表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/267

セシリアの心配事

 夜も更け、皆が寝静まった頃。


「ふぅ……」


 一人で翌朝の下拵えの確認をしていたセシリアはその日何度目かのため息をついた。

 これじゃあいけない、と思いながらも気が付けば自然とため息が出てしまっている。

 そんなセシリアを気遣ってか、シローが厨房に姿を現した。


「セシリアさん……」

「シロー様……ごめんなさい。すぐに参りますから……」


 そう言ってセシリアが水場で手をすすぐ。

 その横顔に覇気はなく、苦笑にため息を混ぜたシローは黙ってセシリアの下へ歩み寄った。


「シローさま――キャッ!?」


 手を拭いていたセシリアをシローが背後から抱き寄せると、セシリアは小さく声を上げた。


「……シロー様?」


 抱き締めたまま、動かぬシローを不思議に思いながらセシリアがその腕を抱き返す。

 しばらくそうして寄り添っているとシローが口を開いた。


「不安かい?」

「……ええ、少し」


 セシリアは素直に頷いて、もう少しだけ強くシローに寄りかかった。

 昼食会に姿を現した先王ワグナーはガイオスとリリィの仲を取り持つだけではなく、現国王アルベルトの使者としてトルキス邸に訪れていた。

 二つの願いと一つの命令を携えて。


「セレナはしっかりした娘です。あの子が大丈夫というのなら、大丈夫でしょう。アルベルトお義兄様がウィルに会わせて欲しいと願うのも分かります。でも……」


 声の調子を落としたセシリアが少し躊躇ってから続けた。


「本当にお一人で向かわれるのですか?」

「…………」


 シローはすぐに答えなかった。

 どう返答してもセシリアの不安を拭える気がしなかったからだ。

 ワグナーが持ってきた二つの願いと一つの命令。

 願いはセレナの社交界デビューとトルキス家の謁見だ。

 そして命令はシローに遠征し、魔獣を討伐せよ、というものだった。

 シロー自身は朝のうちに呼び出され、大まかな話は聞かされていた。

 その上で一人で向かう事を選択したのだが、セシリアはあからさまに表情を曇らせた。


「せめて、カルツ様にご同行願うか、レンを連れて行かれては……」


 セシリアの言うことはもっともな話だ。

 一人では不測の事態に対処しきれない。

 いかにシローが手練であってもだ。

 だが、シローは小さく首を横に振った。


「現地で案内役と合流することになってる。問題ないよ。それに……」


 シローには自分の遠征とは別に心配している事があった。


「飛竜の渡りの時期が近い。できればカルツ達にはここにいて欲しい」


 飛竜の渡りとは飛竜が住処を移す際の移動のことを言う。

 生態系の頂点に位置する竜種は特定の区域に住処を持つ。

 普段はその竜域と呼ばれる場所から離れることはないが、この時期はあぶれたドラゴンが高確率で住処を移すのだ。

 それが度々人里に被害をもたらしている。

 あぶれるドラゴンは竜種の中では下位だがそれでも他種族にとっては脅威だ。


「それも心配なんです。この間の騒ぎのように地竜様の加護が効かず、王都が襲われるんじゃないかって……そんな時にシロー様がいらっしゃらないなんて……」

「…………」


 ここ数年、フィルファリア王国における竜種の被害は極端に少ない。

 大した渡りが観測されていないということもあるが、シローの存在があったからだ。

 【飛竜墜とし】の二つ名を持ち、魔獣戦闘における絶対的な強さを誇るシローが騎士たちの先頭に立ち、竜害を防いできたのだ。

 そのシローを渡り目前に欠くのはフィルファリア王国にとっても痛手である。

 にも関わらず、シローへ直接命令が下ったということはそれだけ良くない事が起きているということでもある。

 それをセシリアが分からないはずなかった。

 シローは抱き締めていたセシリアの肩に手を添え、彼女を振り向かせた。

 セシリアも抵抗なくシローへ向き直る。

 自然と二人の顔の位置が近くなった。


「何かあればカルツやヤームが助けてくれる。だからそんな顔しないで待ってて……」


 一人では心配。

 一人で行かなくても心配。

 残ることができない以上、セシリアの心配が晴れることはない。


「はい……」


 結局、セシリアには頷くことしかできなかった。

 そのままシローの胸に額を当てる。


「どうかご無事で……」


 不安げな表情のまま、セシリアがシローを見上げる。

 その不安を拭い去ろうとシローがセシリアに顔を寄せて――


「……ん?」

「えっ……?」


 不意に人の気配を感じたシローが厨房の入り口に目を向け、それに倣ったセシリアも同じ方へ視線を向けた。


「…………」

「…………」

「…………」

「……ウィル、何してんの?」


 厨房の入り口からこっそりウィルが覗き込んでいた。


「みつかっちゃったー」


 嬉しそうにあちゃー、と顔を隠すウィル。

 一方、近寄り過ぎていた距離をそれとなく離すシローとセシリア。


「うぃるもなかよしするー!」


 二人に見つかって隠れる必要のなくなったウィルが駆け寄ってシローの足にしがみつく。


「ウィル、いつからいたの?」


 セシリアがウィルに尋ねるとウィルはにっこり笑顔でセシリアを見上げた。


「せれねーさまのおはなししてるとこからー」


 わりと最初からいた。

 ウィルは視線をシローに向けるとシローの足を揺すり始めた。


「ねー、とーさま、ねー」

「なんだ、ウィル?」

「とーさま、どっかいっちゃうのー?」


 不思議そうに尋ねてくるウィルにシローは少し困ったような笑みを浮かべた。

 バレてしまったのなら隠していてもしょうがない。


「ああ、騎士のお勤めでな……しばらく帰ってこれない」

「えぇ〜……」


 残念そうな声を上げるウィル。

 セシリアもその様子を少し寂しげに見守っていた。


「うぃる、てつだってあげよーかー?」


 ウィルは自分の魔法が役に立つと思っているのだろう。

 そんな風に提案してきてシローは思わず表情を綻ばせた。


「今回のお仕事は遠いからなー。また今度な?」

「むぅ……」


 断るシローにウィルが頬を膨らませる。

 そんな我が子の頭をシローは優しく撫でた。


「その代わりな、ウィル。お母さんを守ってあげて欲しいんだ」

「かーさまを……?」

「ああ。お父さんはお母さんの傍にいてあげられないから、代わりにウィルがお母さんを守ってあげるんだ」


 シローが提案するとウィルはセシリアの顔を見上げた。

 少し寂しそうにしている母の顔を。


「わかったー」


 セシリアをこのまま寂しがらせるわけにはいかない。

 ウィルは快く承諾した。

 シローもそんなウィルに頷いて返す。


「よし、任せたぞ。それじゃ、お布団に戻ろうな」

「はーい」


 元気よく返事をしたウィルがシローに抱きかかえられる。


「セシリアさん、心配しないで。大丈夫だから」

「はい……」

「帰ってきたら美味しい手料理、たくさん振る舞って」

「ふふっ……そうですね。シロー様がお戻りになる頃には、また旬の食材が出回っているでしょうし……何かリクエストがお有りですか?」


 幾分、表情を和らげたセシリアにシローが思考を巡らせる。


「フルーツが美味しくなる時期か……」

「ひょっとすると竜肉も店に並ぶかもしれませんね」

「じゃあフルーツサラダと竜肉のステーキかな」

「分かりました。腕によりをかけてお作り致します」


 まだ完全にとはいかないが、セシリアの表情にもいつものらしさが戻ってきた。

 それを見て安心したシローはウィルを寝室に運ぶべく厨房を出た。


「そういえば、ウィル。なんでこんなところまで来たんだ?」

「おといれー」

「そっか。ちゃんと手は洗ったか?」

「…………あらったー」

「おい……なんで間を開けた?」


 そんなやり取りが聞こえて、セシリアは苦笑してから頬を綻ばせた。

 大丈夫、いつもの我が家だ、と。


「ねー、とーさまー?」

「なんだい、ウィル?」


 シローがウィルの弾む声に視線を向ける。


「うぃる、じょーずにかくれてたー?」

「ん? ああ、上手だったぞ」


 少なくとも妻にデレデレになって油断していた一流剣士をだまくらかせるくらいには。

 そんな風に心の中で付け足しながら、しかしシローは違うことをウィルに伝えた。


「みんな驚いちゃうからな。あんまりお家の中で使っちゃダメだぞ?」

「はーい♪」


 元気よく返事をするウィルにシローは頷き返して。

 とりあえず、ウィルを洗面所に連れて行くのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 何気にルーシェの魔法を使っている(((^_^;)
[一言] ??「了解、フルーツサラダ期待してるぜ」 ????「あーあ、俺のステーキが……」
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ