知らない方から婚約破棄を叫ばれたので、全部放り投げます
生々しい怪我の描写があります。
グロいのが苦手な方はお気をつけください。
「ティナーシェ・ヴァロワ侯爵令嬢! お前は公爵家に嫁ぐ者として相応しくない! お前との婚約を破棄し、私は愛しいレティシアと結婚する!」
久しぶりの夜会に出席した矢先に、知らない男性からこんなことを告げられました。
男性の片腕には小柄な女性が抱かれており、彼女は勝ち誇った笑みで私を見下ろしています。
いきなりの事に困惑しましたが、ここで狼狽えるなど侯爵令嬢が廃れます。
わたくしはいつも通り、よそ行きの微笑みを湛えて二人に向き合いました。
「…失礼ですが、どなた様でしょう? わたくし、貴方とはお会いしたことが無いと思うのですが」
「まだ言い逃れするのか! 証拠は揃って……え?」
「酷いですわ! 私、たくさん嫌がらせを受けたのに…謝ったら許そうと思っていたのですよ!」
男性は時間差で戸惑って言葉を失い、隣のご令嬢は対照的に全く動じずキャンキャンと吠えました。
ご令嬢ったら、逞しいですわね。
わたくしの領地の軍に引き入れたら優秀な騎士になりそうです。
ですが、今はそれどころではないらしいので控えます。
わたくしだって仮にも侯爵令嬢ですもの。
令嬢っぽく見せるための工夫はします。
「ですから、まず名乗ってくださいな。話はそれからですわ」
「こ、婚約者の名前も覚えておらぬというのか! 私はチェスター王子だぞ、この無礼者が!」
「左様でございますか。では、チェ、チェ…チェスト王子殿下? わたくしと婚約していたという証拠をくださいな」
「チェストではなく、チェスターだっ!!」
あらあら。
ますます怒らせてしまいました。
わたくし、人の名前を覚えるのが苦手ですの。
役職名は辛うじて覚えれるのですが、この方は自分の名前だけを仰ってしまったものですからわたくしは名前で呼ぶしかありません。
この国において、王子はきちんと順番をつけて呼ぶか名前でないと呼べない決まりがあります。
つまり、「チェック王子」や「王子殿下」呼びは出来ないのです。
謎ですが、そういうのがあるのですよ。
面倒くさいですよね、貴族とか王族って。
わたくしが覚えるのは家族の名前だけと限定されていますので、このお方の名前ももうじき忘れることでしょう。
チェルシー王子でしたっけ?
なんだか少し違う名前だったような気もしますが、ややこしいのでどうでもいいです。
話が通じれば、それでいいのですから。
「婚約の証拠…? あ、三年前に顔合わせをしただろう! まさか、覚えていないとは言うまいな!」
「申し訳ございません、存じ上げませんわ。もっと確実なものはございませんか? 物証、とか」
「無いに決まっておろう! お前のような者に贈り物なぞ悍ましい!」
…結局のところ、証拠はなしというわけですね。
お話にもなりません。
つまらない茶番でわたくしの貴重な時間を消費してしまいました。
「そうでございますか。では、わたくしはこれにて失礼させていただきます。お二方とも、どうぞ夜会をお楽しみくださいませ」
「まだ話は終わっていないぞ!」
「そうですよ! さっさと過ちを認めてください!」
お二人がどんどんこちらへ接近してきます。
まるで、逃がさないぞと脅さんばかりに。
わたくしはため息をつき、致し方ないですが強硬手段を使おうとしました。
ですが、そんなわたくしの前に大きな背中が立ちはだかりその手段は物理的に防がれてしまいます。
少し面白くなさが湧いてきますが、わたくしは侯爵令嬢。
よって、全て水に流します。
これが貴族における『寛容』ってやつなのですわ、きっと。
そして、大きな背中の持ち主であるアルバルト兄様が口を開きました。
アルバルト兄様は遠い親戚筋にあたり、我が家の跡継ぎとして養子に迎え入れられた人です。
養子というハンデがありながらも、国王の腹心として実力を遺憾無く発揮しておられる凄い方ですわ。
そんな兄様は、いつもより少し低い声で王子に質問しました。
「これは一体どういうことでしょう、チェスター王子殿下?」
「見て分からぬか。其方の義妹の罪を暴いているのだ」
「罪? 冤罪の間違いでは?」
兄様は皮肉げに笑い、彼らを挑発しました。
大丈夫でしょうか。
仮にも王家の方に喧嘩を吹っかけて首チョンパなんて嫌ですよ、わたくしは。
そんな面倒臭い事になるなら今すぐ兄様の首根っこを捕まえて帰宅するべきかもしれません。
…まぁ、腹黒い兄様は既に裏で手を回している気もしますね。
やっぱり放っておきましょう。
そんな風に考えているわたくしなぞ隅っこに追いやり、兄様とお二方は言い争いをし始めました。
「証人が何人もいるのだぞ、疑いようが無いだろう!」
「それは本当に現場を見た証人ですか? 捏造している可能性もあります」
「ええい、黙れ! おい、衛兵たち! 不敬罪でこいつらを連れて行け!」
「いいえ、その判断をするのは貴方ではありません。…ですよね、陛下?」
「うむ、そうであるな」
上から降ってきたその声に、貴族たちが一斉に跪きます。
わたくしもそれを真似して頭を下げました。
やはり、根回しはしていたようです。
兄様とお二方だけが顔を上げたままという、異様な光景に貴族たちがざわめいているのがこちらまで聞こえてきました。
「なんと無礼な…」
「だが、ヴァロワ侯爵令息は陛下の覚えもめでたい。その上王国に多大な貢献をしているのだから、多少は許されるだろう」
「だが、陛下だぞ? ありえないではないか」
そんな声など微塵も聞こえていないそぶりで、話はどんどん進んでいきます。
「陛下、ティナはこの国の『矛』として幼き頃から役割を務め続けてきました。それが、この仕打ちですか? まさか、罪をティナに被せるなんて言いませんよね?」
「あぁ、分かっておる。其方らには大いに助けてもらった恩がある。勿論、この責任は当事者と余が取ろう」
兄様はこれで溜飲を下げたらしく、わたくしをエスコートして広間から立ち去る事にしたようです。
「ティナ、行こう」
「おい、待て! 話はまだ終わっていないぞ!」
「ティナ、帰ろう」
「私は王子だz…」
「ティナ」
「えぇ。行きましょうか」
わたくしは、ピーピー喚いている小鳥を無視して兄様の手を取りました。
そのまま優雅に歩いて、大階段を降りていきます。
すると、先ほどまで王子と一緒にいたご令嬢がこちらへ走ってくるではありませんか。
明確な殺意が垣間見え、思わずこちらも身に力が入ります。
おそらく彼女は、わたくし達を階段から突き落とすつもりでしょう。
「あんたなんか、あんたなんか…!」
決して貴族令嬢がしてはならないようなお顔でこちらへやってきます。
…残念。折角だから鍛えて旗頭に仕立てようと思っておりましたのに。
彼女のがめつさに関してはは惜しい才能ですが、ここで手放しましょう。
「あら、手が滑ってしまいましたわ」
わたくしは、ご令嬢の胸ぐらを掴んで大階段…ではなく、更に上にある玉座の方へとぶん投げました。
玉座の前には石造りの柵があるため、勿論玉座にぶつかる事はありません。
ご令嬢はもはや人ではなく物の様に宙を舞い、柵に勢いよくぶつかってから真下に落ちていきました。
ぶつかった時に「ぎっ」という声が漏れ出て、一番衝撃があったであろう肩から嫌な音がしましたが、わたくしは顔色一つ変えずそれを見守ります。
ご令嬢は3メートルほど落下した後、大理石の硬い床に勢いよく全身をぶつけます。
その際に「ゴキッ」「ベキッ」「パキッ」という人から出てはいけないような音声がしっかりと周囲に響き渡りました。
ご令嬢は一応生きているらしく、「ぐ…が…いだ…」と何かを言おうとしていますが、声が小さくてわたくしには聞こえません。
否、聞くつもりもございません。
暫くするとご令嬢は流石に意識を失い、血の泡を吹いて動かれなくなりました。
内臓が損傷したのでしょうね。
特に肩のあたりの損傷が激しく、肌から骨が突き出て血が溢れ出していました。
他の部位の骨もいくつか折ったらしく、曲がってはいけない方向に手足や首が曲がっています。
他の貴族の方々にこの光景は刺激が強すぎたらしく、意識を失う者や泣いて取り乱している者、逃げ出す者、先ほど飲んだワインごと胃の中身を吐き出す者もいました。
…ですが、わたくしにとってはどうでも良いことです。
こんな状態も、戦場では日常茶飯事ですから。
それに、わたくしは何の理由もなく人を傷つけたりは致しません。
わたくしはご令嬢に危害を加えたのではなく、『王の矛』としての役割を果たしただけです。
『王の矛』とは、王に仇をなす不届者を始末する役割。
『王の盾』と相対するようにして、それぞれ別の分野で王家を支え続けてきた歴史ある役割です。
『矛』は外部から王家を守護し、『盾』は内部から王家を律する。
そうする事によって、我が国は長年安寧を享受してきました。
我が侯爵家は建国期から『矛』の役割を担っており、わたくしもそのために戦法や護身術などを習いました。
わたくしは一際筋力に恵まれており、見た目はほっそりとしていますが、戦場では敵を素手で十分に殺せるほどの実力があると自負しております。
今回、ご令嬢は王家の矛に危害を加えようとしたのです。
矛の破壊は、王家の破壊。
ひいては、王国の破壊にまで繋がるといっても過言ではありません。
現に、わたくしたちの奮闘により国境線が数百年も侵攻を防げている、という事実があるのですから。
わたくしがここで怪我をすれば、砦は大打撃を受けるでしょう。
それほどわたくしに求められた『矛』としての能力は強力で、替えの効かない代物ですから。
王家への反逆者を殺すのは、矛としての役割。
なので、わたくしはご令嬢を一切躊躇う事なく放り投げたのです。
ちなみに、これはきちんと正当防衛と判断されるので罪には問われません。
『矛』に付き纏う責任は大岩の様に重いですが、その分許可されている事は他の貴族よりも多いのです。
『矛は自身と王家に仇為す者を始末すべし』
王国法にて定められておりますし、寧ろそれを推奨されていますもの。
ね? ですから、わたくしは胸を張って正しさを主張出来るのですよ。
と、いうわけで、わたくしは涼しい顔で階段を降りました。
兄様も後ろの惨事には目もくれず、ただひたすらに前を見続けていました。
いつも通りの、暖かい眼差しで。
…あぁ、やはりわたくしの全てを否定しないでいてくださるのは兄様だけですわ。
義妹が何をしようとも何も変わらない態度を貫いてくれる兄様は、素敵です。
他の人とは大違い。
いくらわたくしが『矛』とはいえ、為す事全てに良い顔をする人はいませんでした。
母様には泣かれてしまいましたし、父様もわたくしの異様な苛烈さについてこれないことがありました。
幼い頃から世話になっているメイドも戦場に行くと言えば鉄の様な無表情を歪めてしまいます。
わたくしの事を想ってくださっているのは分かるのですが、少し居心地が悪いのです。
対する兄様は、わたくしが何をしようと横で一緒に歩いてくださいますし、陰からしっかりとわたくしを支えてくれます。
戦場で人生の大半を過ごしてきたからか、貴族の謀が出来ないわたくしですが兄様のサポートのお陰でボロは出ておりませんし。
兄様がいなければ、今頃面倒臭いことに向き合わなければならなかったでしょうね。
あら、こうして思い返してみれば兄様に助けて貰った記憶が今まで屠ってきた兵士以上にたくさんあります。
わたくし、もしや兄様がいないと生きていけないのでは?
まぁ、結局いつかは兄離れしないといけないですけどね…と思いながらも、わたくしは最後まで侯爵令嬢らしく微笑を貫きました。
…結局、あの王子とやらは何がしたかったんでしょう。
最後の最後まで意味不明でした。
ただ叫んで責めてどうにもならず、父親から諦められておしまい。
きっと、彼は明日から王族ではなくなるでしょう。
もしくは、急な病でお亡くなりになられるか。
そうでもしなければ、『盾』が自ら鉄槌を下すために大暴れするでしょうから。
…それにしても、本当にあの人婚約者だったのでしょうか?
最後の最後まで王子の名前も覚えれませんでしたし、本当に婚約していたかどうかも分かりませんが、気にする必要は無いでしょう。
さっさと帰って、戦に加勢しましょう。
今頃、部下たちはヒィヒィしながら頑張っているでしょうからね。
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わたくしと兄様は、機嫌良く侯爵領へと直帰しました。
なお、あの元王子は本当に婚約者だったらしく「嘘じゃなかったのですね…」と存在すら認識されていなかった彼が不憫に思いましたが、結果的に国家は再び穏やかに継続していくことになるので問題ありませんね。
同情もクソもありません。
そんな興味のないことを考えるほど、わたくしは慈悲深くありませんし余裕もございません。
わたくしが考えるのは家族と、戦場のことだけ。
そんなわけで、解決ったら解決。
実際にはまだ細々とした問題が残っているようなので、兄様に丸投げします。
兄様なら腹黒いし優しいので、きっと平気でしょう。
ご褒美に手作りの栄養ドリンクをあげたらイチコロですもの。
面倒臭い事は、全部放り投げてしまうのがわたくしの信条ですわ!
なお、のちにティナーシェはアルベルトにプロポーズされる模様。
ティナーシェも面倒臭い事をしなくて済むから、乗り気…かも?




