試写 ーー イントロダクション
初投稿となります。
よろしくお願いします。
薄暗くなりつつある住宅街、一人の女性が、虚ろな瞳で歩いている。
その姿は儚げでもあり、歩みはとても不安定だ。
さらには女性の後方、大体30メートルか。女性を隠れて見つめる男の姿があった。
電柱に半身を隠し、一眼レフカメラを構え、ファインダー越しに女性を凝視する姿。
全く姿勢が定まらずヨタヨタと不安定な女性の歩みに対し、オートフォーカスなどいらぬとばかりに、マニュアル操作でピントを合わせている。
ピント合わせ以外の余計な動作は一切なく、完全に固定化されている撮影姿勢。その姿は、手振れ補正など一切不要と語っていた。
事実、レンズについている手振れ補正機能はオフであり、レンズとカメラ本体の設定はオートフォーカスを使用せずに、共にマニュアル設定になっていた。
エモノを狩るに、頼る技術は己の腕のみ。
機械に頼っていざという時エモノをのがせば、一体誰のせいにするつもりなのか。
機械の性能が悪かった?
オートフォーカスのピント合わせが遅い?
手振れ補正がうまく働かなかった?
そんなもの、己が腕が未熟であることの言い訳ではないか!
エモノを見つけ、狩る。
それがすべてだ。
結果がすべて。成果が得られなければすべて自分が悪いのだ。
彷徨う女性を凝視その姿は、「漢」だった。
……女性を追うその姿、どう見ても不審者、変質者、変態紳士の類にしかみえないが。
着ている服は、使い込まれた感が漂う黒づくめ。
いや、よく見ると黒ではない。濃い紺色。薄暗くなっているから、黒く見えるようだ。
その色のチョイスは、実はよく考え、研究された結果だった。
黒は、闇の中では逆に目立つ。忍者装束には、実は山吹色や紺色があったりする。
その色の方が、闇の中では逆に紛れやすいのだ。
雑学的に仕入れた知識を実践から確信し、時間と場所に合わせてチョイスしたのが今の格好だった。
まさに、変質者。
もし人が通りかかれば、夕方のランニング愛好者としてごまかせる。
ジャージというチョイスは、そんな計算もあった。
大きめのレンズ付き一眼レフを持っている時点で、おまわりさんこの人ですだが、本人にとって一眼レフは仕事道具であり、怪しいものではないのだ。
(別に一眼レフを持っていることが怪しいのではなく、全身、闇に紛れる暗色系の服装に一眼レフの組み合わせがヤバイのだが。)
ともあれ、女性の方はその怪しい男に気づいていないのは間違いなく、虚ろな瞳で彷徨い行く。
やがて、20メートルほど女性が進んだ頃、男はピント合わせ以外の動きを見せる。
チャ、ガチャガチャ、スチャッ。
わずか一秒にも満たない時間。
いつの間にか、男のカメラのレンズが変わっていた。
70-200mmのレンズから、100-400mmのレンズへ。
交換したレンズは、レンズカバーで保護済みだ。
迷いも無駄も一切ない。しかも、交換の間、男の視線は女性から一切離れることはなかった。
さらには、交換した新しいレンズで、女性にピントを合わせ直すのにかかった時間はコンマ何秒か?
間違いなく、変態だ。
とはいえ、50メートルは離れていてもレンズ交換の音に気づいたらしい。
次の瞬間、女性が振り向いた。
そして、その男から、この場で一番あり得るべき音が発せられる。
カシャ。
音がただ一音。
そして、その場には、男以外の何も残っていなかった。
「ふうっ」
仕事をやり遂げた一人の漢の、満足感あふれる呼吸が最後に残された。
お読みいただき、ありがとうございました。