ごーれむさん、ごー
「男たちは武器を取れ!」
「押し返すんだ! 魔獣を近づけさせるな!」
冒険者の、商人の、男たちの怒声が響く。力なき者は中央へ固まり、ただ迫る脅威に身を寄せ合っていた。
「シトリ! お前も武器を持て! 母さんとカミュを守るんだ!」
「わ、わかった!」
どう見ても戦いに向いているように見えない風貌の男が自分の息子に槍を手渡す。息子は震えながらも武器を取り、力強く頷いた。
そんなやり取りを心配そうに見守る女性。まだ幼い愛娘も母にしがみつきながら男を見上げていた。
「あなた……」
「動くんじゃないぞ。何かあったら子供を頼む」
覚悟を決め、男が妻から離れる。その視線の先には蠢くリザードの群れ。
休息所に停留していた商人たちやその護衛の冒険者たちが気付いた時には既に包囲されていた。
「どうなっちゃうの……?」
母にしがみついたカミュが震えながら目に涙を浮かべ、母と兄を見上げる。兄はそんな妹の髪を優しく撫でた。
「大丈夫。救難信号も出したし、もうすぐ助けが来るよ」
精いっぱいの笑顔で幼い妹の恐怖を少しでも和らげる。
助けが来る保証はどこにもない。それでも少年はその事を考えないようにした。誰の目にも分かる。助けが来なければ自分たちは全滅だ。
顔を上げた少年の目にじりじり後退する冒険者が写る。辺り一面、リザードの海だ。
彼らにとって最悪だったことは初手で騎乗獣や荷車を襲われたことだった。そのせいで強引に逃げ出すという選択肢もなくなってしまった。今も傷ついた騎乗獣が横たわり、苦し気に足を掻いている。
(だれか……)
祈るより他にない。こちらと魔獣の戦力差は圧倒的だ。このままでは父が死に、続いて自分が死んで母も妹も――そんなこと、受け入れられるわけがない。
「あぶない!」
リザードが一匹、抵抗する商人たちの間をすり抜けた。勢いよく少年の方へ襲い掛かってくる。
「うわあああああ!」
恐怖。膝から崩れ落ちそうなほどのそれに負けじと少年が声を上げて槍を突く。刃先は真っ直ぐリザードの肩へ。しかし、リザードは少年の槍をものともせず、突き刺さった刃先を強引に払いのけて少年へ迫った。
(噛みつかれ――)
大きく開いた顎が視界いっぱいに広がる。次の瞬間訪れるであろう痛みに少年が顔を背けた。
吹き抜けた一陣の風を少年は感じる余裕すらなく。
「…………?」
いつまで経っても来ない痛みに少年がそろそろと目を開けた。
「間に合ったな」
いつの間にそこにいたのか、身なりの整った若い男が東洋の剣を振って濡れ血を飛ばす。遅れて空から落ちてきたリザードがドスンと音を立てて地面に転がった。首を斬り飛ばされているが、肩には少年の付けた刺し傷が残っている。
様々な事が同時に起きて呆然としている少年の前で状況を把握しようと男――シローが周囲を見渡した。
「囲まれているな……一片、アロー様、魔獣を休息所の際まで押し返してくれ」
「承知」
「ラジャー」
シローの魔刀から顕現した風の一片と風精霊のアローが散開してリザードを蹂躙する。魔獣の圧力から解放された冒険者や商人たちが滅多に見る事の出来ない幻獣や精霊の雄姿を見て歓声を上げた。
「もうすぐ我々の救援部隊が到着します。ですから今しばらく耐えてください。私も加勢します」
シローの言葉に男たちが活気づく。死を覚悟するような危機的状況から持ち直したのだから無理もない。
しかし、リザードも引き際を見失っているのか興奮したように咆哮を上げ、次々とにじり寄ってきている。まだ危険を脱したわけではなかった。
(シロー、妙な気配はないが……この数、異常である)
(様子を見るしかないわね……)
リザードを相手取りながら一片とアローが魔法で会話を繋げてくる。
(分かった。まずは魔獣を押し返すことに専念しよう。数的不利はまだ解消できないからな)
一匹でも突破を許せば、また先程のように誰かが襲われる。そうなれば救援に来た意味もない。討伐へ移行するのはしっかりと準備が整ってからだ。
「むっ……」
手薄な場所から攻め入ろうとするリザードを見たシローが魔力を込めた魔刀を上段から振り下ろす。次の瞬間、横幅数十メートルに及ぶ斬撃と風圧が地を走り、巻き込まれたリザードがなす術もなく宙に放り出された。
「まったく……親子そろってやることが派手ですね……」
「…………」
「大丈夫ですか、セシリア?」
「……ええ」
さすがに息子のゴーレムが夫を投げ飛ばす様は刺激が強かったようだ。
顔を蒼くして額を抑えるセシリアをレンが気遣う。そこに魔法を通じてウィルとセレナの声が響いてきた。
「とーさま、とんでっちゃったー」
「お母様、お父様に後を託されました。指示をお願い致します」
シローを飛ばした張本人であるウィルの事はとりあえず置いておくとして。救援に向かったシローの後を追わなければならない。ケガ人が多数出ている場合、シローだけでは対処が追いつかない可能性もある。
立ち直ったセシリアが思案して、レンに視線を向ける。
「私も参ります」
「セシリア様がですか?」
「護衛対象は纏まっていた方がいいでしょう?」
「それは……」
レンがセシリアの言わんとしている事を察する。セシリアはウィルのゴーレムに乗って現場まで向かおうというのだ。
「確かにいち早く現場に向かおうとするならウィル様のゴーレムが一番速いのでしょうが……」
レンもセシリアと同じであまり子供たちを危険な場所に連れて行きたくはない。しかしどうにも止まれなさそうなお子様が一人、今にも飛び出していきそうであった。
「かーさま、はやくー! はーやーくー!」
テンションの上がってしまったウィルを収めるのは骨が折れる。おそらく、ウィルを思いとどまらせるよりも救援に駆けつけた方が早い。トルキス家の人々であればすぐに理解できることであった。
「レン、救援に向かうメンバーの人選を。こちらの部隊も手薄にならないように」
「畏まりました」
レンはセシリアの指示に頷くと集まってきたトルキス家の人々に声をかけた。
一方、ゴーレムの頭の上ではウィルが今か今かとセシリアたちを待っている。テンションが上がり飛び出してしまいそうになるのを我慢しているのは姉たちや精霊たちの助言をウィルがしっかり守っているからだ。ウィルもちゃんと成長しているのである。
「我慢できて偉いわ、ウィル!」
「うん、偉い……」
ニーナと土の精霊シャークティに褒められてウィルはまんざらでもなさそうだ。
そんな二人を見守るセレナの隣ではガーネットが未だに呆然としていた。
「まさか精霊の契約者だったとは……」
ガーネットの視線を感じたシャークティがガーネットに向き直る。
「そう……私はウィルと契約した土の精霊。とっても仲良し……」
シャークティのさりげない仲良しアピール。ウィルの中で待機している風の精霊アジャンタはきっとモヤモヤしているであろう。
そんな予測をもとにセレナが見守っているとゴーレムの足元から反応があった。
「ウィル、お母様たちの準備ができたみたい。ゴーレムに乗せてあげて」
「はーい、あじゃんたおねがーい」
「まかせて!」
ウィルの合図に呼応して、ウィルの体から風の魔力が溢れ出す。続いて姿を見せたアジャンタにガーネットはまたも言葉を失う事となった。
「精霊が二柱……?」
「ウィルは精霊たちと仲良しなのよ!」
「ニーナお姉様とも、ね……」
「えへへ」
ニーナのウィル自慢にシャークティが付け加えるとニーナの笑みが深まる。
そうこうしている内にアジャンタがトルキス家の人々をゴーレムの頭上へと運んできた。どうやらセシリア、レン、ミーシャ、ラッツ、ルーシェ、モニカが救援に同行するようだ。
「かーさまとれんもいくのー?」
「ウィル様も行くつもりでしたでしょう? この方が面倒もなくて済みます」
「…………?」
大人たちとしては護衛対象を分散させたくないという思惑があるのだが、ウィルはよく分かっていないようで首を傾げた。しかし、思い切り魔法を使えるという事実の前では些事であったようだ。たいして気に留めた様子もなく、見晴らしのいい場所へ進み出る。
「あじゃんた!」
「オーケー、ウィル!」
「したがえあじゃんた! はるかぜのぐそく、はやきかぜをわがともにあたえよおいかぜのこーしん!」
魔力が意味を成し、巨大なゴーレムを淡い緑色の燐光が包み込んだ。ゴーレム生成魔法の発展系、高機動型ゴーレムである。
騎乗獣を刺激しないようにゴーレムが軽い足取りで部隊の前に出た。
風狼のレヴィを通じてウィルの感覚がシローの現在地を感じ取る。これならすぐに辿り着ける。
「いくよー!」
ウィルの合図にゴーレムが低い唸り声で呼応した。行き交う燐光が勢いを増す。
「ごーれむさん、ごー!」
大地を蹴ったゴーレムが救援の地をめがけて一気に加速した。




