契約
「ウィル様、おはようございます」
「うみゅ……」
「もう朝ですよ、起きてください」
「んー……」
いつも通り、起こしに来たレンの声に反応したウィルが寝ぼけ眼で布団から這い出た。
ウィルはまだ眠気におぼつかない様子で体を揺らしながら、傍に置いてある小さな杖と精霊のランタンに手を伸ばす。
「こばこぉ~」
怪しい口調で略式の魔法を発動したウィルの前に小さな空属性の穴が姿を現した。
ウィルがその穴に手を入れて、中から綺麗な箱を取り出す。国王から送られた小箱。
中には魔石が綺麗に納められている。
開けた小箱から覗くそれらにウィルはぺこりとお辞儀した。
「きまいらさん、どらごんさん、おはようございます」
国王から譲り受けて以来、取り出した魔石に挨拶をするのがウィルの習慣になっていた。
当然返事が返ってくることはない。だが、幼いウィルも思うところが色々あるのだろう。
レンも黙ってその様子を眺める。
「おまたせー」
「もうよろしいのですか? ウィル様?」
「あさのごあいさつはおわったー」
「それでは身支度を整えましょう。今日は精霊の庭へ、みんなでお出かけですよ」
「はーい」
レンに促されたウィルがベッドから降りて笑顔を返してくる。
レンはそんなウィルの寝癖を優しく撫でつけて、朝の身支度を始めるのであった。
ウィル達がレクスの呼びかけに答えて精霊の庭に赴いたのは昼前の事。シローとの約束通り、使用人たちも連れてのお出かけにウィルはご満悦の様子だ。
『来たな、ウィル』
「きましたー」
高位の者としての立ち振る舞いを見せるレクスに対し、腰に手を当てて胸を張るウィル。
(なんだかなぁ……)
我が子の堂々たる姿にさすがのシローも苦笑いを浮かべる。大幻獣の尊厳を前にしても恐れることなく胸を張る我が子の胆力は一体どこから来ているのか。隣にいるセシリアなどはウィルの態度を無礼と見て冷や汗を浮かべていた。
「いけませんよ、ウィル」
『よいよい』
慌てて態度を改めさせようとするセシリアをレクスが手で制す。レクスも幼いウィルに礼儀などというものを期待しているわけではないらしい。
『それよりも……』
気になることがあったのか、レクスの視線が横を向く。それはシローたちも来た時から気になっていたことだった。
『なぜ、お主がここにいる?』
『……ん?』
全員の視線が集まって水色の髪色をした偉丈夫が首を傾げた。水の大幻獣、海竜ユルンガルである。
『なに、レクスが我が友に用があると聞いてな』
「れくすー、うぃる、ゆるんがるとともだちになったのー」
『なー』
ウィルの反応に気をよくしたユルンガルが周りの視線を気にした風もなく笑みを浮かべる。
その堂々たる様にレクスは思わずため息を吐いた。
『まぁ、いい……どのみち、いずれは他の大幻獣の理解も得なければならなかったしな』
大幻獣ともなれば人間と軽々しく友好関係を結ぶべきではないのだが、ウィルの特異性を考えるなら話は別だ。他の大幻獣にも話を通しておく必要がある。その手間が省けたのだから良しとするべき事だ。
ただ、ユルンガルの好奇心旺盛な面は同じ大幻獣のレクスからすれば改めて欲しい所でもあるのだが。
『レクス様……』
『うむ、本題に入ろう』
傍に控えていた地の上位精霊ジーニに促され、レクスがシローたちへ向き直る。
緩んだ空気が一瞬で引き締まった。
『お前たち、こちらへ』
レクスが精霊たちの方へ向き直り、声をかける。するとアジャンタ、シャークティ、クララが緊張した面持ちでシローたちの前に立った。
どこか所在なさげにしている既知の精霊と、それを興味深そうに眺める周りの精霊たち。
「もじもじしている……」
アジャンタたちを見上げたウィルが端的に言い表す。
同じように見ていたシローたちも何が行われるのか、なんとなく察した。
『ウィル、クティたちの前に立ちなさい』
「おー?」
レクスが今度はウィルを指名し、ウィルは疑う事もなくシャークティたちの前に立った。自然とウィルとシャークティたちが向き合う形になる。
『此度の訪問、何かあっても精霊たちは助けに行けぬ。ゆえに、ウィルを守る為、クティたちにはウィルと本契約を結んでもらう』
「ほんけーやくー?」
キョトンとするウィルの前でアジャンタたちが頬を赤く染め、周りの精霊たちが囃し立てる。あからさまな反応を示す精霊たちにレクスが呆れたように目を細めると、意味を理解したウィルの目がキラキラ光り出した。
「うぃるといっしょにいてくれるのー?」
『そうじゃ』
「やったー!」
嬉しそうに飛び跳ねるウィル。周りの精霊からも祝福するように拍手が巻き起こる。
その様子を見ていたユルンガルが笑みを浮かべて顎を撫でさすった。
『本来なら水の精霊もつけてやりたいところだが……』
『さすがに、そこまで急くこともないだろう。此度の契約ももしもの時の為の用心じゃ』
『うむ……』
『いずれはウィルの下に向かう精霊も現れるであろう? その時の後押しをしてくれれば良い』
『あい、わかった』
何やら画策している大幻獣たちの話を聞いてシローたちは苦笑いを浮かべた。精霊との契約は人生においての一大事のはずだが、ウィルにおいては序の口であるらしい。
次の候補に上がりそうな水の精霊たちもざわめいて、精霊の庭を賑やかしている。
そんな中、レクスとユルンガルが話を纏め、ウィル達に向き直ったレクスがパンパンと手を叩いた。
『盛り上がるのもその辺にしておけ。クララ、ウィルに真名を』
レクスに促されたクララが緊張した面持ちでウィルに歩み寄る。彼女はウィルの前で膝をつき、手招きした。
「ウィル、耳を……」
本来、精霊の真名とは多くの人間に知らせるものではない。契約していない精霊なら尚更だ。
クララが耳打ちしようとしている事を理解したウィルがクララに耳を寄せる。
こそこそと真名を告げるクララに対し、ウィルがこくんと一つ頷いて。
「わかった! よろしくね、くろーでぃあ!」
耳打ちした理由までは思い至らなかったらしいウィルの発言に大人たちが肩をこけさせる。可哀そうに、クララの顔は恥ずかしさで真っ赤になっていた。
『ほら、とっとと契約してしまわぬか、クララ』
「は、はい……」
気を取り直したレクスに促され、クララ――クローディアが両手を広げる。彼女の魔力に反応して魔法陣が広がると使用人たちから感嘆の声が漏れた。
魔法陣によって生み出された光がウィルとクローディアを優しく照らし出す。やがてクローディアの掌から緑光の塊が生まれ、ウィルの胸の中に優しく溶け込んでいった。
『アーシャ、クティ、お主らも』
「はい」
「これからよろしくね……ウィル」
アジャンタとシャークティも順番にウィルとの契約を果たしていく。
一度に三柱の精霊との契約は類を見ない出来事である。
きっとウィルはその事を分かっていない。だが、大切な友達がこれから自分と一緒にいてくれるのだという事はしっかりと理解していた。
ウィルが精霊たちの光が納められた自身の胸に小さな手を当てる。それから目の前にいるアジャンタたちを見上げた。
「これからよろしくね、あじゃんた、しゃーくてぃ、くろーでぃあ」
満面の笑みを浮かべるウィルにアジャンタたちも笑みを返す。それは小さな子供が信頼する友を得た瞬間であり、とても優しく微笑ましい光景であった。
そんな我が子と精霊を見守っていたセシリアがある事に気づいて我に返った。
「あの、レクス様……」
小さく手を上げるセシリアにレクスが不思議そうに向き直る。
『なんじゃ、セシリアよ?』
「一つお伺いしたいことがあるのですが……その、精霊王の婚姻の事で」
話を切り出した瞬間、周りの精霊たちが思い出したようにざわめきだした。
知らなかった事とはいえ、ウィルはアジャンタ達に対して求婚してしまっているのである。そんなウィルと契約する事は求婚に応える事になるのだ。
無邪気なウィルに心温まってはいた精霊達だが、アジャンタ達を茶化すには絶好の機会なのである。
レクスは騒ぎ出しそうな精霊たちを手で制すると、言葉を選んで話し出した。
『……難しく考えるでない。精霊王の頃は時代が悪かったのじゃ』
「時代……?」
反芻するセシリアにレクスが頷いて小さくため息を吐く。
『そうじゃ。未曽有の大厄災より数百年……魔法技術も拙く、人間たちは生きていくだけで精いっぱいの時代だ。精霊王と肩を並べる人間は皆無であった。結果として、精霊王は常に精霊たちと行動を共にし、人間たちに多くの魔法技術を残して崇められる事になった。崇められはしたが、心許せる友はどうであろうな……』
「「「…………」」」
黙って聞いているセシリア達の前でレクスはウィルに歩み寄り、その髪を優しく撫でた。不思議そうに見上げるウィルに笑みを返し、また視線をセシリアの方へ向ける。
『だが、今は違う。ウィルにはお主達がおる。そして、お主達を慕う者、更にはウィルの友になる者も……精霊王のように独りではない』
数多の精霊を従えはしたが、人としては孤独。レクスの話を聞けば、精霊王は本当の意味で心安らげる時はなかったのかもしれない。
だが、ウィルの考えは違った。なんとなく意味を理解したのか、ふるふると首を横に振る。
「せーれーおーはさびしくなかったよ。せーれーさんたちがいっしょにいたもん」
『……ふふっ、そうじゃな』
一瞬、キョトンとしてしまったレクスであったが、ウィルの言わんとしている事を理解して笑みを浮かべた。精霊と共にあった精霊王は孤独ではなかった、と。
「うぃる、せーれーさんといっしょにいれて、とってもしあわせ」
身振りで幸せを表現しようとするウィルに皆が笑みを浮かべて。
『分かった分かった……』
降参したレクスがウィルの頭をポンポンと叩く。
『儂の用は済んだ。ウィルよ、精霊たちと存分に遊ぶがいい。旅に出れば、しばらくは精霊たちと会うことも叶わんのだからな』
「はーい。ねーさま、めるでぃあ、いこー」
姉たちの手を取ったウィルがメルディアを抱いたステラを従えて歩き出し、興味津々な精霊たちが一緒に遊ぼうとウィルたちについていく。
そんな子供たちの後ろ姿を大人たちは優しく見守るのだった。
メルディア……トルキス家の門番であったエジルとメイドのステラの間に生まれた女の子。
 




