遠征準備――ルーシェ編
ウィル達のソーキサス帝国親善訪問も日に日に近付いており、使用人たちもその準備に追われている。多くの物資は王国側から支給されるとはいえ、細々としたものは当然トルキス家で用意しなければならない。
「あとは、ルーシェさんの中級申請でしょうか~?」
「そうですね……」
「いままで申請してなかった事に驚きだわ」
申し訳なさそうに縮こまるルーシェの前でミーシャが嬉しそうな、モニカが呆れたような顔をしていた。
本来、冒険者たちは初級に分類されるランク3まで早々にクリアし、ランク4の中級へ申請する。なぜなら初級の依頼はお使い程度の事が多く、生活を安定させる程の報酬を期待できないからだ。
だが、ルーシェは冒険者登録した日にトルキス家に拾われている。これは特殊なことで、十分な報酬と衣食住を得ていたルーシェは自信のなさも手伝って昇級申請をしていなかったのである。
「でも、よかったですね~。ルーシェさんもモニカさんも、大抜擢ですよ~」
どこか弾んだようなミーシャの声。
この度、二人はソーキサス帝国親善訪問のトルキス家従者として指名されたのだ。
冒険者は特別な理由がない限り、登録申請した国で中級以上にならなければ国外へ移動できない。貴族に雇われた形になり、国外への移動も問題ないルーシェだが、その始まりは冒険者であり、初級のままでは格好もつかない。なのでこの度、中級に申請することになったのだ。もっとも――
「こんな腕の立つ初級冒険者がどこにいるのよ……」
ルーシェが武技の習練を始めて以来、勝率が芳しくなくなったモニカは分かりやすく頬を膨らませた。モニカ自身はトルキス家に雇われる前から中級で、雇われてからというものトルキス家の的確な指導でメキメキ力をつけている。
そんなモニカ相手にルーシェは互角以上に渡り合えるようになっていた。
「まぁ~……モニカさんはルーシェさんと相性悪いですよね~」
ルーシェとモニカの立ち合いを思い返したミーシャが人差し指を顎に当てる。
戦闘のスタイルや武技によって立ち合う者の有利不利が出ることはよくある。ルーシェとモニカはその典型であった。
「それを見かねたウィル様の提案で一片様もモニカさんにアドバイスしてくれるようになりましたし~」
「ほんと。このままルーシェに負けっぱなしでは終われないわ」
むん、とやる気を入れ直すモニカにミーシャが「頑張ってください~」とのんびり口調でエールを送る。
そんな和気あいあいと盛り上がる二人の後ろで少し肩身の狭いルーシェなのであった。
「あら~……?」
三人が冒険者ギルドの前まで来ると中はずいぶんと騒がしかった。
どうやら新参の冒険者たちが中で憤っているらしい。レティスの冒険者ギルドは他所と比べても落ち着いているが、それでも時折この手の輩が来訪する。大抵はレティスを拠点とする冒険者に取り押さえられるのだが、今は昼時でもあるし、すぐに対処できる者がいないのかもしれない。
「ったく……」
中から聞こえてくる怒号にモニカが眉根を寄せた。獣人である彼女はルーシェたちより五感が優れているのだ。
「ウィル様が付いてこなくてよかったわ。あんな奴らに合わせたら、また大惨事になっちゃう」
モニカの言いようにルーシェとミーシャが苦笑した。
ウィルは相手が悪行を働いていると判断すると魔法で制裁を加えようとする。良いのか悪いのか、ウィルは魔力の加減も絶妙で、おまけに回復魔法も達者だ。よくレンの目を盗んでは魔法を行使し、後で怒られている。
普段は心優しいウィルではあるが、どうやら大好きな魔法を使う事に関しては我慢が効かないらしい。
「どうしますか~?」
ミーシャが二人の顔を交互に見た。冒険者の問題は冒険者で対処するのが基本。となればミーシャではなくルーシェかモニカが対処するのが妥当であった。
「僕が行きますよ」
間を空けず、進み出るルーシェにモニカは内心驚いた。ルーシェは率先して荒事に首を突っ込む性格ではない。自信の無さの表れなのか、周りに頼る事が多い。
だからモニカは今回も自分が出張ることになるだろうと思っていたのだが。
「どういう風の吹き回し?」
「それは……僕もやる時はやりますよ」
怪訝そうなモニカに苦笑いを返したルーシェは一人、ギルド内に足を踏み入れた。
両開きの木製扉が開く音がして、騒いでいた男たちがルーシェの方へ視線を向ける。
中は予想通り、初級くらいの冒険者が数人いる程度で、三人の男たちがギルドの受付嬢と揉めているようだった。
ルーシェに気づいた受付嬢が少し驚いたように口を動かし、それからルーシェに向かって軽く手を上げた。それにルーシェも手を上げて返す。
騒ぎ立てる冒険者に対し、受付係が他の冒険者に手を上げる。対処して欲しい、という冒険者ギルドでは有名な合図だ。当然、相手の男たちもそれを知らない筈がない。
「なんだぁ、ずいぶん弱そうな小僧が出てきたなぁ」
年若い上に優男。そんな外見のルーシェを見れば男たちの感想も頷ける。が、中身までそうとは限らない。
(僕もウィル様の事をとやかく言う資格はないなぁ……)
やる気満々で向き直る男たちを見てルーシェは思わず自嘲してしまった。
武技を習得し、訓練で色々試したものの、ルーシェはまだ実戦で武技を使用していなかった。訓練でその力を示せても、実践で使えなければ意味がない。なのでルーシェは大胆にもこの場で武技を試してみようと思ったのだ。
「なに、ニヤついてやがる! この野郎!」
ルーシェの自嘲を嘲笑と捉えたのか、正面にいた男が勢いよくルーシェに飛びかかった。
それに合わせてルーシェが短く息を吐き、自分の間合いに水属性の魔力を注ぐ。一気に注がれたルーシェの魔力が間合いという器を満たし、飛び込んだ男を絡め捕った。
男の手がルーシェの胸ぐらへ一直線に伸びる。
「えっ……?」
目測を誤った男の手が空を切り、逆にルーシェに捕まって勢いよく一回転して背中から地面に落ちた。
何が起こったのか分からず、場が静まり返るのを他所にルーシェが残り二人と間合いを詰めた。
「この!」
「やりやがったな!」
我に返った男たちが二人同時にルーシェへ掴みかかる。しかし、男たちの手もまた空を切り、いつの間にかルーシェに腕を掴まれて同時に捻り上げられていた。
「いてててててて!」
「まいった! 離してくれ!」
痛みに耐えかねた男たちが泣き叫ぶ。
「次はありませんからね。ルールを守ってくれるなら、僕たちはいつでも歓迎しますから」
ルーシェはそれだけ言い置くと男たちの腕を放してやった。男たちが慌てて最初に投げ飛ばされた仲間の元へ向かう。どうやら気絶しているようだ。
加減を間違えたルーシェが思わず苦笑する。本当は気絶するほど叩きつける気はなかったのだ。
ルーシェが冷や汗を掻き始めた頃、静まり返ったギルド内にゆっくりとした拍手が響き渡った。全員がそちらに視線を送ると壁に背を預けた女性が一人立っていた。
「ギルドマスター、いたんですか?」
受付嬢が眉根を寄せて唇を尖らせる。どうやら自分が絡まれているのに助けてくれなかったことを非難しているようだ。
しかしギルドマスターは笑みを浮かべると視線をルーシェに向けた。
「騒ぎがあってすぐ、彼が来たんじゃないか。私が入る間もなく、な。だが、おかげでいいものが見られた」
「はぁ……」
ルーシェとしては誰もいないのならと男たちを諫めたのだが、どうやらギルドマスターは最初からいたらしい。
しかし、ルーシェが介入したのは無駄ではなかったようだ。
「礼を言う。私が事を片付けてしまうと処分は避けられないからな」
ギルドマスターはそう言うと、今度は騒ぎ立てていた男たちの方へ視線を向けた。処分と聞いて青ざめていた男たちがびくりと肩を震わせる。
「お前たちも今日は帰りなさい。彼に免じて、今回は大目に見てやる」
「「は、はい!」」
鋭い眼光に射抜かれて、背筋を伸ばした男たちが仲間を担いでギルドを出ていった。
その背中を見送ったルーシェの肩にギルドマスターが手を置く。
「さて……確か、ルーシェと言ったか」
「は、はい……」
力任せに向きを変えられ、間近で顔を覗き込まれたルーシェの目が泳いだ。
ギルドマスターもまだ若く、美しい容貌の持ち主なのだが、それとは違う意味で目を合わせられない理由がルーシェにはあった。
「こっそり武技を使ってたな?」
「ナ、ナンノコトデショウ?」
思わず片言になってしまうルーシェである。だが、ギルドマスターは気にした風もなく続けた。
「本来、街中での攻撃魔法や武技の使用は原則禁止されている」
「ソウデスネ……」
「実戦で試したくなる気持ちは分からんでもないが、時と場所は選んだ方がいいな」
「はい……」
すっかり見抜かれており、観念したルーシェが頭を下げると、ギルドマスターは優しく微笑んだ。
と、そこで「こほん」と誰かの咳払いが響いた。
ルーシェたちが振り返るといつの間にかギルド内に入ってきていたミーシャとモニカが並んで入り口の前に立っていた。
(あれ……? 怒ってる?)
いつもと同じようなニコニコ顔のミーシャだが雰囲気が違う。ルーシェもその違いを察する程度の付き合いはある。しかし、優しいミーシャが不機嫌になる理由はとんと思い至らなかった。
「ルーシェさん~、中級申請は終えられたんですか~?」
やっぱり怒っていた。普段ののんびり口調も微かに責めるような調子がある。
「えっ……? まだです、けど……」
「いつまで待たせるんですか~?」
「ええっ……!?」
状況について行けていないルーシェがキョトンとしてしまう。ひょっとしてミーシャにも武技を使ったことがバレていて、それを咎められているのか。
真剣に悩み始めたルーシェを見たモニカがその鈍感さに深々と嘆息し、何事か察したギルドマスターも思わず笑ってルーシェから離れた。一歩引いて見ていたギルド職員や初級冒険者たちにも察した者が多く、それぞれ思い思いの顔をしていた。
「わかった。ルーシェの中級申請だな。こちらで手続しておこう」
ひとしきり笑ったギルドマスターがルーシェの肩をポンポン叩いて送り出す。
「ありがとうございます」
「なに、気にするな。免状は後日取りに来るといい」
頭を下げてミーシャたちの下へ向かうルーシェを見送ったギルドマスターが小さく息を吐いた。
「よろしかったのですか?」
ギルドマスターに歩み寄ってきた受付嬢がそんな風に尋ねてくる。本来、ギルド内の申請は冒険者立会いの下で行われる。その申請をギルドが受け持つという事は冒険者として特別な信頼を寄せているという証だ。普通は中級申請程度の事で行われない。
「構わんだろう。今や彼はトルキス家の家臣だ。その信頼も厚いと聞く。それに――」
ギルドマスターも元上級冒険者だ。そんな彼女だからこそ感じるものがあった。
「今はまだ技も荒いが……彼は強くなる。そんな気がする」
お世辞にもルーシェの依頼達成履歴は多くない。その殆どがトルキス家の門番としての従事である。しかも、今日まで初級冒険者であったのだ。普通に考えれば将来を有望視できる材料は少ない。
「はぁ……」
考えが至らず、ギルドマスターの予感に曖昧な相槌を打つしかない受付嬢なのであった。




