ウィルは三歳
トルキス家はフィルファリア王国領の王都レティス、その外周区に居を構えていた。
閑静な住宅街の一角で豪邸と呼んで差し支えない広い屋敷である。
王国の騎士であるシローの収入と比べると全く不釣合いなのであるが、それには色々と理由があった。
ともあれ、そんな大きな屋敷に一家五人と住み込みの使用人達が暮らしているのである。
「ウィールー? どこにいるのー?」
少女が一階の玄関ホールをパタパタと駆け抜けていった。
「ニーナ様?」
廊下で出くわしたメイドのレンが少女に声をかける。
ニーナはトルキス家の次女であり、活発な娘であった。
「レンさん、ウィル見なかった?」
見上げてくるニーナにレンが思案顔になった。
三歳になったウィルベルは年の頃と愛らしさから屋敷内のアイドルになっている。
家族も使用人達も愛しすぎてしまっていて、度々思い思いに連行されてしまうことも少なくない。
「いいえ? どうかされたのですか?」
「お昼にお爺様が見えられるから、それまでウィルと遊ぼうと思ったんだけど……」
レンの質問にニーナが無念そうな表情を浮かべた。
「ウィル様にも行きたい所があるのやもしれません。お見かけして、満足なさったらお連れしますので」
レンが微かに笑みを浮かべて諭すと、ニーナの表情がころっと華やいだ。
「お願いね!」
ニーナはそう言い残すと、また「ウィールー?」と弟探しに戻っていった。
「あ、ニーナ様……」
屋敷の中では走らないようにと注意をしようとしたのだが、ニーナは直ぐに角を曲がってしまった。
少女が見えなくなって、レンが小さくため息をつく。
追いかけて注意してもいいのだが、そうできない理由が彼女の足元にあった。
「ウィル様……」
レンが声をかけると、彼女のロングスカートがもぞもぞ揺れる。
続けて中からウィルが顔を出した。
ひょこひょこ出て来たウィルがじゃーんとばかりに両手を上げた。
姉の声を聞いた瞬間に潜り込んだのである。
仲の良い姉弟であるからウィルに行きたい所があったのだろう、とレンは判断したのだが。
母親譲りの翡翠色の髪にくりっとした大きな目。
どちらかといえば可憐な印象を受ける男の子がレンを見上げて笑みを浮かべる。
「ウィル様、女性のスカートの中に隠れるのはいけないことでございます」
レンがウィルの行動を注意すると、ウィルはがーんとショックを受けた。
「どしてー? どしてー?」
ウィルがイヤイヤと首を振りながらスカートにしがみついてくる。
その頭をレンが優しく撫でた。
「ウィル様も男の子。そのような振る舞いをしていては女の子に嫌われてしまいますよ?」
「むぅ……」
「ほっぺを膨らませてもダメでございます」
むくれた顔をしていたウィルが頬を引っ込ませる。
今度は可愛く小さく首を傾げて見せた。
上目遣いで目をキラキラさせる。
「だめぇ?」
「甘えてもダメでございます」
きっぱりと。
レンはウィルの訴えを退けつつ、誰がこんな芸を教えたのかと内心ため息をついた。
諦めたウィルがレンから離れて廊下を歩き始める。
(さて、ウィル様はどこに向かわれているのでしょう?)
決して速くないウィルの後をレンがついていく。
今いる廊下の先は厨房や使用人の休憩室など、家主達の生活空間ではない。
廊下の壁に手を着きながら歩く事、しばし――
ウィルはある場所で立ち止まった。
少し薄暗い、地下へと続く階段だ。
その先は倉庫になっている。
「ウィル様、その先には何もありませんよ?」
レンの忠告を気にした様子もなく、ウィルが一歩一歩階段を降り始めた。
仕方がなくレンもその後をついていく。
階段を下り切ると、倉庫を隔てる扉が行く手を遮った。
「むぅ……」
扉のノブを回そうと手を伸ばしたウィルだったが、身長が足りず、上手くノブを回すことが出来ない。
一通り試したところで、ウィルは後ろで見守っていたレンの顔を困ったような顔で見上げてきた。
「しょうがありませんね……」
ウィルの表情に苦笑しながら、レンが扉を開ける。
微かに風が舞い、ウィルの髪を舞い上げる。
中は下りてきた階段よりもさらに暗い。
壁際に棚が並び、色々な物が置かれている。
部屋の中央には簡単なテーブルと椅子が置かれていた。
「なにしてんの?」
突如、背後からかかった声にウィルとレンが振り向く。
「とーさま」
そこにはきょとんとした表情のシローが立っていた。
特に用事もない二人が倉庫にいる事に驚いているのだろう。
「ウィル様の行きたい先について行ったら辿り着いた、といったところです」
レンの説明を聞いて納得したのか、笑みを浮かべたシローがウィルの頭を撫でてから抱き上げた。
「そっか……ウィル、なんか見つかったか?」
父の言葉に首を横に振るウィル。
しかし、その目はじっと部屋の奥へ向けられている。
闇に慣れてきたのか、部屋の奥に何かが飾られているのが見えた。
「あれか? あれはうちの守り神様だぞ?」
「まもりがみさまー?」
意味が分からないのか、小首を傾げるウィルにシローが笑って返す。
「そうだぞー。守り神様の邪魔しちゃ悪いから、上へ戻ろうなー」
連れだって倉庫を後にする三人。
扉が閉められる間も、ウィルの視線は倉庫の奥へと向けられていた。