倒せばいいというわけでもなく
特別輸送護衛車両【コンゴウ】。トルキス家所属の特殊車両である。
魔獣の蔓延るこの世界では様々な騎乗獣を生かした移動車両が存在する。
護衛車両は主に貴族や豪商が長旅をする際に用いられるものだが、トルキス家の【コンゴウ】は一般の物と比べてかなり特殊になっていた。
何と言っても、まず車両設計のアドバイザーをテンランカーとして名を馳せるカルツが務めている。車両の各部にはカルツの培った豊富な知識や技術が使われており、フィルファリア国内において最新の車両となっている。
さらにその設計を支える良質な素材はウィルと仲良しの精霊たちから提供されていた。
トルキス家の車両には最先端の魔法技術や魔法文字、精霊の加護を受けた資材などがふんだんに使われているのである。
この特殊車両の管理は新しくトルキス家の家臣となったガスパルに任された。
ガスパルのパーティー【火道の車輪】は元より輸送依頼を多くこなしており、ウィルの推薦もあって登用されたのである。
【コンゴウ】を任されることになったガスパルはシローの決断に驚きを隠せないでいた。
それはそうだろう、彼は一度王都で酒に酔って醜態を晒し、ウィルにこっぴどくお仕置きされたのである。それ以来、心を入れ替えて依頼をこなしていたとはいえ、トルキス家の目に留まり、さらには最新鋭の護衛車両を託されるとは誰が想像したであろうか。本人が一番驚いたに違いない。
あまりの出来事に涙したガスパルは自身の部下と共にトルキス家へ忠誠を誓ったのであった。
そんな【コンゴウ】の屋根に備え付けられた見張り台にて――
「ううーん……」
相棒の幻獣、ツチリスのブラウンを肩に乗せたエジルが双眼鏡を覗き込みながら唸る。ブラウンと同調して感覚を研ぎ澄ませたエジルの視界が草原に点在する魔獣を次々と捉えていく。そして最後に視界をスライドさせて少し離れた森を眺めて双眼鏡から顔を離した。
(多いなぁ……)
休息所から見渡せる平原の先、魔獣の数が明らかに多い。休憩所から距離はあるが、軽視できない密度であった。
腰を上げたエジルが軽い身のこなしで見張り台から降りる。
「どうでした?」
「シロー様、明らかに多いですね……ですが、こちらに害意を向けている様子は今のところなさそうです」
卓の上に地図を広げて周囲の地形を確認していたシローに問われ、エジルは姿勢を正した。
この休息所に到着した時、シローとエジルはすぐに異変を感じ取った。シローは強者としての才覚と風属性の幻獣と精霊の契約者として雰囲気を読み、エジルは土属性の幻獣の契約者として魔獣の気配を察知していた。この契約者の特性は他の者から羨ましがられる理由の一つでもあるのだが。
(最近、気配読みの精度が増しているような……)
エジルは気付いていない。ツチリスのブラウンがウィルを通じて多くの幻獣や精霊と交流を持ち、その能力を少しずつ伸ばしている事に。ウィルの存在は幻獣にまで影響を及ぼし始めているのだ。
もっとも気配察知など目に見えない部分であるから、その事が分かるのはもう少し後になるだろう。
「うーん……」
「夜間の見張りの数を増やしましょうか?」
地図に視線を落として思考を巡らせるシローにデンゼルが提案する。
異変を感じてすぐにシローが集合をかけたため、この場には部隊の主要なメンバーが揃っていた。
シローとセシリア、レン、エジル、ラッツ、モーガン、ガスパル、デンゼルにガーネット。
「すごいねぇ、契約者っていうのは。羨ましい限りだよ」
「あはは……」
ガーネットの妬み交じりの羨望をシローとエジルが苦笑いで返す。
トルキス家の者でガーネットの発言に反応する者はいない。なぜなら、放っておくと高感度で異変を察知してしまうお子様がいるからだ。その特異性を少しでもごまかす為にシローもエジルも出し惜しみなく契約者としての能力を披露しているのである。
そんな風に大人たちが今後の対策を思案していると、予想通りトルキス家の子供たちがシローたちの下へやってきた。
「とーさまー、まじゅうさんいっぱいいるのー?」
大人たちの苦労はどこへやらである。魔獣の状況はシローたちでしか話し合っていないので、それを開口一番で言い当ててしまったウィルにデンゼルとガーネットがキョトンとしてしまう。
そんなことはお構いなしにウィルがシローの前で両手を上げた。
「うぃるがぜんぶやっつけてあげよっかー?」
やる気満々なウィルの発言はさすがに子供の見栄と受け取られたのか、デンゼルたちの表情にも笑みが零れる。
しかし、トルキス家の者たちは知っている。ウィルにはそれが普通に実行可能だという事を。下手したら草原ごと吹き飛ばすかもしれない。
「ウィルは魔獣を全部倒したいのかい?」
「そー!」
一歩前に出たシローがウィルに尋ねるとウィルはこくこく頷いた。
それに笑顔で頷き返したシローが胸の前で腕を交差させる。
「だめー」
ふざけた口調で「ぶぶー」と口での効果音付きである。
「なんでー?」
シローから色よい返事が得られなかったウィルが不満げに唇を尖らせた。
貴族らしからぬ態度のシローとウィルのやり取りにまたもデンゼルたちがキョトンとしてしまうが、今度は違った。
瞬間的に張り詰めた空気がその場を満たす。その魔力の流れが真面目な話をするときのシローの合図であると理解しているトルキス家の子供たちはシャンと背筋を伸ばし、理解していないデンゼルたちは背筋を震わせた。
(なんなんだ、今の感覚は……)
ガーネットが粟立ち震える腕を何とか手で押さえつける。それなりに実力があるのであろう彼女はシローから放たれた魔力をなんとなく感じ取り、視線をシローから外せなくなっていた。
ガーネットの様子に気付いたレンがそっと彼女の肩に触れる。
「大丈夫です」
「あ、ああ……」
短く告げられたレンの言葉にガーネットが息を吐いて気を持ち直す。
そんな二人を尻目にシローは手頃な枝を手に取ると、子供たちの前に円を何重にも描いて見せた。ウィルたちがその円に視線を落とす。
「魔獣の生息域は基本的に真ん中に行くほど強い魔獣が生息しているんだ。だから街や街道はほとんど生息域の外周を通るように作られている。安全を考えてね」
シローが円の一番外に印をつける。続けてその内側に丸を書いた。
「今、問題になっているのは休息所の近くにたくさんの魔獣がいる事だね」
「お父様、それは魔獣の氾濫ですか?」
静かに話を聞いていたセレナがシローに問いかける。魔獣の氾濫とは生息域の魔獣が飽和状態になってしまい、一斉に生息域から溢れ出してしまう現象だ。氾濫した魔獣は興奮状態に陥り、街道を行き交う人や街を襲う。
真っ直ぐ見上げてくるセレナの問いにシローは笑顔で首を振った。
「氾濫ではないよ、セレナ。氾濫ならこんなモノじゃすまないからね」
「そうですか……」
自分の懸念が外れてセレナは少し安堵したようだった。それを確認してからシローが続ける。
「氾濫ではないが、魔獣の数は明らかに多い。だけど、こちらを襲いに来る様子もない。原因は分からない状態だ」
魔獣の生息域の問題は度々起きる。冒険者ギルドの依頼にはそうした問題にいち早く対応するための調査なども含まれていたりする。討伐したり、素材を納品したりするだけが仕事ではないのだ。
シローが今起きている問題点を説明し終えると視線を再びウィルへと戻した。
「そこで、だ……さっきウィルが言ったみたいに集まった魔獣を全部やっつけてしまうとどうなると思う?」
「んー?」
シローの質問にウィルが可愛らしく唸る。シローは静かにウィルの答えを待った。
「まじゅーさんがいなくなっちゃう?」
「そうだ」
満足いく答えを得たシローが頷いて、また円を枝で差しながら説明する。
「魔獣というのはだいたいが自分より弱い魔獣を生きるために食べているんだ。それなのにウィルが言うように魔獣がいなくなってしまうと……」
「あっ……!」
シローの枝が円の真ん中付近から外の方へ矢印を引く。その図で何かに気付いたウィルが声を上げた。
「つよいまじゅーさんがそとにきちゃう!」
「その通り」
気付きを得たウィルの頭をシローが優しく撫でた。
「ウィルが全部やっつけてしまった魔獣たちをエサにしていた強い魔獣がさらにエサを求めて人の生活している近くまで出てきてしまうんだよ。そうなったら困るのはウィルじゃなくてウィルの後にこの道を通る人たちだ」
だから大して調べもせず、全部倒そうとするのはいけない事なのだとシローが付け加えるとウィルは素直に頷いた。
「倒せるからといって無差別に倒してしまうのは、それはそれで問題なんだ。どれだけ強くともルールを守れないようでは冒険者として生きていけない。冒険者ギルドもそんな人に依頼を出したくないからね」
「わかったー」
ウィルは優しい子だ。他の人をむやみに困らせるような事はしたくない。そして自分が間違っていたと理解した時はしっかりと反省する素直さも持ち合わせている。
「ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるウィルに大人たちも目を細め、シローも再度優しく頭を撫でた。
「魔獣の件はお父さんたちに任せておいて大丈夫だから、ウィルたちはできる範囲の事をしてくれればいいよ」
「これから調べに行くんですか?」
今まで黙ってシローの話に耳を傾けていたニーナが質問するとシローは首を横に振った。
「明日にはモーガンさんの故郷の村に到着する。その村の冒険者ギルドがすでに異変を感じ取って調査しているかもしれない。魔獣たちの動きに変化がなければ予定通り村に向かって対処するよ」
モーガンの話によれば、今いる休息所とモーガンの故郷は同じ魔獣の生息域の影響を受けている。独自に調査するのは非効率なのだ。
「明日は少し早めにここを立つ。セレナもニーナもウィルも、早目に休んで明日に疲れを残さないようにしなさい」
「「「はい」」」
シローの指示に子供はいい返事を返し、その日は何事もなく暮れていくのであった。




