量の風塊が雨霰と私兵達に降り注いだ。
「うわあああっ!」
「ぎゃあああっ!」
「ひぃいいいっ!」
逃げ惑う私兵達。
容赦のない魔法の弾雨が地面を叩きつけた。
衝撃が地面を削り、土砂が舞う。
ある者は走って逃げ、ある者は横っ飛びに、ある者は防御壁を展開してやり過ごそうとした。
繰り広げられる惨状に風の一片は固く目を閉じ、顔を背けた。
「精霊よ……」
慄いていた優し気な精霊が風の一片に向き直る。
《な、なんでしょう?》
「……何人死んだ?」
精霊を招来して行使したウィルの魔法は属性魔法より上位に位置する精霊魔法である。
一般的な属性魔法より数段威力が高く、必然的に殺傷能力も高くなる。
そんな魔法がなんの容赦もなく発動したのである。
死人が出てもおかしくなかった。だが――
《誰も死んでませんよ?》
「……なに?」
そっと目を開けて周囲を確認する風の一片。
確かに私兵達は傷つき、腰を抜かしてはいるが重篤な傷を負った者はいなさそうである。
《失礼しちゃうわ》
背上でウィルを抱きすくめた精霊の少女がプンプンと頬を膨らませた。
《死んじゃったら反省できないでしょ! ちゃんと手加減しました》
「そっかー」
ふむふむと納得するウィル。
どうやら加減の大切さを学んだようだ。
ウィルがちらりと周りの私兵達の様子を伺う。
「じゃー、もういっかいやってみるー」
魔刀を掲げるウィルに私兵達からどよめきが起こる。
焦った風の一片が慌てて止めに入った。
「ま、待て、ウィル!」
「ほえっ?」
風狼を見下ろしたウィルが目をぱちくりさせる。
「いくら何でも精霊魔法なんてウィルには難しすぎる!」
いくら風の一片が仮契約で魔力を共有させているとはいえ、精霊魔法はその威力から通常の属性魔法よりも使用難易度が高くなる。
傍にいるとはいえ、精霊と契約していないウィルにはおいそれと使えない魔法なのだ。
風の一片の心配を余所にウィルはにっこり微笑んだ。
「だいじょーぶー」
ウィルが魔刀を掲げてみせる。
「つどえかぜのせーれーさん」
「「「わあああああっ!」」」
魔法を始動したウィルに私兵達が一斉に逃げ出した。
その背中に向かってウィルが魔法を発動する。
「きりゅーのだんう、
わがてきをつぶせふうあつのしょーげき」
言葉の意味を理解しているのか怪しい口調でウィルが呪文を唱え、成立した魔法が空に散らばる。
先程と同じように、風の弾雨が私兵達へ降り注いだ。
「「「ぎゃああああっ!」」」
着弾の衝撃で吹き飛ばされる私兵達。
「んな、アホな……」
その光景を風の一片は信じられないような思いで呆然と眺めていた。
齢、たった三歳のウィルが精霊魔法を発動してしまったのだ。
無理もない。
ふー、と息をつくウィルに精霊達から拍手が送られる。
「てかげんってむつかしい……」
眉根を寄せるウィルに気を取り直した風の一片が「上出来である」と頷き返す。
誰も致命傷を受けていない。素晴らしい。
《後は実践あるのみだ!》
「やめい……」
活発そうな精霊の少年の発言に風の一片がジト目でツッコんだ。
この規模の戦闘魔法を日常的に使われては堪らない。
「さあ、征くぞ」
風の一片が歩き出す。
もう行く手を阻む者は誰もいない。
早くウィルの手から魔刀を離さねば、私兵達の命に関わる。
なんで敵に気を使わなければならないのか。
そこまで考えて、呆れ返った風の一片がこっそり嘆息した。