トレントの森へ
「トレントたちは番人として森の秩序を守っています。ですから森の問題はトレントたちが自ら解決します。問題を起こさなければ、トレントは人間にも魔獣にも優しい存在なんです。ところが、ごく稀に問題を解決したトレントが悪性化してしまう事があります。問題解決に深手を負ったトレントがその再生中に良からぬ要素を取り込んで暴走するんです。暴走したトレントはその生息域を支配し、各所に悪影響を及ぼします」
村の迎賓館の一室に集まったトルキス家の者たちとデンゼルは樹の精霊であるクローディアの言葉を深刻な表情で聞いていた。
ウィルと精霊に魔力の清さを認められたデンゼルは顕現したクローディアの姿を見て土下座でもしそうな勢いであったが、緊急であるというクローディアの話を聞いてそれどころではなくなっていた。
周辺の村が滅ぶ可能性がある――精霊からそんな話を聞けば誰だってそうなる。
「クローディア様の見立てでは今回の問題はトレントの悪性化が引き起こした可能性であると……?」
「もしくはトレントでは御しきれなくなった悪性の魔獣が生息域を支配したか、ですが……」
シローの質問にクローディアがそう付け加える。
トレントは人や魔獣の営みに不可侵ではあるが、決して脆弱な存在ではない。それでは森の秩序は守れない。そんなトレントがいる森での異常はそれだけで緊急事態なのだ。
もちろん、元テンランカーであるシローがその事を理解できぬ筈がなかった。
「クローディア様、このまま事態が進行するとして、どのような事が起こりうるか予想できますか?」
「悪性の魔獣であれば種族差は出るかと思いますが……もし、トレントの悪性化が原因であれば近隣の村や街が爆発的に広がる樹海に呑み込まれます」
そうなれば耕した土地は荒れ果て、魔獣の生息域も広がる。仮に、森の周辺に住まう人々がその樹海の波を生き延びたとしてもそのまま同じように生活することは難しく、おそらく移住か離散を余儀なくされるだろう、と。
しかし、クローディアの予想はそれだけでは終わらなかった。
「最悪の場合……もし、トレントが不死化していたら森は如何なる命も育まない死の森と化します」
死の森という単語に大人たちが息を飲む。
死の森に捕らわれた生物は浄化されず、死した後も原始的な本能のみで彷徨い、生者を襲う魔物になる。俗にいうアンデッドだ。そして、そんな負の連鎖を好んだ不浄の魂たちが延々と引き寄せられ、更なる死を招く。捕らえた命を奪い、延々と死を振り撒く呪われた森。それが死の森だ。
「むぅ……」
クローディアの説明を大人たちと一緒に聞いていたウィルが口を尖らせる。その顔はなんだかよく分からない、といった様子だ。お子様には難しい単語が飛び交っていた為、ウィルの理解力を越えてしまったのだ。
「あくせーとか、ふしとか、よくわからないけどー」
むぅむぅ言いながらも皆が困っている事は理解できたらしい。
「うぃるがとれんとさんをたすけてあげよっかー?」
ウィルがそんな提案をしてくる。ウィルは精霊たちをとても信頼しており、樹の精霊であるクローディアと繋がっている自分が一番問題を解決できると思っているのだ。ちなみに、根拠はない。お子様だから。それも仕方のない事だが。
ウィルの提案を聞いてトルキス家の面々はキョトンとしてしまった。ついで、ウィルが大人たちの会話を全く理解できていなかった事を悟った。話の中にはウィルが絶対近寄りたがらない理由があったからだ。
その事を傍にいたニーナが丁寧に説明した。
「ウィル、森の中には不死――つまり、おばけがいるのよ?」
「えっ……?」
ウィルの動きがピタリと止まる。ウィルは得体の知れないおばけが怖くて嫌いであった。
表情を固まらせたまま、ウィルが大人たちを見回し、最後にシローと目が合う。ウィルはぎこちない動きでシローの傍に寄るとポンポンとシローの足を叩いた。
「こんかいはとーさまにおまかせしてあげます」
「ありがと、嬉しいよ」
ウィルの取り繕う姿に大人たちが思わず笑みを溢す。
ウィルもそろそろ理解する頃だろう。どれだけ魔法の才能があったとしても、出来る事と出来ない事があるということを。
ちょっと震えているウィルの頭を撫でたシローがデンゼルに向き直った。
「デンゼル卿、今回の異変は冒険者ギルドに緊急依頼として提案します。そして、解決には我らトルキス家が当たらせて頂きますが、よろしいでしょうか?」
「そ、その……私としては大変有難い申し出なのですが……よろしいのでしょうか?」
話を振られたデンゼルが申し訳なく思うのも無理はない。本来ならソーキサス帝国や冒険者ギルドが責任を持って対処するべき案件だ。当然、危険も付きまとう。それを国外の貴族であるトルキス家に任せるというのである。
デンゼルは落ち着かない様子でセシリアにも視線を向けたが、セシリアは気丈に振舞っていた。クローディアの話を聞いて現場へと向かうシローの事を心配しない筈がない。しかし、人々の窮地を察してシローが動かない訳がないことも理解しているのだ。
その辺りはシローも十分承知しており、心苦しくもある。
「ですが、あなた。一人では行かせられませんよ?」
「分かってます」
シローは貴族。それも今はフィルファリア王国の代表として、ソーキサス帝国に訪問している最中だ。一人で危険な場所へは行かせられず、釘を刺してくるセシリアにシローが頷いて応える。
「明日までに森への突入メンバーと村の防衛メンバーを振り分けておく。どちらに選ばれても力を尽くせるように、今日は各人旅の疲れを少しでも癒しておいてくれ」
「「「はっ!」」」
シローの宣言に姿勢を正したトルキス家の配下たちは解散し、緊張の中、各々眠りにつくのであった。
翌日――
「同僚は恋人と森へピクニックに、彼氏の故郷の散策にとイチャイチャしてるのに、私は離れ離れかぁ……っ!」
「遊びじゃないんだぞ!」
ツインテールを揺らしながら頭を抱えるマイナにラッツが苦言を呈する。その頬が少し朱に染まっているのは見間違いではないはずだ。ラッツもマイナが誰の事を言っているのか分からない程、朴念仁でもない。
「申し訳ございません、お館様……」
「いやいや……」
シローもマイナが本気で責めているわけではないと知っているので苦笑を浮かべて聞き流していた。
トルキス家では家中の恋愛事情まで言及することはなく、最近いい仲であるアイカとモーガン、ミーシャとルーシェに口出しするようなことはしていない。それどころか、初めの頃からずっと一緒にいるマイナとラッツを暖かく見守っていることもあり、なかなか認めないラッツに「いい加減、折れたらどうなの?」と家中一同呆れている節すらあった。
しかし、ラッツの小言ももっともである。
「ふざけるにしたって時と場合を考えてもらわないと……」
「彼女なりに、緊張をほぐそうとしてくれているのかもしれないな」
「そうでしょうか?」
森への突入メンバーに選抜された者たちは村の命運を背負って立つという並々ならぬプレッシャーにさらされている。それも、元テンランカーにして救国の英雄と呼ばれるシローと並び立つ者として。
マイナが気を使ったとしても不思議ではない。
「エリス、ミーシャ。重責だけどよろしくお願いね」
「はい、セシリア様」
「お任せください~」
選抜メンバーとなったエリスとミーシャを送り出すセシリアに二人が笑顔で応える。
彼女たちも彼女たちなりに王都レティスの魔獣騒動、大規模な飛竜の渡りを経験して成長しているようだ。村の行く末を左右する戦いを前にしても気負った様子はない。
共に選出されているエジルとラッツは元々の戦力としてトルキス家で鍛え上げられている強者だ。こちらは余裕すらある。
「ご心配なさらずとも……みな無事に帰還致します、セシリア様」
「見てください~みんな、やる気満々ですよ~」
少しでも心配を晴らそうと選抜メンバーに視線を向けるエリスとミーシャ。
セシリアもそんな二人に笑みを浮かべて視線の先を追った。
「ぼぼぼぼぼぼくが、せせせせ選抜メンバーにぃいいいい!」
「わわわわわわたしが、せせせせ選抜メンバーにぃいいいい!」
二名ほど、足元が地震で揺れているのではと疑いたくなるようなメンバーがいた。ルーシェとモニカである。二人は諸々のプレッシャーを身に受けて可哀そうなくらい震えていた。
「るるるルーシェ! ここここんな時は掌に獣と書いて飲み込むといいらしいわよ!」
「ててて手が震えるぅううう! かかか画数、おおお多すぎるよぉおおお!」
なぜ、二人が選抜メンバーに選ばれたのだろうか。確かに二人はトルキス家で鍛え上げられているが、村の命運を背負うには圧倒的に経験が足りていない。
傍で見守る村人たちも不安を通り越して気の毒になっている程だ。
「しゃんとしなさい。いつも通り、やる事をやればいいのです」
見かねたレンがルーシェとモニカを激励し、背を叩くと二人の揺れがピタリと止まった。
踵を返したレンが嘆息しながらセシリアの元へ歩み寄る。
一部始終を見ていたセシリアたちがそんなレンを苦笑しながら迎え入れた。
「ご苦労様、レン」
「いえ、それほどのことは……」
レンは至って真面目に答えるとルーシェたちへ視線を向けた。
「あの子たちは変に気負い過ぎなんです。シローと行動を共にする事も、それほど構える必要はありません」
「でも、実力的にはどうなのかしら?」
セシリアもルーシェたちが日頃から訓練に勤しんでいる事を知っている。だが、緊急依頼に駆り出されるほどの実力があるかと聞かれれば疑問だ。
そんなセシリアの杞憂にもレンは首を横に振った。
「問題ありません。シローと一片、それにアロー様もご一緒ですし、危険はないでしょう。それに、弱い魔獣を相手にし続けるよりも緊張感のある状態で格上の相手と戦う方が何倍も成長できます」
レンがシローの実力を測り間違える事はなく、そしてシローもまたルーシェたちの実力を測り間違える事はない。シローは二人を実力はまだまだながらも鍛えるに足る者だと評価しているのだ。
それにシローとレンには未熟な者を鍛えた実績もあった。
「シロー様とあなたの事は信じていますけど……心配なものは心配よ。二人は大切なトルキス家の家臣なのだから」
「ご心配なく」
心配を口にするセシリアにレンはきっぱりと答え少し遠くを見つめた。在りし日を思い浮かべるかのように。
「ヤームも通った道です。彼もよく泣き叫びながら魔獣の相手をしていましたよ」
(((ヤームさん、どんな目に合わされてたんだろう……)))
知り合う前のヤームがどんな目に合っていたのか。容易に想像できず、セシリアたちは苦笑いを浮かべる事しかできないのであった。
「どうだ、落ち着いたか?」
「は、はい、もう大丈夫です」
緊張で凝り固まったルーシェとモニカにシローが声をかけると、二人はまだ幾分表情を強張らせたまま頷いてきた。
(呼吸は落ち着いているな……)
浮足立っての失敗はシローさえしっかりしていれば二人が犯すことはなさそうだ。
シローはそう判断すると微かに笑みを浮かべた。
「いつも通りでいい。それができれば十分動けるはずだ」
「「は、はい!」」
背筋を伸ばすルーシェとモニカに頷き返し、シローが周囲を見渡す。すでに準備万端のエジルとラッツが頷き、セシリアの傍にいたエリスとミーシャもシローの方へ歩き出した。
「アロー様」
「もう、アローでいいって言ってるのに……」
シローの呼びかけに応えて風の上位精霊であるアローが魔刀の鞘から顕現する。その姿に見送りに来ていた村人たちからどよめきが起こる。
「森の入り口まではアロー様に運んでもらう。いくぞっ!」
シローの号令一下、表情を引き締めた選抜メンバーがアローの風に乗って舞い上がり、森へと向かって飛び立っていった。




