悪役令嬢VS嫌われ令嬢
「それでね、あの方ったら、わたくしが話している途中だというのに、急に別の話を始めたのよ」
「まあ。それはひどいですわね」
「でしょう? 人の話くらい、最後まで聞いてほしいものですわ」
わたくし、リュシエンヌ・ヴェルクレアは、友人たちと教室で楽しくおしゃべりをしておりました。
話題は、昨日のお茶会での出来事です。
といっても、大した話ではありません。
誰かが誰かの話を遮ったとか、誰かのドレスが少々流行遅れだったとか、そんな程度の話です。
もちろん、本人の前では言いません。
本人の前で言ったら、きっと喧嘩になってしまいますもの。
陰口というものは、本人がいないからこそ楽しいのです。
「ねえねえ、何のお話をしているの?」
突然、横から声がしました。
顔を向けると、エルネスタが立っていました。
エルネスタ・クラウゼル。
明るくて、よくしゃべる令嬢です。
クラスの誰かと揉めているところなど、見たことがありません。
彼女は皆と平等に接してくれます。
しかし、特別に仲の良い相手がいるようにも見えません。
そんな彼女がどうしたのでしょうか?
「いえ、まあ……」
わたくしは、曖昧に笑いました。
すると、エルネスタはぱっと顔を輝かせました。
「なによ! 秘密のお話? ねえ、わたくしにも聞かせてよ!!」
「……」
「えっ、何よその顔! 仲間外れにしないでよ!」
彼女は笑っています。
冗談のつもりなのでしょう。
けれど、先ほどまで楽しげだった友人たちは、すっかり黙ってしまいました。
何を話していたのか説明するわけにもいきませんし、かといって、適当に誤魔化せば余計に怪しまれそうです。
「……ごめんごめん! 冗談だってば!」
エルネスタは、わたくしたちの様子を見て、手を振りました。
「じゃあ、またね!」
そう言って、彼女は別の友人たちのところへ歩いていきました。
しばらくして、友人のマルティナが口を開きました。
「……エルネスタって、悪い子ではないのよね」
「ええ、そうですわね」
「でも、今みたいなことがあると、ちょっと困るわ」
「わかりますわ」
わたくしは紅茶の代わりに、持っていた水筒のお茶を一口飲みました。
エルネスタは、誰とでも話せます。
誰にでも笑いかけます。
けれど、誰かがこっそり話していると、すぐに輪の中へ入ろうとする。
そして、相手が困っていることに気づいても、どうして困っているのかまでは考えない。
もっとも、それ自体が悪いことだとは思いません。
人間には、それぞれ得意不得意がありますから。
ただ、わたくしとしては。
「……あの子がいないほうが、話しやすいですわね」
「リュシエンヌったら!」
友人たちが笑いました。
わたくしも笑いました。
こういう時間が、わたくしは好きなのです。
その日の夜。
わたくしは自室の机に向かっておりました。
机の上には便箋が何枚も並んでいます。
さて、今日は誰にお手紙を書きましょうか。
まずは、先日のお茶会で少しお話しした方。
それから、授業で何度か隣になった方。
あとは、以前、廊下ですれ違った際に親切にしてくださった方。
わたくしは、便箋に向かってペンを走らせました。
『突然のお手紙をお許しください。
実は最近、少し疲れてしまっているのです。
皆様と仲良くしているつもりなのですが、ときどき、自分は本当に必要とされているのか、わからなくなってしまいます。
こんなことを考える自分が嫌になりますし、いっそ、どこか遠くへ行ってしまったほうがよいのではないかと思うこともあります。
こんなお話をしてしまって、ごめんなさい。
ただ、誰かに聞いていただきたかったのです』
書き終えた手紙を眺め、わたくしは首を傾げました。
少々、重かったでしょうか。
いえ、これくらいでよいでしょう。
人間というものは、普段は見せない弱いところを見せられると、つい気になってしまうものです。
もちろん、本当に困っている方を助けたいという気持ちも、立派なものです。
けれど、わたくしが知りたいのは、もう少し別のことでした。
わたくしが弱音を吐いたとき、誰が気にかけてくれるのか。
誰が親身になって話を聞いてくれるのか。
そして、誰が面倒そうにして、わたくしから離れていくのか。
それを知れば、誰と親しくしていくべきかが、少しはわかるでしょう。
わたくしは、同じような手紙を何通か書きました。
宛先によって、少しずつ文章を変えながら。
最後の一通を書き終えたところで、わたくしは満足げに頷きました。
「ふふっ。これでよし、と」
あとは、返事を待つだけです。
翌朝。
教室に入ると、妙な騒ぎが起きていました。
「なに、この手紙!!」
大きな声が響き渡ります。
エルネスタでした。
彼女の手には、一通の便箋が握られています。
わたくしの手紙でした。
「あら、リュシエンヌの字じゃない?」
誰かが言いました。
エルネスタは、手紙をひらひらと振りました。
「そうなのよ! これ、見てよ!」
「ちょっと、何をしているの?」
わたくしが声をかけると、エルネスタはこちらを向きました。
「だって、これ、どういうことなのよ!」
彼女は手紙を広げ、周囲に見せつけました。
「最近疲れています、自分は必要とされているのかわかりません、どこか遠くへ行ってしまったほうがいいのではないか……ですって!」
教室がざわめきます。
「何よ、それ」
「心配してほしいのかしら?」
エルネスタは、わざとらしくため息をつきました。
「こんな手紙を送って、皆に慰めてもらおうっていうの? ほんと、趣味が悪いわ!」
男子生徒の一人が笑いました。
「うわ、ほんと、きしょい!!」
「なんだよ、それ。構ってほしいだけじゃん!」
別の男子も、面白がるように声を上げます。
教室に笑い声が広がりました。
わたくしは、俯きました。
「……そんなつもりでは」
声が震えてしまいました。
もちろん、そんなつもりではない、というのは嘘です。
けれど、こうして大勢の前で笑いものにされるのは、計画のうちではありませんでしたが、さほど問題はありません。
「リュシエンヌ、行きましょう」
マルティナがわたくしの手を取りました。
「でも……」
「いいから!」
別の友人も、わたくしの背中に手を添えます。
わたくしたちは教室を出ました。
廊下の隅まで来ると、マルティナが心配そうに顔を覗き込みました。
「大丈夫?」
「……ええ」
「大丈夫じゃないでしょう。あんなことをされて」
友人の一人が、わたくしの手を握りました。
「気にしなくていいのよ。私たちは味方だから!!」
「そうよ。あの子たち、ひどすぎるわ」
「リュシエンヌがどんな気持ちで手紙を書いたのかも知らないくせに」
皆が口々に慰めてくれました。
わたくしは俯いたまま、小さく頷きました。
「……ありがとう。皆がいてくれて、本当によかったわ」
胸の奥が、じんわりと温かくなります。
少なくとも、ここにいる人たちは、わたくしを笑いものにしたりしませんでした。
それが嬉しかったのは、本当です。
その日の午後。
わたくしのもとには、何通かの手紙が届きました。
最初の一通を開きます。
『リュシエンヌ様
お手紙を読んで驚きました。
最近、そんなことを考えていらしたのですね。
私でよければ、いつでもお話を聞きます。
一人で抱え込まないでくださいね』
次の手紙も、似たような内容でした。
『突然のお手紙でしたので、びっくりしました。
でも、相談してくださって嬉しいです。
何かあったら、遠慮なくおっしゃってください』
わたくしは、一枚一枚、丁寧に読みました。
中には、短い返事しか書かれていないものもあります。
『大丈夫ですか? 何かあったのでしょうか』
それでも、返事をくれたこと自体がありがたいものです。
そして、最後の一通。
封を開けると、そこには勢いよく書かれた文字が並んでいました。
『リュシエンヌ様!
そんなに悩んでいたなんて、知りませんでしたわ!
私たち、友達じゃない!!
なんでも聞きますわ。
愚痴でも悩みでも、何でも話してくださいね。
一人で悩むなんて水くさいですわよ!』
思わず、笑ってしまいました。
「ふふっ……」
なんて、素敵な言葉でしょう。
もちろん、わたくしと彼女は、まだそれほど親しいわけではありません。
けれど、彼女はわたくしを友達だと言ってくれました。
なんでも聞く、とまで言ってくれたのです。
わたくしは、その手紙をもう一度読み返しました。
「……嬉しいですわね」
その言葉は、嘘ではありませんでした。
誰かに必要とされたい。
誰かに気にかけてほしい。
わたくしだって、そう思うことがあります。ただ、少しだけですよ。
わたくしは、その気持ちを利用する方法も知っているのです。
手紙をすべて読み終えると、わたくしは椅子の背もたれに体を預けました。
そして。
「ふ、ふふ……」
笑いが漏れました。
「ふふふ……あはははは!」
誰もいない自室に、わたくしの笑い声が響きます。
まるで悪役令嬢のような笑い方ですわね。
いえ、実際、悪役令嬢なのかもしれませんけれど。
エルネスタが手紙を公開したことで、わたくしは教室で笑いものになりました。
けれど、そのおかげで、友人たちはわたくしを慰め、味方だと言ってくれました。
そして、手紙を送った方々の中にも、わたくしを気にかけてくれる人がいました。
あの場面を見た人たちは、エルネスタたちをどう思ったでしょう。
少なくとも、わたくしを馬鹿にしていた男子たちを、好ましく思わなかった人もいるはずです。
わたくしは机の上の手紙を整えました。
「……思ったとおりですわ」
すべてが計画どおりに進んだわけではありません。
手紙を公開されたのは、想定外でした。
けれど、結果として、わたくしは自分の周りにいる人たちの気持ちを、以前よりもよく知ることができました。
何より。
「私たちは味方だから、ですって」
思い出すだけで、頬が緩みます。
わたくしは、あの言葉が好きでした。
その言葉を聞けたことが、嬉しかったのです。
「ふふっ。明日からも、楽しくなりそうですわね」
わたくしは紅茶を飲み、何事もなかったかのように読書を始めました。
そのころ、エルネスタはまだ、自分が何を引き起こしたのか、理解していませんでした。
(エルネスタ視点)
「ねえ、聞いてよ」
昼休み。
エルネスタは、隣の席に座っていたクラスメイトに話しかけました。
「リュシエンヌって、陰口ばっかり言ってるのよ。ほんと、趣味が悪いわ」
相手の令嬢は、少し困ったような顔をしました。
「そ、そうだね……」
「でしょう?」
エルネスタは勢いづきました。
「この前だって、誰かのドレスがどうとか、先生の話し方がどうとか。人の悪口ばっかり。そんな人が、どうしてあんなに友達に囲まれているのかしら!」
「うーん……」
令嬢は、曖昧に笑いました。
エルネスタは眉をひそめました。
「……なに?」
「え?」
「なにか、隠し事?」
「そ、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、何なのよ!」
エルネスタは身を乗り出しました。
「正直に言いなさいよ。何か知っているんでしょう?」
令嬢はしばらく黙っていました。
それから、困ったように視線を落としました。
「だって……私たち、仲良くないじゃん」
「……え?」
エルネスタは、聞き返しました。
「私たち、仲良くないじゃん。だから、そんなに何でも話すようなことでもないかなって」
「な、何よ、それ!」
思わず声が大きくなりました。
「だって、いつも話しているじゃない!」
「うん。話すよ?」
令嬢は、言いにくそうに続けました。
「授業のこととか、昨日の宿題のこととか。あなたと話すのが嫌ってわけじゃないの。でも……」
「でも?」
「私たち、特別に仲が良いわけじゃないでしょう?」
エルネスタは言葉を失いました。
特別に仲が良いわけではない。
それは、つまり。
「……わたくしのこと、嫌いなの?」
「そういうことじゃないよ」
令嬢は慌てて首を振りました。
「別に、嫌いじゃない。あなたは明るいし、話していて楽しいときもあるし」
「だったら……!」
「でも、リュシエンヌのことだって、私は好きってわけじゃないよ」
「えっ?」
「陰口を言うのは、あまり良いことだと思わないし。あの子たちの会話に入りたいとも思わない」
令嬢は、少し考えてから言いました。
「ただ、あなたのことも、特別に好きというわけじゃないんだよね」
その言葉は、思いのほか静かでした。
だからこそ、エルネスタには強く響きました。
リュシエンヌは嫌い。
でも、エルネスタも特別ではない。
嫌われているわけではない。
避けられているわけでもない。
ただ、選ばれていない。
「……そんなの、おかしいじゃない」
エルネスタは呟きました。
「わたくしは、正しいことを言っているのよ!!リュシエンヌは、陰口ばかり言っているのよ?!」
「うん。そうだね」
「だったら、どうして……」
どうして、自分の話を真剣に聞いてくれないのでしょう。
どうして、自分の側に来てくれないのでしょう。
令嬢は、エルネスタを見つめました。
「ねえ、エルネスタ。あなたは、リュシエンヌのことを話すとき、いつも怒っているよね」
「それは、あの子が悪いからよ!」
「そうかもしれない。でも、私たちに何度も同じ話をされても、どうしたらいいかわからないんだよ。私は、誰かの悪口を聞くために、あなたと一緒にいるわけじゃないから」
令嬢はそう言うと、昼食の続きを始めました。
会話は、それきりで終わりました。
エルネスタは、席に座ったまま動けませんでした。
嫌われているわけではない。
でも、好かれているわけでもない。
それは、彼女がずっと知っていたはずのことでした。
誰とでもそれなりに話せる。
けれど、誰かにとって特別な友人にはなれない。
エルネスタは、それを自分の長所だと思っていました。
誰とでも平等に接することができる。
誰かを特別扱いしない。
誰かを仲間外れにしない。
それなのに、リュシエンヌには、自分にないものがありました。
自分だけに向けられる笑顔。
自分だけに打ち明けられる秘密。
自分が味方だと伝えれば、心から喜んでくれる相手。
エルネスタは、それが欲しかったのです。
「……どうして、あいつだけ」
小さな声が、誰もいないような教室の隅に落ちました。
その夜、エルネスタは自室で便箋を広げていました。
リュシエンヌが手紙を書いたのなら、自分も書けばいい。
そうすれば、誰かが自分のことを気にかけてくれるかもしれません。
彼女はペンを握りました。
『最近、少し寂しいです。
皆と仲良くしているつもりなのですが、ときどき、自分だけが取り残されているような気がします。
誰かに話を聞いてほしいと思うこともあります。
けれど、こんなことを言ったら、迷惑でしょうか』
書き終えて、エルネスタは頷きました。
悪くない手紙です。
少なくとも、リュシエンヌの手紙と大きくは違わないはずです。
翌日、エルネスタは数人のクラスメイトに手紙を渡しました。
「これ、読んでおいてね」
「え? 手紙?」
「そうよ。大切なお話だから」
相手は少し戸惑いながら受け取りました。
エルネスタは、その返事を楽しみに待ちました。
けれど、昼休みになっても、誰も話しかけてきません。
放課後になっても、何の反応もありませんでした。
次の日も、同じでした。
ついにエルネスタは、廊下で一人の令嬢を呼び止めました。
「ちょっと!」
「え? 何?」
「わたくし、あなたに手紙を出したでしょう?」
「ああ……うん」
「どうだった?」
「えっと……」
令嬢は、困ったように笑いました。
「ごめんね。なんて返事をしたらいいのか、わからなくて」
「わからないって、どういうことよ!」
エルネスタは声を荒らげました。
「わたくし、悩んでいるって書いたのよ? 寂しいって書いたのよ?」
「うん……」
「だったら、何か言うことがあるでしょう!」
令嬢は目を丸くしました。
「でも、私、あなたとそんなに親しいわけじゃないし……」
「そんなの、関係ないじゃない!」
「関係あるよ」
静かな声でした。
「ごめんね。でも、私はあなたの悩みをどうにかできるわけじゃないし。何を言ったらいいのか、本当にわからなかったの」
エルネスタは、手を握りしめました。
「……もういいわ!」
そう言って、彼女は歩き出しました。
どうして。
どうして、リュシエンヌには返事が来て、自分には来ないのでしょう。
同じような手紙を書いたはずなのに。
同じように悩みを打ち明けたはずなのに。
「……あいつは、ずるい」
エルネスタは呟きました。
リュシエンヌは、陰口ばかり言っている。
人の悪口を言って、誰かを笑いものにしている。
それなのに、友人たちは彼女を守る。
自分は、皆のためを思って行動している。
なのに、誰も自分の味方をしてくれない。
ならば。
自分は、もっと正しくならなければいけない。
もっと皆のために、間違っていることを指摘しなければいけない。
そうすれば、きっと。
いつか、誰かが自分のことを認めてくれるはずです。
「そうよ。わたくしは、間違っていないわ」
エルネスタは、自分に言い聞かせました。
その日から、彼女は以前よりも頻繁に、他人の行動を指摘するようになりました。
授業中に私語をする生徒がいれば注意し、規則を破る生徒がいれば教師に報告し、誰かが陰口を言っていれば、すぐにそれを周囲へ告げました。
「それは、よくないことよ!」
「皆のためを思って言っているの!」
「どうして、わたくしの言うことを聞いてくれないの?」
けれど、彼女の周りからは、少しずつ人がいなくなっていきました。
誰も、彼女を嫌っていると口にするわけではありません。
ただ、話しかける回数が減りました。
昼食に誘うことが減りました。
彼女が近づくと、会話が途切れるようになりました。
エルネスタは、その理由を考えようとはしませんでした。
考えたところで、答えは見つからなかったでしょう。
彼女には、自分が間違っているとは思えなかったのですから。
「それで、物理の先生と音楽の先生のお話、ご存じ?」
セレフィナが声を潜めて言いました。
その一言で、わたくしたちは一斉に顔を上げました。
「あら、何のお話ですの?」
「実はね、先週、物理の先生が音楽室にいらっしゃったらしいのよ」
「音楽室に?」
「ええ。しかも放課後に。音楽の先生と二人きりで、ずいぶん長いことお話ししていたんですって」
マルティナが口元を押さえました。
「まあ! それだけで疑うのは、少々早計ではありませんこと?」
「もちろん、それだけなら、わたくしだって何も申しませんわ。でもね、まだ続きがあるのよ」
セレフィナはテーブルに身を乗り出しました。
「昨日、物理の先生が、音楽の先生に花束を渡していたんですって!」
「花束!?」
「ええ。それも、かなり立派なものだったとか」
わたくしは紅茶のカップを置きました。
「……それは、確かに気になりますわね」
「でしょう?」
セレフィナは嬉しそうに頷きました。
「それで、音楽の先生は何とおっしゃったの?」
「それがね、よく聞こえなかったらしいの。ただ、花束を受け取ったあと、顔を赤くしていたんですって」
「まあまあまあ!」
マルティナが身を乗り出しました。
「それでは、まるで恋人同士ではありませんの!」
「そうでしょう? わたくしもそう思いましたの!」
「でも、物理の先生って、ご結婚なさっていたのではなくて?」
わたくしが尋ねると、セレフィナは一瞬、口をつぐみました。
「……ええ。確か、奥様がいらっしゃったはずですわ」
「まあ!」
マルティナが声を上げました。
「それでは、不倫ではありませんの!」
「ちょっと、マルティナ。声が大きいですわ!」
「ごめんなさい。でも、だって……!」
彼女は興奮を抑えきれない様子で、わたくしを見ました。
「リュシエンヌ、どう思います?」
「そうですわねえ……。花束を渡すほどの仲というのは、確かに気になりますわ」
「でしょう!?」
「ただ、お礼という可能性もありますわね」
「お礼で花束を渡すのですか?」
「さあ。それは、わたくしにもわかりませんわ」
わたくしたちは顔を見合わせました。
本当かどうかはわかりません。
けれど、こういうお話は、想像を膨らませるだけでも楽しいものです。
「それで、もし本当に不倫だったら、どうなさるおつもり?」
マルティナが尋ねました。
「もちろん、何もしませんわ」
わたくしは即答しました。
「わたくしたちは、ただお話ししているだけですもの」
「まあ! リュシエンヌったら!」
三人が笑いました。
わたくしも笑いました。
すると、セレフィナがふと思い出したように言いました。
「そういえば、エルネスタは最近、どうしているのかしら?」
「あら、エルネスタ?」
「ええ。以前は、休み時間になると、あちこちでおしゃべりしていたでしょう?」
「そういえば、最近はあまり見かけませんわね」
マルティナが頷きました。
「この前、廊下で会ったのだけれど、何だかずいぶん真面目な顔をしていたわ。ほかの子に何か注意していたみたい」
「注意?」
「ええ。授業中のおしゃべりがどうとか、規則を守るべきだとか……」
セレフィナが首を傾げました。
「前は、あんなに明るかったのに。何かあったのかしら?」
「さあ……」
わたくしは、紅茶を一口飲みました。
エルネスタが最近、わたくしたちの陰口を言いふらしていることは知っています。
わたくしたちが誰かの服装を笑ったとか、先生の悪口を言ったとか。
まあ、事実ですわね。
けれど、だからといって、わたくしたちがそれをやめる理由にはなりません。
少なくとも、今のところは。
「もしかして、友達ができなくて、悩んでいるのかしら?」
セレフィナが言いました。
「エルネスタって、誰とでも仲良くできるけれど、特別に仲の良い子はいなかったでしょう?」
「ああ……。確かに、そうでしたわね」
マルティナは、少し考えるように頬に手を当てました。
「でも、あの子、誰とでも話せるのだから、別に困らないのではなくて?」
「それはそうですけれど……」
「そもそも、わたくしたちが心配することでもありませんわ」
わたくしは、さらりと言いました。
セレフィナがこちらを見ます。
「リュシエンヌは、エルネスタのこと、気にならないの?」
「どうしてですの?」
「だって、あの子、あなたの手紙を皆の前で……」
「ああ、あのことですか」
わたくしは、少しだけ笑いました。
「もう済んだことですわ。それに、わたくしには、こうして一緒にいてくださる皆様がいますもの」
「リュシエンヌ……!」
マルティナが、わたくしの手を握りました。
「もちろんですわ! わたくしたちは、いつだってあなたの味方ですもの!」
「まあ、嬉しい!」
わたくしは笑顔で答えました。
セレフィナも頷きます。
「そうね。エルネスタも、もう少し周りのことを考えればいいのに」
「ええ。正しいことを言えば、誰とでも仲良くなれるというわけではありませんものね」
マルティナの言葉に、わたくしたちは頷きました。
そして、しばらくの間、エルネスタの話をしました。
最近、誰に何を言ったらしいとか。
以前はよく話していた令嬢が、今ではあまり相手をしなくなったとか。
もちろん、わたくしたちが直接見たことばかりではありません。
友人から聞いた話もあれば、その友人が別の誰かから聞いた話もあります。
けれど、話題としては、なかなか面白いものでした。
「……あら、いけませんわ」
わたくしは、ふと時計を見ました。
「もう、こんな時間!」
「まあ、本当!」
「おしゃべりに夢中になりすぎましたわね」
わたくしたちは笑いながら、冷めかけた紅茶を飲み干しました。
それから、セレフィナが何かを思い出したように手を叩きました。
「そうそう! 物理の先生のお話ですけれど!」
「あら、まだ続きがありましたの?」
「ええ! 音楽の先生、最近、新しい香水をお使いになっているらしいですわ!」
「まあ! それも物理の先生からの贈り物かしら?」
「そうかもしれませんわね」
「ねえ、皆様。明日、音楽の先生を観察してみませんこと?」
「賛成ですわ!」
「わたくしも!」
また、笑い声が響きました。
窓の外では、秋の風が木々を揺らしていました。
紅茶は温かく、焼き菓子は甘く、友人たちとのおしゃべりは尽きません。
エルネスタが今、どんな気持ちでいるのか。
誰にも特別に頼れず、誰にも自分の話を聞いてもらえず、どうして自分ばかりがうまくいかないのかと悩んでいるのか。
わたくしには、わかりません。
いえ、わかろうとしたことすら、なかったのかもしれません。
「それでね、もし本当に不倫だったら、先生の奥様はどうなさるのかしら?」
「まあ! リュシエンヌ、そんなことまで考えていたの?」
「だって、気になるではありませんか!」
わたくしたちは、また笑いました。
そして、翌日、誰にこの話を聞いてみようかと相談し始めました。
今日も、いつもどおりの午後です。
わたくしたちは、そういう人間なのですから。
作者です。
お節介だとは思いますが、私の感想を少し、
私も、どちらかかというとエルネスタのような人間なのですが、これからの時代は、おそらく彼女のような人はなかなか現代社会で生きにくいんじゃないか、と思っております。実際に、私は非常に生きにくいわけですし。
SNSなんかに、「死にたい」とか書いてる人っていますよね。もちろん、その人達にはリュシエンヌのような悪意はないと思いますが、それを「気持ち悪い」と非難している私のような人間は、時代に取り残されているわけです。
エルネスタのような、承認、正義を求める人は生きにくい世の中でしょう。
逆に、SNSで「死にたい」などとほざいている人の方がこれから社会で生きていける確率が高いと思っております。それは、共感を得られるからです。
これからは、共感の時代です。
共感の時代だからといって、陰口はもちろんダメです。作中では、誇張表現として陰口を使っていますが、おそらく、現実世界で陰口を言っている人はエルネスタ側の人間であり、これからの時代の被害者になっていくと思います。
皆様も、どうか上手く周りの共感を集めて、この生きづらい社会を生き抜いてくださいませ。
長々となりましたが、以上が私の感想です。
読んでくださり、ありがとうございます。




