精霊様、スクランブル
レクス山の中腹にある洞穴の前で膝をついたシャークティが洞穴に向けて頭を下げる。
洞穴の脇には地属性の上位精霊が控え、小さな精霊たちが遠巻きにシャークティを見守っていた。
『よく聞け、クティよ』
「はい……」
洞穴の奥から遠雷のような声が響き、シャークティが小さく返事をする。その表情は暗く、萎縮して肩を落としている。
洞穴に呼び出された時から言われる事の想像はついていたが、反論しようにも土属性系統の精霊を保護する山の主では相手が悪い。
シャークティは仕方なく、山の主の言葉を待っていた。
『本来、精霊とは人間の信仰の対象であり、人里においそれと姿を現さぬものじゃ。それが例え善き者の下じゃとて人里では自重するものなのじゃ』
「はい……」
『それが家人の前にまでホイホイと姿を見せてなんとする』
「申し訳ございません……」
山の主の口調に責めるようなものはない。
最近ではシャークティについて小さな精霊たちまでウィルのところへ出かけていく。
山の主は全ての人間が善い者ではない事をよく知っていた。中には精霊を捕らえ、売り物にしようとする不届きな存在もいる。
小さな精霊たちがそういった者にかどわかされないか、心配しているのだ。
シャークティもその事は重々承知の上だった。しかし彼女も半端な気持ちでウィルの下まで通っているわけではない。
『自重せよ。よいな……?』
「はい……」
シャークティの返事に理解の色が見えず、山の主が胸中でため息をついた。
その時である。魔力の波紋が山を走り抜けて行ったのは。
『ぬぅ……件の人間か……?』
走り抜けた魔力は間違いなくウィルのものだった。
魔力の波紋は精霊や幻獣たちにウィルの見たもの、聞いたこと、その想いを残していく。
(この魔力……どこぞの精霊が宝具でも渡したか……)
魔力の波紋は時として精霊や幻獣の共鳴を呼び、人とそれらを結び付ける。しかし、意識的に行えるわけではない。
ウィルの波紋は人の身で起こす規模としてはあまりに大き過ぎた。故に山の主はウィルの波紋をどこかの精霊が作り出した魔道具の力だと判断したのである。
宝具は一部の精霊や幻獣が作り出せる特殊な道具でダンジョンで手に入るような魔道具とは比較にならない。小規模なものでも国宝に指定されていたりする。
(いくら何でも甘やかし過ぎではないか……)
ウィルの魔力に気を取られていた山の主が意識をシャークティへと戻す。
今はシャークティを説教中であり、彼女に釘を差して置かなければならない。その他の事は後回しだ。
『よいか、クティ……くれぐれも――』
『レクス様』
今まで黙って事の成り行きを見守っていた上位精霊の女性が口を出す。
同時に山の主レクスも言葉を失って我が目を疑った。
『クティはもう行ってしまいました。魔力の波紋を感じ取ってすぐに』
先程までシャークティが膝をついていた場所には誰もおらず、上位精霊の淡々とした説明だけが響く。
山の主がウィルの魔力に気を取られているうちに飛び出していってしまったのだ。
『ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬ……!』
思わず唸ってしまうレクスの横で今度は笛の音が鳴り響いた。
何事かと意識を向けるレクスと上位精霊の前で精霊の少年が手を上げる。
『集合!』
少年の呼び掛けに土属性の精霊たちが次々と集まってくる。
精霊たちが整列するのを待って、精霊の少年は語り始めた。
『みんな気付いたかと思うが、ウィルが助けを呼んでいる』
『ウィルは友達だ!』
『みんなで助けに行きましょう!』
肯定的な意見が出る中、精霊の少年は焦らず手で沈黙を促した。
『だが、相手はドラゴンだ。一筋縄ではいかない』
『構うもんか!』
『そうだ! 友達が困ってるなら助けなきゃ!』
ウィルを慕う精霊たちは勇ましく、強大なドラゴンだって恐れはしない。
精霊の少年も同胞たちの心意気を感じて大仰に頷いた。
『そうだな。クティも迷わずウィルの下へ向かった』
『『『僕たちも!』』』
『『『私たちも!』』』
意を決する精霊たち。精霊の少年は一つ頷いてから言い放った。
『行けば必ずレクス様に説教されるぞ。それでもいいか?』
『『『…………』』』
精霊たちは沈黙した。
ソッとレクスの様子を伺うとレクスが睨むような意識を飛ばしているのが分かる。
山の主レクス――その正体はこの辺り一帯を守護する地属性の大幻獣であった。怒らせると、とても怖い。
『僕は行くぞ……』
居並んだ精霊たちの中から誰かが言った。
『私だって』
『私も!』
整列した中から次々と声が上がる。その声は絶えることなく段々と大きくなっていく。
精霊の少年はそこでようやく満足そうに頷いた。
『レクス様には後で、みんなで怒られよう』
『『『おおー!』』』
精霊の少年の言葉に全員が拳を上げる。みんないい顔をしていた。
で、あれば掛ける言葉は決まっている。
『土の陸戦部隊、総員出撃!』
号令一過、土属性の精霊たちが次々と土の中に潜行していく。
『…………』
誰も居なくなった広場を見てレクスが深々と嘆息した。
やや間を開けて、洞穴の中から一人の少女が姿を現す。
腰まで伸びたブラウンの髪と同色の双眸。白く華奢な体躯は露出の多い黒地の衣服に包まれ、その上から外套を羽織っていた。
『……レクス様、幻身体でどちらへ?』
無言で歩き出す少女に上位精霊が声をかけると少女は肩越しに振り向いた。きれいな双眸が不機嫌そうに歪められる。
『憂さ晴らしじゃ』
『お供致しましょうか?』
『要らぬ』
頬を膨らませたレクスの愛らしさに上位精霊が思わず頬を緩める。
その様子にレクスは不満げな視線を送った。
『お主は子供たちを見張っておれ。何かあっては敵わんからのぅ……それから――件の人の子……お主の目でしかと見定めてこい』
『御心のままに……』
一礼した上位精霊が土の中に沈んで消える。
それを見届けたレクスは不機嫌そうに鼻を鳴らして宙へと舞い上がった。
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
一方その頃、一足早くウィルの波紋を感じ取った精霊の庭では精霊たちが忙しなく動き回っていた。
『水の精霊たち、お急ぎなさい! 小川を伝って村の前へ出ますわよ! 戦闘が苦手な子たちは消防活動に専念しなさい!』
ネルが同属性の精霊たちに指示を出し、手早く役割をまとめていく。
その後ろ姿を見守りながら、ライアは小さくため息をついた。
『ネルはウィルの事を煩わしく思っていたのではなかったのか?』
『最初はそうかもしれないわね……』
同じようにネルを見守っていたフルラが可笑しそうに笑う。
ネルは良くも悪くも正直だ。いきなり現れたウィルに苛立ちを覚えていたのは確かだろう。
しかし、ウィルも真っ直ぐで優しい心の持ち主だ。人間でなくても心惹かれるものがある。
ネルもウィルと触れ合う内に感化されていったのだろう。
『ちょっと、あなたたち! ぼんやりとしている場合じゃございませんのよ!』
『分かっている』
ライアが素っ気なく応えるとネルの気に触ったのか、ネルは荒々しい足取りでライアの傍へ歩み寄った。
『いいえ、分かっていませんわ! ウィルが泣かされたんですのよ! あんなトカゲ連中に村が燃やされてしまうと! 到底許せることではありませんわ!』
『はいはい、落ち着いて。戦う相手はこっちじゃないでしょう?』
『そ、そうでしたわね! 早く参りませんと!』
フルラに宥められたネルが思い出したかのように踵を返して川へ向かって走り去る。
フルラはそれを見送るとライアに向き直った。
『ライア、私も行くわ。ドラゴンの高度が下がったら捕縛する』
『分かった』
『それから、クララとマークを一緒に連れて行って。何かあってもクララがいれば大体の怪我に対応できるわ。マークも森に残るよりウィルたちと行動した方が力を使える筈よ』
『うむ』
ライアは頷くとフルラの後ろに控えていたクララとマークに視線を向けた。どちらもその表情に決意を漲らせ、真っ直ぐライアを見返してくる。
そんな精霊たちを好ましく思ったライアの頬が少し緩んだ。
『覚悟はいいな』
『『はい!』』
ライアの言葉にクララとマークは力強く頷いた。
「僕たちも班を分けるよー」
パンパンと手を叩きながらカシルが注目を集める。いつも通りの優しい声だが表情は少し緊迫している。
「一班は僕と一緒に来てウィルたちの援護だ」
「じゃあ二班は俺な。ドラゴンとワイバーンを遊撃して注意を引き付ける」
シュウの提案にカシルが頷いた。
役割としては一番危険なのだが、シュウや志願してくる精霊たちに気負う様子はない。機動力や戦闘力に自信があるのだ。
カシルはもう一つ班を作って役割を与えた。
「ネルと二班がドラゴンたちの注意を引き付けてる間に三班で風の大玉を作る。直上から打ち下ろしてドラゴンを叩き落として欲しい」
如何に飛竜とはいえ、その巨大な体躯で空へ飛び立つには時間がかかる。一度地面に落ちれば高い確率で地上戦に持ち込めるのだ。
しかし、巨大なドラゴンを撃ち落とせるだけの魔法を放つにはそれなりの実力がいる。
集まった風の精霊の中からアジャンタが手を上げた。
「だったら三班は私がやるわ!」
「それはダメだよ」
「なんでよ!」
やる気を通り越して憤るアジャンタにカシルが人差し指を立てて見せる。
「分かってるでしょ。ウィルにはアジャンタが必要だよ」
「うっ……」
泣いているウィルの顔を思い出してアジャンタは声を詰まらせた。
アジャンタもウィルが悲しんでいるのなら、すぐに飛んで行きたい。だが、大役を果たせる精霊もそう多くはない。
「ウィルにもう大丈夫だ、って言ってやりなよ」
「……じゃあ、他に誰がドラゴンを撃ち落とすのよ?」
「それは……」
アジャンタの問いにカシルが言葉を詰まらせる。
風の精霊たちが顔を見合わせ、その視線が一点に注がれた。注目を集めた先にはボレノがいた。
『お、俺ぇ!?』
乗り気でなかったのか、ボレノの声がひっくり返る。焦ったように腕を広げてあたふたと弁解を始めた。
『いや、だってドラゴンだぞ、ドラゴン! ワイバーンとかならまだしも、ドラゴン! 皆分かってんのか!?』
魔獣の中でも最強と名高いドラゴンである。上位精霊だっておいそれと手の出せない相手だ。
「ボレノ!」
『なんだよ!』
アジャンタに強く呼びかけられて身構えたボレノは次の瞬間、目を丸くした。
「お願い……」
両手を握り合わせ、懇願するアジャンタの姿はなぜかボレノの目に輝いて見えた。
思わず見惚れてしまったボレノが我にかえって周囲を見回す。風の精霊たちはみんなボレノの返事を待っていた。
訴えかけるような視線に晒されて、ボレノが折れる。
『分かったよ! やるよ、やりゃいいんだろ! ったく、居ても居なくても手が掛かるな、ウィルは……』
最後の方は小声でブツブツと呟きながら、ボレノが三班の前に出る。
(((ボレノ、不憫な奴……)))
その姿に何人かの精霊たちは心の中で涙した。
アジャンタが胸を撫で下ろし、カシルと頷き合う。
「一班、ウィルの下へ行くよ!」
『『『はーい!』』』
カシルを先頭に風の精霊たちが次々と飛び立っていく。
それを見送ったボレノは不機嫌そうに眉根を寄せて三班に向き直った。
『いいか! 俺たちは上空に魔力を溜めてドラゴンを叩き落とす! 半端な威力は許さねぇ! 空の覇者は飛竜ではなく俺たち風の精霊だと思い知らせてやるんだ!』
『『『おー!』』』
ボレノが八つ当たり気味に鼓舞し、三班の精霊たちが拳を上げて応える。一班に続いて三班も飛び立っていった。
『我々も行きますかー』
『リーダー、指示願いまーす』
最後になった二班の精霊たちがシュウに視線を送る。
シュウは一つ咳払いをすると班員たちを見回した。
「ネルはやるときゃやるが、それでもドラゴンで手一杯だろう。ネルが集中できるように、俺たちはワイバーン中心に迎撃する」
『『『了解!』』』
「ワイバーンと存分に遊んでやれ!」
『総員出撃!』
『イッツ、ショーターイム!』
テンション高く、やる気を漲らせた二班の精霊たちが次々と飛び立っていく。
精霊の庭から全ての精霊がいなくなったのはこの時が初めてであった。




