プロローグ
静まり返った室内を男が落ち着きのない様子で歩き回る。
同じ所を行ったり来たりと繰り返し、立ち止まってはため息をついて、また歩き回る。
並んで椅子に座っていた幼い姉妹が、目の前を行き来する男の姿を追って、首を左右に動かしていた。
「少し落ち着いてください、シロー様」
歳若いメイドが呆れた表情でため息をついた。
艶のあるロングヘアーの黒髪がさらりと揺れる。
室内をウロウロしていた男――シローは足を止めて、メイドの方へ向き直った。
整った容貌をしているが、その顔は今、どうしょうもなく狼狽えている。
「いやいやいや! レン、そうは言うけど……」
「お嬢様方が不安になりますよ?」
「うっ……」
レンと呼ばれたメイドの冷ややかな口調に、シローが思わず言葉を詰まらせた。
「おとーさま、どうしちゃったの?」
心配そうに尋ねてくる妹の方に、レンが「ほら、ごらんなさい」と冷たい視線をシローへ向ける。
シローはしゅんっと肩を落とした。
レンは膝を付いて目線を姉妹の高さに合わせると、抱き締めるように姉妹の頭を撫でた。
「心配ございませんよ。こういった時の殿方は大抵頼りないものです」
身も蓋もない言い様だ。
だが、まさにその通りである。
別室では、彼の妻が今まさに出産の時を迎えようとしている。
自分の大切な人が自分の知らぬ苦しみに耐えているのだ。
男としてそれを気にかけずにいられる者がいるだろうか。
遠くから妻の苦しげなうめき声が聞こえてシローがビクリと肩を振るわせた。
出産の待ち合いも三度目になるが、シローには到底なれられるものではなく――彼は、またうろうろし始めて。
「お父様……」
姉の方からも抗議の声が上がり、メイドはとうとう深々と嘆息した。
「シロー、いい加減に……」
「だってぇ!」
シローがついつい泣き言を喚きそうになった。
その時、元気な赤子の声が微かに響いた。
口をつぐんだシローとレンが一瞬顔を見合わせ、シローが弾かれたように部屋を飛び出す。
ちょうど扉を開けたメイドがシローに気付いて顔を綻ばせた。
「シロー様! 元気な男の子です!」
「おお!」
バタバタと駆け込むシローの後から姉妹とレンが部屋に入る。
「ははっ、レン、見てくれ!」
シローが清潔な布で包まれた我が子を嬉しそうに抱き上げた。
その顔に、レンの表情が僅かに綻ぶ。
「おめでとうございます。シロー様、セシリア様」
ベッドに横たわった婦人がまだ頬を紅潮した様子で笑みを零した。
汗ばんだ翡翠色の髪が光を受けて淡く輝いて見える。
「この子の名前はウィルベルだ。どうだろう?」
抱きかかえた子をセシリアの傍へ寝かせつつ、シローが彼女を覗き込んだ。
「よろしいのですか?」
セシリアが遠慮がちに尋ねる。
「シロー様の故郷由来の名前を付ける事も出来るのですよ?」
「この子は……ウィルベルはこの国の子供だよ」
シローが笑みを浮かべてセシリアの乱れた髪を撫でて整えた。
その手に身を任せたセシリアが笑みを浮かべて顔を横にいる我が子へ向ける。
「……ウィルベル。初めまして、ウィルベル……」
愛しそうに彼女は何度も我が子の名前を繰り返した。