魔暴症をやっつけろ
「楽し過ぎて……うっかり……」
「いいのよ、ゆっくりお休みなさい……」
力無く声を押し出すアニアの髪をモニカが優しく撫でつけた。
幾度となく繰り返されたであろうその行為を見て、大人たちの胸が締め付けられる。
アニアの症状は薬を飲むと少し落ち着いた。客間のベッドに横たえられ、しばらくすると眠りに落ちた。
「妹が伏せる度に思うんです……」
リビングで温かい飲み物に口を付けたモニカが吐き出すように呟く。
「なんで魔法なんかあるんだろう、って。魔法さえなかったら、魔力さえなかったら、妹はこんなに苦しまなくていいのに、って……」
モニカの独白にセシリアたちも寄り添う事しかできない。
しかし、ウィルはそんなモニカの言葉を聞いて、悲しそうな表情で肩を落とした。
「ちがうもん……」
ポツリと呟いたウィルの言葉は傍にいたセレナとニーナ、レンの耳にだけ届いた。
「そうですね……」
レンはなんとなくその言葉の意味に気付いて、それだけを呟く。
ウィルにとって、魔法とは皆を幸せにする力だ。皆が笑顔になり、喜んでくれる。ウィルはそんな皆の顔を見るのが大好きな子だった。
だから、モニカの魔法に否定的な言葉に悲しんで、悲しそうなモニカに悲しんで、魔力の病に伏せるアニアに悲しんでいる。
「ちょっとおでかけする……」
「ウィル、どこに行くの?」
肩を落としてリビングを後にしようとするウィルにセレナが待ったをかける。
ウィルはしょんぼりと肩を落としたまま、セレナに向き直った。
「らいあのとこ……」
「ライア様の……?」
という事は、精霊の庭だ。
今はライアの作った宝具でトルキス家の倉庫とライアの洞穴は繋がっている。行って帰ってくるのに、そんなに時間はかからない。
魔暴症の事でも聞きに行くのだろうか、とセレナはレンと顔を見合わせる。それならば、レンがウィルを引き止める理由はない。
しかし、ウィルだけ行かせても意味ないだろう。
「分かりました。セシリア様にお伺いを立てましょう。それから四人で向かいましょう」
ウィルはレンがセシリアに許可を取るのを待って、精霊の庭へ赴くのだった。
「こんな時間にどうした? 今日は来る日じゃないだろう?」
「…………」
ウィルたちの急な来訪を出迎えたライアはウィルの様子が少しおかしい事にすぐ気付いた。
「ウィル?」
今にも泣き出しそうな顔になったウィルが駆け出してライアに抱きつく。
戸惑ったライアであったが、すぐに笑みを浮かべ、ウィルを優しく抱き返した。
「どうした、話してみろ」
「……まほーはかなしくないもん。しあわせのちからなんだもん」
「…………?」
ウィルの言葉の意味が分からず、ライアがレンやセレナたちに目配せをする。
それを受けて、レンがこれまでの経緯をライアに説明した。
顔見知りの姉妹を屋敷に招待した事。その妹が魔暴症という不治の病にかかっている事。そのせいで姉は魔法に否定的であり、魔力のせいで悲しい思いをしている姉妹を見てウィル自身も悲しんでいる事。
ウィルはみんなの笑顔が大好きだ。それはライアや精霊たちも知っている。
そんな皆を笑顔にする筈の魔法が、その姉妹を悲しませている事にウィルはショックを受けているのかもしれない。
「申し訳ないが、精霊では人間の病をどうこうするのは難しいだろう……」
ライアにも魔暴症に関する知識はないらしい。
ウィルはそんなライアの言葉をジッと聞いていた。
「もし、その娘に何かしてやれるとしたら、それはウィルがその娘をしっかり見てやる事だ」
「うぃるが……?」
ウィルが顔を上げるとライアはその目を見て頷き返した。
「そうだ。ウィルにはその娘の魔力が見えたんじゃないのか?」
「ちょっとちがうけど……」
ウィルの反応にレンが驚く。
普通はそんな反応、出てきたりしない。ウィルはアニアから明らかに何かを感じ取っていた。
「ウィル、その違いを感じ取れるのはウィルしかいないんだ。ウィルは凄い。それはここにいる精霊たち、皆が認めている。自信を持て」
「うぃる、すごい……?」
「ああ、凄い子だ。ウィルの魔法でみんなを笑顔にしてやれ」
ライアがウィルの背中をポンポンと叩くと彼女にしがみついていたウィルがゆっくりと立ち上がる。
その表情は来た時とは違う、自信に満ち溢れたモノへと変わっていた。
「うぃる、すごいこ!」
その場でガッツポーズをするウィルにセレナたちが苦笑いを浮かべる。
(((単純……)))
ここに訪れた時のしょんぼりウィルはもういない。やる気を漲らせて興奮するウィルの姿がそこにはあった。
ライアの励ましは予想以上にウィルを奮い立たせたようだ。
「ねーさま、いこー! らいあ、またねー!」
「あ、ウィル! 待ちなさい!」
「ウィルー!」
一目散に屋敷へ戻っていくウィルにセレナとニーナが慌てて追いかける。
最後まで残ったレンはライアに深々と頭を下げた。
「ライア様、ありがとうございます」
「なに、気にすることはない。ウィルにはあんな表情、似合わないと思っただけだ。後はお前たちが上手く導いてやってくれ」
「はい……」
最後に、レンはもう一度ライアにお辞儀をするとウィルたちの後を追って屋敷へ戻った。
「かーさま!」
「ウィル、おかえりなさい」
リビングへ舞い戻ったウィルは帰宅の報告をするとセシリアの前に立った。
先程までいなかったカルツも姿を現しており、この場にはトルキス家の主要なメンバーが集まっている。
「かーさま、あのね!」
「どうしたの、ウィル?」
出ていった時の様子とは全く違う、興奮したウィルにセシリアは目を丸くした。
ライアに何か聞いてきたのか、とシローとカルツも顔を見合わせる。
「あにあおねーちゃんにあわせて!」
「ええ!?」
ウィルの急な申し出に驚いたセシリアが遅れて入ってきたレンに視線を向けた。
「どういう事なの、レン?」
「実は……どうも、ウィル様はアニア様の魔力の事で何か感じ取っていたようなのです」
「本当なの、ウィル?」
「もういっかい、みたいのー」
ウィルのおねだりはただのワガママではなく、不治の病の突破口だ。今までの経験からセシリアはすぐに察した。
しかし、アニアへの面会の決定権はセシリアにはない。
「モニカさん、宜しいでしょうか?」
「は、はい……」
まだ落ち込んだままのモニカが頷くと、ウィルはモニカに向き直った。
モニカが首を傾げると、ウィルはやる気を漲らせて告げる。
「もにかおねーちゃん、うぃる、あにあおねーちゃんのごびょうき、なおすから!」
「え、ええ!?」
ウィルの宣言に面食らったモニカだが、トルキス家の人間は知っている。ウィルはいつだって不可能を斜め上に跳び越してきた。こと、魔法に関しては特に。
そんなウィルが魔力由来の病を治すというのだ。期待しないわけがない。
「わかった、みんなで行こう。ウィル、頼んだぞ」
「まかせて!」
ウィルを抱き上げたシローが全員を引き連れ、アニアの眠る客間へ向かう。
客間につくと、ウィルはシローから降りてアニアの傍へ寄った。
ジッとその様子を眺めるウィルの背中を大人たちが見守る。
「あ、あの……ウィル様に見せてどうにかなるものなんでしょうか……?」
知り合って間もないモニカの疑問はもっともだ。
その問いにレンは頷いて返した。
「ウィル様は先程、ライア様に『魔力を見たのではないのか?』と尋ねられた際に、『ちょっと違うけど』とおっしゃっておりました。おそらく、我々の感じ取れない何かに気付いておいでなのです」
「そんな……」
モニカはすぐに信じられなかった。今までさんざん妹を苦しめてきた不治の病である。そんな簡単に治るような病ではない。
「ウィルは……」
セシリアは一瞬言い淀んでから、はっきりと告げた。
「魔力の流れが目に見えているらしいのです」
「魔力の流れ……?」
「はい。その為、一度見た魔法は簡単に真似をしてしまいます。あの幼さで様々な魔法が使えるのはそういう訳なんです」
「…………」
そんな重要な事を話していいのか、と言葉を失うモニカを見てセシリアが笑みを浮かべる。
「モニカさんはもうトルキス家の一員。だから、話しました」
「因みにこの事は国家機密です。みだりに話されないよう、お願い致します」
トマソンが丁寧に付け加えるとモニカが苦笑いを浮かべた。とんでもない話を聞いてしまった、と。
そんな様子を黙って見守っていたカルツが続ける。
「ですから、我々も期待しているのですよ。ウィル君が不治の病からいったい何を見つけるのか。もし、それが治療の突破口になるのなら……」
「妹が……助かる……」
モニカの口から自然とその言葉が漏れて、彼女の胸が熱くなる。
助かる。いつ死ぬか分からないと、いつ死んでもおかしくないと言われていた妹が。助かる。
そう思ってしまった時、彼女にも祈る気持ちが芽生えた。何でもいい。妹を救ってくれる何かが見つかって欲しい、と。
皆が、その小さな背中を黙って見守っていた。
(やっぱりー……)
ウィルがアニアをジッと見つめ、魔力の流れを探る。
なぜアニアが苦しんでいるのか、よく見ればウィルの目には一目瞭然だった。
ウィルがシローたちの方を向き直って確認する。
皆とアニアの違いを。
「あにあおねーちゃんのまりょく、とまってる」
「とまって……?」
ウィルの言葉にセシリアが首を傾げた。
魔暴症は魔力の暴走で引き起こされていると言われている。止まっているというのは変だ。
だが、ウィルはこれに似たモノを見たことがあった。
「まるでくろののいせきみたいに」
「クロノ様……古代遺跡ですか?」
その時のことを思い出し、エリスが考えを巡らせる。
精霊魔法研究所で見た古代遺跡には時属性の魔法が使われており、遺跡全体を被っていた。その魔法をウィルは最初、動いていなかったので見落としている。
「確か、魔素や魔力、魔法は動いている、という事でしたね」
レンが付け加えるとウィルはコクコク頷いた。
「そー。あにあおねーちゃんのまりょくはいせきみたいにとまってるのー」
「それで苦しんでいるのか?」
シローの質問にウィルはウーンと考える素振りをする。
「たぶん、それだけじゃないー?」
「どういう事だ?」
「あにあおねーちゃんのなかでまそがふくらんでるの……それがまりょくとぶつかってて……ぶつかるとくるしーてなる。きまいらさんみたいにー」
「キマイラさん……?」
ウィルの言うキマイラさんとは、王都の魔獣騒ぎの時に現れた不完全な巨獣である。無理やりつなぎ合わされた魔力のせいで本来の力を発揮できず、苦しみの中で暴れ、最後にウィルたちを救った魔獣だ。
唇に手を当て、黙って聞いていたカルツが顔を上げる。
「一般的に、人は無意識の内に魔素を取り込み、そして体から放出しています。特定の人物でなければ体内に魔素は存在し続けません。それが契約者と普通の人との違いなんです」
「契約者……?」
アイカの疑問にカルツが頷き、代わりにシローが答える。
「幻獣や精霊との契約者の事だよ。契約者は身の内に属性を宿す事になるからね」
「その通りです。ですから、ウィル君が言う、アニアさんの体内で膨らんでいる魔素、というのがそもそも異常なのですが……」
カルツがシローの補足をして考え込む。その上、動かない魔力である。
「魔力も同様に体から放出しています。私たち契約者は、魔力の反応に人一倍敏感で、そしてそこに含まれている魔素の量でお互いが契約者かどうかを認識しています。しかし――」
カルツがアニアに視線を向ける。
「我々、契約者も魔暴症の患者を見て魔素や魔力を感知する事はできません。逆に全く感知できない違和感があるのですが……」
「ちょ、ちょっと待った! それじゃあ、魔暴症っていうのは……」
ジョンが慌てて話をまとめる。
「魔力の暴走とかじゃなくって、魔力が何らかの原因で止まってしまって、本来行われる筈の魔素の代謝ができなくなる病気って事なんですか……?」
「おそらく……ウィル君の話をまとめると、そういう事になりますね……」
それはもう、突破口ではなく全容解明である。長く人類を苦しめていた不治の病の謎を紐解いてしまっていた。
期待した以上のモノが出てきて全員言葉を失ってしまう。
「おそらく、治療に使われていた魔法薬も魔素の鎮静化によって一時的な効果を発していただけなのかも知れません。体内に魔素が入り込むこと自体は自然な事なので問題になりえません。この病気の一番の原因はウィル君が最初に言った止まってしまった魔力……ウィル君」
一通り考察を終えたカルツがウィルを向き直る。
ウィルは大人たちの話について行けなかったのか、ポカンとしていた。
「アニアさんの止まってしまった魔力を動かす事はできそうですか?」
「できるとおもうー」
ウィルは何でもないかのように首を縦に振った。
ウィルが再びアニアに向き直り、その手を取る。慎重に魔力を探りながら、ウィルはアニアの手に自分の魔力を流し始めた。
「揺り動かしているのか……」
シローが我が子の行動に息を呑む。
互いに魔力を合わせて巡らせる、魔力の修行。一方的に行えば相手の魔力を揺り動かす事ができる。
これくらいの事なら過去に試みた者がいるかもしれないが、ウィルはひたすら魔力を送り続けている。
魔力の暴走が原因だと信じられてきた魔暴症に、これほど魔力を流し続けるのは確証がなければ誰の目にも自爆行為だろう。
魔力の流れを見れるウィルだからこそ踏み込める領域であった。
(おもいー……)
アニアの動かない魔力にウィルが干渉を続ける。魔力に触れる感触はあった。しかし、その反応は重く鈍い。
それでもウィルはアニアに魔力を送り続けた。すると淀んだ魔力が少しずつ動き始め、アニアの体内に残留する魔素に変化が現れた。
(まそがでてるー)
今までアニアを苦しめていた魔素が少しずつだが、体外に排出され始めた。それに合わせて魔力の循環もスムーズになっていく。
(がんばれ、あとちょっと……)
体内の魔素の殆どが排出される頃には、魔力は自然と循環を始めた。
ウィルがアニアから手を離す。
アニアの寝顔は安らかで、傍目からも落ち着いているのが分かるほどだ。
もう一度、アニアの魔力を見たウィルが満足そうに笑みを浮かべた。ウィルの力を使わずとも、アニアの魔力は滞りなく循環している。皆と同じように。
「なおったー」
ウィルが嬉々としてシローたちに向き直る。
一部始終を見届けた大人たちは、ただただ言葉を失って、アニアの下に駆け寄るのだった。




