断食・三衣
●某日、三衣宅にて●
千「なにやってるの?」
三「プチ・ラマダン」
千「またぁ?こないだもやってなかったっけ」
三「俺かて、やりたくてやってるんやない。
そうさな、社会が産んだ悲劇や。これは」
千「素直に給料日前で金欠だっていえばいいのに」
三「そう。給料日前症候群。
現代人の十人に一人はこの症状に侵されとる。
現代習慣病にも挙げられるほど有名なもんや」
千「それだけデタラメ言えるならまだ余裕あるわね。
あたしからの差し入れはいらないか」
三「千月様。畏れながらこの三衣、限りを越えて空腹にございます」
千「ほんと馬鹿なんだから三ちゃんは。
ちょっと待ってなさい」
三「助かるー。正直動く気力があんまり残ってない」
○ ○ ○
千「はい」
三「ふおおぉ……。
こんなにホットケーキが輝いて見えたんは生まれて初めてかも知れん」
千「何を大袈裟な」
三「ごちそうさまでした」
千「速っ!!」
三「ちゃんと食材と千づっちゃんに感謝しながら食べたから大丈夫や」
千「その割には“いただきます”はなかったわね」
三「……いただきました」
千「遅っ!!」
三「いやまぁ、予定外の出費が重なったもんでな。
食費にまでくい込んだんや」
千「金銭管理くらいちゃんとしないと。だらしないんだから」
三「や、ごもっとも。
でもま、強制断食も久しぶりやしそこそこ楽しかったわ」
千「またそうやって変に捻じ曲がる……」
三「人生、楽しみを忘れたら終わりやからな。
安アパートに住んどった学生時代を思い出したわ」
千「昔から変わってないもんねぇ。それはそれでどうなの」
三「失敬なやっちゃな。俺かて日々変化しとる」
千「例えば?」
三「知識の量が増えていくのは当然ながら、性格面でも大きく変化しとる」
千「ほうほう」
三「変わらへん、という名の変化や」
千「……は?」
三「考えてもみぃ。
昨今の世の中は常に予測不可能な変化をしとる。
社会が変われば文化が変わる。
文化が変われば人は変わっていくもんや」
千「最後まで一応聞いてあげるわ」
三「世間でいうところの一般的とは何か。それは保守的な動きそのものや。
社会のヒエラルキーの中で自ずからの立ち位置を相対的に保つこと。
これこそが世間的と呼ばれるもんの正体や」
千「噛み砕いて説明お願い」
三「例えばマラソンしとって、自分の順位だけを維持しとるっちゅう話や。
抜かず、抜かせず、周りばっかり見てあくせくしとる。
それで順位の変わってない自分を見て安心しとるんや。
自分は一般的やと思い込んでな」
千「じゃあ、みんなトップ目指して頑張りましょうってこと?」
三「戦後の教育がそうやった。
走れ、止まるな、這ってでも前に進めってな」
千「暑苦しいわね」
三「嫌いやないけどな。でも、目指す頂を見とらん人も多かったやろなあ。
とにかく前に進むことこそが賛美された時代やったからのう。
それに、どっちの考え方にも致命的な落とし穴がある」
千「ふぅん」
三「どっちの話にしろ、マラソン全体を見てへんのはいかん。
先頭集団がどのへんとか、後続までの差はどれくらいや、とか」
千「それで三ちゃんの言う不変にはどうつながるの?」
三「不変とは文字通り、変わることはないっちゅうことやな?」
千「まぁ、字面ではそうよね」
三「何が変わらんのか。マラソンの例えで言うなら、せやな。
目標とするタイムっちゅうところやな。
これは、変わらんというか、変えたらあかん」
千「勝つための目標ってこと?」
三「厳密には違うと思てる。
一位になるとかはこの時考えたらあかんのよ」
千「なんで?目標じゃない。立派な」
三「他人が絡んでるやろ。人と比べてどうか、やない。
自己を研鑽して高みを目指す。
ただし、マラソン全体を把握しながら、や」
千「相変わらずよくしゃべるわねぇ」
三「つまり、自分の目指すべき頂を社会の枠組みを把握して自ら定める。
そして自らの力で以ってそれに向かう。それが、不変いうもんや」
千「三ちゃん三ちゃん」
三「ん?」
千「三ちゃんは思想家としてヒジョーにたくましいと感じます」
三「まぁ、言うててスカッとするから言うてるだけやけどな」
千「ですが、人として最低限の生活を成し遂げてからにしましょう」
三「つまり?」
千「断食なんかやってないで遊びに行こうってこと」
三「已むに已まれずやっとったんや。
遊びに行くなら彼氏とどーぞ」
千「ユウは仕事なのよー。暇だから相手してよぉ」
三「最初から素直にそう言うたらええねん。
かといってほんまに財政難やからなぁ……」
千「せめてホットケーキの分くらいは相手してもらうわよ」
三「アレ、有償かいな!
迷える子羊を助けた無償の愛やと思てたんやけど!?」
千「自分に自信たっぷりな迷ってない子羊に愛はいらないわ。
あたしが見返りもなしに三ちゃんを助けたことがあったかしら?」
三「はぁ。世の中は嘘と欺瞞と偽善に満ちとるなぁ」
千「それが世の常よ。確か冷蔵庫の野菜室だっけ?」
三「な、なにが?」
千「非常用貯金の在りか」
三「それだけは!それだけは勘弁してくだせぇ!」
千「いいじゃない、あるんだから使おうよ。
三ちゃんの行きたいとこでいいからさ」
三「ご利用は計画的にいこうや、な?」
千「生活費の管理が計画できてない人に言われたくないなあ」
三「まあ、ごもっともやな」
給料日前症候群。これを乗り越えるには己を無欲の塊へと変じて、悟りを開く必要があります。普段やらない行動だからこそ、その行動の中に普段とは違うものを見ることが出来る。
旅に出て意識改革を起こすのも、原理的には近いのではないでしょうか。
三衣は普段から断食している訳ではありませんよ。
食材が買えないから食べないのです。
給料日が来た時の喜びはひとしおです。
皆様もいかがです?給料日前症候群。味わってみては。




