お家に帰ろう
小鳥のさえずりと暖かな陽の光を感じて、ウィルは薄っすらと目を開けた。自分を支える感触に寝かされているのだとすぐに気付く。
まだ少し、ぼんやりとする意識の中でウィルはポツリと呟いた。
「しらないてんじょーだ……」
自宅ほど立派ではなく、しかし清潔さの保たれた部屋だ。
二度三度まばたきして、ウィルが幼い思考を巡らす。ドラゴンを倒したところまでは覚えているが、そこまでだ。
「…………んしょ」
ウィルはベッドから這い出した。揃えられた靴を履き、ドアノブに手をかけて引っ張る。
「…………」
やはり知らない廊下に繋がっていた。
ちょっとした好奇心に気をはやらせたウィルだったが、あることに気付いて表情を曇らせる。
(かーさまたちがいないー……)
急に心細くなって室内を見渡すが、やはりウィル以外は誰もいない。
「かーさまー、れんー?」
呼びかけるが返事はなかった。
「じぃやー?」
トマソンもいない。ウィルは泣きそうになるのを怒ることで我慢した。
(むぅ……だれもいないー)
プンプン。涙目でほっぺたを膨らませる。
このまま部屋にいると更に寂しくなりそうで、ウィルは廊下へ出た。不安を追い払うように大きく息を吸い込む。
「ごめんくださいなー!」
ウィルは他の人の家に赴く時の挨拶を思い出して廊下に呼びかけた。
反応はすぐに訪れた。パタパタとドアの向こうから駆けてくる音が聞こえて、そのまま廊下にある一室のドアが開く。
中から顔を出した女性とウィルの目があった。
「あらあら、起きられたんですね」
笑みを浮かべる女性をウィルがぽかんと見上げる。反応の無くなったウィルに女性が笑顔のまま困り始めた。
「だれー?」
見覚えのない女性にこくんと首を傾げるウィル。
そんなウィルの仕草に女性が笑みを深める。
「村長のお宅のお手伝いをしている者ですよ。すぐにセシリア様を呼んできますね」
彼女はそう言い置くと奥の扉に入って行き、次に姿を見せた時にはセシリアとレンを伴っていた。
ウィルの表情がパッと華やぐ。
「かーさま!」
「ウィル、起きたのね」
セシリアが駆け寄って来るウィルを笑顔で抱きとめた。両手を上げて抱っこをせがむウィルの寝癖を優しく撫で梳かす。
「体は大丈夫? 昨日、また魔力切れを起こしてしまったのよ?」
「だいじょーぶー」
「良かったわ。心配したのよ?」
「ごめんなさいー」
素直に謝ってくるウィルにセシリアが目を細める。昨夜、月属性という強大な力を示したウィルだが身体的にも精神的にもあまり変わりないように見える。いつも通りの優しいウィルのままだ。
セシリアは少ししょんぼりするウィルの顔をのぞき込んだ。
「それじゃあ、ウィル。お風呂に入って体をきれいにしてきなさい」
「はい――えっ?」
返事をしようとしたウィルが手を上げたまま固まる。
セシリアは笑顔のまま続けた。
「村長さんがウィルの為にお風呂の用意をしてくださったのよ」
「ええ……」
感動の再会もどこへやら。手を上げたまま、ウィルがセシリアから後退る。そんな反応を見てもセシリアは笑顔のままだ。
「さぁ、ウィル」
「かーさま、うぃるはきれいきれいだからおふろはー」
「ダメよ、ウィル」
一歩前に出るセシリア。
その手から逃れようと更に下がるウィルだったが、何かに阻まれて背後を見上げた。
いつの間にか退路を塞ぐように立っていたレンと目が合う。
ウィルがレンから離れる前にレンはウィルを抱き上げた。
「さぁ、ウィル様」
「やー!」
じたばたと藻掻くウィルだが、それで自由にさせるレンではない。儚い抵抗だ。
「レン、お願いね」
「かしこまりました、セシリア様」
セシリアの笑顔にレンがいい笑顔を返してウィルを連行していく。
「やー、やー!」
「はいはい、ウィル様。きれいきれいにしないと恥ずかしくて外に出られませんよ」
当然、ウィルの抗議が受け入れられることはなく、二人は廊下から姿を消した。
それからしばし、間があって――
「あー!」
ウィルはきれいきれいされた。
ルイベ村は周囲を森に囲まれていることもあり、木組みではあるが村を囲む門は立派な造りになっている。
そんな門の外で大人たちはポカンと口を開けていた。
一様に見上げているのはドラゴンとワイバーンの死骸だ。飛竜の渡りの中でウィルたちが仕留めた物である。
相当な量に上る飛竜の死骸はなぜだか木製の大きな台車に載せられ、ズレ落ちないように縄のようなもので縛り上げられていた。それがいくつも連なっている様は村人たちを驚かせるのに十分だった。
見上げる村人たちは気付いていない。その影で可笑しそうに笑っている精霊たちの姿に。夜の間に精霊たちが集め、ウィルたちが運びやすいように積み上げたのである。
「……なんじゃ、こりゃあ」
村人たちが驚く姿は精霊たちの格好の肴になっていた。
セシリアたちがその知らせを聞いた時、苦笑いを浮かべるしかなかった。それを成し得るのが精霊たちの存在しかなかったからだ。ウィルがいるから、それが精霊たちの気まぐれでないことはすぐに分かる。
「おー?」
村の子供たち――とりわけルーシェの弟妹と遊んでいたウィルは自分を呼ぶ魔力を察してセシリアの下へ戻った。
「かーさま、せーれーさんたちがー」
「呼んでいらっしゃるの?」
「そー」
ウィルの反応に驚きを隠せない村長たち。
そんな村長たちにセシリアが向き直る。
「それでは村長さん、私達はそろそろお暇しようかと思います」
「はぁ……あ、いや」
居住まいを正した村長がセシリアに頭を下げる。
「またいつでもお越し下さい、セシリア様。何もない村ですが、一同、いつでも歓迎いたしますので」
「ふふ、また寄らせて頂きますわ」
「うぃるもー♪」
元気よく手を上げるウィルに大人たちの頬が綻ぶ。
ウィルは子どもたちにも別れを言い、門へと移動した。大人も子供も見送りに集まってくる。
先に門の外にいた大人たちが飛竜の山からセシリアたちの方へ視線を向けた。
その様子にセシリアたちが苦笑いを浮かべる。ウィルはというとキョトンとしてセシリアたちの前に出た。
「みんな、なにしてるのー?」
「え? あ、いや……みんな、一夜にして積み上げられた大量のワイバーンに……」
慌てて答える村人の一人にウィルが首を横に振る。
「ちがうよー」
「違う……?」
なんの事だが分からない村人たちが顔を見合わせた。
ウィルが気にした風もなく、山積みのワイバーンに向き直る。
「かしるー、しゅー、なんでみんなかくれんぼしてるのー?」
「それは……ウィルがいないと僕たちはホイホイ出ていけないよ」
「そーそー」
ウィルの呼びかけに姿を現したカシルとシュウに村人たちがどよめく。トルキス家では自然な光景とかしつつあるが、精霊が人前に現れるなど稀なのである。
「みんなもー?」
『あははははは』
『そーだよー』
『みんな、ウィルを待ってたんだからー』
次々と姿を現す精霊たち。その様子に村人のどよめきが大きくなった。
「もー、しょーがないなー」
ウィルのやれやれのポーズに精霊たちが笑みを浮かべてウィルを取り囲んだ。
精霊と戯れる小さな男の子。その姿は見る者に幻想的に映って――
「奇跡じゃあ……!」
涙を浮かべて拝む老婆の姿にセシリアは苦笑いを深め、ルジオラは呆れたように嘆息した。
そんな彼が自分の息子であるルーシェの傍による。
「まー、色々大変そうだが、元気でやれよ」
「あ、うん……」
「んで、たまに帰って母ちゃんに元気な顔見せてやってくれ」
「わかった。父さんも元気で」
見上げてくるルーシェの頭をガシガシ撫でてルジオラがルーシェを送り出す。準備の整ったセシリアたちが見送りの村人たちに手を振った。
「あれ? でもどうやってドラゴンとワイバーンを持って帰るんだ?」
村人が首を傾げる。それは誰もが思ったことだ。こんな大量の魔獣を運ぶには当然牽引する人や魔獣が大量にいる。セシリアたちが連れている騎乗獣では全然足りない。
「じゃーねー!」
不思議がる村人たちにウィルが手を振った。そして傍にいる精霊を確認する。変わらず傍にあるアジャンタとシャークティである。
「したがえしゃーくてぃ、つちくれのしゅごしゃ、わがめいにしたがえつちのきょへー」
大量の土砂を巻き上げて巨大なゴーレムが出現する。それを見た村人たちがあんぐりと口を開けた。
昨晩ウィルの魔法の凄まじさをまざまざと見せつけられた村人たちだが、それを間近で見せられると決して見間違いでなかったのだと再認識させられる。
アジャンタに導かれてゴーレムの頭に乗り込んだウィルがある事に気付いて一緒に乗り込んだクララに向き直った。
「くららー、もーもーさんとおうまさんものせないとー」
「分かったわ、ウィル」
クララが頷くと魔法で木を組んで台車をもう一台造った。精霊たちに導かれてオルクルとレイホースが台車に載せられる。
それに満足したウィルが前に向き直った。
「それじゃー、おうちにかえろー!」
ウィルの指示にゴーレムが吠えて返す。台車の先頭に立ち、ゴーレムが台車を引いていく。その上には飛竜の山、更には付き添う精霊たち。最後尾に馬と牛。
風の精霊の補助を受け、ゴーレムがズンズンと進んでいく。
見る間に遠ざかっていくゴーレムの背中を村の人々は呆れと胸の梳くような思いで見つめ、そして歓声をもって見送った。
「なん……だ、あれ……」
強行軍にて王都を目指していたシローが不自然な物を視界に捉えて呟く。大きな芋虫のような何かが街道を王都に向けて進んでいる。かなりの速さだ。
凄まじい速度で進む風の一片の背上で見たことのないものの正体が近くなってくる。それが何なのか、判断の付き始めたシローの頬が徐々に引きつった。
「まさか……」
「クックック……」
「なに、あれ……」
シロー同様に気付いた一片とアウローラがそれぞれ反応をする。一片は笑いを噛み殺し、アウローラは呆れたようにポカンとしていた。
全貌を見渡せる位置まで来た一片が足を止める。
大きな芋虫の正体は大量の飛竜を山積みにした台車の列だった。その先頭を大きなゴーレムが引っ張っている。
もう嫌な予感しかしなかった。
『あー! とーさまだー!』
目ざとくシローたちを見つけたゴーレムの主が元気いっぱい伝達魔法を使って呼びかけてくる。
ウィルだなんて、聞かなくてもわかってた。うん。
『とーさまー、おーい!』
前進をやめ、コミカルに手を振ってくるゴーレム。苦笑を浮かべて手を振り返すしかないシロー。
その様子を見ればフィルファリアに迫った飛竜の群れをウィルがどうしたかなんて聞くまでもない。
「クックック、アーハッハッハッ!」
耐えられなくなった風の一片が爆笑した。背にシローたちを載せていなかったら転がりまわっているところだ。
「ヒー、ヒー! 腹が! 腹がよじれる!」
「あらあら……」
荒い息を吐く一片にアウローラがため息をつき、シローはというと緊張の糸が切れたせいかドッと疲れた表情で肩を落とした。彼も休まず、王都を目指していたのである。
「は、はは……」
乾いた笑い声を漏らす当主を他所に、平和の訪れた平原にしばし風狼の笑い声が木霊していた。




